第五章 第三話 ―――三つの力、一つの命―――
テオ作戦の失敗から、数日。
マリーはめげていなかった。次なるターゲットは、居候中のリオである。
「リオ。ソフィアさんって、いい子ですよね」
朝、診療所の調剤室。マリーはさりげなく切り出した。
「ああ。素直でまっすぐな子だな」
「でしょう! あんなにいい子、なかなかいません。可愛いし優しいし、光の魔法も使えて。——リオ、ソフィアさんと、もっと仲良くしてみたら?」
リオの手が止まった。
そして、にやりと口角を上げた。
——こいつ、また何か企んでるな。
リオにはすぐ分かった。マリーが自分とソフィアをくっつけようとしている。その魂胆が透けて見えた。
面白い。乗ってやろう。
「そうだなあ。じゃあ、仲良くしてみるか」
「! 本当ですか!?」
マリーの顔がぱっと輝いた。
ちょうどそこへ、ソフィアが診療所に遊びにやってきた。
「マリー先生、こんにちは! あ、リオさんも」
「やあ、ソフィア嬢」
リオはいつもの飄々とした態度をかなぐり捨てた。そして、わざとらしいほど優雅に微笑んだ。
「今日も一段とお綺麗ですね。その髪、朝陽みたいだ」
「え、えっ? あ、ありがとう、ございます……?」
ソフィアが戸惑った。
マリーは調剤室の隅で、こっそりガッツポーズをした。
——いいぞ、リオ! その調子!
「ソフィア嬢。よければ今度、二人で食事でも——」
リオがソフィアに甘く囁こうとした、そのとき。
すれ違いざま、リオがマリーにだけ聞こえる声で耳打ちした。
「——妬いた?」
「え?」
マリーはきょとんとした。
「な、何がですか?」
「いや。お前が妬くかと思ってな」
リオは、くっと喉を鳴らして笑った。
「全然妬いてなさそうだな。残念」
「??? 何の話です?」
マリーは意味が分からなかった。
リオは肩をすくめた。
「……はあ。まあいい」
マリーの「くっつけ作戦」は、肝心なところで何かが噛み合っていなかった。
その騒ぎを断ち切ったのは、けたたましい馬の嘶きだった。
「誰か! 誰か、助けてくれ!」
診療所の外で、悲鳴のような声が上がった。
マリーはすぐに医者の顔になった。
外に出ると、立派な馬車が診療所の前に停まっていた。御者が青ざめた顔で駆け寄ってくる。
「お、お医者様! うちの旦那様が、急にお倒れに……! 王都へ向かう途中で、突然苦しみだして……!」
馬車の中には、年配の紳士がぐったりと横たわっていた。上質な衣服。品のある顔立ち。一目で身分の高い貴族だと分かった。
「すぐ中へ! 運んでください!」
マリーはてきぱきと指示を出した。
処置台に運び込まれた紳士を、マリーは素早く診察した。脈、呼吸、腹部の状態。
そして——表情が険しくなった。
「……腹部に腫瘍。それが悪さをしている。このままだと危ない。今すぐ取り除かないと」
「できるのか、そんなこと」
リオが駆け寄ってきた。
「普通なら難しい。でも——」
マリーは顔を上げた。そこにリオとソフィアがいた。
マリーの頭の中で、ある考えが組み上がっていった。
「リオ、ソフィアさん。二人の力を貸してください」
マリーの目に強い光が宿った。
「ソフィアさん。あなたの光の魔法で、患部をピンポイントで焼き切ることはできますか。細く、鋭く」
「や、やってみます! でも、わたしの魔法は人を治せません……傷つけてしまうかも」
「焼くだけでいいんです。切るのと止血を同時に。あとの処置は私がやります」
マリーは次に、リオを見た。
「リオ。あなたの毒で、患部周辺の神経を一時的に麻痺させられる? 痛みを感じさせないように」
「……お前、とんでもないこと考えるな」
リオがニヤリと笑った。
「毒で痛みを止めるか。面白い。やってやる。俺の毒の扱いを舐めるなよ」
三人の視線が交わった。
ソフィアの光の魔法。リオの毒の知識。そして、マリーの医術。
本来、決して交わることのない三つの力。
それが今、一つの命を救うために結集しようとしていた。
「——始めます。みんな、お願い」
処置が始まった。
まずリオが慎重に毒を調合した。患部周辺の神経だけをピンポイントで麻痺させる、繊細な作業。一歩間違えば命に関わる。だがリオの手つきは確かだった。毒を知り尽くした者だけの、精密な制御。
「……効いた。今のうちだ」
次に、ソフィアが両手をかざした。
「光よ——」
彼女の手のひらから、細く鋭い光の筋が伸びた。まるでメスのように。ソフィアはマリーの指示通り、患部を慎重に焼いていく。光が触れた箇所は同時に焼かれ、止血されていった。
「——そこです、ソフィアさん。あと少し。ゆっくり」
マリーが的確に指示を出す。
そして最後に、マリーの番だった。
焼き切った患部を丁寧に処置する。傷を繋ぎ、整える。前世の知識とこの世界で磨いた技術の、すべてを注ぎ込んで。
どれほどの時間が経っただろう。
「……終わった」
マリーが額の汗を拭った。
「腫瘍は取り除けました。出血も止まっている。——もう大丈夫。命は助かります」
その瞬間。
ソフィアの目から、ぽろりと涙がこぼれた。
「……救えた」
ソフィアは震える声で呟いた。
