エピソード2:事実①
カレンダーが1枚少なくなり、9月に突入した平日の昼下がり。
私立秀麗中学校の廊下を夏服姿で歩く名杙心愛は、日直の仕事を済ませるために職員室へ向かっていた。
夏休みも終わり、ここからは様々なイベントが続く。クラスの一員として、生徒会の一員として、どれも手を抜くことなくやり遂げたいと思う。
加えてユカの異変も間近で見たことで、自身の影響力と、『縁故』という仕事の代償についても、更に強く実感することが出来た。秋には『中級縁故』の試験も控えているため、気を抜くことも出来ない。今日も放課後に一件対応があるため、後輩に先輩らしいところを見せなければ。
「……頑張らなきゃなぁ」
ツインテールを揺らした心愛が1人小さくガッツポーズをして、職員室の扉へ……中から出てきた生徒の横顔に見覚えがあり、思わず目を見開く。
そんな心愛の視線に気付いた彼女もまた、心愛を見つけて穏やかに微笑んだ。
「こんにちは名杙さん」
「阿部会長、こんにちは」
心愛が会釈をした先にいたのは、生徒会長の阿部倫子。暑い日が続いているので髪の毛を首の下で軽く結っており、夏服をきっちり着こなしている。右手に何か書類を持ったまま、背筋を伸ばした立ち姿で会釈され、心愛も慌てて居住まいを正した。
「阿部会長も職員室に用事ですか?」
「そうなの。今月の野外活動許可をね。今回は名杙先生の引率になるから、私が書類を出しておいたの」
「野外活動、ですか?」
覚えのない言葉に、心愛が首をかしげる。彼女が『名杙先生』と言うということは、兄の統治が関わっている生徒会活動のことだろう。
心愛の反応に倫子は不意に目を細めると……少しだけ遠くを見つめた後、息を吐いた。
「詳しいことは、今日の放課後に説明するけれど……今月下旬、生徒会活動の一環で、外部のワークショップに参加することになったの」
「あ、そうなんですね。どこまで行くんですか?」
これまでにも他の中学校との交流や、系列高校との親睦会もあった。心愛がその流れで尋ねると、倫子は意外な行き先を告げる。
「今回は……富谷市に開業した、透名内科・小児科医院よ」
「えっ……!?」
選択肢に一切なかった名前が出たことで、心愛が思わず目を大きく見開いて倫子を見つめる。
視線の先にいる彼女は……何かを決意したような、そんな強い眼差しに感じた。
時間が進んで、時刻は16時を過ぎた頃。
久しぶりに『仙台支局』に顔を出した片倉華蓮は、衝立を超えた先にある事務スペースに顔を出して軽く頭を下げた。そして、全員の視線を集めたまま政宗の席へと近づくと、椅子に座って事務処理をしていた彼の隣に立つ。
今日の華蓮はショートボブのウィッグと赤いフレームの眼鏡、七分袖のロングカーディガンの下に白いシャツとモスグリーンのワイドパンツ、足元はコンバースの黒いスニーカーという出で立ち。
右肩にかけたトートバックの持ち手を握った彼女は、そのまま深く頭を下げた。
「この度は……ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
彼女が出勤するのは、約2週間ぶりだった。8月の1週間は謹慎で外に出ることが出来ず、謹慎解除後も学校が始まったこともあって、ちゃんとした時間を確保することが出来なかったから。
政宗は椅子を動かすと彼女の方へ向き直り、「頭を上げて」と声をかける。
そして、その場に立ち上がると……頭を上げた彼女を見下ろして、淡々と言葉をかける。
「終わったことはしょうがないから、これから仕事で挽回してくれればいいよ。改めて宜しくね、片倉さん」
「はい、宜しくお願いします」
文字通りの業務連絡を終えた華蓮が、もう一度頭を下げて自分の席へ――政宗とユカの間の席へ。瑞希が増えたことで机の配置も変わっており、今まで即席だった華蓮の机も、他のメンバーと同じ様式になっている。
華蓮が引き出しの中身などを確認していると、彼女の前に座っていた瑞希が意を決して立ち上がった。そして、パンプスの音を響かせながら両手に複数の茶封筒を持つと、ぎこちない動きで華蓮の隣へ近づいてくる。
「あ、あのっ……!! か、片倉さん!!」
華蓮は立ち上がって瑞希と視線をあわせ、先ほどと同様に頭を下げる。
「支倉さん、この度は大変ご迷惑をおかけしました」
「えっ!? いえ、私はその……あ、えっとこれ、先月分の報告書です。とりまとめをお願い出来ますか?」
「分かりました」
瑞希から封筒を受け取った華蓮は、用事が終わっても自分の席に戻らない瑞希に、何事かと首をかしげた。
「あの……何か?」
「ひぇっ!? あ、いえその……な、ななな何でもないです!! 宜しくお願いしますっ!!」
我に返った瑞希が踵を返して自席へ戻る様子を見つめながら、華蓮も椅子に座り直して……封筒から書類を引っ張り出した。
