エピソード2:事実③
「――これが、当日の段取りよ。集合に遅れないよう、各自が時間を守って行動してね」
蓮が涼子と顔を合わせた翌週、時刻は間もなく17時になろうかという頃合い。
生徒会が活動している北棟3階の空き教室に、倫子を含めた4人が勢揃いしていた。なお、新しく入った1年生は学年集会のため、まだこの場に合流していない。
全員が椅子を内側に向けて、円を描くように腰を下ろしている。注目を集めている倫子もまた、手元の資料を読み返して……言い忘れがないことを確認し、ほっと胸をなでおろした。
心愛も手元の資料を確認しつつ、今度開催される櫻子主催のワークショップについて、改めて思いを馳せる。
あの災害の時は、小学生で……名杙家は塩釜でも高い位置にあるため、津波の直接的な被害はなかった。
ただ、停電と水道の復旧には、少し時間がかかってしまい……満足にお風呂へ入ることも出来ず、気持ち悪いと駄々をこねたことを覚えている。
あの災害を、目の当たりにしたはずなのに。
当事者意識があまり高くないのは、きっと――自分以上に直接的な被害を受けた人を、何人も知っているから。
心愛がそう思って息を吐いた次の瞬間、右隣に座っていた環が、心愛の肩を人差し指で叩いた。そして――
「……名杙、時間」
「えっ!?」
環の指摘で我に返り、壁にかかっている時計を見上げる。そして――すっかり移動開始予定時間を過ぎていることに気が付き、慌てて荷物をまとめ始めた。
「ごっ、ごめんなさい阿部会長、心愛、今日はこれから……!!」
「分かったわ。雨が降る前に移動した方がいいと思うから……気をつけてね」
「スイマセン!! お疲れ様です!!」
ツインテールを揺らしてカバンを持った心愛に、眼の前に居た副会長の島田勝利が右手親指を突き立てて、彼女への伝言を口にした。
「名杙さん、政宗さんに宜しくね!! あと、変な人にはついていっちゃダメだよー!!」
「それ言う順番逆じゃないですか!? あぁもういいや、お疲れ様でしたーっ!!」
バタバタと出ていく心愛を見送りつつ……勝利は隣で飴を舐めている環を横目で見ると、胸を張って先輩らしいところを見せようとした。
「森君も、変な人にはついていっちゃダメだよ。最近、この辺にも出るらしいからね!!」
「はぁ……中学生を誘拐とか目立ちそうなもんですし、そもそも、ついていく人いるんすかね」
「それは僕にも分からないけど、とにかく、変な人には気をつけてね!!」
「島田先輩が一番変なので、耐性バリバリの俺は大丈夫っすわ」
「森くーん……」
後輩にあしらわれる勝利を、倫子は苦笑いで見つめるのだった。
そして、時刻が間もなく17時半になろうかという頃。
彼は『片倉華蓮』として、いつもどおり、淡々と仕事をこなしていた。
今日の『仙台支局』は、統治、ユカに瑞希、華蓮、と、ほぼ全員が集合している。政宗もそろそろ帰ってくる頃だ。数十分後からは心愛の実地研修が入っているため、ユカは机上でその用意をしながら……隣に座っている華蓮を横目でみやり、静かに息を吐く。
先週、涼子と顔を合わせてから……華蓮の様子がこれまでと違うと感じることが増えた。華蓮自身は特に変わりなく接しているつもりだと思うが、身にまとっている空気が、4月下旬に戻っているような気がしたのだ。
それに気付いた時、ユカは政宗に「涼子と何かあったのか?」と尋ねたのだが、その場に居合わせていた政宗も首を傾げて「普通に話をしてただけに見えたんだけどな……」と、腕を組み直すことしか出来ず。
とりあえず反逆の意思は感じられないため、統治とも話を共有して、様子を見ることで落ち着いている。
そんな華蓮の変化は、新入りの瑞希も気になってしまうレベルで……瑞希が華蓮の様子を伺うようにチラチラ見る視線にも、華蓮自身は気付いていた。
しかし、特に有害でも無害でもないので、向こうから何も言ってこなければ放置しておこうという結論に達している。
だってここは、仕事をするだけの場所なのだから。
それ以外に考えることなど、何もない。
