エピソード2:事実②
その翌日――夕方、時刻は17時になろうかという頃。
蓮は政宗に付き添われ、仙台駅に隣接した駅ビルの中にある大手コーヒーショップの店内、中でも特に奥まった位置にある2人がけの席に、向かい合って座っていた。
蓮の前には琥珀色のアイスティー、政宗の前にはドリップコーヒーがある。当然だが『名波蓮』としての私服で、襟のついた無地のシャツとカーゴパンツという出で立ち。本来の姿でありながら、終始どこか落ち着かない彼に……スーツの上着を脱いでいる政宗は、軽く笑いながらリラックスを促す。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。涼子さんは優しい人だし、俺と万吏さんは席を外すから」
こう言ってしたり顔でコーヒーをすする政宗に、蓮は嫌悪感を隠さずに吐き捨てる。
「……貴方に今の僕の気持ちなんか分かりませんよ」
そう呟いた後、ストローでコップの中身を少しすすった。そして、改めて……自分がここにいる理由を問いただす。
「そもそも、どうして僕のことが茂庭さんに知られたんですか? 職場では『名波』を名乗らせてもらえないんですけどね」
「俺も万吏さんから電話で簡単に聞いただけだけど……少し前、里穂ちゃんが電話で名波君の話をしているのを、涼子さんが偶然聞いてしまったらしいんだ。それで、名倉さんの……里穂ちゃんのお母さんの判断もあって、蓮君と里穂ちゃん、そして、蓮君と俺が知り合いだってことを、涼子さんに伝えたそうだよ」
「……そうでしたか」
「涼子さんは、華さんがバッシングされていたことをとても気に病んでいたそうでね、蓮君のことも心配して――」
「――そんな心配、今更……迷惑なだけですよ」
政宗の言葉を遮り、蓮は強い口調でこう言った。
そして、今の言動を諌めようとする政宗を睨みつけ……淡々と言葉を続ける。
「あの時……姉さんと同じ大学、サークルだったという人は、誰一人として僕に連絡をとって来ませんでした。誰一人です。来たのは姉さんをバッシングしたい野次馬と、あら捜しをしていたマスコミだけです」
未曾有の災害が発生して、混乱していたことは分かる。蓮自身もあの災害で生き延びたことは、本当に運が良かったことだと思っているから。
だからこそ……華が謂れのない誹謗中傷でバッシングされた時、生き延びたのことを後悔するほど辛かった。
そして、そんな彼の心情を理解してくれる人、理解しようとしてくれる人は……誰も、いなかったのだ。
何かを思い出したのか、蓮の表情が目に見えて曇る。蓮は自分の中に居座る過去を振りほどくように頭を振った後、もう一度アイスティーを飲んで……ため息をついた。
「それが4年も経過した今、偶然見つけただけの僕に……何を言うつもりなんだか」
「……そっか」
政宗が言いかけた言葉をコーヒーと一緒に飲み込んだ次の瞬間――2人の席を目指して歩いてくる人の気配があった。
飲み物を乗せたトレイを持っているスーツ姿の万吏に伴われて、蓮の前に姿を見せた涼子は、七分袖の白いカーディガンに紺色のワンピースを着用しており、政宗と蓮に気づいて軽く頭を下げた。
顔を上げた涼子の表情には、緊張が見え隠れしている。それに気付いた万吏が彼女より前に出ると、2人へと率先して話しかけ始めた。
「政宗君、そして名波君……今日は、ありがとね」
蓮は「いえ……」と呟いて、視線をそらす。彼の代わりに政宗が2人を見つめて、声のトーンを上げた。
「万吏さん、涼子さん、お疲れ様です。そういえば……万吏さんも、名波君とは初めてですか?」
この問いかけに、万吏は首を横にふる。
「いや、前に一度、伊達ちゃんの部屋の近くで会ったことがあるよね?」
こう言って、立っている万吏が蓮を見下ろすと、彼は「そうですね」と呟いた後、口をふさぐようにアイスティーのストローを咥えた。