その後、全員がそれぞれに仕事をしていると……来客を知らせるインターフォンの音が鳴り響いた。
今月から来客対応も任されている瑞希が、自席に設置された電話機の受話器を取り、相手を確認する。
「あっ、お、お疲れ様です……ちょ、ちょっと待っててくださいねっ!!」
電話に対して頭を下げた瑞希が、受話器を置いて扉の方へ小走りに移動した。ほぼ同時に政宗が壁にかかった時計を見上げ、「もうこんな時間か……」と呟いて立ち上がる。
そして机の脇にかけたビジネスバックを手に持って歩き出し、統治の後ろで足を止めた。
「統治、外で1件対応してくる。何か買ってくるものはあるか?」
「いや、特にないな」
「ケッカと片倉さんも、特に不足してるものはない?」
横並びの2人がそれぞれに頭を振ったことを確認した政宗は、「じゃ、行ってきます」と言い残して衝立の向こうへ消えた。向こう側では心愛らしき甲高い声と、環らしきダウナーな少年声が政宗へ挨拶を交わしているのが漏れ聞こえる。
「じゃあ支倉さん、後は宜しくね」
「わっ、分かりました!! お気をつけてっ……!!」
程なくして扉の閉まる音が聞こえ、複数の足音が遠ざかっていった。扉に施錠した瑞希がヨタヨタと戻ってきて、自分の席に座り……息を吐く。
華蓮は内心、今回の付き添いは、心愛の研修担当であるユカじゃないのか、と、思いつつ……自分には関係のないことなので、目の前の仕事に意識を集中させた。
政宗が出てから小一時間ほど経過した頃、8月分の実績を確認していた華蓮は……福岡支局からの応援に関する内容に、顔をしかめた。
華蓮は十数秒悩んだ後……椅子を少し移動させて、ユカの方に近づく。
今日のユカは頭にいつものキャスケットをかぶり、薄手のパーカーの下に膝丈のチュニック、足元はレギンスとスニーカーという装いで、届いた郵便物の仕分けをしているところだった。
「山本さん、すいません……ちょっと、よろしいですか?」
「ん? 片倉さん、どげんしたと?」
顔を上げたユカに、華蓮は手元の書類を見せた。
「福岡支局の皆さんの、名前と所属……あと、福岡支局の住所と代表番号がこれでいいかどうか、確認していただけませんか?」
「あ、うん分かった。ちょっと待っとってね……」
ユカは一度手を止めて、華蓮から受け取った書類に目を通した。
そして、内容に問題がないことを確認してから、座ったままで華蓮を見上げる。
「うん、これで問題なかよ」
「ありがとうございます。そういえば……先程のお仕事、山本さんの担当ではなかったんですね」
「え?」
「いえ、その……心愛さんと森さんの研修の一環であれば、山本さんが付き添うのかと思っていたので」
「あぁ……」
華蓮の質問の意図を察したユカは、苦笑いでため息をついた。そして……統治が止めないことを確認してから、自分の目を指差す。
「今、ちょっと……『縁故』の能力が使えんけんね」
「え……!?」
予想していたよりもずっと悪い結果に、眼鏡の奥の瞳が軽く見開かれた。
ユカは自分の目を指差して……肩をすくめる。
「いや、多分、無理やり回路を繋げば使えると思うっちゃけど……伊達先生と政宗から禁止されとるけんね。だからしばらくは、『仙台支局』で電話番と事務仕事ってわけ。福岡への報告書も作らんといかんけんね」
「そうだったんですか……よく知りもせずに、失礼しました」
華蓮はそう言って頭を下げると、静かに自分の席の方へ椅子を動かした。
そんな華蓮の様子を横目で見ていたユカは、目立って変わらない彼女に、内心、安堵の息をついていた。
華蓮が――蓮が、名杙本家で大きな問題を起こしたと聞いた時は、4月の事件の再来かと思ったことは否定出来ない。そして、その計画を破綻させた自分も報復対象になるのではないか……と、多少なりとも不安だったことは事実だから。
同時に目の問題が発覚して、蓮のことは頭から抜けていたけれど……でも、今日、こうして華蓮として会ってみると、以前と変わらないことがよく分かる。
蓮の中では、この約2週間の間に、色々と変化があったと思うけど。
それらを押し殺して、普段どおりの『片倉華蓮』でいてくれることは、素直にありがたいと思っていた。
「ん……?」
そう思いながらユカが郵便物を確認していると、その中の一通に、奇妙な宛名のものを見つけた。
「これ……なして?」
ユカは定形内の茶封筒を持って立ち上がると、統治の席へ移動する。そして、「ちょっとこっちで話してよか?」と、彼を衝立の向こうへ誘った。
ユカに続いて席を立った統治は、瑞希と華蓮に「何かあったら声をかけてくれ」と言い残し、スマートフォンを持って衝立の向こうに移動する。
「山本、どうかしたのか?」
「いや……これ、何か聞いとる?」
ユカは統治に向けて、『仙台支局』宛に届いていた封筒を差し出した。
