エピソード7:絆①
時刻は間もなく、土曜日の23時になろうとしている。
ユカは1人、『仙台支局』のオフィス内で……政宗と統治が戻ってくるのを待っていた。
土曜日の夜ということもあり、同じ階にある他のオフィスはおろか、このビルそのものに人の出入りがほとんどない。最上階の展望スペースも、下層階にある商業施設も、順番に営業を終了しており……もしかしたらこの中にいるのは自分1人ではないか、そんなことを考えてしまうほどに静まり返っていた。
ユカがここにいるのは、連絡係を担っているから。
今は政宗と統治がそれぞれに警察と病院で必要な対応をしており、緊急で電話に出ることが出来ないかもしれない。または、『仙台支局』の固定電話の番号を知っている関係者が事務所に電話をかける可能性もある。
そんな時に橋渡しをするため、政宗に言われてとりあえずここにいるけれど……特に固定電話が鳴る気配はない。
応接用のソファに座って3時間ほど。机上に携帯電話を置いて、すぐに対応出来るようにしているけれど……特にこれといって役割もないまま、時間ばかりが経過していく。
これで、良かったのだろうか。
自問自答をしても意味などないし、最終的には中学生2名を助けることが出来た。だから、目的は無事に達したことになる。
それを手放しで喜べないのは――小野寺肇の命を、助けることが出来なかったから。
あの時、彼の『生命縁』が切れていることに気付き、政宗が真っ先に彼へ駆け寄ってきた。
そして、うつ伏せに倒れ込んでいる肇をとりあえず仰向けにして後頭部をそらし、気道を確保。すぐに心臓マッサージを開始する。
「ケッカ、蓮君、誰でもいい救急車だ!! 早く!!」
政宗の怒号に、ユカが慌てて自身のスマートフォンを操作した。ほぼ同時に、統治が肇の口に入ってしまったクッキーを掻き出す様を見ながら……蓮は、首を横に振る。
だって、結果は見えているじゃないか。
切れている『生命縁』、それが――全てなのに。
「さ、佐藤支局長、ですが、小野寺先生は……」
彼はもう助からない、蓮の言葉を政宗の声がかき消した。
「いいから!! 蓮君はケッカにこの部屋の住所や目印になる建物を伝えて!! 急いで!!」
政宗の声に蓮は慌ててユカに近づくと、この部屋の大まかな住所や、先ほどのスーパーの店名を彼女に告げる。
蓮自身も驚くほど、声も両手も震えていて……動揺していることが、嫌になるほど分かった。
どれだけ歯を食いしばっても、両手を握りしめても……もうしばらく、治まりそうにない。
一方、救急車を呼んだユカは、静かに蓮を見上げて……特に震えもしない、とても落ち着いている自分に苦笑いを浮かべた。
その後、ユカが救急車を呼んだことを政宗に告げると、蘇生を試みていた彼が、汗を滴らせながら顔に悔しさを滲ませ……俯いたまま、その場に座り込んだ。
そして、一度頭を振って顔を上げると、ユカを見据えて次の指示を出す。
「俺はこれから、救急車に付き添って病院に行く。ケッカは伊達先生に連絡を取った後、悪いけど『仙台支局』を開けて次の指示までそこで待機を。統治は島田君と阿部さんの状態を確認して……問題がなさそうなら家までおくっていってくれ。里穂ちゃん達と名波君は、タクシーで地下鉄の駅まで行った後、電車で帰ってくれるかな。交通費はケッカに渡すから、ケッカも地下鉄で……」
こう言ってズボンのポケットから財布を取り出そうとする彼の手をユカが制して、静かに首を横に振った。
「分かった。とりあえず精算は後で改めるけんが、政宗……1人で大丈夫なん?」
気がつくと全員が政宗を見ている。彼は作り笑いを浮かべると、自分を鼓舞するように立ち上がった。
「……ああ。ぶっ倒れるのは全部片付いてからにするよ」
そう言ってユカの頭を帽子ごと軽く押さえた後、統治と目配せをして、蓮の方へ向かう。
そして戸惑う彼を見やり、苦笑いで肩をすくめた。
