第五章 第一話 ―――推しは、推せるうちに推せ―――
「マリー、聞いてくれ。最近、面白い子と知り合ったんだ」
ある日、診療所にやってきたテオが、珍しく興奮した様子で言った。
マリーは薬草を仕分けながら顔を上げた。
「面白い子、ですか?」
「ああ。先日、魔物を呼び寄せる厄介な植物の群生地があってな。その討伐ミッションに、私が植物の専門家として駆り出されたんだ。そこで一緒に組んだ子だ」
テオは淡々と続けた。
「『光の魔法』の使い手でね。魔物を光で浄化していくんだ。私が植物の弱点を見極めて、彼女がそれを浄化する。実に効率的な連携だった」
マリーの手が止まった。
——光の、魔法?
「あの、テオ。その子の名前は」
「ソフィア、と言っていたな。代々、光の魔法を受け継ぐ特別な家柄の令嬢らしい。なんでも、この国で唯一、光の魔法を使える選ばれし者だとか」
がしゃん。
マリーの手から、薬草の入った器が滑り落ちた。
「お、おい、大丈夫か」
居候中のリオが、奥の研究室からひょいと顔を出した。
「なんだ、騒がしいな。マリー、また無理してるんじゃないだろうな」
「ソ、ソフィア……光の魔法……選ばれし者……」
マリーは呆然と呟いた。
——ヒロインだ。
間違いない。ゲーム『ロイヤル・クリムゾン・ファンタジア』の、本物のヒロイン。光の魔法を受け継ぐ選ばれし聖女。それが彼女の設定だった。
ついに現れたのだ。本来の主人公が。
「マリー? どうした、顔が青いぞ」
テオが不思議そうに首を傾げた。
「い、いえ! なんでもないです!」
マリーは慌てて、床に散らばった薬草を拾い集めた。
心臓がばくばくと鳴っていた。
来た。やっと来た。自分がずっと「現れるべき」だと思っていた、本物のヒロインが。
これでようやく、物語が正しい軌道に戻る。
「おい、何をそんなに動揺してる」
リオが訝しげにマリーを見た。
「その、ソフィアって子が、どうかしたのか」
「べ、別に、何も! ただ、すごい人がいるんだなあ、と思っただけです!」
マリーはしどろもどろにごまかした。
リオはまだ怪訝そうだったが、それ以上は追及しなかった。
「ふうん。まあ、いいけどな」
マリーは内心で、ぐっと拳を握った。
——よし。
チャンスだ。これは絶好のチャンスだ。
本物のヒロインが現れた今こそ。彼女を攻略対象たちと引き合わせる。そして本来の物語の通り、ヒロインと攻略対象を結ばせる。
そうすれば自分は——心置きなく身を引ける。
その「ソフィア」が診療所を訪ねてきたのは、それから数日後のことだった。
「あの、こちらにマリー先生は、いらっしゃいますか」
澄んだ、可憐な声だった。
マリーが顔を上げると、そこに一人の少女が立っていた。
息を呑んだ。
——可愛い。
柔らかな栗色の髪。大きな澄んだ瞳。健康的で、けれどどこか儚げな、愛らしい顔立ち。まとう空気は清らかで温かい。誰からも愛されるであろう、まさに「ヒロイン」と呼ぶにふさわしい少女だった。
マリーの胸が高鳴った。
前世でゲームをプレイしていた頃。マリーは攻略対象たちと同じくらい——いや、それ以上に、このヒロインのことが好きだった。健気でまっすぐで、どんな逆境にもめげない彼女の姿に、何度も励まされた。
その大好きだったヒロインが、今、目の前に立っている。
予想通り——いや、予想以上に魅力的な姿で。
「はい、私がマリーです」
マリーは感動を押し殺して答えた。
「あなたが、ソフィアさんですね。テオから聞いています」
「! はい! ソフィアと申します!」
ソフィアは、ぱっと顔を輝かせた。
「お会いできて光栄です、マリー先生! わたし、ずっと先生にお会いしてみたかったんです!」
「え、私に?」
「はい! だって、先生は有名ですもの! 身分に関係なく、誰にでも平等な医療を施す。一律料金で、貧しい人も分け隔てなく救う。——そんな素晴らしいお医者様がいるって噂で聞いて。わたし、感動して」
