エピソード7:絆②
日曜日、時刻は間もなく19時になろうという頃。
仙台市若林区にある葬祭場から出てきた桂樹は、手に持っていた数珠を手持ちのカバンに片付けた。
服装は黒の喪服。まさか急に同僚が亡くなると思っておらず、知らせを聞いてから慌てて調達したものだった。
小野寺肇が急死したという知らせを受けたのは、今日の朝早くのこと。
つい先日、体調を崩していたとはいえ……本人は風邪だと言っていたし、実際に会った時に変わった点はなかった。
葬儀は明日だが、平日となるため、桂樹は仕事がある。急逝した彼の後任が決まるまでは仕事量が増えることも見越して、取り急ぎ通夜に参列した桂樹は……棺の中で静かに眠っている彼を見て、何とも言えない感情に襲われた。
先日、一緒に研修に参加して……会話を交わしたのに。
あの時は病み上がりだったけれど、特に問題があるようには思えなかった。
どうして、こんなことに。
焼香を終え、喪主と思われる高齢の女性に軽く挨拶をしたけれど……心ここにあらずといった様子で、桂樹の声は届いていないように思えた。付き添っている親族らしき女性がその女性を支え、代わりに会釈をしてくれた様子から、今回のことがいかに突然のことだったのかが分かる。
出入り口のところで漏れ聞こえた彼の死因は、アレルゲンを摂取したことによるアナフィラキシーショック。彼は重度の卵アレルギーだったらしく、卵の入ったものを過剰に摂取して、そのショックに体が耐えられなかったらしい。
つい先日、それこそ肇から直接もらったベビーカステラが脳裏をかすめる。あれは……とてもじゃないけれど、卵アレルギーの人が食べていい代物ではない。
どうして……どうして、こんなことに。
一向に解決しない疑問を抱えたまま、桂樹は少し離れた駐車場へ向かうため、斎場の敷地内を出て、車道に沿った歩道を歩き始めた。
次の瞬間――前から歩いてきた少年に気付き、思わず足を止める。
「名波君……」
「……お久しぶりです、桂樹さん」
見知った彼――名波蓮の姿に、桂樹はどこか、諦めに似た表情でため息をついた。
先日、スーパーの中で心愛達と再会した時に……いずれまた蓮と相対することになるのではないか、そう思っていたけれど、まさかこんなに早いとは思わなかったから。
彼は白いワイシャツの上に黒いジャケットを羽織り、黒いズボンと革靴を着用していた。要するに桂樹と同じような格好で、まるで……肇の通夜に参列してきたかのように見える。
「俺に何か用でも?」
「そうですね、とはいえ……こんな場所では落ち着いて話も出来ません。桂樹さんは車で来ていますよね、久しぶりに乗せてもらえませんか? 恐らく、桂樹さんが知りたい情報を、今の僕は全て持っていますよ」
「……俺が君に危害を加えない保証はないぞ」
「どうぞお好きに。僕は元々、『華さん』に生かされた命です。桂樹さんの手で生を終えるのもまた……『ご縁』、そう思うことにしますよ」
蓮が華のことを『華さん』と呼んだことが、桂樹の心に引っかかる。
また、彼がここにいるということは、この斎場で肇の通夜が営まれていることを知っているということだ。1人で来たとも考えづらいため、他に誰か、名杙以外で協力者がいると考えるのが自然だろう。
桂樹は蓮を値踏みするように見下ろすと……彼を見据えて、一度、浅く息を吐いた。
「……分かった。ついてきてくれ」
そう言って歩みを再開し、蓮の横をすり抜ける桂樹。踵を返した蓮は、彼の背中を追いかけながら……ここに来る直前に聖人から聞いた内容を反復して、口元を引き締めた。
桂樹が運転する車で2人が向かったのは、沿岸部に整備された運動公園の駐車場だった。
トイレを24時間解放していることもあり、駐車場へも出入りすることが出来る。2人が4月の件に関する打ち合わせをする時は、もっぱら車の中を使っていた。
メールは痕跡が残ってしまうし、電話だと情報の伝達に齟齬が生じる可能性もある。かといってファミレスなど、不特定多数の人間がいる場所で出来るような話でもなかったので……密閉性が高い車内か、桂樹の部屋で話をしたことが、ついこの間のように感じるけれど。
エンジンをとめた桂樹はヘッドライトを消すと、シートベルトを外して息をついた。点在する街灯がぼんやりと景色を浮かび上がらせる中で……先に口を開いたのは、蓮の方。
「僕がどうして、あの場所にいたのか……僕も、小野寺先生のお通夜に参列したからです」
「名波君が……?」
彼の中学校は仙台の隣にある名取市なので、仙台市で仕事をしていた肇と、校内で接点があったとは思えない。益々話が分からなくなる桂樹に、蓮が順を追って説明を続ける。
「昨日、透名さん主催で、4年前の災害に関するワークショップが開催されて……小野寺先生とは、そこで初めてお会いしました。先生ご自身も被災されていた経験を話していいて、弟さんを亡くされたとも聞いて、姉さんを……姉のように慕っていた華さんを亡くした僕にも、優しく寄り添ってくれたんです」
蓮がどうして華のことを『姉さん』と呼ばないのか、桂樹には理由が一切分からないまま。
話の腰を折るわけにもいかず、桂樹は釈然としない表情でため息をついた。
「なるほど……ということは、彼は昨日までは元気だったんだな。どうしてアレルゲンを口にしてしまったんだか……」
蓮はそんな彼をチラリと一瞥した後、視線を前方に戻し、淡々と話を進める。
「その会には、秀麗中学の島田君や阿部さんも参加していたんですけど、会の終了後……2人が小野寺先生に誘拐されたという連絡が入りました」
「え……!?」
「最近、仙台市内で中学生が一時的に行方不明になっているというニュースを聞いたことはありませんか? その犯人が、小野寺先生だったんですよ」
淡々と話を続ける蓮に置いていかれぬよう、桂樹は必死に情報を整理していた。
小野寺肇が、中学生を誘拐していた? どうして? どうやって?
