エピソード5:忘却を越える③
華から『彼女自身の能力』を見せつけられた桂樹は、名杙本家に残っている資料をいくつも開いて、流し読みをして……彼女のような事例が過去になかったかどうか、調べてみることにした。
しかし、名杙本家に残っている資料は、名杙という家の歴史や功績を称えるものばかり。桂樹にとって有益な情報は何1つとして出てこないまま、時間ばかりが過ぎていく。
名杙は、他を排斥出来る家柄だ。
脅かされるようなことがあってはならないし、そんな記録は『必要としていない』。
そう、名杙が他に遅れを取ってはいけない。
あんな得体の知れない女性を放置しておくわけには――いかない。
自室で無益な資料を積み重ねた桂樹は、理解できない現状に頭を抱えたまま黙り込み……ふと、考え方を変えてみることにした。
華が得体の知れない能力を保持していることは変えようがない事実。しかも彼女がそれを自在に操っているのであれば――彼女ごと奪ってしまえばいい。
簡単なことだ。
だって自分には、その『能力』があるのだから。
部屋で1人、視える世界を切り替えた桂樹は――右手の親指と繋がっている華との『関係縁』を左手で掴み、それを両手で強く握りしめた。
もしかしたら見えないのではないかと危惧していたが、どうやら華の能力は永続するものではなく、限定的のようだ。華自身が目の前にいる時か、時間的な制約があるのか……いずれにせよ、万能でないことが分かる。その現状に桂樹は安堵すると、一度、浅く息を吐いた。
覚悟を決めるために。
自分の行動は正しいと、自分自身に言い聞かせるために。
名杙が、他に脅かされることなど、あってはならない。
問題が発生したら――コントロールする。そうすることで生き残ってきた、そんな一族だ。
――他人の感情1つコントロール出来ないで、この家を支配出来るはずがない。
そして、他の『関係縁』よりも意図的に色が濃くなったことを確認すると、口元にニヤリと笑みを浮かべる。
これは、幼少期から父親がやっていたことだった。この『作業』を繰り返すことで意中の女性が自分の方を向いてくれると、酒を飲みながら母親の前で愉しそうに言っていたことを思い出す。
桂樹は幼心に「それを家族の前で言うか?」と思っていたが、母親もまた同調して笑っていたことから……自然と、父親の行動に対する罪悪感を抱かなくなっていった。
それで幸せになっている女性が――母親が、目の前にいるのだから。
桂樹はこうして、名波華との『関係縁』に介入して……彼女が自分の方を向くように、そう仕向け始める。いくら華の能力が規格外とはいえ、彼女は分家の人間だ。本家筋である桂樹の影響力を無視出来るはずがない。
勿論、一朝一夕で華が桂樹の方を向くはずはなかった。最初は華自身も先日のことがあって、桂樹自身に少しだけぎこちない態度をとっていたけれど。
次第に、大学で桂樹を見かけると、華が自分から声をかけてくれるようになって。
サークル終わり、桂樹が華を食事に誘うと、喜んでついてきてくれるようになって。
休みの日に、2人で会ってくれる機会も増えて。
華が卒業して、就職してからもその関係は変わることがなく……桂樹に向けて、楽しそうに笑ってくれるようになった。
分家の人間にしては、名杙本家筋の桂樹の影響力が伝播するのに時間がかかると思ったけれど……恐らく彼女が持っている能力が影響しているのだろうと判断して、桂樹はただ、華との『関係縁』を強化し続けた。
執念が――名杙本家の人間として、どうしても目に余る華の存在を手に入れるという強い思いが、あの時の桂樹を動かしていたように思う。
「桂ちゃんと一緒にいると……時間があっという間に過ぎちゃうね」
別れ際、名残惜しそうに呟いたその横顔に、思わず見とれてしまったこともある。
それだけ彼女は魅力的だったし、桂樹としても一緒に居て居心地の良い女性だった。
だからこそ――時が満ちたと判断して、彼女に告白をした時、すぐにOKしてもらえると思ったのに。
あれだけ『関係縁』を操作したのだから、受け入れるに決まっていたはずなのに。
華が出した答えは、「少し待ってほしい」だった。
「華さん、どうして……俺じゃダメですか? 俺の何が――!!」