華蓮が手元の資料に残るホッチキスの針を外していると、隣に座ってパソコン仕事をしていたユカが、何かを思い出して彼女に話しかける。
「そういえば片倉さん、櫻子さんからの申し出、どげんすると?」
「……ああ」
ユカの言葉に手を止めた華蓮は、自分の手元を見つめながら、何かを嘲笑うような口調で返答した。
「先日、その件で伊達先生から電話がかかってきたので、お断りしました」
「あ、そうやったとね」
ユカはそれ以上深く追求するでもなく、彼女の答えに同調して、視線を自分のパソコンへ向ける。
先日、櫻子から華蓮宛に届いていた封書には、彼女が主催する中高生向けのワークショップのチラシと、その会に『名波蓮として、あの災害を経験した語り手』として参加してくれないか、という打診の手紙が同封されていた。
統治が電話で櫻子に封書を送ったかどうか確認をした際、電話の向こうの彼女は「そうです」と首肯した後、統治へと簡単に会の趣旨を説明する。
櫻子が今度開催しようとしているのは、関心のある中高生を集めて、先の災害の経験を共有し、後世に伝えていくことを目的としたワークショップだ。
先の災害は、その被害の多くが沿岸部に集中しているため、内陸部で暮らしている人とは時間の経過とともに温度差が出てきていた。実際に櫻子自身も当時学生であり、災害時は内陸にいたため、停電もしなかったし、親しい人を亡くすこともなかった。
ただ、彼女の実家が病院ということで、主に石巻や三陸地方から、陸路を駆使して怪我人が運び込まれ……自宅を失い、愛する人を失い――全てを失った人に、どんな言葉をかければいいか分からず苦悩している両親や兄を見てきた。
知らなければ、知る努力から始めたい。
そう思った櫻子は、宮城県富谷市に病院の分院が開院するのに合わせて学生向けの企画を打ち出し、周囲の学校へ呼びかけて、ボランティア活動をしている生徒や、生徒会役員等の参加を取り付けた。ここまではいい。
問題は、災害の経験を話してくれる学生の確保だ。
大人が語るよりも、実際に災害を目の当たりにした同年代の話を聞くことで何か感じてほしい……櫻子自身が強く望んでおり、現在、語ってくれる学生を探しているという。
高校生の里穂と仁義、そして、災害で父親を亡くした中学生・阿部倫子が、自身の経験を語る『語り手』として参加するそうだ。
男性で話をしてくれる人があと一人欲しい……と、櫻子が聖人に相談したところ、蓮に白羽の矢が立てられたというわけで、あの手紙が届いた。『仙台支局』へ送ったのは、ここに送れば必ず統治が目にすることになる。彼が蓮へ手紙を渡せば、間接的に名杙への許可も取り付けられるだろう、という魂胆から。
しかし、これはあくまでも任意。実際に参加して語るかどうかは、蓮の自由意志に任されていた。
だから……彼は昨日、聖人からかかってきた電話でその申し出を断ったのだ。
「僕の体験したことは、人に伝えるような美談ではありませんから」
静かにそう言って、それ以上語ろうとしなかった蓮に、聖人は「うん、分かったよ」と彼の決断を了承した後、櫻子へは聖人から断っておくと告げて電話が切れた。
電話を切った蓮は、部屋の中で一人……先日の、涼子との会話を思い返す。
「いえ、あの……華さんは一人っ子で、姉弟はいないと聞いていたので、お姉さんと呼ぶくらい、親しいご親戚だったんですね」
そう、彼が亡くしたのは親戚だ。
実際の姉ではない。
だから……仮に彼が華のことを語ったとしても、櫻子やその場にいる中高生が期待するような、姉弟の絆を感じるエピソードではない。
――災害を美談にするのは、もう……うんざりだ。
ユカは華蓮の横顔にこれ以上何も言わず、自分が出力した資料を取りに行くため、席を立った。
そして、内容に過不足がないことを確認した次の瞬間、来客を告げるインターフォンが鳴り響く。
受話器を取った瑞希が、「い、今開けますね!!」と言いながら立ち上がり、そのまま入り口の方へ移動していく。恐らく心愛が来たのだろうとユカがあたりをつけた次の瞬間、事務所内に外線からの電話が鳴り響いた。
