第39話 走れ浮気くん?
(――――最初はただ、自分が触れても失神しない相手を逃したくなかったのだと思う)
「ちょ、浮気!? どうしたんだよ!」
「すまんっ!」
ぶつかった顔見知りの男子生徒に謝りながらも足は止めない。
走りながらも思い浮かぶのは、奈子のことばかりだ。
(――――どこか幼さを感じさせる彼女を可愛いと思ったし、守ってやりたいと思った。浮世離れしているというか、不思議なオーラも持つ彼女のことをもっと知りたいとも思った)
「クソッ、出ないかっ」
新しいスマホに入力した奈子の携帯番号。しかし、呼び出し音が鳴るだけだ。浮気は、スマホを閉まって再び走り出す。校門を出るまでに何人かに呼び止められたが、全てを無視して奈子の家へ向かう。
『――――浮気くん、七夕楽しみだね』
「っ、俺は、どうしてっ」
奈子の家へ向かいながら思い出すのは、初デートを楽しみだと笑う彼女の笑顔。
(忘れるわけがないと、手を離す気はないと言ったのに)
「奈子! いるなら返事をしてくれっ!」
奈子の家にたどり着いてチャイムを押すが、返事はない。何度か声を掛けながら扉を叩いてみるが、これにも反応はない。というよりも家の中から何も音が聞こえない。
「まさか、帰ってないのか? いや、出かけただけか……」
ただどこかに寄っていてまだ帰っていないのかもしれない。けれども、浮気の胸の中で漠然とした不安が渦巻いている。
『うん。今日は、やることがあるから』
そう言って真っすぐ見つめてくる彼女の瞳を思い出す。
あの時も奈子の瞳へ釘付けにされたが、今はそれだけでなく心臓が爆音を立てている。それはここまで全力疾走したこともあるが、嫌な予感が止まらないからだ。
「まさか、1人でアイツらのところに――――?」
普通、銃を持った男たちの元へ単身乗り込む女子高生はいない。いないのだが――――。
「っ、変なところで度胸があるからなっ」
踵を返して再び走り出した浮気は、池に飛び込んだ奈子の姿を思い浮かべる。
あの時も、浮気がどれだけ慌てたか……奈子はちゃんと理解していない気がする。
猫みたいに気まぐれで、野生の動物みたいに噛みついてくる。
どこでも寝てしまうくらいに隙があるのに、気が乗らないときは全くこっちを構ってくれない。
浮気してほしいだなんて突拍子もない条件を出してくるし、交際に頷いたと思えば浮気相手を探すと言う。
正直、なんでだと思うことは沢山あった。
けれど――――。
(でも、いつだって奈子は俺と正面から向き合ってくれた)
この容姿と女性に触れると失神してしまうという体質のせいで、自分の性格が少々変わっていることを理解している。
真田達にドン引きされるくらいに、恋人への執着が強くて普通じゃないこともわかっている。
『わかった。浮気くんの側にいるよ』
「はあっ、っ、はあ」
(奈子はそう言ってくれたのに、それを求めた俺が彼女から離れてどうする!?)
学校に戻ってきた浮気は、寮に入ると靴を脱ぎ捨てて階段を上る。開け放った自室のドアはけたたましい音を立てたが、そんなことを気にしている余裕はない。
部屋に足を踏み入れた浮気は、一目散に机へ駆け寄り引き出しを開けた。
「っ、よかった。あった!」
取り出したのは、一枚の紙きれ。そこには走り書きの数字が並んでいる。
ポケットから出したスマホに、番号を打ち込んでから耳に当てる。
(スマホが無事だったら……いや、データの引継ぎが上手くいってさえいれば!)
