エピローグ
あの事件の後、奈子が思っていたよりも事は大きくならずに静かに収束した。
『ほら、学生たちはもう遅いから事情聴取は後日でいいでしょ。ね、刑事さん? 俺たちが全部話すからさ』
そう警察の人間に飄々と言う黄髪の男のおかげか、それとも違う理由があるのか。奈子と浮気くんは、軽く話を聞かれただけで解放された。
首を捻った2人だが、その日は色々なことがありすぎて疲れていたので、素直に喜んだ。
けれども、それは長く続かなかった。
『お前ら! 自分たちがどんなに危険なことをしたのかわかってんのか!?』
警察から連絡を貰ったらしい飯田から拳骨を落とされた2人は、少し前とは違う意味で涙目になった。
しかし、その後に纏めて抱きしめられて言われた言葉に文句を飲み込んだ。
『っ、お前らが、無事でッ本当に、良かったっ!』
熊谷からも電話越しに説教と飯田と似たような言葉を掛けられて、奈子は軽率な行動だったと反省をした。片を付けてから浮気くんと話さなければと、どこか衝動的に動いていたことは否定できなかったからだ。
浮気くんに対しても飯田はなぜ学校を出る前に声を掛けなかったと言っていたが、彼は心配を掛けたことだけを謝った。
『頭の中が奈子のことで一杯で、そこまで考えられませんでした。そういえば学校を出る前に先生に会いましたね。忘れてました』
そうかよ……と項垂れる飯田の背中には、哀愁と諦観が滲んでいた。
――――それと母美弥子については、特に追加で語ることはない。
警察が来ても、彼女はずっと黙ったままだった。
そんな彼女の側にずっといた樺山とは、少しだけ話をした。
『……お嬢、悪かったな』
『いえ……貴方のおかげで、私も母も銃で体に穴を開けられることはありませんでした。私がこんなこと言える立場ではないですけど――――母のこと、支えてあげてください』
『――――ああ、そのつもりだ』
その会話を彼女が聞いていたのか、覚えているかはわからないけれども。
苦しんで欲しいわけではないのだと、いつか理解してくれたのならば良いと奈子は思った。
*
「豹我くん、ついに仕事に就いたらしいよ、アルバイトだけど。お祝いしなくちゃね」
「……へえ、じゃあ一緒にプレゼントでも選ぶか」
緑生い茂る桜の木の下で、奈子と浮気くんは昼寝――と言っても木に凭れ掛かってゴロゴロとしながら話をするだけだが――を楽しんでいた。
今日はいつもよりも気温が少し低く、風が気持ちいい。だが葉によって出来た影のおかげでまだマシとは言え、そろそろ引き上げた方がいいかもしれない。
(もうすっかり夏だなあ)
浮気くんと出会った頃に咲いていた桜の花は、とっくに散ってしまった。ジリジリと照りつける太陽は、これからさらに気温を上げていくのだろう。
「豹我くんへのプレゼントは、止めないんだね」
「まあ……あの人は、そういうんじゃないだろ」
「うん、そうだね。じゃあ、一緒に買いに行こう。……デート、だね」
「……ああ。楽しみだ」
浮気くんが奈子の額に浮かんだ汗を拭う。そのまま頬を撫でてくる彼に、奈子は笑った。
「汗、付いちゃうよ」
「構わない。むしろ、舐めたいくらいだ」
「それは…………さすがに、ダメな気が」
早苗ちゃんに殴られるかも、と言う奈子を浮気くんが抱きしめてくる。
身構えていた浮気くんの予想と反して、記憶が戻った彼を早苗は殴らなかった。それはきっと、奈子の表情を見て色々と察してくれたんだと思う。
『良かったね、奈子』
『奈子ちゃん、大好き!』
そう言って抱きしめてくれた2人の友人のことが、奈子も大好きで大切だと改めて感じた。
「浮気くん、ちょっと暑い」
「嫌か?」
「嫌じゃないけど……。そういえば、浮気くんってなんで私にだけ触れても失神しにゃいんだろ……うう、噛んだ」
「可愛いから、気にするな。あと、奈子にだけ触れるのは運命だからだ」
「今はそういうの、いらないんだけどなあ」
嬉しいけども、と噛んだ恥ずかしさもあって肩のあたりを頭突きする奈子。
浮気くんはしばらく黙ったままだったけれども、止まらない頭突きに観念したのか口を開いた。
「…………実は高校に入学する前、もっと小さい頃に、俺とお前は会ってるんだよ」
「え、私と? それって、いつ」
「――――俺が誘拐された時だ」
「えっ」
浮気くんの話では誘拐されそうになった時、ある子どもが女に跳び蹴りをして幼かった彼を助け出したらしい。そして、その子どもが奈子なのだと言う。
「……全然、覚えてない。本当にそれ、私だった?」
「俺もハッキリと覚えてるわけじゃない。でも、自分よりも小さい子が高く飛んで女を倒して……そして、俺の手を握って一緒に走ったんだ。その時の子が、奈子だったのだと俺は思っている」
そんなことがあるのかと不思議に思っていた奈子に、彼は苦笑した。
「それに、豹我さんの顔を見てその考えは深まった。なにせ、俺はあの子をずっと男の子だと思ってたからな」
「……どういうこと?」
抱き着いたまま見上げる奈子に、浮気くんは誤魔化すように頭を撫でた。
「ずっと、その子にお礼が言いたかった。……とにかく、俺が探していた運命の相手は最初から奈子だったというわけだ」
そう耳元で囁く浮気くんの声音は、凄く楽しそうだった。
「運命、か。……やっぱり、浮気くんの愛は重いね」
「そんな俺のことが、好きなくせに。……それとも、心変わりしたか」
「ううん。重いくらいが丁度いいのかも。私、フラフラして危なっかしいって皆に言われるから」
高校に入学して、色々な経験をした。まだ数か月しか経っていないというのに、奈子は自分が変わったと胸を張って言える。
最も影響を与えたのが、今もその碧い目でギラギラとした熱を送って来る男。
太陽よりも熱い視線に、それでも離れたいとは思わない。
その目をずっと見ていたいとも思ってしまうのだ。
「でも浮気くんに浮気させるほど、私も軽くないつもりだよ」
「――――じゃあ、これにサインをしてくれ」
そう言ってどこからか取り出したのは、片方の名前が既に埋まった婚姻届け。
「まだ出せないが、今書いても、何枚書いても別にいいだろ? 俺と奈子が結婚して、幸せな家庭を築くのは決まっているからな」
得意げに、嬉しそうに持論を話す浮気くん。
そんな彼に、奈子は猫のように首元に擦り寄る。
「うーん。やっぱり重いし、情緒がないなあ。……でも、そんな激重彼氏の浮気くんのことが、私は好きだよ」
そう囁いて、浮気くんから渡されたボールペンで奈子は自分の名前を書き込んだ。
――――浮気くんは激重彼氏。そして奈子もまたそんな彼と共に「大人」への道を歩いていきたいと、その場所を誰にも譲りたくないと思うのだ。
「これじゃあ私も激重彼女、かな」
――――大人になりきれていない子どもな自分も、案外悪くない。
fin.




