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第十五話  外交官は嘘をつかない、たぶん


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        第 十 五 話

   外交官は嘘をつかない、たぶん

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 世の中には、出会い頭というものがある。


 出会い頭の事故、という言葉があるくらいだから、出会い方というのはその後の関係性を規定する場合がある。角を曲がった瞬間にぶつかった相手と、穏やかな午後に紹介された相手とでは、同じ人間でも印象が変わる。


 これは別に珍しい話でも何でもなくて、人間の脳みそというのはそういうふうに設計されている。最初のインプットが強ければ強いほど、それを上書きするのに時間がかかる。


 だから。


 ドーソン外交官と佐竹真司三等陸尉の「出会い頭」は、できれば穏やかであってほしかった。


 できれば。


 しかし世の中には、出会い頭というものがある。



 *



 王都百三十キロ地点。


 特殊調査部隊が休憩のために車列を止めた丘の中腹で、ルナが突然叫んだ。


 「止まって!!」


 反射的に全員が動きを止めた。


 真司がルナを見る。うさ耳が限界まで前方に傾いている。目が細い。集中している顔だ。


 「……前方、三キロ。馬の足音。少人数。七か八。整然としてる」


 「軍隊か」


 「違う。軍隊より、もう少し軽い。でも、訓練されてる感じはある」


 「武装は」


 「わからない。ごめん、そこまでは」


 「十分だ」


 真司は橋本を見た。


 「一班、前方展開。俺も行く。野村は車列を守れ」


 「了解です!」


 「隊長、私も——」


 「お前は残れ。難民の方々がいる」


 野村軍曹は一瞬だけ不服そうな顔をしたが、「はい」と答えた。それだけで十分だった。野村真奈美という人間は、不満を飲み込んだあと確実に仕事をする。それを真司は知っている。


