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第42話 大きくなってしたいこと?

「おい、お前もサボってねえで働け」


「え~? 別にいいじゃん。俺がわざわざ動かなくても、代わりはいっぱいいるんだし」


 銃を赤髪へ向けたままの男に、黄髪が後頭部に両手をやって言う。その視線は扉へと向けられていた。


 その言葉の後に聞こえてきたのは、複数人の足音だった。


「――――お疲れ様です。鮫島さん」


「女とガキを連れてけ」


「はい」


「了解です」


 くい、と顎で指示を出す青髪の男――鮫島。


 彼の言葉に返事をしたのは、部屋に入ってきた2人の男たちだった。


「っおい、姐さんをどこへ連れてくつもりだよ!?」


「どこって、会社に決まってんだろ。社長との約束が果たせなかったんだからな。まあ、社長もそれなりに可愛がってくれるだろ。趣味に付き合ってくれる女を探してたからな」


 淡々とそう言う鮫島に、美弥子の顔が青くなる。テーブルの上で握られた拳は小さく、震えも見える。その姿を見た奈子は、男たちに気づかれないように息を吐いて目を閉じた。


「おい、ガキの方は任せた」


「ああ。お前も大人しくしてろよ」


 ゆっくりと目を開いた奈子は、拳を握りしめる。


 そして、後ろから掛けられた声に向かって――――――拳を叩き込んだ。


「な、お前っこのガキっ……ぐあっ!?」


 崩れ落ちた仲間の姿に驚いたもう1人の男の拳を避ける。そしてその勢いのまま体勢を崩した男の首に蹴りを入れた。


 床に沈む2人の男から視線を外して、未だ拳銃を持ったままの鮫島を見つめた。


「…………これは、想定外だ。強いんだな、お嬢ちゃん」


「これでも、空手の黒帯だから。じいちゃんの、おかげ」


 カチャリと指の関節で眼鏡を押し上げた鮫島が、奈子の言葉に眉間の皴を深くする。


 祖父から教わった空手は、奈子にとって興味深く、性に合っていたらしい。大の大人と闘えるほどには、育ててもらった。


「成程。……だが所詮丸腰のガキだ。この状況をどうにか出来ると思ってんのか?」


「いやあっ! やめて、お願いだからっ! こっちに向けないでよおっ」


 銃口を美弥子へと向ける鮫島。それに対して美弥子は、涙を流してテーブルの上から転げ落ちた。床に落ちたルージュの横に、美弥子が這いつくばる。


 黒いドレスに振り乱れる金色の長い髪。そして大きく空いた背中に、紅い蝶が飛んでいた。その蝶は小さく、文字で囲まれている。まるで、虫かごに囚われた蝶のよう。


 ――――その姿が、奈子の記憶を揺さぶった。


『どうしてっ、私を捨てたの? なんでよ、なんで……ずっと愛してくれるって言ったじゃない!? 嘘つき、嘘つき、嘘つき! ああっ誰か、誰かっ』


『お母さん、だいじょうぶ――――?』


『触らないでよっ! 大丈夫? 大丈夫かって!? あんた、私を馬鹿にしてるわけ!? 何であんたにまで心配されて、見下されなきゃいけないのよ!?』


『だ、だって家族だから――――』


『っ、あんたなんて、家族なんかじゃないわよ!! 二度と私に触れないでっ!!』


(……ああ、そうだった。お母さんは、ああやって家に帰って来てからよく泣いてた)


