第59話 変わらない世界
「セフィリア様……!?」
セレナスの兵士たちは驚いて突然現れた彼女の姿を見つめる。セフィリアは、どよめく彼らを軽く手を出して宥める。
「目を覚まされたのですか、いつの間に」
「さっきね。……リセル、状況は?」
セフィリアは軽く応じる。
「ずっとこの調子で、断続的に攻撃が。これ以上攻めてくることはありませんが、少しずつ砦の防御も崩れています。
かと言って、追い払おうにも、こちらから攻撃を仕掛ければ、それを口実に王都に本軍が侵攻してくるのは目に見えています。そうなっては王都も壊滅に近いダメージを負うのではと」
「なるほど、膠着状態というわけか。あいつも存外気の長い男だな」
セフィリアは穏やかに目を細める。ぐるりとあたりを見回す。
「わたしが眠っている間に、ずいぶんと、やられてしまったな」
防護結界はあちこちが綻び、砦の壁もひび割れ崩れかけていた。遠くリュグルスの軍勢が見える。国境ギリギリの位置に、陣を張っているらしい。
あの位置からだと、セレナス街区へも睨みを効かせられる。強い魔力に晒され続けて、住民たちも気が気ではないだろう。友好の名の下、リュグルス兵たちが街を訪れてもいるようだ。
セフィリアが国中に施した結界術も揺らぎ、国民の不安を映すように、魔力の流れも不安定になっている。
セフィリアは深呼吸をして、笑みを浮かべる。
「──さて、治療しようか」
穏やかな声と共に、あたりを白銀の光が包む。ふわりと、結界が修復されていく。
兵士たちは、ただその背中に、彼女の放つ光に、この国の中心が戻ってきた、という確信を抱く。
「ああ、懐かしい。セフィリア様の光だ」
誰からともなく、呟く声が聞こえる。
「ハルカ、兵の配置と防衛の再編を頼む。東が弱いな、第二第三部隊を回せるか?
私はこのまま街区へ向かう。住民もみんな、なかなか苦労しているようだね、街も整えてこよう」
ハルカは一瞬目を見開いたが、すぐに力強く頷いた。
「ここの指揮は今まで通りハルカに任せる。リセル、ハルカの補佐を任せたよ──大丈夫、全て問題ない」
彼女の声は静かだったが、確かに全軍に火を灯した。停滞していた流れが再び動き出すように、彼らはテキパキと動く。
セフィリアの魔力が、存在が、そしてその的確な指示が、全ての流れを整えてゆく。
朝の空には雲が流れていた。セフィリアはその空を一瞥すると、噛みしめるように呟く。
「……何も、変わらないな」
セレナス街区へと向かうその足取りには、もはや迷いはなかった。背に吹く風は、重く澄んでいた。
セフィリアがセレナス街区に足を踏み入れると、人々は一斉に彼女を振り返った。
「セフィリア様だ……!」
驚きと安堵の声が小さく広がる。けれど、その中には冷たい視線も混ざっていた。
「どうせまたすぐ、どこかへ行ってしまうんじゃないのか」
「今さら何を……」
信じたい者と、信じきれない者。街の空気は揺れていた。
セフィリアはひとりひとりの声を受け止めるように、瓦礫に膝をつき、負傷者に手をかざす。光が生まれ、痛みが和らいでいく。
「ありがとう……!」
泣きながら縋る子どもを抱き上げ、立ち上がったセフィリアは、次に「遠くから見ているだけの人々」を見つめた。
「私の力で全てを救うことはできない。でも、決して見捨てはしない」
静かな声は街に染み込むように広がった。人々の表情が揺れ動く。感謝の涙を流す者もいれば、まだ疑念を拭えず顔を背ける者もいた。
その両方を等しく見守るセフィリアの姿が、確かにそこにあった。
街の灯がひとつ、またひとつと灯り始める。その光を背に受けて歩き出すセフィリアの足取りは、淡々としていた。
***
彼女が城に戻ったのは、夜が過ぎ、空が白み始めた頃だった。
「セフィ……気がついたのね、セレナスに出てたって聞いたけど」
部屋に戻ったセフィリアに、エレニアは躊躇いがちに声をかける。
「エリ、来てくれたのか」
「……ええ、あなたを裏切った私の顔なんて、見たくもないかも知れないけれど。
わたしは、それでもあなたに会いたかった。もう一度会いたかったの。ごめんなさい」
彼女は頭を下げる。
「やめてくれ、謝ることじゃない、エリは何も悪くない。──こちらこそ、エリはもう、臆病な私のことを見限ったのだと思っていた」
「もう、そういうのはやめて? 私のこと、恨んだっていいんだから。いいえ、あなたは恨むべきよ」
エレニアは首を振る。
しかしそれに応えるセフィリアの声はやはり穏やかだった。
「強がりなんかじゃない。本心だよ。──そもそも、先にお前の信頼を裏切ったのは私だ。
お前を失いたくないばかりに、何も見えていなかった。そのせいで、永遠に失うところだった」
「あなたは、やっぱり変わらないわね。でも私は変わった。……もう一度、友達になれるかしら」
エレニアは躊躇いがちに尋ねる。
セフィリアは嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、きっとなれる。
──ところで、エリ、」
セフィリアは言い淀む。視線が泳ぐ。
「その……もう、倒れそう、なんだ。全身が、痛い。治療を、頼めるかな。──私は寝る」
エレニアは目を見開いた。
「……もちろんよ!」
彼女は満開の花のような笑顔でそう答える。
セフィリアが目を閉じると、エレニアはそっと椅子に腰を下ろし、微笑んだまま、静かに彼女の手を取った。