「わたしの光が……人を救えた……。いつもは魔物を倒すための、戦うための力なのに……今、初めて、人を生かすために使えた……」
ソフィアは感極まって泣いていた。
「こんなの初めてです……。嬉しい……っ」
マリーは優しく微笑んだ。
「ソフィアさんの力は、人を救う力にもなるんです。使い方次第で。——あなたの光は、戦うだけのものじゃない。今日、それを証明しましたね」
「マリー先生……!」
リオも、ふっと笑った。
「俺の毒も、人を生かすのに役立つとはな。皮肉なもんだ」
三人は顔を見合わせて笑った。
命を救った。三人の力で。
その達成感が、三人の間に確かな絆を結んでいた。
数日後。
治療を受けた貴族は、すっかり回復した。
彼はベルナール伯爵と名乗った。領地を持つ有力な貴族で、温厚な人格者として知られているという。
「マリー殿。それに、ソフィア殿、リオネル殿。——なんと、礼を言えばいいか」
ベルナール伯爵は深々と頭を下げた。
「貴殿らがいなければ、私は確実に死んでいた。この恩は生涯忘れない。何か困ったことがあれば、いつでも私を頼ってほしい。ベルナールの名にかけて、力になろう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
マリーは微笑んだ。
「お代は一律料金で結構ですよ」
「……一律料金? この、命を救う治療が?」
ベルナール伯爵は目を丸くした。それから、感じ入ったように頷いた。
「……噂は本当だったのだな。身分に関係なく、命を等しく扱う。素晴らしい。実に素晴らしい志だ」
伯爵の目に、深い敬意が宿った。
「マリー殿。貴殿のような医者こそ、この国に必要だ。私にできることがあれば何でも言ってくれ。貴殿の志を、私は全力で支えたい」
こうしてマリーは、思いがけず有力な貴族の後ろ盾を得ることになった。
もっとも本人は、まだその意味の大きさに気づいていなかったが。
ベルナール伯爵を見送ったあと。
その夜。診療所の調剤室で、マリーはリオと二人きりになった。
マリーは意を決して口を開いた。
「リオ。あの……ソフィアさんと仲良くしてほしいって言ったの、本気なんです」
リオの手が止まった。
「……ほう」
「リオの気持ちは、ちゃんと分かってます。あの時、言ってくれたこと。忘れてなんか、いません」
マリーはまっすぐにリオを見た。
ごまかさなかった。鈍感なふりもしなかった。リオが自分に向けてくれた「愛してる」を、なかったことにはしたくなかった。それくらいの誠実さは、相棒に返したかった。
「だからこそ、なんです」
マリーは静かに続けた。
「リオには、幸せになってほしい。心から、そう思ってる。——でも、その相手が私だと、リオは絶対に苦労します」
「なんで、そうなる」
「だって、私はただの平民で。いろいろと複雑な立場で。リオには、もっとまっすぐにリオを想ってくれる、いい人が似合う。ソフィアさんみたいな、優しくてまっすぐな子が」
マリーは本心から、そう思っていた。
リオの気持ちは嬉しい。痛いほど分かる。でも、自分なんかより、もっとリオにふさわしい人がいる。リオには、その人と幸せになってほしい。それが相棒への、マリーなりの愛情だった。
「だから、ソフィアさんと——」
「マリー」
リオが静かに遮った。
その声には、いつもの飄々とした皮肉はなかった。
「お前は、優しいな。本当に」
リオは、ふっと笑った。少し、寂しそうに。
「自分のことより、俺の幸せを考えてる。誰かに譲ろうとしてる。——お前らしいよ。そういうとこに惚れたんだからな」
「リオ……」
「でもな、マリー。誰を好きになるかは、俺が決める。お前が決めることじゃない」
リオの赤い瞳が、まっすぐマリーを射抜いた。
「俺は、ソフィア嬢をいい子だと思う。でも、惚れてはいない。俺が想ってるのは、お前だ。それは、お前がどれだけ他の女を勧めようと、変わらない」
マリーは言葉に詰まった。
「答えは、今すぐじゃなくていい。前に言った通りだ。俺は待つ。お前の傍で、ずっとな。——だから、無理に誰かに押し付けようとするな。お前がそうやって、自分を勘定に入れないの、見てると、少し切ないからな」
リオの言葉は優しかった。
マリーの胸が締めつけられた。
リオの気持ちを分かっていて。それでも身を引こうとして。でも、それはリオには通じなかった。リオはちゃんと、自分の意志でマリーを選び続けていた。
「……ごめんなさい、リオ」
マリーは小さく呟いた。
「謝るな。お前は何も悪くない」
リオは優しく、マリーの頭をぽんと叩いた。
「ただ、覚えとけ。俺の気持ちは本物だ。お前がいくらソフィア嬢を勧めようとな」
マリーは何も言えなかった。
リオの想いのまっすぐさが。自分が軽々しく「譲ろう」としていたことの浅はかさが。胸に突き刺さっていた。
でも——それでも。
マリーは、まだ思っていた。
自分なんかより、ソフィアの方が、リオを幸せにできる。自分は、攻略対象たちと結ばれるわけにはいかない。だって、自分は——ヒロインじゃないのだから。
その思いだけは、どうしても消えなかった。