「どうして……」
理解出来ない疑問が、無意識のうちに口をついて出る。
「どうして……そんなことが言えるんだ? あの件に関しては目撃者もいないし、いなくなった生徒も何も覚えていなかったはずなんだが……」
「そうですね。いつもだったらそうだったと思います。ですが……今回は被害者が覚えていたんです」
「被害者が……?」
「阿部倫子さんです。直接的な被害を受けたのは島田君でしたが、『動物痕』が取り憑かず、全てを目撃してしまった彼女を見過ごすことは出来ず、島田君の安全と引き換えに同行した……本人がそう語っていたそうです」
蓮は今日の午前中、政宗から約束通り、事のあらましを聞いていた。
倫子は昨日、帰りの車の中で……運転をしている統治に対して、自分たちがあの部屋に行くまでに何があったのかを喋っていたそうだ。
「島田、君……どうしたの? 島田君?」
倫子が2人へ近づけず、彼を呼びながらその場で立ち尽くしていると……肇は青白い顔で彼女を見やり、その口元に薄ら笑いを浮かべる。
そして、立ち尽くす倫子へと近づくと、彼女を見下ろして……不意に、目を細めた。
「君は……」
「え……?」
「……まぁいいか。消すことに変わりはないんだ。ごめんね」
彼がそう言った瞬間、視界が真っ暗になったのが分かる。
肇自身の手で目を覆われていることに気付いた時、恐怖で体が硬直して……上手く喋ることが出来なかった。
「っ……!!」
「あまり手荒なことはしたくないんだ。このまま素直についてきてくれるなら……君も、彼も、用事が済んだら生きてちゃんと帰してあげるよ。約束する」
耳元で聞こえる声に、体がすくむ。
怖い。
このまま殺されるかもしれない。
でも――勝利を置いて、1人で逃げるわけにはいかない。
倫子は唇を噛みしめると、手を強く握りしめて……視界を塞いでいた彼の手をゆっくりと払い除けた。そして肇を見上げ、震える声で確認する。
「本当……ですか……?」
その言葉に、肇はゆっくりと首肯する。
「本当だよ。僕の目的は人の命じゃないんだ。このまま人殺しにはなりたくないから……協力してくれるかな」
彼の目的や、勝利に何をしたのかが何も分からない以上……今は素直に従うしかない。
コクリと頷いた倫子は、彼の後ろを歩きながら……隣にいる勝利の服の裾を、少しだけ軽く引っ張ってみた。
普段であれば彼が明るい声で自分を見て、笑顔を向けてくれるはずなのに。
勝利は無言で倫子の手を払いのけると、肇だけを見てそのまま歩き続ける。
「っ……!!」
思わず名前を呼びそうになり、慌てて口をつぐんだ。今ここで、肇の意にそぐわないような行動をしてはいけない。今は静かに従って……早く、早く助けを呼ばなければ。
近所にあるコンビニまでの道を歩きながら、倫子は必死に涙をこらえて……カバンの持ち手を握りしめた。
その後、肇が住んでいるアパートの一室に通され、勝利は何やら肇と話をしているようだった。
倫子はとりあえず部屋の隅に座ったまま……室内に蔓延っている猛烈な寒気に、膝を抱えて肩を震わせる。
このまま、何も出来ないのだろうか。
彼は自分が何もしなければ、勝利と自分を生きて帰すと言っていた。恐らくそれは嘘ではないだろう。
けれど――勝利がもしも、先程の彼のままだったら?
感情のない、自分を見てくれない――笑わない、そんな彼のままだったら?