 高機動車二両が前方へ出た。


 三キロを詰める。二キロ。一キロ。


 丘を越えた瞬間、向こうから来る一行と、ほぼ同時に視認した。


 馬に乗った七人。

 先頭の男は四十代後半くらいで、目が鋭い。上等な外套を着ているが、旅塵でくすんでいる。その隣に、護衛らしき剣士が二人。残りの四人は荷馬車を引いている。


 先方も、こちらを発見した。


 馬が止まった。


 真司の車両も止まった。


 距離、七十メートル。


 先方の護衛が剣に手をかけた。


 橋本が小声で言った。「機銃、構えますか」


 「まだ待て」


 真司は答えた。


 沈黙が五秒続いた。

 十秒になった。


 先頭の男が、馬上から両手を広げた。


 武器を持っていない、という意思表示だ。


 「……これは、どう解釈する?」


 橋本が呟く。


 「敵意がないと言っている」


 「罠かもしれない」


 「かもしれない」


 「どうします」


 「俺も降りる」


 「隊長!」


 「お前はここにいろ。何かあったらすぐ動け」


 真司は車両を降りた。


 両手を上げながら、ゆっくりと前方へ歩いた。


 先方の男も、馬から降りた。護衛が制止しようとしたが、男は手で制した。そして、真司と同じように両手を開いたまま、歩いてきた。


 四十メートル。

 三十メートル。

 二十メートル。


 十メートルの距離で、二人は止まった。


 男が先に口を開いた。


 「〈ガレリア王国〉外交官、ドーソン=アリクトと申します」


 穏やかな声だった。


 真司は答えた。


 「陸上自衛隊特殊調査部隊隊長、佐竹真司三等陸尉です」


 男、ドーソンは真司の答えを聞いて、わずかに目を細めた。


 「……日本、という国の方ですか」


 「そうです」


 「存じております。息子から話を聞いていました」


 「息子から?」


 「ええ。情報というのは面白いもので、王都から離れた場所でも流れてくる。鉄の龍に乗った者たちが現れた、と。それが日本という国の者だと聞いて、私はここへ来ました」


 「王国の命令で?」


 ドーソンは少し間を置いた。


 「命令です。ですが、私個人としても、あなた方と話したかった」


 「個人として、というのは」


 「外交官の本音と建前は別物です。建前は王国の利益のために動くこと。本音は、この話を穏やかに終わらせたいこと」


 「……正直な方だ」


 「外交官は嘘をつかないんですよ」


 ドーソンは言った。


 「本当のことだけを言う。ただし、都合の悪いことは言わない。それが外交です」


 真司はこの男を三秒ほど観察した。


 鋭い目。しかし、敵意の色がない。疲弊と、それでも消えない知性の光がある。


 「一つ確認していいか」


 「どうぞ」


 「俺たちが捕まえた捕虜の中に、諜報員がいる。今も生きているか」


 ドーソンの表情がわずかに動いた。


 「……それは、〈NHC9〉と呼ばれる方ですね」


 「知っているんですか」


 「名前だけは。拷問を受けていると聞いています。今のところ、生きてはいます」


 「確かか」


 「私が出発する前日、まだ息があると確認しました。ただ」


 ドーソンは真司の目を真っすぐ見た。


 「時間は、あまりない」


 「……わかった」


 「あなたが今、何を優先しているか、私には察しがつきます。しかし、その方を助けるためにも、今ここで喧嘩をするよりは話し合いの方が早い」


 「同意します」


 「よかった」


 ドーソンは初めて笑った。疲れた顔の中に、本物の笑顔が混じった。


 「実を言えば、拒絶されるかと思っていた。最初の出会い方が最悪でしたから」


 「そうですね。奇襲をかけてきましたから」


 「私の判断ではありませんが、王国を代表する者として謝罪します。申し訳ありませんでした」


 真司は少し面食らった。


 謝罪が来るとは思っていなかった。


 「……受け取ります」


 「ありがとうございます」


 「ただし」


 「ただし?」


 「俺たちを奴隷にするという方針が変わっていないなら、話し合いの余地はない。その点だけ先に確認させてください」


 ドーソンはまた少し間を置いた。


 今度の沈黙は、最初のものより長かった。


 「……王の意志と、私の意志は、必ずしも一致しません」


 「どういう意味か」


 「王の目的は変わっていません。しかし、私がここへ来たのは、別の可能性を探るためです」


 「別の可能性」


 「対等な関係。奴隷でも支配でもなく、二つの国が互いに利益を持ち合う形。私はそれが可能だと考えています」


 「王は認めないのでは」


 「今はそうかもしれない。でも、人間というのは変わります。状況が変われば、判断も変わる」


 「ずいぶん楽観的だ」


 「外交官ですから」


 ドーソンは静かに言った。


 「希望を持つのが仕事です。絶望しては外交になりません」


 真司はこの男のことが、少し好きになった。


 それは別に友情の始まりとか、そういう大仰なものではなく、単純に、同じ方向を見ている人間に感じる連帯感のようなものだった。


 「話し合いましょう」


 真司は言った。


 「ええ、ぜひ」


 二人は同時に、後ろを振り返った。


 橋本が車両の上から身を乗り出して、ルナが地面にしゃがんで耳をぴんと立てて、後方の野村はおそらく今頃じりじりしながら無線を握っているはずで。


 「護衛の方々と、私の部下、両方に少し下がってもらいましょう」


 「そうしましょう」


 「あと、一つお願いがある」


 「なんですか」


 「息子さんの話を聞かせてほしい。名前は、アルといいましたか」


 ドーソンは、今度は驚いた顔をした。


 「……なぜ、息子の名前を」


 「さっきそう言ったでしょう、あなたが。息子から話を聞いた、と」


 「……ああ、そうでしたね」


 ドーソンは小さく笑った。今度の笑顔は、先ほどよりずっと柔らかかった。


 「自慢の息子です。話し合いが終わったら、ぜひ」


 「楽しみにしてます」


 風が吹いた。


 荒野を渡る風は、どこか乾いていて、しかし草の香りが混じっていた。


 王都まで、百三十キロ。


 最初の話し合いが、始まろうとしていた。



 ***



 話し合いは、三時間続いた。


 三時間というのは長いようで、この手の交渉としてはむしろ短い。双方が本音に近いところを早めに出し合ったからだ。外交というのは通常、本音を悟らせないことが基本なのだが、ドーソンという男は真司のペースに引っ張られたのか、あるいは最初からそのつもりだったのか、かなり率直に話した。


 話し合いの内容を整理すると、おおむね以下の通りだ。


 王国側の要求は、日本国との対等な国交樹立。ただしアリアン王の意志として、「日本国が王国の盟主としての地位を認めること」という条件がある。つまり対等のように見えて、実際には従属に近い。これをドーソンは正直に言った。「これが現時点での王の条件です。私個人としては不当だと思っています」と付け加えながら。


 日本側の要求は、食料及びエネルギー資源の提供を含む経済協力、諜報員の解放、そして相互不可侵。どれも当然の要求であり、理不尽な点は一つもない。真司はそう言った。ドーソンは「おっしゃる通りです」と答えた。


