第30話 蒟蒻はヘルシーでセクシー?
「な、奈子。いつからそこに。というかどこから聞いていた……?」
「さっきだけど……婚約って言葉しか聞こえなかったんだけど、真司くんか飯田先生が婚約するの?」
「あ、いやそうじゃねえんだが……」
慌てたように立ち上がった浮気くんと目を泳がせる飯田に、奈子は首を傾げる。何か聞いてはいけないことでも聞いてしまったのだろうか。
「というか、奈子! 髪がまだ濡れたままじゃないか」
「んん、だって髪乾かすの面倒で。浮気くんだって乾いてないじゃん」
「俺は良いんだよ! 乾かしてやるからドライヤーの場所を教えてくれ」
自分の首元に掛けていたタオルで奈子の髪を優しく抑える浮気くん。彼の手に頭を擦り付けながら、奈子は目を細めて言った。
「ドライヤーの場所教えるから、誰が婚約するのか教えてくれる?」
「そ、それは――」
「……私には言えない事なんだ」
自分を除いて何かを話していたらしい3人に、口を尖らせた。
(なんだろう……この3人に秘密ごとをされるのは、なんか嫌だな)
浮気くんが御園や瑠璃と一緒にいた時ほどではないが、キュッと心臓を握られたような感覚だ。何度も体験したいものではないし、せっかく温まった体も冷えていきそうだ。
「――――婚約? そんなこと、誰も言ってないわよ」
沈む奈子の思考を止めたのは、熊谷の普段通りの声だった。
「……違うの?」
「ええ。アタシたちが話してたのはね、『婚約』じゃなくて『蒟蒻』のことよ」
「蒟蒻……?」
聞き間違いかと熊谷を見るが、彼は真面目な顔で頷いた。
どうやら聞き間違いではないらしい。
「奈子。アンタ、浮気くんと付き合っているんだってね」
「……うん」
そのことと、蒟蒻がどう関係してくるのだろうか。それに付き合っていることは彼に話していなかったが、浮気くんが説明したのだろうか。
(浮気をさせたいことを真司くんに言ったら、理解不明な生物でも見るような目を向けられそうだ)
熊谷は奈子を怒ることはない。基本的には奈子のやることを一歩引いたところで見守っているような男だ。時間がある時に料理を作ったり、仕事関係で貰ったという服などを渡してくる。
「でも、アンタとデートをしたことがないっていう話になってね。じゃあ、その時の奈子の服装をアタシがコーディネートしてあげようかしらって」
「……蒟蒻とデート、関係なくない?」
奈子と浮気くんはデートをしたことがない。このことを聞いた早苗や藤堂は驚いていたが、奈子としてはデートをするという考えがまずなかった。それに、付き合い始めてすぐにそれらしきものに誘われたが断ってしまったのだ。
(あれから誘われることはなかったけど……学校がある日はほとんど一緒にいるし、満足してるものだと)
「仕事で蒟蒻ニットっていうものを知ってね。天然素材の蒟蒻ペーストでコーティングしたニットでね。清涼感があってこの時期にも結構着れるのよ」
「……へえ。知らなかったな」
「でしょう? アタシも最近知ってね。それを着たモデルの子がすっごい可愛くてセクシーだったから。蒟蒻ってヘルシーなだけじゃなくて、セクシーなのよって話をしてたの」
熊谷が自分のスマホを取り出して、写真を見せてくる。確かに、映っている女性はセクシーで大人っぽい。奈子は浮気くんを見上げた。
(これ着たら、浮気くんも私のこと大人っぽいって思ってくれるかな……)
「デートについてアタシたちに相談したことが奈子にバレるのが、浮気くんは恥ずかしかったみたいだけど。……ごめんなさいね? アタシ、嘘は付けない質なの」
「……いえ、気にしないでください」
浮気くんに謝る熊谷。彼に対して浮気くんは、軽く頭を振ってそう言った。
(そっか。……浮気くん、デートしたかったのか)
休日はサボりまくった家事を片付けたり、宿題をやっつけたり。それに祖父の遺品の整理や道場にやってくる生徒たちの相手もしていたから、正直奈子にデートをする余裕はなかった。
「んう…………でも、じーちゃんの遺品整理はもう終わりそうだし。デート、してみたいかも?」
「えっ!? そ、それは本当か? 奈子」
頭を拭いていた浮気くんが、奈子の顔を両手で掴んで聞いてくる。両目の碧がキラキラと輝いている。その光に当てられた奈子は、目を瞬いた。
「……うん。デート、してみたい」
「そうか、……そうか! ははっ、凄く楽しみだ」
「ん。私も」
頷いた奈子を、浮気くんが抱きしめる。彼の背中に手を回した奈子は、そのまま体温を分かち合うように抱きしめ返す。
普段の浮気くんの匂いではないが、嗅ぎなれた匂いにホッと安心した。
(……ああ、同じボディーソープを使ったからか)
「――――デートするなら、丁度いいイベントがあるわよ?」
浮気くんの匂いと体温を感じていた奈子に、熊谷が再びスマホを操作する。そして、その画面を奈子と浮気くんに見せる。
「……七夕まつり?」
「そうよ。2週間後の土日に開催するの。初デートには丁度いいんじゃない?」
画面には、7月の4日と5日に開催する七夕まつりのホームページが表示されてた。
「アタシでよければ、浴衣の着付けもしてあげるわよ」
「でも、真司くん忙しいんじゃないの」
今日だって元々来る予定はなかったのに、仕事帰りに寄ってくれたのだろう。心配してくれるのはありがたいが、彼に無理をして欲しいわけではなかった。
眉を下げる奈子に、熊谷は立ち上がる。相変わらず目の前に立たれるとすごい迫力だなと思いながら、彼を見上げる。
「確かに忙しいけれど、別に無理なんてしてないわ。アンタを構うのは良い息抜きになってんのよ。だからアタシの楽しみを取らないで頂戴」
「それなら……いいんだけど」
小さく頷いた奈子を見て、熊谷が任せなさいと胸を叩いた。
奈子の手を、浮気くんが握って指を絡めてくる。
「奈子が着るなら、俺も浴衣を着るよ。……2人でデート、楽しもうな」
「うん。楽しみ」
奈子は、浮気くんの手を握り返して彼に笑いかけた。
*
「青春だな」
「あら、じゃあ先輩はアタシと行きますか?」
「……………………遠慮しておきます」




