第62話 王と臣下、あるいは父と息子
リュグルス王城の謁見の間。奥の玉座に座るロゼルトがリヴェルを出迎えた。
地の底から湧き出るような、低い声。
「──なぜ、ここに飛ばした?」
「分かりません。咄嗟にここが思い浮かんだのです。──あなたがいる場所はここだと、思っているのでしょう」
ロゼルトは平気なそぶりで戦ってはいたが、セフィリアの攻撃を受け、かなり疲弊していた。致命傷に近い傷を負っていることは自覚していた。
自分に向けて歩み寄るリヴェルと目が合う。その漆黒の瞳を正面に見たロゼルトは、もはや彼の心が自分のもとにはないことを察する。
「なぜだ、お前は私を裏切るのか? 私と共にこの世界を、より良い世界に作り替えるのではなかったのか。お前もこんな世界に、嫌気がさしていたんだろう」
ロゼルトの声は遠雷のようにリヴェルの体の芯に低く響く。
「私は、あなたのことを尊敬しています。しかし、今の私はあなたの理想に賛同することはできない」
リヴェルはまっすぐにロゼルトを見据える。
「我らには我らの、彼らには彼らの、世界が、暮らしがあります。
私は自分の権利を手放すつもりはないが、彼らの権利を奪うこともできない。
それが、どんなに憎くとも、どんなに美しくなくとも、私には奪うことはできないようなのです」
リヴェルの魔力は、ロゼルトを捉えている。もはや、ロゼルトに反撃するだけの気力は残っていなかった。
「それがお前の答えか? やはり、お前は甘いな」
ロゼルトはふっと笑う。
「はい。──そうかもしれません」
リヴェルは力を込める。手が震える。
「しかし、もう決めたのです」
もう、覚悟はできていた。ロゼルトに向けて、魔力を、込める。
「お前ごときに、この私が倒せると?」
ロゼルトの声は穏やかだった。
リヴェルは、迷いなく答える。
「私は、あなたの全てを知っています。──あなたが、そうしたのです」
沈黙がその場を支配する。分厚い絨毯に、豪奢な家具に、全ての音が吸い込まれ、時が進むのをやめたかのようだった。
ロゼルトは静かに言う。
「そうだな。その通りだ。お前に討たれるのであれば、仕方がない。そういう定めなのだろう」
リヴェルの魔力が、ロゼルトに触れる。
「──お前には、私が見えるか?」
固く閉ざされていた彼の魔力が解き放たれ、リヴェルを包んだ。
ロゼルトの元で制御の術を身につけて以降、彼は主人であるロゼルトの魔力に触れることを、自らに禁じていた。
主人の心など、覗くべきではない。
だからロゼルトの奥底にあるものを、彼は本当には知らなかった。
リヴェルはしばらくぶりに、ロゼルトの魔力に触れる。強大な魔力が、溢れるように目の前に流れ込む。目を見開いた。
暖かな色が、リヴェルの目の前に広がる。
初めて触れた時とはまるで違う色の感情。しかし揺らぐことない強さと、その海のような広さは、まさに初めて出会った日にリヴェルが魅せられたロゼルトそのものだった。
冷徹で他人に無関心なロゼルトの心の奥に、こんなものがあったなんて。そばに居ながら、まるで気づいていなかった。
今の彼には分かる。これは、この色は。
──ああ、これは、愛だ。
思わずリヴェルは、忠誠を誓った主人の前に跪く。
これまで何度も、そうしてきたように。
ロゼルトはこれまでずっと、自らの心のうちをひた隠していた。
愛など弱いものの抱く感情。自分がリヴェルに特別な感情を抱いているなどと、だれにも知られてはならぬ。
しかし、自身に付き従い、信頼を寄せるリヴェルに触れるにつれ、息子のように親愛の念を抱くようになるのを止めることはできなかった。
彼はいつでも、リヴェルを静かに見ていた。自分のことを真っ直ぐに見つめる少年のことを。
そしてセフィリアと出会ってからの彼が、少しずつ、感情を取り戻していくのを、どこかで微笑ましく思っていた。
そして彼によって変えられた自分のことを、ロゼルトはどこか好ましくも感じていた。
彼はこれまで、その自分のその感情を認めることはなかったが、確かにそれは、ずっと彼の中に存在していた。
ロゼルトの魔力に包まれ、リヴェルの瞳から一粒の涙がこぼれる。
ただひとり、ロゼルトだけがそれを見ていた。
「お前が、そんな顔をするようになるなんてな」
ロゼルトは微かに微笑み、目を閉じた。その目はもう二度と、開くことはない。
彼は、ロゼルトは、確かに王であった。強さを持って世界を自分の信じる姿に導こうとする、真の王。
全ての責任を自身の身に引き受け、ひとり強さに殉じた、ひとつの時代の象徴。
リヴェルはそのままその場を動くことができなかった。
感情など、持たぬ方が楽だ。感情など持たなければ、このような気持ちにならずに済んだのに。
しかし、今の彼は、苦しみながらも、立ち上がる強さを持っていた。それは確かに、ロゼルトから受け取ったもの。
彼の能力は、他人の感情を見る力。人一倍優しい彼に与えられた義務。
彼の決意は、揺らがない。