 つまり、話し合いの結果わかったことは、双方の担当者は合意できる範囲の人間だが、ガレリア王国のトップが問題だ、ということだった。


 「結局のところ、アリアン王を動かさない限り、何も変わらない」


 真司はドーソンに向かって言った。


 「ええ」


 「その方法はあるか」


 「……難しい質問です」


 ドーソンはしばらく考えた。


 荒野の中、向かい合って座った二人の周りには、折りたたみテーブルと、それぞれの部下たちが適度な距離を保って立っている。橋本は護衛の剣士二人と、すでに何かを笑いながら話していた。あいつは本当にどこでも誰とでも話せる、と真司は思った。呆れながらも、あれはあれで才能だとも思う。


 「王を動かす方法は、二つしかありません」


 ドーソンが口を開いた。


 「一つは、圧倒的な力の差を見せつけること。王は力に素直です。負けると判断すれば、一時的に引く」


 「一時的に、か」


 「はい。本質は変わらない。また機会を狙う。それがアリアン王という人間です」


 「もう一つは?」


 「利益を示すこと。王は欲深い。あなた方が与えられるものが、奴隷にして働かせるよりも大きいと理解すれば、考え方を変える可能性がある」


 「利益で動く方が、まだ話が早い」


 「同感です」


 「日本が提供できるものを考えると……」


 真司は少し考えた。


 食料は足りていない。エネルギーも足りていない。しかし技術はある。医療技術、建築技術、農業技術。この世界の水準から見れば、どれも飛び抜けている。


 「医療技術はどうか。あの王は、病気をしたりするか」


 ドーソンの目が光った。


 「……面白い発想ですね」


 「使えるか」


 「王に病気はありませんが、王国内の疫病は長年の悩みです。特に辺境では定期的に流行り病が出て、多くの民が死んでいる。それを解決できるなら、王は食いつくでしょう」


 「わかった。本部に打診する」


 「話が早い」


 「時間がないので」


 真司はドーソンを見た。


 「雲雀丘を返してほしい。それが先決だ。彼が生きている間に」


 ドーソンは頷いた。


 「私の権限では決められません。ただ、私が王都に戻った際に最優先で進言します。それはお約束できます」


 「信じる」


 「ありがとうございます」


 「約束を破ったら、信じなくなるだけです」


 「十分な抑止力です」


 二人はほぼ同時に、小さく笑った。


 何がおかしいのか、うまく言語化できない類の笑いだったが、それでも笑った。


 「ドーソンさん」


 「はい」


 「あなたは、本当に王国のために働いているんですか」


 ドーソンは少し驚いた顔をした。


 それから、考えた。


 「……王国のために働いているのか、王国の民のために働いているのか、自分でも時々わからなくなります」


 「どっちが本当だと思いますか」


 「民のため、だと思いたい。ただ」


 「ただ?」


 「王国が滅べば、民も困る。そういう意味では、王国を守ることと民を守ることは、切り離せない」


 「……日本も同じです」


 真司は呟いた。


 「国を守ることと、国民を守ることは、別ではない。でも、時々その順番で悩む」


 「悩む人間が外交をした方が、世界はうまくいく気がします」


 「そうあってほしいですね」


 風が、また吹いた。


 ドーソンは外套の襟を直しながら言った。


 「一度、王都に来てください」


 真司は答えなかった。


 「安全は保証します。私の名において」


 「保証できますか、本当に」


 「できます。私の名前はこの王国で、一定の重さを持っています。それを使います」


 「……なぜそこまでするんですか」


 ドーソンはしばらく黙った。


 それからゆっくりと、こう言った。


 「息子がいます」


 「ええ」


 「息子に、この国を継がせたい。でも、今のままの国は継がせたくない。変えなければならない。しかし私一人では変えられない。あなた方のような、外からの力が必要です」


 「……」


 「勝手なお願いだということは、わかっています。あなた方には関係のない話だ。でも」


 ドーソンは真司の目を見た。


 「あなたには、家族がいるでしょう。その人たちのために生きて帰りたいと思っているでしょう。私も、息子のために生きて帰りたい。そういう意味では、我々は同じ場所に立っている」