「さっきは機転を利かせてくれて、ありがとう。今日のことは後で必ず報告するし、蓮君の話も聞かせてもらう時間を作るから……今日は一度、帰ってくれるかな。あと、小野寺さんのことは、まだ、伊達先生以外には言わないでほしいんだ」
「分かり、ました……」
蓮としても、流石にこの場に留まる気にはならない。留まったところで何も出来ない邪魔者になるだけなのだから。
彼が頷いたことを確認した政宗が「ありがとう」と告げた後、救急車に部屋の場所を知らせるため、静かに部屋を後にする。
統治が蓮とユカにも退室を促して……部屋の中には肇と、弟の『遺痕』だけが残された。
その後、ユカは肇の部屋の前で聖人に連絡を入れた後、高校生トリオと心愛を連れてタクシーで地下鉄の駅に向かい、そこから電車で仙台駅まで戻ってきた。
仙台駅で解散をした後、ユカは『仙台支局』の鍵をあけて電話を留守電対応から切り替える。そしてそこから事務所内で待機して……何もする気にならないまま、今に至った。
いつもであれば空腹が気になるのだが、今は何も食べる気にならない。
とりあえず政宗からの指示を待っているユカへ、室内を漂う分町ママが静かに問いかけた。
「ケッカちゃんは……人が亡くなるところを、初めて見たのかしら」
「……そうですね、多分」
分町ママの問いかけに、ユカは曖昧に返事をする。
恐らく初めてだとは思うけれど……これまで亡くなった人に散々接してきて、容赦なくその『縁』を切ってきたのだから、感覚がどこか麻痺しているのかもしれない。
悲しいというよりも、「あぁ、人はこうやって死ぬんだ」という事実を把握出来た、そんな感覚がある。
だって……明日は我が身なのかもしれないのだから。
「分町ママは……『動物痕』、見たことありますか?」
ユカの問いかけに、分町ママは彼女の対面で浮いたまま、足を組み替えて首をかしげる。
「そうねぇ……恐らくあると思うけれど、詳細には覚えていないわ。それくらい、大事にならなかったのよ」
こう言って、手元のジョッキの中身を一口すすった彼女は……少し耳をすませた後、口角をニヤリと上げる。そして、疲れが色濃く残るユカに近づくと、優しい眼差しで彼女を見つめた。
貴女もみんなも、その場に居た誰もが出来ることをやった、その思いが、伝わるように。
「だから今回の件は……本当に、いろんなことが噛み合わなかったとしか言えないわね」
分町ママの言葉に、ユカは静かに首肯する。
「そうなんですよ……本当、こげん何もかも上手くいかないんだなって思ったら……少し疲れました」
ユカ自身も、これまでに数多く、悲惨な『遺痕』と向き合ってきた。それこそ、『生前調書』を読むだけで嫌になるような事例も、仕事だと割り切って対応してきたけれど。
でも流石に、先程まで会話をしていた人が目の前で亡くなるのは少し辛い。ユカが何度目か数えたくもないため息をついた次の瞬間……こちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。
そして。
「政宗、統治……」
疲れた表情の2人が、コンビニの袋を持って部屋に入ってくる。
それだけで思わず、頬が緩んだ。
その後、3人でおにぎりや惣菜を適当につまみながら……情報を共有することに。
統治は梅干しの入ったおにぎりのフィルムを開けながら、率先して口火を切る。
「島田君の『因縁』の修復は完了している。多少疲れが残っている様子だったが、意識もはっきりしていた。あと、これは車の中で阿部さんから聞いたんだが……桂樹さんにも協力してもらったそうだ」
「桂樹さんに? なして?」
意外な人物の登場にユカが目を丸くすると、統治は「たまたま居合わせたらしい」と返答して、おにぎりを一口かじる。それ以上は追求していないし、これ以上追求するつもりもない、そんな意思表示に思えた。
政宗はお茶を飲みながら、やはり意外な人物の介入に驚きを隠せず、ペットボトルに蓋をしながら呟く。