その様子を見た万吏は、何か言いかけた言葉を飲み込むと……政宗に視線で離席を促した。同意した政宗は、自分の分のコーヒーを持って立ち上がると、涼子へと席を譲る。そして、蓮を見下ろして声をかけた。
「じゃあ蓮君、俺達は少し離れた場所にいるからね」
「……分かりました」
政宗の方を見ないまま、どこか憮然とした口調で蓮が首肯する。そんな彼にため息をつきながら、政宗は万吏と共に、少し離れた席へと店内を移動していった。
そして代わりに……涼子が、蓮の正面へオズオズと腰を下ろす。そして、手元のアイスコーヒーを一口すすってから……蓮に向けて、深々と頭を下げた。
「初めまして、茂庭涼子です。今日は……その、本当に突然だったのに、時間を作ってくれてありがとうございます」
「……どうも、初めまして。名波蓮です」
かろうじて視線を上げた蓮は、涼子を探るように見つめながら自己紹介をする。『名波』と名乗った瞬間、彼女が息をのんだ音が聞こえたけれど、特に気にしないフリをしてストローに口をつけた。
目の前にいた女性は、どこまでも穏やかで、柔らかい雰囲気を纏っている。
万吏の結婚相手ということで、彼と横並びで対等に歩けるような、癖の強い女性なのかと思っていた。しかし、会って数秒で確信出来るほど、相手の警戒心を緩めてしまう優しい空気感。これは狙って醸し出せるものではない。彼女が生まれ持っている素質だと心の底から思う。
そんな……自分とも華とも違う人物が、一体何の用事だろう。
「茂庭さん、その……僕に今更、何の用事ですか?」
「今更……本当に、そうですよね」
蓮の言葉を涼子がどこか自嘲気味に繰り返した。そして、発言を気にする蓮に苦笑いを向けると、彼と会いたかった理由を告げる。
「災害直後の華さんのことは……しばらくしてからニュースで知りました。まさか、あんなことになっていたなんて……私、避難所にいたこともあって、何も知らないままで……」
「そうなんですね……」
蓮は、涼子と瑞希が姉妹であることを思い出した。瑞希は今でも石巻から通っているため、涼子もまた、石巻で生まれ育ち、今もそこに住んでいるのだろう。
確かにあの土地は、先の災害で甚大な被害を被った。県内で最も酷かったと言っても過言ではない。涼子がどこまであの災害に振り回されたのかは分からないけれど、きっと、目の前の彼女も大変な経験をして、今、この場に座っているのだろう。
ただ――
それが、どうした?
涼子がどれだけ九死一生の経験をしていようが、それは、今の蓮やこの状況とは直接関係ないと思う。
自分が大変だったから、4年間連絡を取れなかった。
それは全て、彼女の都合だ。
「華さんのご実家も津波で流されてしまって、親族の方とは連絡が取れないと思っていました。それがまさか、里穂ちゃんのお知り合いに、華さんの親族の方がいらっしゃったなんて……!!」
「そうだったんですね……」
蓮は適度に相槌をうちながら、要領を得ない涼子の言葉に少しだけ退屈していた。
華の話が聞けるかもしれないと思って、朝から心が落ち着かなかったことは否定しない。
ただ、目の前にいる女性から、どれだけ自分が聞きたい話を聞くことが出来るのだろうか。
少しぬるくなったアイスティーをすすりながら、蓮がどうしたものかと思案していると……そんな彼の様子を見ていた涼子が、オズオズと問いかける。
「あ、あの……名波さん、華さんはまだ、見つかっていないんですよね?」
「そうですね……姉さんはまだ、行方不明のままです」
「姉さん……?」
刹那、蓮の言葉を、涼子が戸惑いと共に反すうすした。
そんな彼女の反応が、今の蓮には苛立ちの種になってしまい、口調に棘を含んで問い返す。
「僕の言葉に、何か?」