浮気のスマホはあの日、男たちから逃げる時に壊れてしまったらしい。しかも、記憶のないうちに新しく買ってもらったスマホは、熱を出した浮気を家に置いて母が買いに行ってくれたためにデータの移行が上手くいかず。謝ってきた母へ気にするなと言ったのは自分だったが、今となっては少しばかり彼女に文句を言いたくもなる。
なかなか出ない電話の相手へ苛立ちを募らせていた浮気が、諦めて切ろうとした時。呼び出し音が止んだ。
『ったく、誰だよ。せっかく気持ちよく寝てたのに――』
「豹我さん! 奈子の居場所を知っていますかっ!?」
電話越しに聞こえるダルそうな男の声に、浮気がスマホに向かって叫ぶ。その声に対して少し苛立ったような声も、今は気にしていられない。
『ああ!? 耳元で叫ぶんじゃねえよ、ガキ』
「すみませんっ! でも、あの、奈子が今どこにいるか知らないですか!? 家にいなくて」
『お前、記憶が戻ったのか。……アイツがどこにいるかなんて、俺は知らねえぞ』
男――豹我の言葉に、浮気の頭はクラリと殴られたかのように揺れる。そのまま崩れ落ちそうなところを机に手を付いて防いだ浮気は、唇を噛みしめてから口を開いた。
「っ、ならあの男たちがどこにいるかは、わかりますか」
『おい、お前何をする気だよ。そもそもあんな見え透いた罠に行くはずが――』
「――――罠って、どういうことですか」
舌打ちが聞こえたが、その言葉は聞き捨てならない。浮気の声にもその気持ちが乗っていたのか、豹我は低い声で言った。
『……アイツの母親からの伝言で、今日アイツを迎えに行くってのをお前が寝ている間に言われてんだよ。だが、それは罠……なんて言えるほどでもねえ誘いだ。無視すりゃ問題はねえ』
豹我の言葉に、あの日彼が助けてくれたのだと確信する。浮気は、再び口を開く。
「なぜそんなにハッキリと断言できるんですか。やっぱり、奴らのことを調べたんじゃないんですか? どこにいるのかも知っているのでは」
『……知っていたとして、どうするつもりだ』
低く問いかけられた浮気は、目を閉じる。
(保険として、俺に連絡先を渡したくせに。奈子のことを気にしているくせに、なぜそうやって知らんぷりをするのか。……存外似た者同士、なのかもしれないな。親友と。それに、彼は多分奈子の――)
「――――力を貸してください。俺は奈子を助けに行きたい」
『それをして、俺になんのメリットが――――』
性懲りもなくそんなことを言う豹我に、浮気は声を荒げて言い募った。
「じゃあなんで俺に番号を教えたんですか!? 毎日のように奴らの動向を教えてきて! あの日だって連絡したから近くまで来てたんじゃないんですか!? それに俺と奈子を助けてくれたのも貴方でしょう!? いつまで意地を張ってるんですか! いい大人なんだから、自分の行動には筋を通してください!」
言い終わってから、浮気はハッとした。もしかしたら言い過ぎてしまったかもしれない。これでは怒らせて協力を取り付けなくなるかもしれないと。
しかし、浮気の予想に反して帰ってきた声は酷く静かなものだった。
『……筋を通せ、ね。ガキにそんなことを言われるとはな』
「あの、言い過ぎたかもしれませんがさっき言ったことは全て本心です。――――俺に協力してくれませんか」
相手には見えずとも、浮気は頭を下げてそう言った。永遠とも感じられた沈黙の後、豹我のため息が聞こえてくる。
『…………20分後に行く。他の奴ら、特に教師共に見られねえようにしろよ』
「っ、ありがとうございます!」
浮気の返事を聞いたのかわからないほどの早さで切られた電話に、少し笑う。もしかして礼を言われ慣れていないのだろうか。
「よし。準備してすぐに行こう。……裏門で待てば大丈夫だよな」
制服でないほうがいいだろうと浮気は普段着に着替える。なるべく目立たないようにキャップも被った。そして、同室の生徒には少し出かけると連絡を入れておく。点呼の時間には戻れるといいが、間に合わないのであれば仕方がない。
