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エピソード7:絆③

 蓮が名波家の敷地内で、華と共に時折可愛がっていた一匹の猫。

 飼っていたわけではないけれど、特に華にはよく懐いていて……気まぐれで蓮にもすり寄ってくれることもあり、その仕草がとても可愛かったことを覚えている。

 名前をつけることもなく、その猫は2人の前からいなくなってしまったけれど……まさか、こんな形で再会することになるなんて、思ってもみなかった。


 蓮の言葉に桂樹はしばし無言になると……眉間を手で抑えた後、困惑の残る口調で問いかける。

「それは……事実なのか?」

「もう猫は消えてしまったので、証拠はありませんが……山本さんがその猫の『関係縁』を切ることが出来ず、名杙さんに交代していました。山本さんはその後、別の『動物痕』の『縁』を正確に切っていたので、能力そのものが低下したとも考えにくい。と、なると……その猫が持っていた『関係縁』は、名杙直系しか切ることが出来ない、特殊なものだと考えるのが妥当です」


 蓮が、肇と話をしていて感じた安心感。

 彼と話をしていると、つい、余計なことまで喋りたくなるほど気を許してしまう。

 初対面の肇にそう思ってしまうことが不思議だったけれど……その理由があの時、彼と相対してはっきり分かった。

 当たり前だ。

 だって、彼に取り憑いている『動物痕』は――華と『関係縁』を結んだことがあり、彼女の素質が色濃く残る存在だったのだから。


 当然、華との『関係縁』は切れている。

 しかし、名杙の影響力を考えると、猫が生きている頃に華と関わり、『関係縁』が結ばれたことで……猫にも彼女の力が伝わってしまったのだろう。

 そして、この猫に残った強い力は、生前、肇と繋がった『関係縁』にも伝播していた。恐らく彼の弟にも同様に。

 猫は飼い主を手に入れて、幸せに暮らしていたけれど。

 4年前の災害で突然命を奪われてしまい、肇との『関係縁』が残る、『動物痕』になってしまったのではないか。


 蓮が昨日、地下鉄で移動中、扉の近くに立った状態で、ユカや里穂、心愛、仁義に向けてこの話をした時……手すりを握って立っていたユカはそんなことがあるのかと首を捻った。

 勿論これまでに、そんな話は聞いたことがない。

 ただ……そうなると先程、自分が肇の『因縁』に絡みついた『動物痕』の『関係縁』を切れなかったことが、説明出来てしまう。

 それに……ユカは華の能力を思い出しながら、組み立てた仮説を口に出す。

「華さんの能力は、名杙でも名雲でもない、全く新しいものやった……統治や心愛ちゃん、里穂ちゃんまで同じ空間におったんに、誰もこれだけ強い『動物痕』に気づけんかったってことは、『動物痕』そのものの中で、華さんの能力まで残っとったんやろうね」

 華の能力は、自身の『縁』を見えなくすることだった。名杙が彼女を利用せずに――『縁故』にせずに放置したことを考えると、名杙でも持て余すような、そんな力だったのだろう。

 普段は彼の体内で隠れて、誰にも気付かれなかった『動物痕』。考えただけでも規格外で……もう二度と会うことはない、というか会いたくない。

 里穂がつり革を握りながら、「じゃあ……」と口を開いた。

「小野寺先生がその猫をすんなり受け入れたのも……霊的には猫のほうが強かったから、ってことっすかね」

「どげんやろうね……まぁ、その可能性が高いんやろうけど……」

 ユカは結論を濁し、窓の外を見やる。

 この話は全て、現状から推察出来る可能性の1つ。『動物痕』も消えてしまい、肇も亡くなった今……真実かどうかを、調べようがないけれど。

 あの時の肇の顔や言動を見ると……彼は例え、霊的に猫と同等でも受け入れていた、そんな気がするから。

 そして蓮もまた、ユカと同じことを考えながら……結局一度もさよならを言えずに別れることになったあの猫を思い、静かに息を吐いた。


蓮の言葉に、桂樹は更に無言になり……静かに目を伏せる。

まさかこんなところで、今になって……彼女と繋がりのあった存在と、間接的に関わることになるなんて。

「華さんは……どこまでも強い人だな」

 そんなこと、自分が一番分かっている。

 彼女の強さに惹かれて、利用しようとして策に溺れ……そして今も、亡くなってから4年が経過した今でも、彼女のことを忘れられずにいるのだから。

 蓮はそんな彼を横目で見た後……呼吸を整え、本題を切り出す。

「僕が今日、桂樹さんに会いに来たのは、先日の報告をするためではありません。探しているものがあるんです」

「探しているもの……?」

「華さんが生前、誰かに送ったはずの手紙です。あの災害が起こる前に、1度、華さんがとても暗い顔で帰ってきたことがあって……その時に仲違いをした相手に、手紙を書いているのを見ました。そしてそれは、切手を貼ってポストに投函されているはずなんです」

