第43話 ヒーローは遅れてやってくる?
「――――ボヘエッ!!」
降り注いだ破裂音の後に上がったのは、奈子と美弥子の悲鳴ではなかった。
「――――ったく、物騒なもん持ってんなあ。あぶねえだろうが」
「危ないのは、貴方の方だ! なんで窓にバイクで突っ込むんですか!? 馬鹿なんですか!? 死ぬかと思いましたよ!!」
「うるせー。それだけ元気なんだから問題ねえだろうが」
奈子が顔を上げた先で見たのは、割れた掃き出し窓と大きなバイク。そして、それにぶつかられて倒れる鮫島の姿。
だが、それらよりも奈子の視線を奪ったのは――――。
「……浮気、くん?」
「っ、奈子! 怪我はないか!?」
慌てたようにバイクの後ろから飛び降りてこちらに駆け寄って来る金色。
碧い瞳は奈子のことを捉えて離れない。そこに宿っているのは、不安と怒り。そして、ずっと焦がれて来た熱。
こちらが声を出すよりも早く、浮気くんが奈子を抱きしめた。
「浮気くん? 記憶が戻って……」
「ああ。奈子の撮った写真を見て、全て思い出した」
写真というのは、昨日御園が見せてくれたもののことだろうか。
奈子が回らない頭でそう考えていると、抱きしめられていた体に隙間が出来る。
こちらをジッと見たままの浮気くんは、一度引き結んでから口を重く開いた。
「――――すまない。俺のせいで、奈子を傷つけた」
「……浮気くんは、何も悪くないよ。記憶を失いたかったわけじゃ、ないでしょ」
奈子の頬を両手で触る彼の視線から、少し目を逸らしてそう言った。
「それでも、お前を苦しめた。七夕祭りも行けなかったし、他の女子に声を掛けた」
記憶を失っていた彼の後ろ姿を思い出して、奈子は顔に力を入れた。
「……気にしてないよ」
「呆れたかもしれないし、失望させたかもしれない」
「してない、よ。浮気くんが元気なら、それで良かったの。嘘じゃ、ない」
彼が無事だとわかって、安堵した気持ちは決して嘘じゃない。
奈子は、唇を噛みしめた。
それを咎めるかのように、浮気くんの指がそっと奈子の唇に触れる。もう片方の手も、頬や目元をまるで子どもをあやすかのように撫でていく。
「――――奈子」
一言。ただ、自分の名を呼ばれただけ。
それだけなのに。自分の胸が引き絞られるかのようにキュウっとして、目が熱くなる。耐えきれなかった水が、どんどんと零れ落ちていく。
止まらない雫を優しく拭ってから、浮気くんは奈子の額に自分のそれを合わせる。
「好きだ。奈子のことが、大好きなんだ。お前が危険な目に遭っているかもしれないと考えたら、死んでしまいそうなくらいに。――――来るのが遅くなって、思い出すのが遅くて、1人で頑張らせて、すまなかった」
いつの間にか慣れてしまった体温と匂いに触れて、奈子は浮気くんの体に飛びつくように抱き着いた。
「――――浮気くん、浮気くんっ! 私も、私もねっ……っ、」
「……ああ、わかってるよ。それに、俺はここにいる。これから一生、奈子の側にいるから」
溢れる涙が浮気くんの服にシミを作っていく。
強く抱きしめてくる腕に応えるように、奈子も大きな背中を力一杯抱きしめた。
(私も、貴方と一生一緒に生きていきたいって……そう胸を張って言える人間に、なりたいって思ったんだよ)
それを伝えるのには、まだ色々と足りてない気がして。奈子は、浮気くんの肩にグリグリと顔を擦りつけてから小さく言った。
「遅れて助けに来てくれるなんて、ヒーローみたいだね」
「む。ヒーローじゃなくて、奈子の彼氏だ」
「ふふ、そうだね。……ありがと、浮気くん」
*
「おい、そろそろ落ち着いたかよ。バカップル」
「…………あれ、豹我くん? なんで」
「俺が豹我さんに頼んで、ここまで連れてきてもらったんだ」
