嵐の中、過ぎ去った後2
それから――それから。
それからどれぐらいの時間が経ったのだろう。眠りが浅い時のように、目を閉じたまま意識だけが僅かに戻った。
体は相変わらず動かない。今度は目も開けられない。
「ご確認を――」
「……違う」
「久子!?」
知らない男の声に、聞き覚えのある女の声。そしてその女を呼ぶもう一つの男の声。
女の声が母親で、その名を呼んだのが父親であると気づいた時、母親の震える声が続いた。
「亮介じゃない……亮介の訳ない……」
「……息子です」
うわごとのように繰り返す母。こみ上げるものをこらえるような父。
その父の言葉を最後に、意味の分かる音はなくなった。
後に聞こえるのは、何も見えなくても崩れ落ちたと分かる母の号泣。
母親があそこまで大声で泣くのを聞くのは、これが最初で最後だった。
人間の五感のうち、聴覚は最後まで残っている――以前何かで聞いたその話が頭によぎる。
親を泣かせるというのはこんなに罪悪感のあるものなのか――そんなことを漠然と思った瞬間、再び俺の意識は消えた。
豪雨による土砂崩れに巻き込まれての死。それが、意識の消える瞬間に己の頭の中に流れ込んできた情報だった。
これでおしまい。
これでおしまいだった。
俺=矢崎亮介の人生は、これでおしまいのはずだった。
台風が来て、すでに我が家が手放していることも分からなくなっている田んぼを見に行くと夜中に徘徊した爺さんを探して家を出て、土砂崩れに巻き込まれた――それで俺の人生は終わるはずだった。
「――い誰か!こっちだ!生きているぞ!!」
暗闇に響く声。再浮上する意識。
だが、その驚きと喜びとが混ざったような声は、いくら記憶を辿っても該当するものがない。
「ん……」
その時不意に、真っ暗だった世界が鉛色の空に変わった。
「大丈夫だ!運び出すぞ、手を貸せ!!」
その俺をのぞき込んだ知らない男。その男から発せられる、今しがた聞こえた聞き覚えのない声。
彼の腕と、その背後に控えていた担架に乗せられた時不意に、俺の中に記憶がフラッシュバックした。
――いや、正確にはフラッシュバックというのはおかしいだろう。全て存在しない、するはずのない記憶なのだから。
俺は矢崎亮介ではなく、大葉辰人という名前らしい――この世界では。
俺は生まれ変わったというべきなのだろう。
今こうして廃墟と化した小さな村落の中を担架で運ばれていくのは、母親と共にこの島を訪れていたからで、父親の墓のある豊後水道の南に位置するこの青朋島に墓参りに訪れていたからという記憶がまるで一夜漬けの丸暗記みたいに脳内に流れ込んできて、しかし学生時代のテスト前によくやったそれと異なり、一瞬のうちに一生忘れないだろうと確信できるほどに深く刻み込まれていくのが分かった。
そして何故その墓参りで、こうして廃墟のようになった島からレスキューのヘリに乗せられることになったのかも、また。
2035年、八重山諸島南120㎞の海上で台風が発生。
それだけなら大したことではない。ただ、12月5日という季節外れのものであるという点を除けば。
温暖化の影響――当時まことしやかに語られたその推測も、専門家からすれば的外れだった。気温、海水温ともに平年並み。即ち、台風の発生した周辺海域の突然の温度上昇以外は、台風など発生するはずもない状態だったから。
同月7日、発生した台風はゆっくりとしたペースで北上を開始、中心気圧は990hPa。時速20km/hで沖縄本島に向け移動――目の前にある八重山諸島を、奇妙な程に回避して。
だが、この時点でも人々は奇妙に思いながらもそこまで警戒はしなかった。台風が奇妙な進路を取ること自体は、決して珍しい事ではなかったから。
しかし専門家は警鐘を鳴らした――この台風は普通ではない、と。
誕生の状況といい、八重山諸島を回避して沖縄本島に向かう軌道といい、そして、台風でありながら中心部はほとんど動きも、台風の目もない雲の塊のような姿であるという点も、これまでの台風の一切の法則を無視している、と。
12月8日、突如として加速した台風は、同日23時頃に沖縄本島に上陸。19時頃に住民への避難指示が下されていたため、各自治体の避難所には多数の住民が押しかけていた。
台風の規模としては特別大きくもないが、あまりに奇妙なことばかり、加えて専門家の通常では考えられないという見解もあったため、人々の警戒心を煽ったのだろう。
普通なら、それで解決するはずだった。
事態が動いたのは日付が変わる頃。
全国に、そして全世界に向けて放映された臨時ニュース。
「これはフィクションではありません!」
フィクションでしか聞かないその台詞を、半狂乱のアナウンサーが叫ぶ。
吹き荒れる嵐と叩きつける雨、その中に現れた、人型二足歩行兵器。
曇天の中に舞い降りた無数のそれらは、動くものは全て――いや、自分たち以外の周囲の全ては敵だと言わんばかりに、破壊の限りを尽くしていた。
市街地に始まり、道路や港湾施設といったインフラ、救助に当たっていた警察・消防・自衛隊、それらを映していた報道、そして逃げ遅れ、或いは避難完了していた避難所の一般市民。
そうした全てが、夜の闇の中、吹き荒れる嵐の中に突如現れた人型兵器によって蹂躙されていく姿が世界中に放送された――そちらにまだ“獲物”が残っていることに気づいたその人型兵器の一体によって、報道クルーが消し飛ばされるまで。
オキナワインパクト――後にそう呼称される、人類と、この「悪意ある災害」との最初の邂逅は、死者・行方不明者合わせて20万人に達する程の大惨事となった
(つづく)