「手紙……どうして今になって、彼女の手紙を?」

「先日、太平洋の沖に沈んでいた車の中から、華さんらしきご遺体が引き上げられました」

「っ……!?」

 蓮の言葉に、桂樹が目を見開いて彼を見つめる。蓮はそんな桂樹を真っ直ぐに見据えて……静かに唇を噛み締めた。

「僕が……」

 漏れた声に悔しさが交じる。震える手を膝の上で握りしめ、蓮は眼鏡の奥の眦を釣り上げた。


 こんなことを人前で言うつもりなんてなかった。言ったところでしょうがないからだ。

 ただ……彼の前だと、どうしても、歯止めがきかなくなる。

 自分が一番欲しいものを持っている彼が、羨ましくて、妬ましくて……どうしようもないのだから。


「僕が……僕が本物の弟になりたかった!! そうすれば髪の毛でも皮膚でも何でも提供して、姉さんを迎えに行くことが出来るのに……!!」

「……」

 蓮の言葉に、桂樹が静かに視線をそらす。きっと彼自身もまた、蓮に対して同じ感情を抱いているだろうから。


 華と、他人でいたかった。

 そうすれば、もしかしたら――そんなことばかり考えて、虚しく時間だけが過ぎていく。


 我に返った蓮もまた、桂樹から視線をそらし……俯いて、静かに息を吐いた。

 自分はここへ、名杙に処分されるリスクを犯してまで、彼に恨み言を言うために来たわけではない。可能性に賭けて、探しているものがあるのだ。

「勘違いしないでいただきたいのは……僕は桂樹さんに、華さんの弟だと名乗り出て、DNA鑑定に協力して欲しいわけじゃないんです。名杙は桂樹さんが実の弟だという事実を隠し続けるでしょう。仮に桂樹さんが協力してくれると言ってくれたとしても、警察側で難色を示される可能性が高いっですからね」

 蓮の言葉に桂樹は「あの家ならやりかねない」と納得しつつも……腑に落ちない表情で彼を見つめる。

 じゃあ、蓮は……一体、何が目的で?

 その疑問に答えるように、蓮は静かに口を開いた。

「僕は……彼女が送った手紙の封筒を探しています」

「どうしてそれを……?」

「切手についている唾液で、DNA鑑定が出来るそうなんです。幸い、大学の中に華さん本人が書いた書類が残されていたので、筆跡鑑定をしてその封筒を華さんのものだと確定した後、DNA鑑定をしてもらいます」

 蓮はつい先日、聖人が見せてくれた新聞を読んでいて……記事の中に、親族から提供された封筒に貼ってあった切手から、身元を割り出すことが出来たというエピソードを目にした。