浮気くんに支えられながら立ち上がった奈子は、2人を見て呆れた顔をする豹我に気が付いた。
彼は、倒れた鮫島の背に座って煙草を吸っていた。
奈子はそういえばと改めて部屋の中を見渡す。窓や家具はバイクが突っ込んできた衝撃で破損している。だが、それよりも気になったのは豹我の下で意識のない鮫島のことだった。
「その人、死んでないよね?」
「あ? 死なす腕はしてねえよ。ただ意識が飛んでるだけだ。あーそれと、それには触るなよ」
その言葉に、ホッと息をつく。冷静に思い返してみれば、バイクに直接当たったのではなく吹っ飛ばされたソファに当たっていた気がする。それであるのならば、命の危機はおそらくないだろう。
そして、豹我が指したのは鮫島が持っていた拳銃だ。今はテーブルの上に置いてあるが、側に銃弾らしきものも転がっている。どうやら、今回の物は本物だったらしい。この状態なら、すぐに使えはしないだろう。
「あ、でももう1人――」
「あ~、参ったなあ。鮫島君がやられちゃったら、俺にはどうしようもないなあ。なら、しょうがないなあ。降参です~~~」
振り返った奈子が見たのは、両手を挙げる黄髪の男の姿。わざとらしいその姿に、油断を誘っているのかと奈子は警戒する。
「そいつのことは、ほっとけ」
「でも、」
「この状況じゃ、そいつはお前らに何もしねえよ」
豹我の言葉に、男はにっこりと笑みを浮かべた。……もしかして、2人は知り合いなのだろうか。
「わかった。…………豹我くん、浮気くんを連れてきてくれてありがとう」
「そこのガキがうるさかったからだ。――――それと、」
「それと?」
「いや……なんでもねえ」
言葉を止めた豹我に、奈子は首を傾げる。
そんな奈子の頭に、豹我は手を置いた。そして、勢いよく頭を撫でられる。
「わ、どうしたの豹我くん」
「……別に。それよりもこいつらを縛るの手伝え」
どこからともなく出されたビニール紐で、男たちを縛っていく。
「……アンタ、もしかして神吉豹我か」
「だったら、なんだよ」
3人で男たちを縛っていると、床に倒れていたはずの樺山が体を起こして豹我に声を掛けてきた。
「……もしかして、」
「――――豹我! 私を助けに来てくれたのね! やっぱり、私には貴方しかいないわ!」
何かを言いかけた樺山の言葉を遮ったのは、興奮して上擦っている美弥子の声だった。
「ああ、昔と変わってない! カッコよくて、強くて、優しい豹我のまま。私、貴方のことをまだ愛してるの!」
そう言って豹我に駆け寄る美弥子。
しかし、豹我の反応は酷く冷たいものだった。
「――――触るんじゃねえよ」
「え? ……豹我、もしかして私がわからない? 美弥子だよ。高校の時付き合ってた――」
「――付き纏ってた、の間違いだろ」
伸ばされた細い腕を豹我は払いのける。それに驚いてから、再び腕に抱き着こうとした美弥子の手を先ほどよりも勢いよく弾いた。
「そもそも今回のことだって、お前の不始末だろ。あの時から一向に成長してねえんだな」
「ひ、豹我――」
「そこのガキ2人の方がよっぽど度胸があって、面白いぜ。――――いつまでも自分が愛されるお姫様だと勘違いしてるお前よりな」
「……ヒッ」
豹我に睨まれた美弥子は、肩を揺らして小さく悲鳴を漏らした。
(……この2人も、知り合い? あれだけ言われるってことは、お母さんが過去に付き纏っていた、タイプの男の人の1人なのかな)
意外と世間は狭いなと視線を落とした奈子の目に入ったのは、床に転がった銀色の筒。
浮気くんに手を握られたままそれを拾い上げた奈子は、項垂れる美弥子の前に立った。
「――――お母さん。これ、返すね」
美弥子に差し出したのは、彼女から貰った……いや、押し付けられたルージュ。