「桂樹さん……よく、協力してくれたな。確かに島田くんを俺に紹介してくれたけど、それ以降は特に接点もなかったはずだぞ」
3年ほど前、通っていた小学校のスクールカウンセラーとして勤務していた桂樹のもとに、中途覚醒してしまった勝利が相談に訪れている。
その後の対応は政宗に任され、今も定期的に面談をしているのは彼なので、桂樹がいくら非常事態とはいえ、そこまで勝利に肩入れしてくれるとは思わなかったのだ。
そんな政宗の疑問に、統治は口の中身を飲み込んでから口を開く。
「阿部さんの話だと、桂樹さんと島田君は、今年の5月に一度、校外の弁論大会の会場で再会していたらしい。阿部さんともそこで一度顔を会わせていて……今は『最上』と名乗っているそうだ」
「そんなことが……人はどこでどう繋がってるか、『縁』を見ただけじゃ分からないもんだな」
政宗はそう言って、いなり寿司を箸でつまむ。そしてそれを半分ほどかじって咀嚼した後……お茶で流し込み、息を吐いた。
そして――彼が持っている情報を共有する。
「小野寺さんの死因は、アナフィラキシーショックだった」
「アナフィラキシー……やっぱり、アレルギー反応が出たってこと?」
ユカの言葉に、政宗が静かに首肯する。
アナフィラキシーショックは、体内にアレルゲンが入り込むことで、複数の臓器や時に全身に至る広範囲にアレルギー反応が出てしまう症状だ。血圧の低下や意識障害、呼吸しづらいなど呼吸器系の症状が出て、最悪の場合は死に至る。
肇の場合は、ここ最近……慢性的に卵を過剰に摂取していた形跡があり、むしろこの状態で生きていたことが信じられないと言われた、と、病院に合流した聖人が内偵をして政宗に教えてくれた。
「小野寺さんは恐らく、猫の『動物痕』に乗っ取られていたことで、卵の入っているものを食べてしまった。きっと美味しくて……今までの我慢もあって、やめられなくなったんだろうな。『動物痕』のおかげでアナフィラキシーショックが出ても体を動かすことが出来ていたけれど、それとの縁が切れて影響を受けられなくなったから、体が耐えられなくなったんだと思う」
「あたし達が切らんかったら……良かったっちゃろうか」
思わず口をついて出たユカの呟きに、統治が誰よりも早く首を横に振った。
「それは違うと俺は思っている。どのみち、彼を放置しておくわけにはいかなかったからな」
「そうやね……」
統治の言葉にユカは肩の力を抜き、手元にあるカルビ入のおにぎりを少しだけ齧った。
米の甘みを噛み締めて、海苔の風味を、味を感じて……自分が今、生きていることを実感する。
そして、自分も報告する事案があったことを思い出した。
「あ、そうだ。小野寺さんに憑いとった猫のことなんやけどね、名波君が……」
続くユカの言葉に、政宗と統治はそれぞれ驚きで目を見開き……同時に、統治はあの時のことを思い出し、納得したように頷いた。
「なるほどな。だからあの時、山本では無理だったのか」
「そういうこと。事実かどうか、もう……確かめようがないっちゃけどね」
そう言って、ユカはもう一口おにぎりをかじる。それをゆっくり噛み締めながら……胸の中に去来した言葉を、そっと、更に奥底へ押し止める。
もしも、あたしが死んだら――そんなことをこの場で話せるほど、不謹慎にはなれない。
「とにかく……これで、今回の件は一区切りやね。後は華さんのDNA鑑定だけかぁ……」
ユカが時計を見上げ、疲れた声音で吐き出した。
間もなく日付が変わろうとしている。連休中とはいえ、これだけの緊張状態で動き回ると心身の疲労が積み重なる一方だ。
政宗の前に置いてあるどら焼きに何の断りもなく手を出すユカをチラリと見やり、彼が更に疲れた表情で言葉を続ける。
「そうだな。俺は明日、もう一回警察に行かなきゃだけど……」
「え!? 政宗、遂に何かしたと!?」
「遂にって何だよ人聞きが悪い!! 今日のことを証言してくるんだよ!! 事件性はないけと調書は必要なんだとさ」