 災害から4年が経過して、そもそも家や家族ごと亡くした人もいれば、当時のものを処分して、新たな人生を歩もうとしている人も多い。

 その中で、こんな方法でも特定出来るのか、と、驚いたと同時に……生前の華へ、自分が言った言葉を思い出したのだ。


「蓮は……大切な人に大切な話をする時、どうする? ちゃんと出来る?」

「た、大切な話、ですか……?」

 とても漠然とした問いかけに、あの時の蓮は困惑して黙り込む。

 そして、想像してみた。

 例えば自分が、華に大切な話をしたいと思った時は……。


「お手紙を……書くかもしれません」


「手紙……」

「う、うん。僕は人と話すのが苦手だし、大切な話だったら、間違えちゃいけないから……」

 それは、生真面目な蓮が一生懸命考えて導き出した答え。

 大切なことを伝えるのに、自分の口はまだ信用出来ないから……手紙を書いて渡すのが確実だと、そう思ったのだ。

 蓮の言葉に華は目を丸くした後……「うん」と一言頷いてみせる。

「そうね、手紙……電話やメールよりも手紙がいいかもしれない」

「姉さん……?」

「ありがとう。蓮は私の悩みを解決してくれたのよ」

 嬉しそうにそう言って頭を撫でてくれる華に、蓮はそれ以上深く状況を聞かないまま……ただ、彼女の力になれたことが嬉しかった。


 彼女は誰かへ、手紙を書いているはずだ。

 もしも、もしもその封筒が、切手ごと残っていたら……道が開けるかもしれない。

 蓮はその新聞記事を聖人に見せて、彼から「前例があるし、探してみる価値は十分にあると思うよ」という御墨付をもらった。

 そして、聖人経由で万吏へと連絡を取り、用途と共に手紙の有無を涼子に聞いてもらったのだが……彼女の元へは、華からの手紙が届いておらず。

 やはり、そう簡単に出てくるわけない……意気消沈する蓮に、電話の向こうの涼子がこんなことを言ってくれた。

「華さんは、名杙君と親しくしていたの。付き合っていたかどうかは分からないけれど……手紙を送るとしたら、名杙君の可能性が高いと思う」

「名杙君……桂樹さんですよね」

「そう、名杙桂樹君。あ、そういえば……佐藤さんから聞いたんだけど、名波君、名杙君と連絡を取りたいっていう話はどうなったの?」

「それは……」

 涼子の言葉に、蓮は昨日の政宗との会話を思い出し……首を横に振った。

 これは、自分で動いて決着をつけたい――そう思ったから。

「……多分もう、必要ないと思います。お騒がせしてすいません」

「そうなんだね。名波君がそれでいいならいいんだよ。ただ……」

 電話の向こうの涼子は一瞬黙り込むと……震える声を隠すように、努めて明るく言葉を続けた。

「華さんが……華さんだって、ちゃんと分かったら……お墓参りさせて欲しいの。私も……華さんに、会いたい……」

「茂庭さん……」

 蓮は電話の向こうですすり泣く彼女に軽く頭を下げると、顔を上げて――前を見据えた。

「はい。必ず連絡します。茂庭さんにはサークルで一緒だった他の方への連絡も、お願いしていいですか?」

 蓮の提案を涼子は二つ返事で了承した後、力強い一言をくれる。

「華さんからの手紙が、サークルの誰かに届いているんだったら……捨てるわけないよ。だってみんな、華さんのことが大好きなんだから」


 その後、蓮は聖人に現状を告げて、桂樹が恐らく肇の通夜に参列するであろうとあたりをつけた。

 そこで急いで喪服を調達し、櫻子や倫子にも連絡をして通夜に参列し……聖人と2人で、桂樹が来るのを待っていたのだ。


 蓮の話を一通り聞いた桂樹は、前を向いて……静かに呟いた。

「……その封筒が残っているとも限らないぞ」

「分かっていますよ。でも……」

 言葉を切って、蓮は静かに両手を解いた。

 そして、自分の手を見下ろして……そっと、祈るように両手を重ねる。

「華さんが……姉さんが本当に慕われていたのであれば、相手はそう簡単に捨てないんじゃないかと思いたいんです。僕は彼女の弟として、姉さんの人望を誰よりも信じています」

「名波君……」

「何か手がかりはありませんか? どんな些細なことでもいいんです。桂樹さん以外の人で、姉さんと何かトラブルになっていたり、手紙で伝えるほど関係がこじれていそうな人がいれば……!!」


 蓮の言葉が終わる前に、桂樹は静かに車のエンジンをかけた。そして、慌ててシートベルトをする蓮を待たずに、暗い夜道を走り出す。

「桂樹さん……!?」

 彼がどこへ向かっているのか分からない。何とか体制を整えた彼が狼狽しながら桂樹を見ると……彼は前を向いてハンドルを握り、確固たる目的地へ向けて運転を続けていた。

「あ、あの、一体どこへ……」

「……封筒だけ、あればいいんだな」

「えっ!?」

 桂樹の意外な言葉に、蓮は思わず大きな声を出した。そして、彼の車が長町方面――桂樹が1人で住んでいる部屋の方へ向かっていることに気が付き、泣きそうになる口元を必死で引き締める。