ノロノロと顔を上げた美弥子は、忌々しそうにそれを睨みつけた。
「……いらないわ」
「私もいらない。だから、押し付けてきたお母さんに返す。捨てるなら、お母さんが捨ててよ」
そのまま差し出し続けていると、豹我をチラリと見てから美弥子が腕を上げる。軽く作られた手の器にルージュを落とした奈子は、力が強くなった手に返事をするかのように親指でそれを撫でる。
「私には愛をくれる人も、教えてくれる人も…………それから、激重な愛を注いで、私の愛も求めてくれる人もいるんだよ」
こちらを見上げる瞳は、揺れている。紅く彩られた唇が震えて見えるのは、気のせいだろうか。
「だから、お母さんは私のことを気にしないでいいよ。私は確かにまだ子どもだけど、自分の気持ちを人に伝えられるし、行動できる。――――凄く、幸せだなって思えるから」
(貴方のかけた呪いは私の心の中で、忘れていた記憶の中で、私を縛り付けようとしてた。でもそれも、貴方に貰った数少ないものだったから大事にしたかったんだと今は思うんだ)
――――だから、これはそのお返し。
「お母さんも、私に負けないくらい幸せになってね」
奈子は、美弥子に向かって笑顔でそう言祝いだ。
*
「あ、パトカーのサイレンかな」
外から聞こえる音に、奈子が浮気くんを見上げる。
それを受け止めた彼は、見るも無残な窓に視線を遣ってため息をついた。
「来る前に通報したんだが……これじゃ、俺たちも怒られそうだ」
「――――おい、大食い娘」
「わっ、危ないよ豹我くん」
豹我が急に投げた物体を奈子はなんとか受け止める。手にあったのは、取られた奈子のスマホだった。
「飯田先生と真司くんからの着信が凄い……」
もしかして、奈子が不審者の所に乗り込んだのがバレたんだろうか。
「じゃ、俺はサツが来る前に行くぞ。面倒ごとは勘弁だからな」
所々傷のついたバイクを押しながらそう言う豹我に、奈子は叫んだ。
「豹我くん! 本当にありがとう! 今度、甘いものを奢るね!」
「俺からも改めてお礼を言わせてください! ありがとうございました!」
豹我は背中を見せたまま片手を挙げると、そのまま振り返ることなく行ってしまった。
「……ちゃんとした大人じゃないかもしれないが、カッコいい人だな」
「うん。そうだね。でも、浮気くんがそんなこと言うなんて意外」
「まあ、あの人は例外だよ。……奈子、手を出してくれないか」
手を引かれて窓の外で浮気くんと向かい合った奈子は、首を傾げながらも彼の言う通りに両手を差し出した。すると、左手を浮気くんが取って持ち上げる。
――――そして、薬指に銀色の指輪を通した。
「…………これって」
「誕生日プレゼントだ。本当は、一番に渡したかったんだが……」
眉間に皴を作る浮気くんに、奈子は自分の左手を掲げた。
薬指で光るのは、小さな碧い石。シンプルな銀の輪についたその石の色は、見慣れたものだった。
「――――浮気くんの色、だね」
「自分の目の色の石が付いた指輪を送るなんて、重すぎるか?」
口角を上げて、でもちょっぴり不安げに、浮気くんは問いかけてくる。
そんな彼のことが可愛くて、胸がキュウと締め付けられて。
涙を滲ませながら、奈子は浮気くんを抱きしめた。
「ふふ。浮気くんが激重彼氏なのは、もう知ってるよ。指輪、凄く嬉しい。ありがと」
「それなら、良かった。…………まだ、浮気をして欲しいと思ってるか」
抱きしめ返された状態で、静かに浮気くんが問いかけてくる。
彼から香る香水と少しの汗の匂い。
それを肺一杯に吸い込んでから、奈子は笑った。
「思ってない。――――絶対に、浮気しちゃダメだからね」
そう言うと、浮気くんは少し涙ぐんだ声で「ああ」と頷く。
濡れる肩が嬉しくて、奈子の目からも止まったはずの雫がポロリと落ちた。