「なんだ……あ、このどら焼き、中にお餅が入っとる!! 初めて食べた……美味しい……」
「何だってなんですかねケッカさん!? っていうか『こだま』のどら焼きは俺が食べるつもりだったのに……せめて一口くらい残しておいてくれよ」
政宗が自分用に買っていたのは、仙台の老舗店が手作りをしているどら焼きだ。
つぶあんの中に小さな餅が入っているのが大きな特徴で、ふんわりした皮や上品な餡の甘さと相まって、疲れた時に食べて一息つきたくなる、そんな和菓子なのである。
要するに食後の楽しみを奪われた彼の苦言に、ユカは真顔で首を傾げる。
「え? なして?」
「……」
悪びれることもない彼女の物言いに、政宗は閉口して……どこか泣きそうな顔で、頬を綻ばせた。
こんなやり取りが出来ること、3人で同じ時間を過ごせること。非日常から日常に戻ってきたことを実感すると……どうしても、気が緩んでしまう。
「統治も黙ってないで止めてくれよ。冤罪だぞ冤罪」
こう言って隣に座る統治を見るが、彼は視線を合わせることなくテーブルのワッフルを手に取って。
「俺が口を出すことではないと判断しただけだ」
「何だよそれ……ったく、誰も支局長を敬ってくれないんだよなぁ……」
政宗はそう言って、苦笑いで手元のお茶をすすった。そして、空になったペットボトルをテーブルの上に置くと……心の中にある本音が、彼の口をついて出る。
「2人は……俺の前から、いなくならないでくれよ」
「政宗……」
「悪い。やっぱり少し不安になったんだ。俺、事故で人を突然亡くしたことがあるから……余計に」
変わらないと思っていた日常が、ずっと一緒だと思っていた人が――ある日突然、何の前触れもなくいなくなる。
人はあまりにも呆気なく死んでしまうし、穏やかな日々はいつ崩れてもおかしくない。そんな経験があるから、尚更……人の生死には敏感に反応してしまった。
不安を振りほどくように頭を振った政宗に、ユカと統治は無言で……握った右手を静かに突き出した。
言葉にしなくても伝わる『想い』を、それぞれの手に強く握って。
2人の態度を目の当たりにした政宗は、口元に笑みを浮かべた後……静かに、強く右手を握りしめると、2人がいる場所に合流する。
「約束だぞ。勝手にいなくなったら地の果てまで『関係縁』辿って連れ戻してやるからな」
「え? 政宗怖っ……」
「冗談だよ!! でも、気持ち的にはそれくらいだ。俺は諦めが悪いからな」
そう言って少し強く手を押し付けると、ユカと統治がそれぞれに口元をほころばせ、彼に苦言を呈した。
「政宗こそ、1人で頑張りすぎてぶっ倒れんでよね」
「全くだ。まずは酒の量を減らすべきではないか?」
「ちょっとまってくれよ統治、それ今言わなくてよくね!?」
握りこぶしをぶつけ合ったまま、3人で笑って――思いを1つにして。
悲しみも悩みも、辛いことは3等分にして、共に背負い、横並びで未来へ向けて歩いていく。
その後、時間も遅くなり、疲労困憊だったため……ユカは応接用の長いソファをフラットにして非常用のブランケットを体に巻き付け、政宗と統治は非常用の寝袋を引っ張り出して。
3人は『仙台支局』で一夜を明かし、同じ朝日で目を覚ますことになった。
アレルギーって本当に怖いんです。気合いでは治せません。近くに困っている人がいたら絶対に無理強いだけはしないでください!!
肇は最初からこういう結末にするつもりでしたが……生きていたら、蓮とシスコンブラコントークが出来たかもしれませんね。
3人だけのエピソードは、書くのがとても好きです。深夜に集まって雑談をして気を紛らわせる、これはこの3人じゃないと出来ないことだよなぁと思ったので……『絆』というサブタイトルのエピソードで書けて良かったです。
そして、こだまのどら焼き食べたいな……今度買いに行こう。(https://www.kodama-dorayaki.co.jp/)




