第38話 失っていたもの
「あれ、今日は部活ないけどなんでいるのさ」
「…………そういう御園先輩こそ、なんで来たんですか」
「僕はにゃーちゃんに届け物。昼休みにもいなかったから、一応放課後も来てみたんだけど。今日は来ないのかな」
「……大木さんは、今日やることがあると言ってましたけど」
へえ、と言いながら御園は扉に背を預けて浮気に視線をやった。茶封筒を手に持ちながらこちらを見るその目は何かを言いたげで、少し苛立ちながら浮気は口を開いた。
「……なんですか。言いたいことがあるなら、言ってください」
「別に? ただ、随分とのんびりしてるなあと思っただけ」
「記憶のことですか? それを俺に言われても――」
頭を殴られたことによって浮気は高校へ入学してからの記憶を失った。医者からは時間が経てば記憶は戻ると言われたが、数日経った今でも何も思い出せない。
クラスメイトや所属しているらしい部活の先輩にも話を聞いたが、皆何か困ったような顔をするため詳しく聞くことも出来ず。さらにはクラスメイトの真田や藤堂からは敵意といえるものを何故か向けられる始末。
(記憶を失う前の俺は、一体何をやらかしたんだ……?)
そんな風に疑問に思うが、誰も話してくれないのでどうしようもない。なので浮気は記憶を失う前にやっていただろう行動を自分なりに考えて実行してみたのだが、真田達は怒るし話しかけた女子生徒たちはほとんどに嫌な顔をされる結果となった。
(まあ、俺も何だか気乗りしなかったからいいんだが)
入学前から高校に入ったら運命の女性を探そうと決めていた。だから、クラスメイト以外の女子生徒に話しかけて握手を求めてみたのだ。けれども顔を引きつらせて断られるか、握手は応じないのに交際を申し込まれるという結果になった。
どうやら自分が女性に触れると失神することは多くの生徒に知られているらしい。それを知りながらも、交際を申し込んできた女生徒については恐らく浮気の容姿が目当てなのだろう。
曖昧な回答で握手をしない態度に、浮気はバッサリとNOを叩きつけた。嫌悪感すら抱いたかもしれない。ただそれは目の前で頬を染めて笑う彼女らだけでなく、自分へも向いているような感覚だ。
その感覚は、今目の前にいる先輩へも向けられていた。
(この人を見ると、イライラするというか……。何か危機感を煽られるような)
「まあ、そのこともあるけど。にゃーちゃんのことだよ。浮気にしては普通というか。もっと何か突拍子もない展開があるかと思ったのに」
「……にゃーちゃんって、大木さんのことですよね」
「そうだよ? 僕はにゃーちゃんと仲良しだから。僕だけが呼んでる特別なあだ名なの」
そう言って笑う御園に、浮気は拳を握った。
大木奈子。彼女は浮気の隣の席に座るクラスメイトだ。彼女は新聞部の部員でもあるので、クラスメイトであり部活仲間とも言える。浮気が一番多くの時間を学校で共に過ごした人間であろう人物だ。
しかし、彼女は浮気が話しかけるとすぐに逃げてしまうので碌に会話が出来ていない。
(いや、今日は様子が違ったな……)
今日が誕生日だという彼女は、朝から友人たちにプレゼントを渡されていた。真田に睨まれたが、浮気も彼女におめでとうという言葉を送った。すると、彼女は今まで俯いていた顔をしっかりと上げて浮気にお礼を言ったのだ。
その時、浮気の視線は彼女に囚われたかのように固定された。嬉しそうに目を細めて薄い唇が弧を描く。桃色に色づいた唇は、ツヤツヤと輝いているのに柔らかそうだった。
『今は言わない。ただ、私の話を聞いて欲しいの。2人きりで』
そう言った彼女の黒い目が、浮気を射抜いた。その瞳に触れてみたくて、腕を上げた頃には彼女は既に自分の席に座っていた。
授業中も彼女の笑顔が頭から離れなくて。でも休み時間は真田達が浮気を近づかせないし、放課後彼女はすぐに帰ってしまった。
明日2人で話せるとわかっていても、なんだか落ち着かなかった浮気はフラフラとこの部室にやって来たのだ。だから決して御園の顔を見に来たわけではないし、挑発めいたことを言われるためではない。
「…………そうですか」
「そうそう。カメラを教えたのも僕だしね。今日はにゃーちゃんが撮った写真を現像して持ってきたんだけど。ほら、今日誕生日だし」
「……なら、教室に届けに来ればよかったんじゃないですか」
「顔と言葉が全然一致してないけど? まあ、それだと大騒ぎになっちゃうし。ほら、僕って美しいから」
そう言って前髪を払う御園を、浮気は眉間にしわを寄せて見た。とても胡散臭いし、気に入らない。確かに御園の造形は整っていると思うが、素直にそれを認められないのはなぜだろうか。失った記憶に関係しているのだろうか。
(というよりも、大木さんに関係している気がするんだが……)
御園を見て胸がざわつくのではない。彼女のことを話す御園に苛立つのだ。
きっと、彼女が記憶の鍵だと浮気は思っている。だから、部活もないのにここに来たのだ。何かきっかけになるものがあるかもしれないと。昨日の昼休みに来た時は彼女が寝ていて話が出来なかったのだから。
「帰っちゃったんなら、仕方がない。出直すかな」
「……俺が明日渡しましょうか。同じクラスですし、放課後に話があるとも言われているので」
そう申し出たのは、親切心が少し。だが大半はこの男に彼女を近づけたくないという、漠然とした思いからだった。
「へえ? にゃーちゃんは、強い子だなあ。昨日はあんなに泣いてたのに」
「泣いて……? それはなぜ」
昨日部室へ来た時は、寝ていただけで泣いた様子はなかった。真田達がいないところで話がしたいと思っていたのだが、彼女の寝顔を見ただけで終わってしまった。
(いや、ブレザーもかけたか……。そういえば、なぜロッカーにブレザーが?)
