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第33話 浮気、くん?

「――――おい、待てこの金髪野郎!」


「待てって言って、待ってくれるわけないじゃ〜ん」


「馬鹿だな」


「うっせえ、黙って走りやがれ! 2人だけみてえだし、チャンスだぞ!」


 背後から聞こえる声に、奈子は浮気くんの背中に手を当てながら顔を上げた。


 信号機トリオは走る浮気くんを追ってきている。俵担ぎされている奈子は、浮気くんに声を掛けた。


「浮気くん。どうして逃げるの」


「それは……奴らが不審者だからだ!」


(確かに怪しいけれども。だからってこんなに必死に逃げる必要があるの?)


 奈子は疑問に思いながらも、眉間に皴を寄せて走る浮気くんを見て目を細める。


 これも、奈子には言えないことなのだろうか。


「…………よくわからないけど、降ろしてよ。自分で走った方が速いし、浮気くんも大変でしょ」


「駄目だ。俺は大丈夫だし、今はお前を、離したくない。……くそ、こっちは駄目かっ」


 先回りしたらしい黄色の髪をした男の姿が行く手を阻む。それを見た浮気くんが、急ブレーキをかけて進路を変更した。


 息を乱しながらも走ることを止めない浮気くんに、奈子は彼の肩を掴む手に力を入れる。


(そんなに、私は信用ならない? ……いや、そう思わせるような言動をしてきたのは私なのかな)


 浮気してほしいと言ってみたり、付き合ったくせに浮気相手を探したり。入学前よりかは突飛な行動は少なくなったが、それでもどこか子供っぽいままの自分だ。浮気くんが頼れる存在とは、決して言えないだろう。


(でも――――)


「浮気くん。やっぱり降ろして。疲れてきてるみたいだし…………なんか、嫌な感じがする」


「っ、嫌な、……感じ?」


「うん。だから、降ろして」


 ゾクゾクと背を撫でるかのような不快感。何か、追い詰められているかのような感覚だ。


 いつの間にか大通りから離れて、小道を走っている。けれど、それはおそらく――――。


「……罠、かも」


「――――へえ? 女の方が勘いいじゃん」


 頭上から降ってきた声に、浮気くんの足が慌てたように止まる。そして、一瞬の後にその声の主が目の前に立ち塞がり2人の行く手を阻んだ。


「っ! 今、上から落ちて来たのか!?」


「あはは~相変わらず無駄に身軽だよねえ」


「野生児だからな」


「うっせ、追い詰めたんだからいいだろ」


 どうやってここまでたどり着いたのかわからないが、奈子と浮気くんの頭上から飛び降りてきた赤髪に他の男たちが揶揄うように言う。ズレかけたサングラスを直した赤髪は、奈子たちの背後にいる黄髪と青髪を見遣って言った。


「これでもう、逃げられねえぞ。こっちだって別にお前らをボコしに来たんじゃねえんだよ。ただこっちもそこの女に伝えなきゃならねえことがあってな」


「……私に?」


「奈子。こんな奴らの話を聞く必要はない」


 抱かれたまま首を傾げる奈子に、浮気くんが言う。


 舌を打ってから浮気くんを見た赤髪は、苛立ったように首元を引っ掻いた。


「チッ、マジお前、邪魔だな。ガキ相手だからこうやって優しく口で言ってやってんのに。――――めんどくせえな」


 スーツのボタンをだるそうに外した赤髪は、懐に手を突っ込む。


 ――――そして、手に黒光りする物体を握って、それを浮気くんに向かって構えた。


(あれって、拳銃……? 本物、なの?)


「お子様でも、これが何だかわかるよなあ? あ、あと手に持ってるスマホから手え放せよ。誰かを呼ばれたら面倒だ」


「っ、奈子、俺の後ろに」


 向けられた銃口を見て、浮気くんは奈子を地面へ降ろし背後に庇った。スマホが入っている鞄ごと地面に置いた浮気くんは、警戒するように男を睨む。


「浮気くん、どいて」


「どくわけが――――」


「だって、お兄さんたちが話したいのは私なんでしょう?」


 奈子だって、浮気くんに銃口を向けられて黙ってはいられない。浮気くんの言葉を遮ってそう言うと、赤髪の口角が吊り上がった。


「やあっぱ、血筋ってもんはあるんだなあ! その顔、姐さんにそっくりだぜ!」


「あねさん……?」


「おいっ!」


 浮気くんの叫びが路地に響く。それを気にした様子もなく、背後の黄髪が軽い調子で答えた。


「僕たちね、今は美弥子さん――――奈子ちゃんのお母さんの部下なわけ」


 その言葉に、奈子の両手がピクリと跳ねる。


(……お母さんの? 部下の人がなんで)


 母親である美弥子とは祖父の葬式で会ったが、その時も派手な服装をして男たちを侍らせてはいた。まさかその時の男たちも部下なのだろうか。


 美弥子は、奈子に何か用でもあるのか。なぜ部下を通して接触しようとしているのか。


(意味が、わからない。……なんで、お母さんは――――)


 暗く沈んでいきそうな思考を止めたのは、奈子の手を握る温もりだった。


「……浮気くん」


「大丈夫だ。お前のことは、絶対に俺が守る」

 

 大きくてちょっと硬い。けれども温かい浮気くんの右手に、奈子は男たちに聞かれないくらいの小さな息を吐く。そして、真っすぐに赤髪の男を見つめてから言った。


「……その部下の人たちが、私に何の用ですか」


「姐さんは、お前にとある金持ちのオッサンと婚約をさせるつもりだ」


「婚約……私が? なぜ?」


 突拍子もない話に、奈子は赤髪をジッと見つめる。


 だが驚くのと同時に、奈子はどこか納得した気にもなった。


(やっぱり、あの時に話していたのは蒟蒻についてじゃなかったんだ。……だから、浮気くんは可笑しいくらいに警戒してたってこと?)