 あの時……華が「姉弟はいない」と言っていたことを知った時は、とてもショックだった。

 自分はどうして生きているのか、そんなことを考えてふさぎ込んでいた。

 けれど今は……華にも何か事情があった、そう思いたい。

 彼女は『関係縁』を結ぶほど懐いていた猫に対しても、名前をつけずに距離を保っていた、そんな人だ。

 華にとって、『家族』は裏切りの象徴だ。信じたところで捨てられる、そう思っていたのかもしれない。

 彼女は誰よりも『家族』を疑って、信じられなかったのかもしれない。


 そんな彼女が、笑顔を向けてくれた。

 『家族』を信じられなかった蓮に対して、強く、優しく接してくれて……蓮に、未来を生きたいと思わせてくれた。

 華はもうこの世にはいない。だから、彼女がどんな思いで自分と接していたのかを知ることは出来ないけれども……だからこそ、向けてくれた笑顔を信じて、それを指針にしたい。

 誰よりも『家族』に裏切られてきた彼女が、『姉さん』と呼ぶことを許してくれた。自分は彼女にとってそれだけ近い存在になれたのだと、胸を張りたい。

 不甲斐ない生き方だけは、絶対に出来ない。だから、彼女に繋がる封筒を、自分で探し出したかった。


 自分がどうして生きているのか、それは――華のことを忘れずに、彼女の背中を見習って、前に進むためだ。


 蓮は窓の外を見つめ、遠ざかる真っ暗な沿岸部に思いを馳せると……そっと、彼女の笑顔を思い出しいていた。


 20分ほど車を走らせたところで、桂樹が街中の月極の駐車場に車を駐める。

 そして1人、車から降りて……約10分後、再び戻ってきた彼の手には、少しくたびれた茶色の封筒があった。

「これでいいだろうか」

「っ……!!」

 桂樹が差し出したそれを受け取り、封筒に書かれている文字に思わず目を細める。

 勉強を教わった時、ノートに書いてくれた文字と同じ筆跡。あの時に彼女が勉強を褒めてくれたから、蓮は勉強を続けることが出来て、進学にも困らなかった。

 やはり自分は彼女の影響を受けていると改めて感じながら……蓮は桂樹へ頭を下げると、その封筒をカバンの中へ片付ける。

「ありがとうございます。お借りします」

「手紙は、その……名杙に関することが記載されていて、人に見せることが出来ないんだが……その封筒は、いずれ返してもらえるのだろうか」

「それは恐らく問題ない……と、思います。何かあれば茂庭涼子さんか、彼女をを介して、佐藤支局長か伊達先生から連絡が入るかと思います」

「そうか、分かった」

 桂樹は一度息をつくと、蓮を見つめて行き先を尋ねる。

「自宅まで送ることは出来ないが、せめて最寄りの駅まで送らせてほしい。どこが一番都合がいいだろうか」

「……では、JRの長町駅までお願いします。東北本線で帰るので」

「分かった」

 桂樹は頷いてシートベルトを締める。蓮もまた、助手席のベルトを締めながら……スマートフォンを取り出して、聖人へと現状を報告するメールを送った。

「名波君は……いや、名波君も、変わったな」

「そうでしょうか」

「ああ。冬に出会った時よりも、随分変わったように感じる。里穂ちゃんも心愛ちゃんも仁義君も……皆それぞれ、前に進んでいるんだな」

 信号待ちになり、サイドブレーキを引いた彼がしみじみと呟いた。

 蓮は街明かりに目を細めると……口元に薄く笑みを浮かべて前を見つめ、言葉を返す。

「僕は、姉さんの弟ですから……姉さんの名誉を回復するまで、立ち止まってなんかいられないんですよ」

 故人の送った封筒に貼ってあった切手を元に、DNA鑑定が出来た……というニュースを見ました。(https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201904/20190420_13015.html)


 これを見た瞬間、華だと確定するための方法として手紙を使おうと決めました。最初は桂樹が「俺が弟です」と名乗り出る……みたいな展開も考えていたんですけど、それだと蓮を華の弟に出来ないので、桂樹はあくまでも「華の友人」としての情報提供者になってもらいました。

 恋人にも家族にもなれなかった、という意味では、彼にもそれなりの罰が下っているのではないかな、と、思わなくもないです。弟は1人でいいんだよ桂樹さん!!

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