第四章 第九話 ―――世界で一番、希少な君―――
テオが診療所に現れたのは、両腕いっぱいに、見たこともない植物を抱えてのことだった。
「マリー! 持ってきたぞ!」
その声にベッドのマリーが顔を上げると、テオが嬉々として、寝室に植物の山を運び込んでいた。鮮やかな色の葉、淡く光る花、見慣れない蔓。どれもマリーの知らない植物だった。
「テオ……それは?」
「君の傷に効く薬草だ。いや、薬草というより——私が魔法で育てた、特別な品種だ」
テオは誇らしげに胸を張った。
「これは細胞の修復を促す成分を多く含むよう、魔力で生育を操作したものだ。普通の薬草の、数倍の効果がある。これを煎じて飲めば、傷の治りが格段に早くなる」
マリーは目を丸くした。
「魔法で、薬草を……?」
「ああ。私の専門は魔法植物学だからな。植物に魔力を干渉させて、望む性質を引き出す。人体の中には魔法は届かないが、植物を介してなら、間接的に人を癒せる。——君がいつか言っていただろう。『魔法では人を癒せない』と。だが植物を通してなら、その限界を、少しだけ超えられる」
マリーは、はっとした。
その通りだった。この世界の魔法は人体の内部には干渉できない。だから治癒の魔法は存在せず、医術が必要とされる。でもテオは——魔法で薬草そのものを強化することで、その限界に橋を架けようとしていた。
「すごい……。テオ、それ、すごいことです」
マリーの目が輝いた。医者として、その発想に心から感嘆した。
「でしょう」
テオは満足そうに頷いた。
「君のためなら、いくらでも作る。痛みを和らげるもの、熱を下げるもの、眠りを助けるもの。——なんでも言ってくれ。私は君を、早く治したい」
その言葉はまっすぐで、てらいがなかった。
マリーは胸が温かくなった。テオのこの純粋な好意は、第一章で出会った頃から何も変わっていなかった。植物への愛と、人への不器用な優しさ。それが彼の本質だった。
テオはそれから毎日のように、診療所に通ってきた。
新しい薬草を持ち込んでは、マリーと一緒にその効能を語り合う。それは第一章で、村の薬草を二人で見比べたあの時間の再現だった。知識を分かち合う喜びが、そこにはあった。
マリーにとってテオとのその時間は、心地よかった。療養中の退屈を忘れさせてくれたし、何より対等に知識を語り合える相手は貴重だった。
ある日のことだった。
テオがいつものように薬草の説明をしていた、その途中で。
「——なあ、マリー」
ふと、テオが手を止めた。
「私はたくさんの植物を見てきた。世界中の珍しい品種を研究してきた。希少なもの、美しいもの、不思議なもの。数えきれないほどだ」
「はい」
「だが、君ほど興味深い存在に出会ったことがない」
テオの若草色の瞳が、まっすぐにマリーを見た。
「君は、世界で一番、希少な品種だ」
「……は?」
マリーは、ぽかんとした。
「魔力を持たないのに、誰よりも人を救う。身分もないのに、王太子の心さえ動かす。儚げに見えて、芯が鋼のように強い。——こんな個体は見たことがない。唯一無二だ」
テオは大真面目に語り続けた。
「だから私は、君を研究対象にしたい」
「け、研究対象……?」
「ああ。ずっと観察していたい。君が何を考え、何を感じ、どう生きるのか。そのすべてを傍で見ていたい。一生をかけて、君という存在を研究したい」
テオの目は、きらきらと輝いていた。本人は最高級の賛辞を贈っているつもりだった。
マリーは——理解が追いつかなかった。
研究対象。希少な品種。観察していたい。一生をかけて。
……これは。
マリーの脳裏に、また「やばいかも」の予感がよぎりかけた。アルフレード。リオ。ガウェイン。そして今、テオまで——。
でも。
「ふっ……ふふっ」
マリーは噴き出してしまった。
だって、あんまりにもテオらしかったから。
愛の告白を植物に例えて、研究対象にしたいと言う。こんな求愛、聞いたことがない。そのあまりの天然っぷりに、さっきまでの緊張も警戒も、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「テオ、それ、賛辞、なんですよね」
「もちろんだ。最高の賛辞だぞ。君を希少植物と同列に扱うなど、私にとってこれ以上の誉め言葉はない」
「ふふ、ありがとうございます」
マリーは笑った。