5月に見た『父親』の姿が、脳裏をかすめる。
生気のない眼差し、虚ろな表情、笑顔の欠落――全て、あの時と似ている。
「お父さん……」
ボソリと呟いた瞬間、あの時の心愛の、政宗の、統治の姿が、脳裏をかすめた。
「――阿部会長!!」
あの時、我を忘れて約束を破った自分を、全力で追いかけて引き戻してくれて。
「阿部さん、今、君が見ている世界は……異質なんだ。俺は、死んだ人間と再び会えるなんてことは、ありえない、あってはいけないことだとさえ思ってる。それで道を踏み外しそうになった人が、つい最近もいてね。阿部さんには、そんなことになって欲しくない」
ワガママを言った自分を、厳しい言葉で守ろうとしてくれて。
「……料理、美味しかった。本当にありがとう」
そして……父親の笑顔を、思い出させてくれた。
――だからこそ、お父さんに報告をする時に恥ずかしくない自分でありたいので、これからも……前を向いて、生きていきたいです。
ついさっき、自分の口でそう言ったはずだ。
考えろ、どうすればこの現状を打破出来るのか。
父親だったらきっと、冷静に……必死に、何か出来ることをやろうとするはずだ。
「っ……!!」
足元に感じる寒気に、倫子はたまらず息をのみ……ふと、この部屋に入った時に感じる寒気も、5月、あの一件の頃に頻繁に感じていたものだということに気がつく。
勝利には有効だった肇の手段が、自分に効果がなかった。
その理由が……携帯電話につけたチャームにあるのだとすれば。
だとすれば、今、自分が連絡を取るべき相手は――
倫子は手持ちのカバンからスマートフォンを取り出すと、それをそっと、スカートのポケットへ押し込んだ。
そして、カバンから手を離して両手をフリーに見せると、肇の方へ向けてオズオズと問いかける。
「あ、あの……トイレに行ってもいいですか?」
倫子の声に、肇はチラリと彼女を見た後……笑顔で廊下の方を指さした。
「どうぞ。風呂場の隣にありますから」
「あ、ありがとうございます」
倫子は恐る恐る立ち上がり、静かに部屋を後にする。荷物を置いて行くのは、逃亡の意思がないことを示すためだ。
1人、トイレの中に入った倫子は……震える手で心愛にメールを送り、用を足したフリをして再び室内に戻る。
そして、静かに膝を抱えると……静かに、その時を待った。
「その後、名杙さんと佐藤支局長が部屋に入って、お2人を救出しました。僕は山本さん達と一緒に部屋の中に残って……小野寺先生が猫の『動物痕』に取り憑かれていたこと、そして、小野寺先生がもう一匹の『動物痕』を生きた人間に取り憑かせて、人間の情報を学習させていたことを知ったんです」
「小野寺先生が、『動物痕』に……」
そこまで聞いた桂樹は、昨日、スーパーで心愛達と居合わせた時のことを思い出し……1人で納得していた。
あの時の彼らは、肇の部屋から脱出してきた後だったのだ、と。
「島田くんと阿部さんは、無事に家まで帰りました。島田君は覚えていないと思うので詳細は話しませんが……阿部さんには小野寺先生の死を話して、先程、僕や伊達先生、櫻子さんと一緒に、通夜に参列してきたところです」
「そうか……小野寺先生がアレルゲンを食べたのも……」
「ええ。猫が生前、好きな食べものだったんでしょう」
ここまで話を聞いた桂樹は、シートに体重を預けて……自分に『縁故』としての能力が残っていないことを、改めて実感していた。
もしもあの時――研修会の終わりに会った時、すでに肇に『動物痕』が取り憑いてたのだとすれば、『縁故』としての能力さえあれば、気づけたかもしれない。
しかし実際は――何も気付かぬまま別れて、次に会った時は話すら出来ない状況だ。
猫の『動物痕』の気配など、微塵も感じなかった。
「……統治君達も、随分迂闊だったんだな。同じ空間にいて気付かないなんて」
苦し紛れに呟くと、蓮は前を向いたまま……淡々と言葉を続ける。
「そうですね。ただ、それもしょうがないと思います。華さんと繋がっていた『動物痕』なんて、特殊過ぎて……誰も対応したこともなかったでしょうから」
「っ……!?」
意外な人物の名前に、桂樹は思わず目を見開いて蓮を見つめる。
彼は静かに、フロントガラスの向こうを見つめたまま……あの時のことを思い出して、深く息を吐いた。
蓮の高校は私服なので、制服がありません。そのため、こういった場では喪服を着る必要があるのですが……聖人あたりと大手の紳士服店にでも行ったのかな……。
そして、倫子を守るイケメン心愛のイラストのみならず、最初の頃に登場した挿絵が再び戻ってきました!! 肇に取り憑いていた猫はプロローグなどでちょこちょこ出てきていた猫です。絵でも文でもふーんとしてますが、霊的にめっちゃ強い子だったんです。エピソード4-③で、蓮が落としたたまごボーロをガリガリ齧っていたことが伏線だったことに気付いた人は、果たしていらっしゃるのでしょうか……いたらすげぇ。
加えてこの心愛さん、いつ見てもカッコ良すぎる……彼女も成長しましたが、まだまだ伸びしろがあるのでこれからも兄より目立って欲しいですね。(ヲイ)
絵があることで、内容がよりわかりやすくなります。ありがとうございますー!!