眠ったままブレザーに顔を寄せる彼女の姿を思い返しながら、浮気は首を捻った。
「ま、なら浮気に任せるよ。僕も色々と忙しいし、よろしくねー」
「ちょ、あぶなっ。まだ話は――」
手に持った茶封筒を浮気に向かって投げた御園は、そう言って部室から出て行った。別に仲良く話をしたいわけではないが、あんなにもあっさりと出ていかれると釈然としない。
浮気は、口を堅く結んだまま茶封筒を見下ろした。突然投げられたせいで、床に落ちた封筒は中身が少し出ている。写真であろうそれは裏側が見えるだけで、何が撮られているかはわからない。
「ふん……あんな風に投げるのが悪いんだ」
そう言い訳を呟いた浮気は、その写真に手を伸ばした。彼女が撮ったという写真を、浮気は見てみたかった。
「…………これ、俺か?」
てっきり部活動で撮った写真だと思ったのだが、そこに映っていたのは自分の姿だった。
写真の中の自分は、幸せそうに微笑んでいる。それどころか頬は少し赤らんでいるし、目元は緩んで少々だらしがない。というよりもその目にはドロリとした執着が見え隠れしているようにも思えた。
「大木さんが、撮ったんだよな……」
つまり、写真の中の自分がこの目を向けているのは彼女ということだ。記憶を失う前の浮気と彼女はやはり、ただのクラスメイトではなかったのではないか。
浮気はドクドクと鳴る心臓の音を聞きながら、封筒を机の上で逆さまにした。封のされていないそこから、多くの写真が落ちていく。
「……っ! いっ」
――――机に散らばった写真を見て、頭に激痛が走った。
浮気は項垂れるように机に体重をかける。続く痛みと共に、脳裏に過る女性の声。
『私と付き合ったら、浮気してくれる?』
(…………君なのか?)
「クソッ! あと少しで全部思い出せそうなのに」
断片的に浮かぶ声と、霞が掛かったような姿。
掴めそうなのに、掴めない。
――――そんな状況に、浮気は自分の額を机に思い切り叩きつけた。
何度も、何度も打ち付ける。
このまま、何も思い出せなければ自分はどうにかなってしまうのではないか。
そんな危機感が、痛みを無視して浮気の体を動かしていた。
痛みと共に、少しづつ頭の中で記憶が浮かんでくる。
「――――ああ」
『私、浮気くんのこと好きだよ?』
思い浮かべるのは無表情に、そう言った彼女。
「そうだ。…………なんで、俺は」
『うん。浮気くんが怒る必要はないよ。――――だって私、御園先輩のこと別に好きでもないし』
その言葉に、どれだけ浮気が喜んだことか。彼女は多分理解していない。
『――――それでも、私は救いたかった。それだけなの。…………ただの自己満足にしかならないけど』
「守ると……そう誓ったのは、俺だったはずなのに」
あの時、その不思議と力強く、そして儚くも見える背中を抱きしめたいと思ったのに。
『…………浮気、くん?』
最後に聞いた彼女の声は、震えていなかっただろうか。自分が、彼女を不安にさせた。苦しめたのではないか。
頭を抑えながらも、浮気は机の上の写真たちから目を逸らさなかった。映っているのは自分ばかりなのに、思い出すのは彼女のことばかり。
「っ、奈子……」
――――記憶を失う前の奈子の表情を思い出した浮気は、写真をそのままに部室を飛び出した。




