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第34話 失ったもの

「豹我くん、なんで――」


「話は後だ。まずはそこで眠ってる王子サマをなんとかしなきゃだろ」


 チラリと豹我は浮気くんを見遣った。未だピクリとも動かない彼に、奈子は駆け寄りたくなる気持ちを抑えて小さく言った。


「でも、銃が……」


「ありゃよく出来たエアガンだ。当たったら多少は痛いだろうが、死にはしねえよ」


 豹我の言葉に目を見開いた奈子は、もう一度赤髪の持つ銃を見る。しかし、本物を見たことすらない奈子に目の前のそれが本物なのかわかるはずもない。


「……豹我くん、なんで本物じゃないってわかるの」


「あ? あー、昔取った杵柄ってやつだ」


(豹我くんって、ただのヒモ男じゃないんじゃ……)


 そんな奈子の疑念を他所に、赤髪は銃を豹我に向けて言った。


「おいおい、そんな自信満々に言っていいのかよ。その体に風穴が開くかもしれねえんだぞ」


「そんなだっせえサングラスかけてる奴の弾なんて、例え本物だったとしても当たらねえよ」


「なんだと!? そもそも、なんでお前は俺たちの邪魔をするんだよ! お前には関係ねえだろうがっ」


 奈子の目の前に立った豹我は、銃を向ける赤髪に対して肩を竦めてから言った。


「……さあな。ただ、俺は将来養ってくれるかもしれねえ女を泣かせるわけにはいかねえんでな。ま、そこの王子サマはそのついでだ。恩を売っておくのも一興だろ」


 そう言って豹我はため息を吐く。そして赤髪に向かって手を差し出したかと思うと、そのまま指を曲げて挑発した。


「ほら、来いよ。面倒だが、ガキ相手にお兄さんが喧嘩の仕方を教えてやんよ」


「なっ、馬鹿にしやがってっ!!」


 挑発に乗せられた赤髪が、豹我に銃を向けた。次の瞬間、鳴る軽い音。


 しかし発射されたエアガンの弾を、豹我は体重を移動させることで簡単に避けた。そしてそのまま赤髪の鳩尾に拳を叩き込む。


「っ、よ、避けただと!? ぐ、うっ!?」


「まずは1人。……おいどうした。別にまとめて掛かってきてもいーんだぜ?」


 腹を抱えて蹲る赤髪をつまらなそうに見下ろした豹我は、黄髪と青髪へ視線を移す。その黒い瞳は暗く、鋭い。けれども、奈子は不思議とその目を怖いと思うことはなかった。


(でも、まだ2人いるし……必要なら、私も)


 拳を握った奈子は、足を踏み出した。――――のだったが。


「あ、遠慮しま~す」


「俺もパス」


「…………え?」


 軽い調子でそう言う2人に、奈子は口を開いて呆けた。普通、仲間がやられたら向かってくるものなのではないだろうか。


「お、お前ら……ど、して」


「だあって僕、痛いの嫌いなんだも~ん」


「そもそも俺らの仕事は大木奈子に伝言を伝えることだ。地面に這いつくばることじゃない」


「ク、クソ野郎……ど、もめがあ」


 プルプルと震えながらも2人を睨み上げる赤髪。けれどもその視線を受けた黄髪と青髪は飄々とした態度を崩さなかった。


 そんな彼らに豹我も「なんだアイツら」と耳に指を突っ込んでいて、もう戦う気はなさそうだ。


 それを確認した奈子は、豹我の後ろから飛び出した。


「浮気くんっ! 浮気くん、起きてっ! お願いっ」


 浮気くんに駆け寄った奈子は、膝をついて彼の体を揺すった。だが、浮気くんはいくら呼びかけても起きない。綺麗な顔で眠ったままだ。桜の木の下で眠っていた時の姿を思い出すが、奈子は心臓の音を確かめることが出来なかった。


(もし……もし、音がしなかったら?)