一通りの準備を整えた浮気は、先ほど開けたものの下にある引き出しを開けた。そこにあったのは、小振りな包み。紺色に金のリボンが巻かれたそれを、浮気はそっと取り出して半袖パーカーのポケットに入れた。
浮気は、腕時計に視線を落とす。
(時間まで、あと15分)
豹我の提示した時間までまだ余裕はある。それに彼が時間通りに来るとは限らない。
けれども、浮気はジッとしていられなくて自室を飛び出した。
*
「――――誰にも見つかってねえだろうな」
「はい。……暑くないんですか、それ」
電話からきっちり20分後。裏門に豹我はやって来た。いつかのようにバイクに乗ってきた豹我だったが、今日は黒いヘルメットをしている。白い半袖シャツにジーパンを履いてゴツイヘルメットをする男は、はたから見れば十分に怪しい。
「テメエの分はねえぞ。誰かに見られる前に早く後ろ乗れ」
その言葉に頷いた浮気が豹我の後ろに乗ったその時、後ろから声が掛けられた。
「――――浮気、こんなところで何してる。……それに、その人は誰だ」
「飯田先生、これは――――」
振り返った先にいたのは、汗を拭う飯田だった。その様子は酷く慌てているような、困惑しているように感じる。
どう説明をしようか逡巡した浮気の思考を阻むかのように、バイクのエンジン音が鳴り響く。
「――――落とされねえように、掴まっとけよ」
「え、ちょ――うおっ!?」
「おい、待て! 浮気、どこに行くつもりだ!? それにお前――」
飯田の言葉をかき消すかのように、バイクが音を立てて走り出す。
慣れない風を切る音を聞きながら、チラリとどんどんと小さくなる飯田の姿を見る。彼はこちらを見て、唖然としたように立ち尽くしていた。
やがて彼の姿が見えなくなると、浮気は目の前の大きな背中に向かって呟いた。
「……話さなくて、よかったんですか」
(親友、だったんでしょう?)
心の中でそう言ったのは、それを口にして帰ってくる言葉がなんとなく想像できたからだ。
「ああ? なんか言ったか」
「……なんでもないです! それよりも急いでください! 奈子の元へ!」
「――――チ、人使いの荒いガキだな」
そう言いながらも速度をグンと上げたバイクに、浮気は口を結んで目を閉じた。エンジンの爆音と後ろに体を持っていかれそうな感覚。微かに香る煙草の香りに、浮気はゆっくりと目を開く。
(奈子……どうか、無茶はせずに無事でいてくれ!)
*
「…………お腹減った。赤いお兄さん、何か食べるもの持ってない?」
「持ってねえよ」
「……使えないなあ」
「なんだと!? つーか普通、こんな状況でそんなこと言わねえだろ!? お前、自分が置かれた立場わかってんのかよ!?」
「私、貴方たちの上司の娘。お嬢。ドラマとかではそれなりに敬われる立場。そして貴方たち信号機トリオはどーみても下っ端」
奈子の言葉に噴き出す黄色と、静かに笑う青色。そして、髪だけでなく顔も真っ赤にする赤色。
「~~~~クソがっ!! 大人しく口を閉じてろ! 次変なこと言ったら、あの人の娘だろうが容赦しねえからな!?」
「わかった。…………赤いお兄さんは、お母さんのことが好きなんだね」
なんとなく浮かんで言った言葉に、目の前の男の顔がさらに赤くなる。
「バッ、ち、ちげえよっ!? 俺はただ――おい、聞いてんのかよ!?」
「口閉じろって言ったのそっち」
「~~~~~~~~!!!!」
特大の舌打ちをした赤髪は、それを最後に窓の方を向いて黙り込んだ。
(やっぱりこの人たちって……。いや、油断はしないようにしよう)
そう思う奈子だったが、未だ赤い彼の耳を見て小さくため息を吐いた。
(……あの人は、お兄さんたちに何をしたんだろう。それに、私に何を求めているんだろうか)
――――奈子の疑問に答える人間がいるはずもなく。4人を乗せた車は、なんとも言えない微妙な雰囲気のまま走り続けた。