 

「奈子が結婚するのは、俺だ。他の男と婚約なんてさせるわけがないだろう」


「はああ? ガキはすっこんでろよ。婚約は契約だ。姐さんがそう決めたんだから、娘のお前はそれに従う必要がある。――――ガキがする恋愛ごっこじゃねえんだよ」


「ごっこ遊びなんかじゃない。俺は本気で奈子と添い遂げるつもりだからな。それに今時親が勝手に子供の婚約を取り付けるなんて、時代錯誤にもほどがある」


「チッ、……これだから恵まれたフツーの環境で育った坊ちゃんは面倒なんだ。――――もういい。話をするのにそいつはいらねえ。先に片付けるぞ」


「ああ」


「は~い!」


 男たちの雰囲気が、変わる。先ほどまでアイスではしゃいでいたのに、今は空気が張り詰めて重い。握られた手にも汗が滲む。けれども決して離しはしないと主張してくる手を、奈子もしっかりと握り返した。


 だが、逃げるにも前方には銃を構える男。背後にも2人の男たち。どうすれば、この包囲から逃げ出せるのか。


 そんな風に思案していた時、浮気くんの左手が男たちから見えない角度で奈子の鞄を探るように触った。彼の意図を察した奈子も、鞄の位置をバレないように調節する。


「んじゃ、大人しくして――――」


「――――ガキを舐めない方がいいぞ、赤信号機。お前の止まれに従う道理はない」


「あ゛あ゛ん!?」


 男を煽った浮気くんは、銃口がブレた隙に左手で掴んでいたものを思い切り引っ張る。


 ――――路地に甲高い電子音が、複数鳴り響いた。


「っ、なんだっ!?」


「う、うるさ~い! これって防犯ブザーの音!? てか、うるさすぎでしょ。いくつあんのさ!?」


「――――おいっ!」


 青髪の叫びが、防犯ブザーの音に紛れて飛ぶ。その声を認識したらしい赤髪がハッとして顔を上げた。


 ――――だが赤髪が動くよりも早く、その顔面に防犯ブザーが大量に付けられた鞄がめり込んだ。


「ゴフッ!?」


「走れっ!!」


 浮気くんの言葉に、奈子は駆け出した。正直、浮気くんの投擲フォームには不安を感じたが、見事的である赤髪の顔面に当たったのだ。この隙を逃すわけにはいかない。浮気くんの鞄が彼と奈子の足で踏みつけられたが、それにも構っていられなかった。


(後ろの2人が追い付く前に、なんとか大通りに出なきゃ――――)


 運動音痴だが足だけは速い浮気くんと、陸上部にも負けない足を持っている奈子だ。そのくらいならやれる。


 ――――そう思った奈子の隣から、呻き声が上がった。そして、手から温もりが零れ落ちる。


「っ、あがっ!?」


「…………浮気、くん?」


 崩れ落ちる浮気くんの体に、奈子の足が止まる。地面に倒れ伏した彼の金色に、赤が滲んでいく。


 そのコントラストを唖然と見る奈子に、怒気を纏った低い声が届く。


「――――手間取らせやがって」


 未だ鳴り響いていた音が、赤髪の振り下ろした足によって息絶える。


 路地に、静寂が落ちた。その静けさが、奈子の体温を急激に奪っていく。


 手に持つ黒い筒身を顔の近くで確認した赤髪は、舌を打ってからその銃口を下に向ける。


「コイツの命が惜しけりゃ、素直に俺らに着いてこい。返事はイエスかハイだ。迷うのも面倒だからやめろよ。答えは一択なんだから」


「う~ん。当たり所が悪かったのかなあ。意識、ないね。早く病院に行かなきゃマズいかもよ?」


「まあ、別にコイツがどうなっても俺らには関係ないが」


 そう言って浮気くんの背中を蹴る青髪に、奈子は唇を噛みしめた。彼らの言う通り、浮気くんはピクリとも動かず何も反応しない。


 ドクドクと鳴り響く自分の心臓に、奈子は凍えた手を当てる。両手を握り合わせてみるが、一向に温かくならないし心臓は鳴りやまない。止まったら死んでしまうが、全身に響く音が邪魔で奈子は胸元のシャツを握りしめた。


(浮気くん……)


 倒れたままの浮気くんを見た奈子は、目を閉じる。


(浮気くんは私を守るって言ってくれたけど……私は浮気くんに傷ついて欲しくない)


 ゆっくりと目を開けた奈子は、正面にいる赤髪の男を見つめて口を開いた。


「わかりました。貴方たちに着いて――――」


「――――よお、大食い娘。俺を振っておいて男4人を侍らせるなんて、ひでえ女だな」


 背後から聞こえた声に、奈子は目を見開いて振り返った。


「……豹我、くん?」


 ニヤリと笑いながら首を傾げたのは、いつも通りに軽薄な笑みを浮かべる豹我だった。

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