イヤホンを外した統治に変わって、手が空いていた華蓮が受話器を取る。電話の取次程度であれば何度となく経験しているため、今回も統治に引き継ぐか、政宗に折り返しをさせるかのどちらかだろうとあたりをつけた華蓮は、右手でペンを握ったまま、淡々と電話に出た。
「はい、東日本良縁協会仙台支局で――……あ、仙台若林署の……はい、いつもお世話になっております」
どうやら電話の向こう側は警察関係者らしい。『縁故』の仕事上、『遺痕』の『縁』を切るための『生前調書』を作成するために、警察に事故死や自殺した人の情報を横流ししてもらうことが何度となくあった。
恐らくそれ関連の電話だと思ったユカは、政宗が折り返す未来を想像しながら自席に戻り、手元の資料を整え始める。
次の、瞬間。
「――えっ……!?」
あからさまな動揺を口に出した華蓮が、大きく目を見開いた。
受話器が、華奢な手からズルリと滑り落ち、ゴトンと鈍い音を立てて机にぶつかる。
様子が、おかしい。
「片倉さん、どげんしたと?」
「っ――!!」
ユカの言葉に我に返った華蓮は、椅子の背もたれにかけていたトートバックを握ると、弾かれるようにその場から走り出した。蹴る足に迷いはなく、明確な目的地があることがよく分かる。
「片倉さん!?」
慌てて追いかけるユカと入れ違いに、統治が受話器を握って電話を引き継いだ。相手は統治も顔を知っている刑事の一人で、仙台支局に対しても比較的協力的な人物の一人。
「お騒がせしており申し訳ありません、名杙です。えぇ、お世話になっております。本日はどういった――え? あ、それは……」
相手からの『用件』を聞いた統治もまた、先程の華蓮と同様に、大きく目を見開いた。
「ちょっとケッカ、片倉さん、どうかしたの?」
ユカが衝立を超えたその先では、制服姿の名杙心愛と、扉を開けた瑞希が、二人して訝しげな表情で、閉じたドアを見つめていた。
「心愛ちゃん、片倉さんは?」
「なんかさっき、すっごい形相と勢いで出ていったけど……何かあったの?」
心愛の目撃情報に、ユカは扉を開いて……廊下をぐるりと一瞥した。
奥にあるエレベーターホールに、華蓮の姿は見当たらない。タイミングよく乗り込むことが出来たのか、非常階段を下ったのか……どちらかは分からないけれど、彼女がもう、このフロアにいないことはよく分かった。
闇雲に追いかけても意味がないことを悟り、扉を閉めたユカは心愛たちの方へと向き直った。そして、顔をしかめて腕を組む。
「それが、あたしにもちっとも分からんで……」
そう言った次の瞬間、衝立の向こうから統治が顔を出した。その手には社用車の鍵を握っている。
「あれ、統治、どっか行くと?」
「ああ。若林警察署へ行ってくる」
「さっきの電話の……何かあったと?」
ユカの問いかけに、統治は一瞬迷った後……先程入ってきた情報を、端的に告げた。
「宮城県沖に沈んでいた車の中から、成人した女性と思われる遺体の一部が見つかったらしい。4月に……華さんが教えてくれたポイントだ」
「っ!?」
刹那、ユカと心愛が目を大きく見開き、あの時のことを鮮明に思い出した。
「この辺りには私以外にも数名の方の痕跡が残されていると思うわ。でも、陸地から遠いし海も深いから……捜索にはお金と時間がかかると思うけど……」
今年の4月、ユカと統治、そして心愛は、名波華の『遺痕』と対面した。
そしてそこで、彼女自身から――直接、彼女の体が眠っている場所を聞いていたのだ。
「昨日は災害の月命日で、海中の捜索も実施されたそうだ。そこで、海中に沈んでいた車が引き上げられて……」
「なるほど、それを片倉さんが聞いたんやね」
統治からの情報を反芻したユカは、改めて、彼女が飛び出した扉の方を見つめた。
4年間行方が分からなかった、大切な人。
その人の行方に関する手がかりが見つかったのだ。
冷静に仕事を続けろ、という方が……難しいに決まっている。
「――お兄様」
刹那、部屋の中に心愛の凛とした声が響いた。
彼女は視線を統治へと真っ直ぐに向けると、これから外へ出ようとする彼へ向けて、自分の意思をぶつける。