 真司は、胸ポケットに手を当てた。


 懐中時計と、青い石が、そこにある。


 「……わかりました。王都に行きます」


 「よかった」


 「ただし、条件がある」


 「どうぞ」


 「雲雀丘の解放を先に進めてほしい。そして、王都への道中の安全を確保してほしい。〈水龍〉が動いているという情報がある」


 ドーソンの顔が一瞬固まった。


 「……よくご存じで」


 「こちらにも耳があります」


 ルナのことを言った。ルナはそこで短く「そうよ」と言って、うさ耳をぴんと立てた。ドーソンはルナを見て、「ウサギ族か、道理で」と呟いた。


 「〈水龍〉については、私から進言します。ただ、私が王都に帰るより先に動く可能性がある」


 「その場合は?」


 「戦わざるを得ません」


 「正直だ」


 「外交官ですから」


 ドーソンは繰り返した。


 真司はもう一度、この男を観察した。


 疲れている。

 しかし折れていない。

 自分の仕事が何なのかを、ちゃんとわかっている。


 「話し合いを続けましょう」


 真司は言った。


 「ええ。まだ決めることがたくさんある」


 「そうですね」


 「あと、これは個人的な問いなのですが」


 「なんですか」


 ドーソンは少し声を落として言った。


 「息子は、元気にしていますか。あなたのところに情報が来ているなら、王都の様子も聞こえているかと思って」


 真司は少し意外に思った。


 今まで毅然としていたこの男が、この一言だけ、明確に「父親」の顔をした。


 「……知りません。あなたの息子さんの情報は持っていない」


 「そうですか」


 「でも」


 真司はドーソンを見た。


 「ちゃんと勉強しているんじゃないですか、きっと。あなたみたいな父親を持った息子なら」


 ドーソンは黙った。


 しばらくして、「ありがとうございます」と言った。


 声が、少し変わっていた。


 強い外交官ではなく、息子を心配する父親の声だった。


 それを聞いて、真司は思った。


 亜希。さくら。


 俺も、同じだ。


 どれだけ任務があっても、どれだけ考えることが増えても、この胸の中の場所だけは、ずっと同じままだ。


 「もう少し、話しましょう」


 ドーソンが言った。


 「ええ」


 真司は答えた。


 荒野に風が渡る。


 遠くで橋本の笑い声がする。


 王都まで、百三十キロ。


 二人の父親が、世界を変えようとしていた。



 ***



〈ガレリア王国〉 地下牢


 夜。


 扉の音がした。


 雲雀丘淳は身構えた。また拷問か、と思った。しかし入ってきたのはガロンではなかった。


 若い兵士だった。見たことのない顔だ。


 兵士は素早く周囲を確認して、それから雲雀丘に近づいた。


 「……お前が、日本の諜報員か」


 声を潜めている。


 「誰だ」


 「名前はいい。ドーソン外交官に頼まれた。食料と水を持ってきた」


 雲雀丘は警戒した。しかし、差し出されたパンと水筒を見た時、体の方が先に動いた。七日ぶりのまともな食料だった。


 「……食べろ。毒はない」


 「ドーソンが?」


 「ああ。あの人は信用できる。俺は長年見てきたからわかる」


 雲雀丘は食べた。

 うまかった。

 泣きそうになったが、こらえた。諜報員が食料で泣いてはいけない。


 「日本の軍隊が動いている。もうすぐ来る、と言っていた」


 「……確かか」


 「ドーソン様が今日、直接会ったらしい」


 雲雀丘は目を閉じた。


 来た。


 本当に、来た。


 「メッセージがある」


 兵士が言った。


 「なんだ」


 「もう少しだけ、待て。必ず助けに行く——そう言っていた」


 雲雀丘は長い息を吐いた。


 「……どこの誰が言った」


 「佐竹、という名前だった」


 「佐竹」


 「知っているか」


 雲雀丘は知らなかった。

 しかし、知らなくてもよかった。


 「……ああ」


 知っている、と言った。


 「わかった。待つ」


 「それだけか」


 「それだけだ。十分だ」


 兵士は頷いて、去っていった。


 地下牢に静寂が戻る。


 雲雀丘はパンの最後のひとかけらを口に入れて、石の壁に背を預けた。


 佐竹。


 知らない名前だ。

 自衛隊の人間だろう。

 直接会ったこともない。

 これからも会えるかどうかわからない。


 しかし。


 「必ず助けに行く」


 その言葉の重さは、伝わった。


 根拠のない言葉ほど軽いものはない。しかし同時に、根拠のない言葉の中に、本物の意志が宿ることもある。


 これは後者だ、と雲雀丘は判断した。


 判断の根拠は、感覚だ。

 感覚というのは訓練で磨かれる。

 雲雀丘の感覚は、七日間の拷問を経ても、まだ機能していた。


 「……来い」


 また、言った。


 「待ってるぞ、佐竹」


 地下牢の闇の中で、一人の日本人が、少しだけ、眠った。


 今夜だけは、悪夢を見なかった。



 ―― 了 ――



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次話予告


 〈水龍〉が動く。

 初めての夜間戦闘。

 そして橋本ハヤト軍曹が、初めて本気で怒る。


 第十六話「水の怪物と、怒れる男」


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