蓮の言葉に涼子は慌てて居住まいを正すと、何の躊躇いもなく、どこか嬉しそうに言葉を続けた。
「いえ、あの……華さんは一人っ子で、姉弟はいないと聞いていたので、お姉さんと呼ぶくらい、親しいご親戚だったんですね」
呼吸が、止まった。
心臓を鷲掴みにされたような息苦しさは、そのまま事切れてしまいたいと思うほど強烈で。
――涼子の言葉に、現実を思い知らされる。
華に弟は、いない。
本人が生前にそう言っていたそうだ。その情報はとても『正しい』。
厳密に言うと、血の繋がった弟はいるけれど……それは、自分ではない。
そう、『名波蓮』は、名波華の弟『ではない』のだ。
冷水をかぶせられたような気分のまま、蓮は動揺を必死に心の奥へ押し戻しながら、彼女の言葉を肯定するための言葉を探す。
涼子の言葉から察するに、華は大学で自分のことは一切話をしていないのだろう。当たり前か。
だって、2人は――他人なのだから。
それが、事実だ。
「そう、ですね……華さんは僕のことを、とても可愛がってくれていたので、姉のように慕っていました。その名残が今でも……紛らわしくてすいません」
『華さん』――彼女のことをそう呼ぶのは、もしかしたら初めてかもしれない。
ここで『親しかった親類』として、『姉さん』と呼び続けても良かったとは思うけれど……でも、生前の華が姉弟の存在も、自分が親しくしていた親族のことも、外部には何も発信していなかったのだ。
だったら、ここで蓮が『姉さん』と呼ぶのは……おこがましい。
そう言った後、蓮が軽く頭を下げると、涼子はどこか安心したような表情で蓮を見つめ、彼の言葉に同意した。
「そうだったんですね……でも、その気持ちは分かります。華さんはとても面倒見が良くて、でもそれがちっとも押し付けがましくなくて……憧れていました」
涼子の言葉に蓮は適切に頷きながら、彼女に向けた棘だらけの言葉を口に出さないよう、膝の上で両手を握りしめた。
そんなこと、言われなくても知っている。
誰よりも近くで、彼女のことを見てきたのだから。
彼女に救われ、その死を受け入れられず……焦がれ、求めて、自分の命すら賭けて戦いを挑んだのだ。
4年間何もしなかった彼女とは、違う。
心の中が、久しぶりに――温度を無くしたような感覚があった。
蓮は涼子を見つめ、アイスティーを一口すすってから……そこから続く彼女の言葉を全肯定する。
今の彼女が求めているのは、思い出の共有ではなく、彼女自身への共感だと感じた。
生前の華を知っている蓮と話をすることで、彼女自身の4年間を整理して、区切りをつけたいのだろう。
そういうことは大学の同級生と集まった時にやってくれよと思わなくもないが、気心が知れている相手だからこそ、言えない事があるのもまた事実。
「そうですね、華さんは……僕にとっても、憧れ、『でした』」
そう、蓮が華に憧れていたこと、それは事実。
そして――それが、全て、過去のことだったことも。
「どうして亡くなったのか、あんな報じられ方をされてしまったのか、親族として……未だに信じられないことも……あります」
――彼女の『弟』になれる日は、来ない。
誰よりも分かっていたはずなのに、ずっと目をそらしていた。
彼女の側にいることで、『姉さん』と呼ぶことを許されただけで、血の繋がり以上の絆を感じていた。
家族がいる人間には、絶対に理解出来ない感情だ。
蓮は静かにアイスティーを飲み干すと、涼子を見つめて……薄く嗤った。
「今日、支倉さんとお会い出来て……華さんがちゃんと信頼されていたことが分かって、本当に良かったです」
その言葉が、どこまで彼の本心なのか――今の涼子は、何も気付けないまま。
彼女が「こちらこそ、ありがとうございます」と言って頭を下げる姿を、蓮は静かに見つめていた。