深く考えるのはやめた。テオはテオだ。きっと研究者として、私を高く評価してくれている。それだけのこと。そう思うことにした。
でも——テオの方は。
マリーが笑ってくれたことに、内心ほっとしていた。
本当は分かっていた。この感情が、ただの研究者の興味ではないことを。第三章でシリルへの嫉妬から自覚した、あの想い。それをテオなりに精一杯、言葉にしたのが——「君を研究対象にしたい」だった。
不器用だった。植物のことしか、まともに語れない男だ。でもそれが、テオの精一杯の求愛だった。
マリーにまっすぐ伝わらなくても、よかった。
ただ傍にいられれば。ただ君を見ていられれば。それで、よかった。
その日の夕方。
テオは診療所を出ると、足早にある場所へ向かった。
町外れの、人目につかない一軒家。そこにシリルとリオ、そしてガウェインが集まっていた。
「来たか、テオ」
シリルが振り返った。
「ああ。例の件、分かったぞ」
テオは一枚の書類を机に広げた。植物の標本と、緻密な分析結果が記されていた。
「ドラクロワの毒。あれにはずっと、奇妙な点があった。ヴァロー研究員に使われたのは急性のトリカブト系の複合毒。アルフレード殿下を蝕んだのは慢性の微量毒。効き方がまるで違う。なのに作り手は同じ。——なぜこんな器用な作り分けができるのか。その鍵が分かった」
テオの若草色の瞳が、鋭く光った。
「『夜紛草』。これだ」
テオは、押し花にされた一輪の、見慣れない草を示した。
「この草はそれ自体には毒性がほとんどない。だから単体では、誰も毒の原料だとは思わない。——だが、これを他の毒と掛け合わせると、話が変わる」
「掛け合わせる……?」
リオが身を乗り出した。
「ああ。夜紛草は、混ぜた毒の『効き方』を操作する。毒の吸収を速めれば、即効性の急性毒になる。逆に吸収を極限まで遅らせれば、じわじわ効く慢性毒になる。——同じベースの毒を、この草の配合次第で、急性にも慢性にも、自在に作り分けられるんだ」
部屋が静まり返った。
「つまり」
シリルが低く呟いた。
「ヴァローの急性毒も、殿下の慢性毒も。ベースは同じ毒で、この夜紛草の使い方を変えただけ、ということか」
「その通りだ。だから作り手が同じでも、症状はまるで違って見えた。毒見でも見抜けない。——実に巧妙な手口だ」
テオは淡々と続けた。
「そしてこの夜紛草が、厄介でな。育てるのが異常に難しい。特定の土壌、特定の気候。そもそも知る者すら、ほとんどいない植物だ。国内でこれを栽培できる土地は、ごく限られている」
「……どこだ」
リオの声が掠れた。
「ドラクロワ侯爵家の、直轄領だ」
緊張が走った。
「間違いない。あの毒の鍵を握る夜紛草は、ドラクロワの領地で密かに栽培されている。毒の作り手はこの草を使って、何種類もの毒を作り分けてきた。——これが、動かぬ証拠だ」
テオはもう一枚の書類を置いた。
「それと、もう一つ。私が捕えたスパイの一人が、口を割った。ドラクロワから直接、指示を受けていたとな。マリーの暗殺を含め、すべてあの男の差し金だと」
シリルの目が、すっと細くなった。
「夜紛草の出所と、実行犯の証言。——二つが揃えば」
「ああ」
リオが拳を握りしめた。
「親父の冤罪を晴らす証拠も、これで揃う。十数年だ。十数年、あの男は毒で国を蝕み、邪魔者を消し、のうのうと社交界で笑っていた。——もう、終わりだ」
ガウェインが剣の柄を握った。
「マリーを傷つけた落とし前も、つけさせてもらうぜ」
四人の視線が、自然とシリルに集まった。
この中で政治の中枢にいて、貴族議会を動かせるのはシリルだけだった。断罪の場を整え、ドラクロワを追い詰める。それは参謀である彼の領分だった。
「証拠は、揃った」
シリルは静かに、けれど確かな声で言った。
その青灰色の瞳に、冷たい怒りが燃えていた。見返りもなく自分を看病してくれたあの女を、傷つけた男への、静かな憤り。
「あとは私が引き受ける。ドラクロワを貴族議会の場に引きずり出し、すべてを暴く。あの男が二度と、誰も傷つけられないように」
シリルは立ち上がった。
「——さあ、行くぞ」
その言葉に、四人の男たちが頷いた。
動機は、それぞれ違った。父の無念を晴らすため。主君と国を守るため。弱き者を守る騎士道のため。そして——愛する女を傷つけた男を、許さないため。
けれど、向かう先は一つだった。
ドラクロワ侯爵家の、断罪へ。
包囲は完成した。あとは締め上げるだけだった。




