嵐の中、過ぎ去った後4
そして現在=2075年。人類と敵性低気圧との戦闘は、未だに続いている――今こうして、近海で発生したHLPSの攻撃で大損害を被った島から、数少ない生存者を搬送しなければならないぐらいの戦況で。
「君をこれから高知の病院に連れていく。何日か検査入院は必要になるだろうが、もう安心だぞ」
俺を担架ごとヘリに乗せた若いレスキュー隊員はそう言って励ましてくれた。
「あ、ありがとう……ございます……あの」
その時彼に呼び掛けたのは俺――矢崎亮介としての俺ではなく、恐らく大葉辰人としての俺だったのだろう。
「あの……母は……」
尋ねながら、言葉での返答を待つ必要はないと直感的に理解した。
言い終わるのと答えを得るのはほぼ同時だった――その一瞬静まり返った機内と、くしゃっと顔を歪めた若いレスキュー隊員の表情とで。
それから二日後、彼の言葉通り、高知県内の病院に運び込まれた俺は、これまた彼の言葉通り検査入院となり、その入院理由をこなすほどに奇跡的なまでに無傷であることを知らされた。
直感:恐らく本物の大葉青年は即死だった。
何故かは分からない。
だが、そう思えてならない。
本物の大葉青年はあの時HLPSの攻撃によって19年の人生を終え、その肉体にどういう訳か異なる世界からやってきた俺の魂――便宜上そう呼ぶしかない存在――が宿ったのだろう。
そう結論付けた二日目の夕方、県の職員を名乗る人物が俺の病室にやって来た。
「大葉辰人さんですね」
そう尋ねる彼の手には大きな茶封筒が一つ、大切そうに――というよりどこか恐れ多いように支えられており、それを持つ彼の表情は少しやつれていた。
「大葉文江さん……あなたのお母さんについてです」
当然だが、その人に会ったことはない。
だが大葉青年の記憶が、中学一年生の頃に父親に先立たれてから女手一つで高校卒業まで育ててくれたと教えてくれる――彼の中のほぼ好意的なリライトの入っているのだろう記憶が。
そしてその記憶は、三日前に父の墓前に俺の就職を報告するために、彼女と父親の生まれ故郷のあの島に墓参りに訪れ、進路を変えたHLPSによって被災したところで終わっていた。
「母は……」
「……残念ですが」
その県の職員という男性は、絞り出すようにそう言った。
「人型兵器の降下……その時にすぐ近くにいましたから……恐らく即死だったと……」
「そうですか……」
当然、矢崎亮介としての記憶に大葉文江という人物は存在しない。
今こうして体を動かし――と言ってもベッドの中だが――こうして意識を持っているのは矢崎亮介としての俺だ。
だから、大葉文江は俺にとっては他人のはずだ。
――しかし頭の中でははっきりと、今はもうこの世にいないその人が、実際に先立つ不孝をしてしまった相手と同様に存在している。
「じゃあ……」
「え?」
「じゃあ……苦しまなかったんだ……」
分かっているはずだった。
あの時、ヘリに乗せられた時に。
だが、それでも。
「痛い思いも……怖い思いも……」
土砂崩れに巻き込まれた時のような激烈な痛みも味あわずに済んだのだ。
「辛い……思い……」
言葉になったのはそこまでだった。
この世界に来て初めて、俺は声を上げて泣いた。
さらに二日後、俺は退院して、一人で東京に戻った。
もうこの世には俺の、つまり大葉青年の知っている人間はいない。
高校時代の友人たちとは卒業後は疎遠になっていたし、親戚の類もいなかった。
だが、それで路頭に迷うという事もない。
「……」
東京の片隅、ボロアパートで迎える最後の朝、がらんとしたそこは、二人で暮らしていた頃に感じた手狭さはもうない。
――あんたがいなくなると寂しくなるねぇ。
――お父さんのお墓参り行こうか。あんたの合格報告に。
――こうして親子で出かけるのも一旦おしまいか。
――まあ、どんな仕事でも、自分で決めた事なんだから、頑張りなさいよ。
大葉青年の記憶、俺の知らない、しかし俺にとって最も身近な記憶。
「……行くか」
家を引き払い、本来なら大葉青年が向かうはずだった新たな職場へと向かったのは、それから少しして。
髪を切り、身だしなみを整え、昔懐かしい――というか、思い出して少し憂鬱になる場所へ。
敵性低気圧対策有志国連合軍――高校卒業後、地元のコンビニで何とか生活を支えていた大葉青年が、その待遇から一念発起して志願し、見事に合格したそこが、俺の新たな暮らしの場。
「……敵討ち……って訳でもないが」
大葉青年が定職について楽させてやりたいと思っていた相手はもうこの世にはない。
だが、あの時に感じた思いと、とめどなく出続ける涙は、恐らく大葉青年の本心だったのだろうと思った。
俺の親父とお袋は、つまり矢崎家の二人は、あんな気持ちだったのだろうか。
「……」
カツやんは、吉岡は俺が味わったような痛い思いをしたのだろうか。
中村は、俺が助け出された時より凄惨な現場にいたのだろうか。
「……」
敵性低気圧。
悪意ある災害。
人口密集地を狙う、人を殺すことを目的としたような未知の現象。
だが、ひとつだけ救いがあるとすれば、この世界の人類は、それと戦う術を持っているということだ。
つまり、理不尽に奪い破壊するだけの存在ではなく、こちらから殴りに行ける存在ということだ。
なら、そいつらに代わりにぶつけてやる。あの日の青朋島の被害に比べれば他愛もない悪意ってやつを。
つまり、俺の八つ当たりというものを。
元居た世界で俺から友達を、同期を、俺の命を奪い、両親をあれほど泣かせた災害の代わりに、この世界で復讐する。
そしてこの、かつての俺のそれに体格も顔かたちもよく似た体を使わせてもらっている大葉青年が、恐らく抱いたであろう恨みを晴らすために。
新隊員教育を経験した上で新兵訓練をもう一度しなければならないのは少し憂鬱だが、それでも経験しているのは大きなアドバンテージだ。
(つづく)