 キラキラとしたバッグやコスメ、貢物らしき箱を放り投げて、畳に額を擦り付けながら泣く姿。その背中には蝶が窮屈そうに、寂しそうに飛んでいた。


 ――――ずっと、忘れていた。


 斬りつけられた言葉と、払いのけられた手の痛みを思い出したくなくて。


 何をされても、何を言われても傷つかないように。


 感じることを、考えるのを諦めたのだ。放棄したのだ。幼かった自分は。


『……大きく、なりたい』


 そう願ったのは。大きくなりたいと思った本当の理由は――――。


「――――私たちは、貴方たちとは一緒には行かない」


 奈子の言葉に、鮫島が片眉を吊り上げる。


 威圧感も増していくが、彼の視線から奈子は目を逸らさなかった。


「……おい。調子に乗るのもそれくらいにしろよガキ。男2人をのしたからって、俺から逃げられると思ってんのか。これでも?」


 美弥子から奈子へ、銃口のターゲットが変わる。


 向けられたそれに口の中の唾を呑み込んで、奈子は表情を変えないように顔に力を入れながら言った。震える手は、皮膚に爪を立てるくらいに握りしめることで無理やり抑え込む。


「私たちのことを送り届けないといけない貴方にとって、それは脅しの道具でしかないんじゃないの?」


「…………娘の方が幾分か頭が回る見たいだな。だが」


 鮫島が感心したかのように頷いた次の瞬間――――鈍い音が響いた。


「うぐあっ!?」


 振り向きざまに腹を殴られて崩れ落ちたのは、ゆっくりと鮫島に近づいてきていた赤髪の男。


 ため息を再び吐いた鮫島は、眼鏡の奥で目を細めた。


「逆らえばこいつを殺す。お前の言動次第で1つの命が奪われる。つまり、お前が殺したも同然ってことだ。銃を向けられて啖呵を切る度胸は認めるが……人を殺す覚悟がお前にあるのかよ、お嬢ちゃん」


「っ、それは……」


「はは。お前を抑えるには人質を取った方が早いらしい。俺は無駄なことは嫌いなんだ。だから、手間を掛けさせるなよ。樺山も、邪魔するなら本当に撃つぞ」


 腹を抑えて蹲る男――樺山に、奈子は言葉を詰まらせた。先ほどは腹を殴っただけだが次はわからない。もし、男の持つ銃が本物だったら。


 クラリと眩暈を感じる奈子の耳に届いたのは、こちらを馬鹿にするような大きな声だった。


「おい、お嬢! さっきまでカッコよかったのに怖気づいたのかよ!? そこでポーカーフェイスを崩すなんて、まだまだお子様だな!」


「おい、離せっ!」


「ああっ!? っ、くっそ2発もいれやがって! この青メガネ!!」


 フラつきながらも、樺山が鮫島の腕に抱き着くように抑える。


 しかし、今度は樺山の顔面に鮫島の肘が叩き込まれた。


「お嬢! 姐さんを連れて早く逃げろ!」


 軽くはない攻撃を喰らったはずの樺山が、鮫島を抑えたままそう叫んだ。


 その言葉を聞いて、奈子は考える間もなく一歩を踏み出す。


「チイッ! 雑魚は大人しく寝てろよっ!」


「――――ガッ!?」


 樺山に頭突きをした鮫島が、銃口を美弥子に向ける。


「――――社長も大層趣味がイイからな。銃痕くらい、気にしねえだろ」


 落ちた前髪を掻き上げながら零した鮫島の言葉が、やけにゆっくりと聞こえる。


 部屋の中がハッキリと見えるのに、なぜかそれらの動きもスローモーションで。


 鼻を抑えながらこちらに手を伸ばす樺山。


 背後でスーツの下に手を入れる黄髪の男。


 頭を抱えて蹲ったままの美弥子。


 そして、引き金に掛かる鮫島の指。


(私が大きくなりたいと思ったのは――――)

 

 ――――奈子は、美弥子の背を覆うように自分の体を被せた。


 その震える背中を抱きしめてあげたい。


 泣いている顔じゃなくて、笑っている顔が見たい。


 お母さんのことを、守りたい。


(子どもだった私が望んだのは、ただそれだけだったんだ)


 ――――華奢な体を抱きしめた奈子の上から、破裂音が降り注いだ。

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