宛名は――片倉華蓮、送り主は、透名櫻子。
櫻子の名前を見つけた統治が、軽く目を見開いた。
「すまない、俺も何も聞いていないんだが……ちょっと、彼女に確認をとってみる。山本は開封して、内容を確認してくれ」
「え? あたしが開けてよかと?」
「個人の住所ではなく『仙台支局』に届いている時点で、業務上の伝達だと考えるのが自然だ。俺は本当に彼女が送ったものなのかを確認しておく」
「分かった」
ユカが封筒を開く隣で、統治は電話をかけ始めた。程なくして繋がった様子で、彼は声を潜めながら入り口付近へ移動している。
ユカはユカで、中身は一体なんだろうと思いながら開いてみると……中から三つ折りにされた、単色刷りのチラシが出てきた。
「なんこれ……」
開いて内容を確認してみると、9月中旬に開催されるというワークショップの詳細が記載されていた。そういえば先日、里穂や仁義からそういう話を聞いたような気がする。
どうして華蓮宛てなのだろう、と、首を傾げたユカは……詳細を読み進めて、1人、納得するしかなかった。
「なるほど……これは確かに、片倉さんしか参加出来んね」
程なくして、電話を終えた統治が戻ってくる。そして、ユカを見下ろして結果を報告した。
「電話で確認した。伊達先生の許可をとって、彼女が送ったものに違いない」
「そうやったんやね。あ、内容なんやけど……」
ユカに中身を手渡された統治もまた、ざっと内容を確認して……肩の力を抜く。
「なるほどな……しかし、参加するだろうか」
「それは本人にしか分からんけど……これ、見せてよか?」
「構わないと思う。参加するかどうかは本人が決めることだ」
中身を返却した統治が頷いたことで、ユカが自席に戻ろうとした次の瞬間――入り口が開き、政宗、心愛、環の3人が顔を出す。
政宗は立ち話をしていた2人に気付き、何事かと首を傾げた。
「ケッカ、それに統治……何かあったのか?」
「あ、うん、それがね……」
丁度良かったと、ユカが政宗へ、櫻子から届いた郵便物について報告する。その間に統治は心愛と環を応接用の椅子に誘導し、瑞希が持ってきた業務報告の記載を促した。
「おっ、お疲れ様ですっ……!! これの記載をお願いします!!」
「……ん」
コクリと頷いた環が、カバンから筆箱を取り出してサラサラと内容を埋めていく。
そんな彼に焦りを感じた心愛もまた、カバンから筆箱を取り出して、意気揚々とシャープペンシルを握った。
「こっ、心愛だって、ちゃんと書けるんだから!!」
「……張り合うようなもんじゃなくね?」
「いいのっ!! 森くんには負けたくないんだから!!」
「いや、だからさぁ……」
ムキになる心愛へジト目を向ける環を、瑞希がワタワタしながら見守っている。
一方、ユカから報告を受けた政宗は「ふむ……」と、顎に手を添えて思案した後、内容を確認して頷いた。
「これは、本人に渡して問題ないと思う。伊達先生も事前に言っててくれるといいのにな」
「忙しかったっちゃろうね……うん、分かった。確認ありがとね」
彼女の言葉に政宗は頷いた後、ユカより先に衝立を超えて事務所の方へと足を踏み出した。
そして……自分の席に荷物を置くと、1人で仕事をしている華蓮へ目線を向ける。視線を向けられた華蓮が顔を上げたことを確認した政宗は、開口一番、こんなことを口にした。
「片倉さん、突然なんだけど……明日の午後、君に会いたいと言っている人がいるんだ」
「は……?」
唐突な申し出に、華蓮は思わず目を丸くして彼を見つめる。そして、露骨に眉をひそめた。
華蓮に――こんな、作り物の自分に会いたい人物など、いるはずがないのだから。
「佐藤支局長、いきなり何をおっしゃっているんですか? そもそも私に来客なんているはずが……」
「そうだね、厳密に言うと『君じゃない』、名波蓮君の方なんだけど」
「益々分かりません。一体誰ですか?」
『仙台支局』では、名波蓮でいることを許されていない。だからこそ蓮への取次などあるはずがないし、そもそも華蓮でいることを強要している政宗がこんな話をするのも、おかしな話なのだ。
どこか不機嫌に問いかける華蓮へ、政宗は淡々と返答する。
「茂庭涼子さん……旧姓は支倉涼子さん、支倉瑞希さんのお姉さんだね」
「はぁ……同僚への挨拶、ってわけでもないんでしょう?」
「勿論。涼子さんは、名波華さんの大学の後輩なんだ。同じサークルで活動していた人物でもある」
「っ!?」
予想外の繋がりに、華蓮は初めて極限まで目を見開いた。
そんな彼女の反応も想定内だった政宗は、終始どこか事務的に言葉を続ける。
「涼子さんが、『名波華』さんの身内と話をしてみたいって言ってるそうでね。お世話になってる万吏さんからの頼みでもあるし……蓮君として明日のアルバイトの時間、そっちに行ってほしいんだ」