「今から片倉さんを追いかけるんでしょう? 心愛も連れて行って欲しいの」
「どうしてだ?」
彼女の言葉を頭ごなしに否定せず、その理由を尋ねると……心愛は彼を見据え、迷いなく返答した。
「華さんの『縁』を切ったのは、心愛だから。心愛が自分の弱さを超えて、今、『縁故』でいられるのは、華さんのおかげなの。だから……彼女に関することは全部、自分で見届けたい」
「……そうか」
「言っておくけど、お兄様が駄目って言っても、車の助手席に乗り込んでやるんだからね!!」
こう言って進行方向を向く彼女は、もう、統治一人では止められそうにない。
統治が静かにユカを見下ろすと、ユカもまた、統治を見上げて口元を引き締めた。
「あたしも行く。今の彼が何をするか予測出来んし……連絡調整役くらいは出来るやろうけんね」
「分かった。すぐに出るから用意してくれ」
統治の声に従って、ユカは外へ出る用意をするために自分の席へと戻っていった。統治はその間に瑞希を見つめ、今からの指示を出す。
「支倉さんはここに残って、連絡役をお願いします。佐藤へは俺か山本から、メールで詳細を知らせます。もしも若林署から電話がかかってきたら、名前を聞いて俺から折り返すと告げた後、山本へメッセージで知らせてください」
「わ、分かりましたっ……!!」
瑞希がコクコクと頷いた時、用意をしたユカが戻ってきた。そして、出かけようとする3人を「ちょ、ちょっと待ってください!!」と引き止めた後、部屋の脇にある傘立てから、共用のビニール傘を2本つかみ、近くにいたユカへそれを手渡す。
「きょ、今日……夕方から雨が降るって天気予報で言ってました。片倉さん、傘を持っていないかもしれませんし……よければこれ、車に積んでおいてくださいっ……!!」
「ありがとうございます。ちょっと行ってきますね」
瑞希から傘を受け取ったユカは踵を返し、統治と心愛に続いて、事務所を後にした。
息を、吐く。
呼吸を、整える。
無我夢中で、ここまで来ていた。
若林署は、災害後に沿岸部への対策も兼ねて設立された、県警の中でも新しい組織だ。
地下鉄の最寄り駅から5分ほど走ってきた華蓮は、肩を大きく上下させながら……人と車が行き交う警察署の正門前までたどり着いていた。
今にも雨が降りそうな、灰色の空。入り口で立ち尽くしている彼女へと、周囲が訝しげな視線を向ける。
我に返って……途方に暮れた。
ここまでは、無我夢中で走ってきたけれど――ここから先、一体どうする?
「ははっ……」
思わず、地声で笑い声が漏れた。
こんなところまでやって来て、どうするつもりだったのか。
名波華の関係者だと名乗ったところで信じてもらえないし、仮に信じてもらえたとしても、未成年の彼は補導され、『保護者』へ連絡されるだけ。
そもそも、今の自分は――名波蓮ですらない。
首筋にまとわりつく髪の毛や、足元にちらつくロングスカートの裾が、今はとても滑稽に思える。
全てが、嘘じゃないか。
今の自分も、華との関係も。
目をそらしていたことと、改めて向き合ったら……信じていたことが、全て崩れ去った。
今の自分には、何も、ない。
それが――事実だ。
「僕は……どうして生きているんでしょうね、華さん」
ボソリと呟いた次の瞬間――大粒の雨が、彼の頬を濡らした。
実際の東日本大震災は、3月11日に発生しました。
その月命日となる毎月11日には、宮城県沖等で行方不明者の捜索が実施されています。
まだ4桁の行方不明者がいらっしゃいますので……全国的に報道されてはいないと思うのですが、毎月そんなことが行われているんだということを知っていただく機会になればいいなぁと思いますね。
そしてなんと、公開して早々に挿絵が増えました!!
イラストは、ボイスドラマで蓮(華蓮)役をお願いしている狛原ひのさんが描いてくださいましたよ。
この、どうしても救いがない綺麗な横顔に、誰か手を差し伸べてあげてほしいものです……!! 本文の情景と相まって、凄まじい破壊力でございますわ。本当にありがとうございますー!!




