第53話 歪んだ静寂
セフィリアを失ったウェルリスの王城にも、それ以前と変わらず時が流れていた。日々の業務は滞りなく進む。目に見える綻びはどこにもなかった。
しかしどこか何かが噛み合わないような、何かが欠けているような、そんな感覚を誰もが抱えている。それでも、その感覚を意識する暇もなく、毎日が、慌ただしく過ぎていく。
ゼドはエレニアの補佐として、これまで以上に忙しく国中を飛び回っていた。やるべきことは、いくらでもあった。
久々に城に戻ったゼドが廊下を歩いていると、慌てた様子でライトが駆け寄ってくる。
「ゼド様!ゼド様!いらしたのですね、ちょうど良かった!」
「落ち着け、どうしたんだそんなに慌てて」
「落ち着いてなんていられません!」
彼はゼドに顔を寄せ、耳打ちする。ゼドは驚いた声を上げた。
「セフィリア様が? 城に?」
彼は戸惑い、珍しくその顔に驚きの表情を浮かべる。ライトはしっかりと頷いた。
「はい、意識を失って、城の中にお倒れで。取り急ぎ、自室にお運びしました。まだ生きておいでです ――ただ、意識が戻る様子はなく、今は部屋で眠っておられます」
「なんと……どういうことだ? 何かの罠か?」
ゼドは考えを巡らせる。罠である可能性は捨てきれない。そうでなければ、なぜ今、彼女が突然戻ってくるなどということが起きたのか?
そして罠でないとしても、今のこの国の国民に、彼女が戻ったことがすんなりと受け入れられるとも思えなかった。
「しばらくこのことは秘密にする。誰にも言うな。――エレニア様には、私から伝える」
早まる鼓動を抑え、努めて冷静に告げる。
願いが、叶えられたのだろうか。俺はもう一度、チャンスを与えられたのか――?
ゼドは判断をつけかねていた。
***
「リヴェル、お前が、逃したのか?」
冷たい謁見の間で、ロゼルトは問い詰める。その瞳は刃物のようにギラリと光っていた。
「何の、ことでしょう?」
リヴェルは戸惑った様子で問い返す。本当に何のことかわからない、という顔だった。
なるほど、やはりこいつが故意に裏切ったわけではない、とロゼルトは確信する。
「――あの女の姿がないようだ」
リヴェルは戸惑いを見せる。
「死んだ、ということでは?」
「いや、あいつはまだ生きている。私の封印があいつの存在を感じている。どこに消えたかと思っていたが、どうやらあいつは自分の城に戻ったらしい」
リヴェルが手引きしたというのでないのなら、自ら転移したということになる。意識がなくとも戻るほど、よっぽどあの城に思い入れがあったということか。
どこまでも、執念深い奴だ。ロゼルトは眉間に皺を寄せる。
「……私は確かに、薬の魔法の発動を確認しました。いくらあいつでもまさかあれを……」
生きている? あいつが? リヴェルは鼓動が早くなるのを感じる。何だ、この感覚は?
「私の魔力が戻らんのだ。あの女は今のところ戦えるような状態ではないし、目を覚ますことも当分なかろうが、厄介だな」
「……申し訳、ありません」
リヴェルは無秩序に跳ねる心を必死に押さえつけ、落ち着いた声で応える。
ロゼルトは、そんなリヴェルの表情を静かに見つめていた。自分の息子同然に育ててきた男の、表情を。
「構わん、あいつがいないことには変わりない。計画通り進める。お前は、しばらく休んでいろ」
***
「ロゼルト様。戻りました」
ニナは謁見の間で跪いた。冷たく澄んだ声が響く。
「ダレンの街でも、暴動が。エレニアが収め小競り合いに終わりましたが、あの様子だと近々またどこかで争いが起きるのは必至でしょう」
彼女はウェルリス駐在軍の管理を任されていた。適切な場所に、適切な人数を配置する。少しずつ、ウェルリスの国民の不安を煽り不満を溜める。
「ご苦労、ニナ。こういう策にはお前が一番役に立ってくれる」
「もったいないお言葉でございます」
ロゼルトは彼女に顔をあげるよう促す。
「そろそろ彼の国の住民にもだいぶ不満が溜まってきた頃だろう。これまでの戦いで統治システムも弱体化している。
カリスマと捌け口を同時に失った彼らがおとなしくまとまっているとは思えん」
彼は言った。
「思ったよりは良くやっているようだが、あの女の手腕ではそう持つまい。
あとは向こうから仕掛けてくれるのを待つだけ。くれぐれも、こちらから手は出すなよ」
ロゼルトの声は、広い謁見の間に低く甘く満ちる。ニナはその深い波に包まれ、背筋を伸ばす。
「ロゼルト様はやはり意地が悪くていらっしゃる」
「巧妙だと言ってくれ」
ロゼルトは眉を上げる。
「失礼いたしました。──ところで、この頃リヴェルの姿を見ませんが」
気に食わないやつだが、これまでこのような作戦で策略を任されるのはいつも彼だった。
「仲が良かったか?」
「いえ、そういうわけでは……。もっとも、あの者と仲がいい人間などいなかったでしょうが」
ロゼルトは目を伏せる。
「あいつは少し休ませる。お前が気にすることではない」
「……分かりました」
ロゼルトの信頼を失ったわけではないようだ、とニナは考える。
休ませる、などとあのロゼルトが言うなんて、想像もしていなかった。やはり彼はお気に入り、か。
「もう下がってよい。この調子で頼む」
ニナが一礼して部屋を辞し、ロゼルトはがらんと広い部屋でひとり玉座に座る。
セフィリア。この様子だとしばらく目覚めることはない。このまま進めれば計画は完遂できる、だろう。しかし──
リヴェルのことが、気がかりだった。果たして、あいつをどうしたものか。ロゼルトは思案する。目を強く瞑る。答えは出なかった。