ソフィアの瞳は、キラキラと輝いていた。
「国の医療にこんなにも貢献されている方に、お会いできるなんて。先生はわたしにとって、憧れの偉人です!」
マリーは面食らった。
ヒロインにこんなにも好意的に見られるとは。憧れの偉人、だなんて。
「い、いえ、そんな、偉人だなんて。私はただ、目の前の患者を診ているだけで」
「その『ただ診ているだけ』が、すごいんです!」
ソフィアは力説した。
「わたしの光の魔法は、魔物を倒せても、人の病は治せません。傷一つ塞げない。でも先生の医術は、人を生かすことができる。——わたしにはない力です。本当に尊敬します」
その言葉に嘘はなかった。
純粋でまっすぐな、心からの賛辞だった。
マリーは、じーんと胸が熱くなった。
——いい子だ。
なんていい子なんだろう。可愛いだけじゃない。心根も、こんなにもまっすぐで美しい。さすが、自分が大好きだったヒロインだ。
この子なら。
この子になら——攻略対象たちを任せられる。
マリーの中で、決意が固まった。
ソフィアとすっかり打ち解けたあと。
マリーは一人になると、さっそく作戦を練り始めた。
——よし。やるぞ。
マリーの目標は明確だった。ソフィアを攻略対象たちと引き合わせる。そして本来の物語の通り、二人を結ばせる。
幸い、ソフィアはすでにテオと面識がある。まずはそこからだ。テオとソフィアを、もっと近づける。
「ソフィアさん、テオとは、よく話すんですか?」
マリーがさりげなく探りを入れると、ソフィアはにこやかに答えた。
「はい! テオ様は植物のこと、なんでもご存知で。一緒にいるととても勉強になります。素敵なお友達です」
——お友達。
マリーは内心で首を傾げた。
いや、まだ出会ったばかりだ。これから、これから。きっと徐々に、友達以上の関係に発展していくはず。物語の通りに。
「そ、そうですか。テオは、いい人ですよね。あの、もしよかったら、今度テオと二人で、植物の研究でも——」
「あ、それなら、マリー先生もぜひご一緒に!」
ソフィアが、ぱっと笑顔になった。
「先生のお話、もっと聞きたいです! 三人でお茶でもしましょう!」
——三人。
マリーの作戦は、初手から微妙にずれ始めていた。
……まあ、いい。最初はこんなものだ。徐々に、二人きりの時間を作っていけばいい。
マリーはそう自分に言い聞かせた。
でも——その日の夜。
一人ベッドに横になりながら、マリーはふと考えてしまった。
ソフィアと結ばれるのは、攻略対象たち。テオも、ガウェインも、シリルも、リオも。そして——アルフレードも。
アルフレードがソフィアと寄り添う姿。
想像した瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……なに、今の」
マリーは、その痛みに戸惑った。
おかしい。これは望んでいたことのはずだ。アルフレードがヒロインと結ばれる。それが正しい結末。自分がずっと守りたかった、幸せな物語。
なのに、なぜ。
胸がこんなにもざわつくのだろう。
「……アルフレード様」
ぽつりと、その名を呟いた。
あの銀の瞳。「もう離さない」と告げた低い声。「お前以外、いない」と言い切ったまっすぐな熱。マルタの母を救ったあと、「待つ」と言って震えていた、あの指先。
全部思い出すと——胸が苦しくなる。
「……だめ、だめ」
マリーは、ぶんぶんと首を振った。
自分はヒロインじゃない。アルフレードは、ソフィアと結ばれるべき人。寂しいなんて思っちゃいけない。譲るんだ。それが正しいんだから。
でも、その夜。
マリーは、なかなか寝つけなかった。
譲ると決めたのに。応援すると決めたのに。
胸の片隅に灯った、その小さな寂しさだけは——どうしても消すことができなかった。




