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第25話 幼女とクマとねこちゃん?

「ねえねえ、王子様のお名前は何て言うの? るりと結婚してくれる?」


「俺は君の王子様なんかじゃない。あと君と結婚もしない。それよりも親御さんはどこだ。まさか1人で来てるんじゃないよな?」


「るりはねえ、るりって言うの! 宝石の名前なんだって!」


「……話を聞いてくれよ」


 ピンク色のワンピースを着てピンク色のリュックを背負った幼女にじゃれつかれながら項垂れる浮気くんを、少し離れた場所から奈子は眺めていた。


(浮気くん、私が触ってなくても失神しないじゃんか……)


 相手が幼女だからなのか、それとも――――。


 鬼のお面をつけたまま2人を眺めている奈子は、自分の胸をワイシャツの上から抑えた。


(なんだか、凄く……痛いし、寒い……)


 照りつける太陽は肌を容赦なく焼いているのに、奈子の心臓は冷凍庫に放り込まれたかのように冷たい。


 そんな奈子の心情など知る由もない幼女――瑠璃は、可愛らしく笑って今度は浮気くんの腕に抱き着いた。抱き着かれた浮気くんもさすがに子供を邪険に出来ないのか、顔を顰めながらも名前を教えて相手してやっている。


 ――――その姿は、本当の兄妹のようにも見えた。


(浮気くん、妹がいるって言ってたな。それに両親と祖父母の関係に憧れているって……本当に、仲の良い家族がいるんだな)


 今も瑠璃を渋々肩車してやっている姿は、どこか手慣れていた。


 その光景は、微笑ましいものなのだろう。その証明に、周囲の人間は2人を見て「可愛らしい兄妹ね」と笑いながら過ぎ去っていく。


 けれど奈子にとっては目を逸らしたいような、もしくは壊してやりたいような……そんな仄暗い感情が芽生える光景だった。


(こんなこと、考えるべきじゃない……)


「もう! うきくんと私はきょうだいじゃないし!」


「まあ、さっき会ったばかりの他人だな」


「たにん? はよくわかんないけど、今は一緒に住んでないからきょうだいじゃない!」


「まあ、間違ってはないな」


 奈子がボウっとしている間に、浮気くんと瑠璃は仲良くしゃがんで会話をしていた。浮気くんの返事が適当だが、瑠璃は返事が返って来るだけで嬉しそうだ。


「……だから、ママのお腹にいる子もきょうだいなんかじゃないもん」


 瑠璃の言葉に、奈子は彼女を見つめた。先ほどまで嬉しそうに浮気くんを見ていたのに、今は目を少し潤ませて下を見ている。――――彼女の母親は、現在妊娠しているらしい。


「なぜそう思う」


「だって……その子が来てからママとパパは、るりとあまり遊んでくれなくなったの。今日だって、本当は一緒にお祭りに来るはずだったのに……はすい、したって」


「病院に行ったのか」


「…………うん。るりはお留守番してなさいって、パパがママを連れて行っちゃった。…………ひぅっ、さ、最近はいつもそうっ。…………っ、るりからママとパパをとる子なんて、家族じゃないっ! そ、それにっママとパパは、る、るりよりもその子の方が大事なんだ! るりのことが嫌いなの! だからっ、家出したの!」


 喋りながら涙を零す瑠璃に、奈子の脳裏に過去の記憶が蘇る。


『お母さん、だいじょうぶ――――?』


『触らないでよっ! 大丈夫? 大丈夫かって!? あんた、私を馬鹿にしてるわけ!? 何であんたにまで心配されて、見下されなきゃいけないのよ!?』


『だ、だって家族だから――――』


『っ、あんたなんて、家族なんかじゃないわよ!! 二度と私に触れないでっ!!』


 振り払われた手の感触。真っ赤な唇から出る拒絶の言葉。


 忘れていたはずの記憶がフラッシュバックする。


 奈子は、自分の額をお面の上から抑えた。


「――――本当に、パパとママは瑠璃を嫌いなのか」


 凛とした声に、奈子は顔を上げる。


 狭い視界の中で、浮気くんが目線を合わせながら瑠璃の肩を掴んで言った。


「ママは今、自分の命を賭けて君の妹か弟を産もうと頑張っている。出産はな、本当に命がけなんだ。俺の母親も妹を産んだ時に一時命が危なかった」


「…………ママ、大丈夫なの?」


 震える声で問う瑠璃の目元を、浮気くんが優しく拭ってやる。瑠璃のことを見る浮気くんの瞳はとても柔らかく、けれどもその声は芯の通ったものだった。


「――――ああ。大丈夫だ。可愛い娘を置いていく母親なんて、どこにもいないさ」


「……ん」


 浮気くんの言葉に安堵したかのように頷く瑠璃。


 ――――それとは反対に、奈子の胸中では嵐が吹き荒れているようだった。


(撮ら、なきゃ……今、撮らなきゃ……いけない気がする)