 固まる奈子の体と思考を動かしたのは、後ろから肩を掴んだ豹我だった。


「――――落ち着け。大食い娘」


「……豹我、くん」


「あと頭打ってんだから無理に動かすんじゃねえよ」


 手早く浮気くんの脈や呼吸を確認した豹我は、奈子の額を指で弾く。


「いたっ」


「まずは病院連れてくぞ。出血もしてねーし、大丈夫だろうが。一応な」


 そう言った豹我が浮気くんの体を背負うのを、慌てて手伝う。軽いはずもない浮気くんを背負えるのだから、豹我は細身だがやはり鍛えているのだろう。奈子ではこうはいかない。


「大木奈子」


「…………なんですか」


「そう警戒するな。俺たちはお前に危害を加えるつもりはない。言っただろう。伝言を伝えに来たのだと」


 青髪に呼び止められた奈子は、豹我に背負われた浮気くんの背中を支えながら振り返った。


 警戒するなと言われて、素直に頷けるわけがない。その気持ちを表すかのように、奈子は3人の男たちを睨みつけた。


「ふん。そのくらい生意気な方が、あの人の相手に相応しいかもな」


「何を――――」


「姐さんからの伝言だ。『貴方を大人にしてあげる。彼はとてもお金持ちのイイ男よ。貴方のこともきっと可愛がってくれる』と」


 何も反応しない奈子に何を思ったのか、青髪は続けてこうも言った。


「姐さんは、お前の幸せを願って今回の話を提案している。7月9日。お前の誕生日に返事を聞きに行く。まあ、断られることなど姐さんは微塵も考えていないし、お前の()()のためにも……よく考えた方がいい」


「……おら、行くぞ」


 青髪の言葉に立ち尽くす奈子を、豹我が促す。その声にふらりと足を踏み出した奈子の背に、赤髪の男の声が刺さる。


「その男には後で借りをキッチリ返させてもらうが……。俺たちは、アンタを歓迎するぜ――――お嬢」



 *



「おい、その辛気くせえ顔は止めろ。こっちまでジメジメしてくんだろうが」


「…………うん」


 病院の廊下の椅子。隣に座った豹我が奈子へそう吐き捨てる。


 あの後、豹我が呼んだタクシーに乗って3人は病院へとやって来た。タクシーから病院の受付まで全て動いたのは豹我だ。奈子は、ただその隣で浮気くんの体を支えていただけ。


 今だって医者たちに連れていかれた浮気くんの温もりの代わりを求めるように、豹我の隣に座っている。腕同士が触れているだけだが、その体温が少しだけ奈子の心を落ち着かせてくれた。


『貴方を大人にしてあげる』


 母からの伝言を奈子は思い返す。


(…………私は、やっぱり子供のまま。ヒモやってる豹我くんは、あんなに冷静に男たちをあしらって、ここまで浮気くんを連れて来てくれたのに)


 文句は言うが、腕にピタリとひっつく奈子を力ずくで離しはしない。それが優しさや気遣いからか、それとも単にそういった状態に慣れているから気にしないのか……わからなかったが、豹我の温もりが今の奈子にとっての命綱だった。


(浮気くん、大丈夫だよね……)


 何度目かの自答をしていたその時、治療室の扉が開いた。


 それを見た奈子は、立ち上がって医者に駆け寄る。


「あのっ、浮気くんは……」


「――――命に別状はありません。意識もちゃんと戻りましたよ」


 その声に、奈子は治療室の扉を開け放った。後ろで慌てる医者を無視して、奈子は部屋の中を見渡す。治療室といってもそこまで大きな部屋じゃない。簡単な処置が出来る部屋なのだろう。ベッドと診察机と椅子で部屋のほとんどが埋まるくらいだ。


 浮気くんは、部屋の壁に沿うように置かれたベッドの上に座っていた。頭には包帯が巻かれているが、その碧い瞳はしっかりと奈子に向けられている。


「浮気くん、よかったあ……」


 込み上げる涙と感情を抑えて、奈子はベッドへ近づくために一歩を踏み出そうとした。


 だが、それはこちらを見て笑う男によって阻止されることになる。


「……心配してくれているのに、申し訳ないのだが。――――君は、誰だろうか」


 廊下から響く足音と緊急を表すけたたましいアラートの音が、奈子の耳を侵す。


(それなのに、どうして……)


 ――――こちらを向く熱のない碧と澄んだ彼の声が、奈子の五感を突き刺した。

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