第六話:厳冬に薫る
神は天より世界を見る。
人は地より神を見る。
されど、一人だけ。
神を友と呼びし者あり。
友は跪かず。
友は恐れず。
ただ隣に立つ。
――『黎明神官譚』第三節「友誼」
『神は独り歩むものではない。それを知る者は、神よりも少ない』
――古い遺文より
「――さて、皆様。今宵語るは、黎明の神官スミンの物語」
盲目の吟遊詩人が琴を一度だけ爪弾いた。
澄んだ音が冬の街路を渡る。
降臨祭の賑わいの中、その音に足を止める者が一人、また一人と増えていった。
「神を畏れた者は数知れず。されど、神を友と呼んだ者はただ一人」
吟遊詩人は高らかに詠った。
「あれは――神が、まだ独りで歩いていた頃の話。人々は神を仰ぎ、畏れ、神へ祈る。……一人のみ、神と共に立った」
琴の調べに乗り、詩人の声は冬の街路へ広がった。
冬風が雑踏を抜け、銀髪を揺らした。
「その名を――」
ゼノスは吟遊詩人の前で足を止めた。
聴衆は騒めいたが、吟遊詩人の声は途切れなかった。
そのとき、一人の青年がゼノスの傍らへ歩み寄った。
青年は笑みを浮かべて、ゼノスの肩を叩いた。
「よっ、ゼノス」
吟遊詩人は一節を吟じた。
「彼は神に告げた。いつか再び、貴方の傍らへ戻る――」
ゼノスは青年へ目を向けた。昔と変わらぬ笑みがそこにあった。
「……戻ってきたのか」
「ああ、オレは戻ってくるって言っただろう?」
「おかえり、スミン」
ゼノスは拳を突き出した。
スミンも拳を作り、その拳へ軽く触れた。
「はは、相変わらず堅物のままだな」
吟遊詩人はなおも琴を奏で、物語を紡ぎ続けた。
「彼は神の隣を歩み、神もまた彼の隣を歩んだ――」
伝説の二人は再会を果たした。
冬空の下、街は何も知らぬまま賑わいを増していく。
* * *
ゼノスとスミンは祭りの賑わいを縫うように歩いた。
「……なあ、お前なんか変わったよな?」
「何を言っている。会わないうちに耄碌したか?」
「いいや、変わった。数百年前のお前は――」
祝祭を告げる花火が夜空を照らした。
子供たちが二人の間を駆けていった。
「……まあ、この話は後で聞くよ」
「君の話も後で聞く」
「――やっぱり、前とは違うな」
スミンはゼノスの背中を叩くと、先を歩いた。
二人は人混みを避けて、路地裏を歩いていった。
入り組んだ場所の先には、城壁沿いの空き地があった。
「昔と変わらなくて良かった。さ、ここで花火を見よう」
スミンは積まれた木箱へ軽々と飛び乗り、腰を下ろした。
ゼノスも隣に座り、膝の上に腕を置いた。
「君の話が伝説になっていたが、聞いた感想は?」
「うん?……実感は湧かないな。オレはお前のもとに戻ってきたしな」
「そうか……俺もきっと君と同じ反応をするだろう」
「死人に口なしとは言うが、オレとお前には関係ないのかもしれないな」
二人は同時に空を見上げた。
空には小さな花がいくつも重なり、天頂には大輪が咲いた。
「それで、だ。お前は自分の何が変わったと思う?」
「思い当たることはいくつかある。だが、それは……」
「それは?」
「いや……何でもない。最近は自分で考えることが増えたと思うよ」
「ふーん?」
スミンは膝に肘をついたまま、ゼノスの次の言葉を待った。
その瞳には愉快そうな色が滲んでいた。
「言い淀むなんて珍しいな。そんなに大事なものなのか?」
「……大切かどうか、考えたこともなかった」
「へえ?お前にもついに春が来たのか」
スミンは僅かに身を寄せると、ゼノスの銀髪を撫ぜた。
髪を乱すような手つきだった。ゼノスはその手を退けようとはしなかった。
「いいや。そんなものは来ていない」
「悪かったって。神は万物を愛するもんな」
「……白々しい。敬虔でもないだろう、お前は」
スミンは目を細めて、息を吐いた。
白い吐息が花火の中に溶けていった。
「じゃなきゃ、お前と友達にはならないさ」
「そうだったな。君はそういう奴だったよ」
緑と金の花火が夜空に放たれた。
花火が夜へ溶けると、月明かりが静かに戻ってきた。
ゼノスは友人の横顔を見つめた。
「幽冥はどうだった?」
「静かだったってこと以外はここと変わらなかったな」
「……死者が迷わないように創ったからな」
「やっぱりそうか」
スミンは木箱から飛び降りた。
ゼノスも木箱から降りると、冷えた地面が靴底を迎えた。
スミンはゼノスの方を振り返りもせず、先を歩いた。
ゼノスは彼の隣に並ぶと、互いの影が細長く伸びた。
来た道を引き返し、表通りに出ると、街は未だに明るかった。
軒先の灯りが石畳を照らし、人々の笑い声はまだ途絶えなかった。
神殿に戻る道を歩いていると、出店を畳み始める店主が見えた。
スミンは出店に並ぶ商品を眺めた。
店仕舞いをしている店主が二人に気がつくと、陽気に笑いかけた。
「兄ちゃん、見てくかい?」
「ああ、何か買おうと思ったんだ。オススメはあるか?」
「そうさなぁ……この桜桃の砂糖漬けなんざ人気だぞ。今年の出来は上々でな。これもゼノス様のおかげだ」
店主は鼻をすすると、豪快に笑った。
スミンは笑って「二つください」と言った。
「まいど!」
店主はそう言って、おまけに一袋をつけ足した。
スミンは代金を支払い、小袋を受け取った。
スミンは店主に礼を言い、ゼノスへ二袋を手渡した。
「値切る必要がなくなった」
「君の分は?」
「ん?あるよ。おまけを合わせて三つ貰ったんだ。残りは全部お前にやるよ」
袋を開けると、甘く豊潤な香りが立ち上がった。
スミンは桜桃を一粒摘まみ、舌で転がした。
ゼノスも一粒を口に含んだ。
「美味いな、これ」
「ああ、美味いな」
「前のお前なら、そうは言わなかった」
「そうか?」
「ああ。オレは嬉しいよ」
ゼノスはスミンの肩を軽く小突いた。
「ごめんごめん、悪かったって」
ゼノスは小さく息を吐き、袋から桜桃の砂糖漬けを一粒摘んだ。
スミンは静かに笑った。
二人は人が疎らになった道を歩いていた。
静けさの中に足音が響いた。
「君は今、どこに住んでいるんだ?」
「今はあの丘の麓にいるよ」
スミンが顎で示した先には、ぼんやりとした灯りが遠くに浮かんでいた。
丘へ続く道は、ここから先、舗装されていなかった。
「君はそろそろ帰るか?」
「オレは明日も早いし、そろそろ帰らないとな」
「なら、また明日」
「ああ……でも、せっかくなんだ。オレの家に泊まっていけよ。どうせ、お前は明日から公務なんだろ?」
スミンはゼノスの肩に腕を回した。
「明日から公務だが、君はどうするんだ?」
「明日、久しぶりに神殿に顔を出すよ。そのついでにお前も送っていく」
「ありがとう。神官たちが心配するだろうから助かるよ」
スミンはそのまま、ゼノスと肩を並べて歩き続けた。
「オレは嬉しいよ」
「何がだ」
「いいや、何でもないさ」
まるで生命の芽吹きを目の当たりにしているようだった。
スミンは静かに笑った。