 奈子は、首から下げていたカメラを持つ。お面を少しずらしてから、構えた。


 ファインダー越しに見える浮気くんと瑠璃。人々が行き交う中で光に照らされた2人を切り取るように、奈子は震える手を必死に抑えてシャッターを切った。


「……これ、ママからもらったの。るりはおねーさんになるから、その練習ねって」


 瑠璃がリュックから取り出したのは、茶色いクマの人形。首元にはピンクのリボンに、瑠璃色の装飾がついていた。


「この宝石ね、るりと同じ名前なんだって。だから、大事にしてねって。……ママとパパもるりのこと、大好きっ、だからっ。るりもおねーさんとして、……あかちゃんをあ、愛してねって」


「……そうか」


「だから! るり、い、家に帰る! か、かえって、ママとパパに……あかちゃんにも! 大好きって言うの!」


「なら、送っていこう。奈子もそれでいいか――――」


 浮気くんが立ち上がって奈子に問いかけた。


 ――――その瞬間、一匹の猫が瑠璃の持っていたクマのぬいぐるみを攫って行った。


「な!?」


「ね、ねこちゃん! クマさん持ってっちゃだめえっ!!」


「あ、おい!? 待て瑠璃!」


 リュックを投げ出して駆け出した瑠璃の小さな背に、浮気くんが叫ぶ。だが、瑠璃はもう猫にしか意識が向いていない。人混みの中、意外にも器用に人を避けて走る瑠璃の姿はもう見失ってしまいそうだ。


「クソッ! 奈子。悪いが、俺は追いかけて――」


「――――浮気くん、カメラ(これ)預かっておいて。私が行った方が速い」


「あ、おい奈子っ!?」


 浮気くんにカメラを投げ渡して、奈子は走り出した。



 *



「きゃっなに?」


「ちょっと!」


「なんなんだよ!?」


「――――すみません! 通してくださいっ」


 模擬店の前に行き交う人を避けて、時にはぶつかりながら、奈子は走る。


 猫はまるでおちょくるように時折後ろを見ながら止まるので、瑠璃は未だ追いかけて走っている。小さくて小回りの利く瑠璃は、面白いくらいにこの人混みの中をスイスイと進んでいく。


(もう! もっと小さくなりたいだなんて、思ったのは初めてだ!)


 奈子は、模擬店のテントの中へと飛び込んだ。


「おい嬢ちゃん、危ないだろうがっ!!」


「ごめんなさいっ!!」


 怒鳴られながらも、奈子の足は止まらない。人が少なくなった道を、速度を上げて走る。


(――――いたっ!)


 開けた視界のおかげで、前を走る瑠璃とその先にいる猫の姿が見えた。


 公園の池のほとりで、猫がぬいぐるみに噛みついている。しかし、少しすると口を離して前足で器用にぬいぐるみをつつく。どうやら、猫は食べ物か何かと勘違いしてぬいぐるみを攫ったらしい。


 だが、足を止めた猫のおかげで奈子は瑠璃に追いつけそうだ。池の周りに咲くあじさいを見るために人がたくさんいるが、幸いにも猫の周りには人も少ない。


「ねこちゃん! クマさん返してえっ」


「きゃあっ、子供!?」


「ちょ、おいっ止まれ! そっちは滑りやすいから――――」


「ッ、フシャーーー!?」


 駆ける瑠璃に驚いた観光客の声に、猫が振り返って威嚇音を出しながら跳びあがる。


 ――――そして、その拍子に猫の前足によってクマのぬいぐるみが宙を舞った。ぬいぐるみは、無情にも重力に従って池の中へと落ちていく。


「だ、だめええええっ!!」


 瑠璃の悲痛な叫びが聞こえる。


『お母さん……どうして、奈子を置いてったの?』


(……どうして、なんてわからない。大人にもなれてない。――――でも、ここで諦めて行動しないなんて……嫌だ!)


 ――――頭に過る幼気な声を振り払って、奈子は暗い水底へ沈んでいく(それ)を追って池へ飛び込んだ。

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