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第28話 先輩と後輩?

「って、うわ! ちょっとこの子びしょ濡れじゃないっ! どうしたのよ、これ。あっ、貴方もよく見たら濡れてるわね!?」


「池に飛び込んだので……」


「い、池に!? なんで……いやそれよりもシャワーね。着替え貸してあげるから、浴びてきなさい」


「ありがたいですが、俺よりも奈子の方を先に」


 奈子を受け取ろうと差し出された腕をやんわりと断りながら、浮気は彼――熊谷にそう言った。


「この家は風呂場が2つあるの。だから貴方も遠慮しないで入りなさい。――――奈子。奈子、起きて」


 熊谷は、背負われたままの奈子の腕を優しくゆすった。彼女を呼ぶ声が低く、そして優しく響く。


「んう…………あれ、私寝ちゃってた?」


「奈子、気分はどうだ」


「浮気くん? んん、だいじょぶだけど……。あ、真司くん。なんでいるの?」


「なんでって、アンタねえ。……また連絡見てないわね。仕事が早く終わったから、アンタが食べたがってたケーキを買ってきてあげたのよ。それなのにアンタいないし。別に出かけるのはいいけど、連絡には既読くらいつけなさい」


「……ケーキ」


「用意しといてあげるから、まずはシャワーよ」


 そう言って奈子の鼻を摘まむと、熊谷は浮気にそのラメが乗った瞳を向ける。


「浮気くん、だったかしら。奈子も起きたみたいだし、降ろしてやってくれる? ――――それともシャワーまで一緒に入るつもりかしら?」


「……いえ」


 口を開こうとした浮気に対して、そう先手を打った熊谷。彼は降ろされた奈子に自室へ行ってからシャワーを浴びること、そして温まるまで出てこないことを約束させてその背を押した。


「さて、じゃあ案内するからついてきてくれるかしら?」


 振り返った拍子に香る慣れない匂いを嗅ぎながら頷く。そして浮気は、背後で未だ硬直している男に声をかけた。


「飯田先生。いい加減に現実を見たらどうです?」


「いや、お前は何も知らねえからそう言えるんだよ。……あいつが熊谷だと? あんなに小柄で女みてーな声してたのに。ありゃ立派なメスゴリラじゃねえか。いや、メスじゃねえけど」


「どっちでもいいですけど。上がるんですか? それともこの状況を放って帰りますか?」


 浮気の言葉に、飯田は頭を抱えたまま靴を脱ぎだした。


「……………………お邪魔します」


「はあい。どうぞぉ、可愛い後輩をメスゴリラと呼ぶ、飯田セ・ン・パ・イ♡」


「…………すまん」


 背を丸くした飯田と共に、浮気は熊谷の大きな背を追ったのであった。



 *



「それじゃあ、ごゆっくり~」


「ありがとうございます」


 ピシャリと脱衣所の戸を閉める熊谷を見送った浮気は、風呂場の戸を開けた。


「……こちらは来客用で狭いと言ってたが、十分すぎる広さだな」


 自分が足を延ばしても入れそうな湯舟がある風呂場は、決して狭いとは言わない。


 浮気は、熊谷が用意した着替えを棚に置いてため息をつく。服は熊谷が着なくなったもので、下着は封を開けていない新品とのことだったのだが。


「奈子とはどんな関係なんだ……」


 熊谷の言葉通りの兄替わり……いや、姉替わりなのだろうか。少なくとも恋愛関係、それに付随するような関係でないことは2人の空気感でわかったが。


「――――俺は奈子のことをまだ何も知らないんだな」


 この家で1人暮らしをしていることは聞いている。だが、それ以外の詳しい家族事情やこれまでのことはあまり聞いてこなかった。


 奈子自身も無意識なのか、そういった話題を避けているような気がしたからだ。だからこそ、浮気も自分の家庭事情については深く語ることはなかった。


「焦る必要はない……これから1つずつ知っていけば良い」


 自分に言い聞かせるようにそう言って、浮気は服を脱ぎ捨てた。



 *



「はい、どうぞ。今日買って来た、ただのペットボトルのお茶ですけど」


「……ドーモ」


 リビングに通された飯田は、目の前に置かれたコップを見ながらポツリと礼を言った。向かって右側の小さなソファに座った熊谷を、未だに直視することが出来なかった。


 それは、単に彼の恰好が昔と変わっていたからなどではない。恰好は、彼の自由だ。飯田が嫌悪するものでも、評価するものでもない。


(俺が気になっているのは――――)


「で、飯田先輩はなぜここに? 奈子とその彼氏とはどういった関係で?」


「……俺は今、見吉高校で教師をしている。2人は俺のクラスの生徒だ」


「えっ、先輩が先生なんですか!? 昔の貴方からは想像できないですね……」


「おめえに言われたかねえよ」


 口元を覆う指先は長く綺麗に整えられていて、塗られた赤は艶を放っている。容姿や服装だけでなく、動作や所作も昔の熊谷とは別人のようだった。


(いや……でもこの人懐っこそうな顔は変わってねーか)


「ふふ、確かにそうですね。アタシ、今はメイクアップアーティストとして働いてるんです。有難いことに結構忙しくさせてもらっていて……だから、奈子の様子を見に来るのも月に2、3回なんですけど」


「……大木の保護者の欄にお前の名前を見つけた時は、すげえ驚いた」


「宗一郎さん……奈子のお爺さんが亡くなった時に、名乗り出たの。他に彼女の後見人になれそうな人がいなくて。本当はアタシももっと奈子のことを見てあげればいいんだけど、こんな成りしてても男だし。過干渉も良くないだろうって。まあ、仕事で中々顔を出すのも難しいんだけどね」


 長い髪を耳元にかけて嘆く様は、純粋に保護者として子供を心配する大人の姿だった。


 飯田は、コップを傾けて常温の緑茶を口に流し込む。そのほとんどを一気に飲み干してから、話を切り出した。


「熊谷……お前、アイツが今どこで何をしているのかは知っているか?」


「アイツって?」


 目を少し伏せながら問い返す熊谷に、わかってるくせにと内心で舌を打つ。


「俺と同じでお前の先輩だった男――――大木の実の父親のことだ」

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