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平民で王都に行けませんが、なぜか推しが私を追いかけてきます  作者: 獅子の舞子


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第五章 第五話 ―――その理屈に、心はあるか―――

 第四の標的は最難関だった。


 宰相の息子にして、王太子の参謀。シリルである。


 あの合理主義者で皮肉屋で、滅多に感情を表に出さない男をソフィアとくっつける。難易度は高い。だがやりがいもある。


 ——シリル様は頭がいいから。聡明なソフィアさんと話が合うはず。


 マリーはそう踏んでいた。


 ちょうどいい機会が巡ってきた。診療所の運営についてシリルが相談に乗ってくれることになったのだ。経営の書類を確認しに来るという。


 マリーはそこにソフィアを同席させた。


「シリル様。今日はソフィアさんも一緒にいいですか。彼女、とても聡明な方で。きっとお話が合うと思うんです」


 シリルは書類から視線を上げた。


 そしてマリーをじっと見た。


「……マリー」


「はい」


「また、よからぬことを考えていますね?」


「えっ」


 マリーの肩が跳ねた。


「な、何のことでしょう」


「最近のお前は、やたらと私の周りにその光の聖女を配置したがる。テオにもリオにもガウェインにも、同じことをしているそうだな。——何を企んでいる?」


 シリルの青灰色の瞳が、鋭くマリーを射抜いた。


 さすが参謀。勘が鋭い。


 でも彼にも、マリーの「真の目的」までは読めていなかった。攻略対象たちをヒロインに譲って自分が身を引こうとしている。そんな突拍子もない事情までは、さすがの彼も想像が及ばなかった。


「な、何も企んでなんて! ただ、ソフィアさんと皆さんが仲良くなれたら素敵だなって、それだけです!」


「……ふん。どうだか」


 シリルは訝しげに目を細めた。


 だがそれ以上は追及しなかった。


「まあいい。座れ、ソフィア嬢。経営の話のついでだ」




 そして、地獄のお茶会が始まった。


「光の聖女、と言ったな」


 シリルがソフィアに話を振った。


「さぞ優雅な身分なのだろうな。魔物が出ればちやほやと持ち上げられ、祭り上げられ。さぞいい気分だろう」


 ……いきなり皮肉から入った。


 マリーは内心で頭を抱えた。シリルは相手を試すように、わざと棘のある物言いをする。本心ではないのだ。彼なりのコミュニケーションの入り口。


 でもソフィアは。


「はい! 皆さんに感謝されると、とても嬉しいです!」


 額面通りに受け取って、にっこり笑った。


 シリルの片眉が上がった。


「……皮肉が通じないとは」


「え? 皮肉ですか?」


 ソフィアがきょとんと首を傾げた。


「シリル様は、わたしのことを褒めてくださったんですよね? ありがとうございます!」


「褒めて……」


 シリルが絶句した。


 マリーは慌てて間に入った。


「ソフィアさん。シリル様はですね、『大変な力を持っていて責任も重いだろう』って労ってくださってるんです。ちょっと言い方がひねくれてるだけで、本当はお優しい方なので」


「ひねくれてなど、いない」


「あ、すみません。——独特な言い回しをされる方なので」


「マリー。お前、私をなんだと思っている」


 シリルがじろりとマリーを睨んだ。


 でもマリーは慣れたものだった。シリルの扱い方を誰よりも心得ていた。


「すみません。でもソフィアさんには、ストレートに言ってあげた方が伝わりますよ。ね、シリル様」


「……ふん」


 シリルは不機嫌そうにそっぽを向いた。


 それからお茶会は、ずっとその調子だった。


 シリルが難解で遠回しな物言いをする。ソフィアが純粋に的外れに受け取る。会話が噛み合わない。そのたびにマリーが間に入って通訳する。


「シリル様の今のは、『君の意見にも一理ある』って意味です」


「本当は感心してるんですよ」


「あ、それは照れ隠しなので気にしないでください」


 マリーはシリルの言葉を片っ端からソフィアに翻訳していった。


 ……あれ。


 ふと、マリーは気づいた。


 また自分が、二人の真ん中に挟まっている。シリルとソフィアをくっつけるはずが、二人の会話はマリーがいないと成立すらしない。


 むしろシリルの言葉をこんなにすらすら翻訳できる自分の方が、よっぽどシリルと息が合っていた。


 ——なんで、こうなるの。




 お茶会は結局、噛み合わないままお開きになった。


 ソフィアは「シリル様、面白い方ですね!」と満足げに帰っていった。最後まで皮肉は一切通じていなかった。


 二人きりになると、マリーはこっそりため息をついた。


 ——今回もダメだった。


 恋愛どころか、会話すらマリーの通訳なしには成り立たない。これではどうにもならない。


「マリー」


 帰り支度をしていたシリルが、ふいに口を開いた。


「お前、まだ何か隠しているな」


「えっ」


「今日の様子で確信した。お前は私をあの聖女に押し付けようとしていた。いや、私だけじゃない。テオにもリオにもガウェインにも。お前は私たちを誰かに引き渡して——そうして自分はどこかへ逃げるつもりだろう」


 マリーの心臓が跳ねた。


 ——鋭い。


 核心に近づいている。マリーが身を引こうとしていることを、半分見抜いていた。


「に、逃げるだなんて、そんな」


「違うのか?」


「…………」


 マリーは言葉に詰まった。


 図星だった。


 シリルはゆっくりとマリーに歩み寄った。そしてその顔を覗き込むように近づけた。


「言っておくが、マリー」


 その声は低く、けれどどこか甘い響きを帯びていた。


「私はお前を逃がす気はない」


「シ、シリル様?」


「かつて私は、お前を『監視する』と言ったな。素性の知れぬ平民を、危機管理のために見張るのだと」


 シリルの唇が、薄く弧を描いた。


「あの口実は撤回しない。——だが今は、意味が違う」


 青灰色の瞳が、まっすぐにマリーを捉えた。


「お前がどこへ行こうと。何を企もうと。私はお前を見ている。逃がさない。——お前はいつまでも、私の監視下だ」


 マリーは息を呑んだ。


 かつてただの建前だった「監視」。それをシリルは今、まったく別の意味で——独占の言葉として口にしていた。


「私が想っているのはお前だ。お前が何人の女を私にあてがおうと変わらない。その聖女に私の興味を移そうなど、無駄なことだ。覚えておけ」


 シリルはそれだけ言うと踵を返した。


「では、また来る。書類は確認しておいた。——逃げるなよ、マリー」


 扉が閉まる。


 残されたマリーは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「……うう」


 言葉に詰まったまま。


 シリルのまっすぐな言葉は、これまでの誰よりも知的に、的確にマリーの逃げ道を塞いでいた。動揺した。確かに動揺した。


 でも——胸が高鳴る感じは、なかった。


 ガウェインの時のような反射的なドキッとも違う。ただ見透かされて、言い負かされた悔しさと気恥ずかしさ。それだけだった。


 不思議だった。


 こんなにもまっすぐに想いをぶつけられているのに。シリルの言葉は、マリーの心のある一点には——届かなかった。


「……どうして、なのかな」


 マリーはぽつりと呟いた。


 その「ある一点」が、たった一人の男のために空けられていることに。マリーはまだ気づいていなかった。


 残る攻略対象は——あと一人。

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