「――待って桂ちゃん、その、本当にごめんね!!」
仙台城跡の近くにある、青葉山公園。散策路の脇にあるベンチに腰を下ろしていた桂樹が、華に向けて詰め寄った次の瞬間――華はどこか哀れみのような視線を彼に向けると、彼を真っ直ぐに見据えて問いかけた。
「桂ちゃんは……本当に、私のことが好き?」
「え……?」
「私は桂ちゃんのことは大切に思っているの。桂ちゃんも……同じ気持ちでいてくれる?」
――見透かされた。そう思った。
自分が彼女の能力を恐れるが故に、華を利用するために近づき、縁を強化したことを。
彼女への恋心など、本心ではこれっぽっちもないことを。
桂樹は華から視線をそらすと、背を向けて息を吐いた。
ここで自分の顔を見られたら、内に秘めた本心に気付かれてしまう。
名杙という名前に、傷がついてしまう。
「……突然すいませんでした。俺は本気なので……少し、考えてもらえると嬉しいです」
「桂ちゃん、その……!!」
「授業があるので戻ります。華さんも気をつけて」
自分を呼ぶ彼女の声を無視して、桂樹はバス停の方へ歩き始める。
こんな顔を――敗北感に支配された醜悪な顔を、絶対に見られたくなかったから。
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その後も会は滞りなく進み、10分間の休憩中。
ユカは1人、手元の資料に視線を落としながら……これまでに聞いた内容を整理していた。
すると、その資料に不自然な影が出来る。誰かが横に立っているのだと気付いたユカが顔をあげると、ユカを見下ろしていた櫻子と目が合う。
「ユカちゃん、今日は本当にありがとうございます」
そう言って軽く頭を下げる櫻子に、ユカは慌てて「こちらこそ」と頭を下げた。
そして……居住まいを正すと、改めて謝辞を述べる。
「こんな機会を設けてくれて、本当にありがとうございます。あたしは、その……4年前は福岡におったけんが、詳しいこととか、全然知らんくて……」
「ユカちゃん……」
「4月から仙台におって、今更って気もするんですけど、でも――」
「――そんなことありません」
ユカの言葉を遮り、櫻子は力強く首を横に振った。そして、彼女の隣に座っていた統治と目配せをすると、改めて口を開く。
「そんなことありません。それに……私も同じです」
「櫻子さん……」
「私は、宮城に住んでいながら……何から手を付ければいいのか、どうすればいいのか分かりませんでした。色々な人に話を聞いてもらって、アドバイスを頂いて……ようやく今日に至ります。実際に被災していない私が動くことが正しいのかどうか、きっと、これからも自問自答し続けると思いますが……自分なりの指針を持って、事実を受け止めていきたいです」
「そうですね。あ、そういえば……名波君、よく、話を受ける気になりましたね」
ユカがそう言って、視線の先、仁義の隣に座っている蓮を見つめた。彼は休憩明けに順番が回ってくるので、手元の原稿の最終チェックをしている様子。
櫻子も「そうなんです」と頷いた後、部屋の入口付近に椅子だけを出して座っている伊達聖人を見つめる。
「伊達先生が説得してくださったみたいです。名波さんは、その……名波華さんのことがありますから、私も難しいと思ったんですけど、今回、了承していただけて。名波さんが公の場で彼女のことを語るのは初めてなので、しっかり聞かせていただきます」
「そう、ですね……」
櫻子の言葉に、ユカは曖昧に返事をしつつ、蓮は彼自身と華の関係を、周囲にどう語るつもりなのか……少しだけ、気になっていた。
まさか、本当の姉だなんて言い出さないとは思うけれど……そんなことを考えていると、腕時計を確認した櫻子が会釈をして持ち場へと戻っていく。
離席していた参加者も、徐々に自分の席へと戻り始めて……全員が所定の位置に腰を下ろしたところで、櫻子が、後半の開始を告げた。
「それでは……続きを始めます。名波さん、お願い出来ますか?」
「はい、分かりました」
既にマイクを受け取っていた蓮が、櫻子の問いかけに答えた後……一度息を吐いて、全体を見渡してみる。
全員の視線が、自分に注がれている。
中には見知った人間もいるが、大半は知らない人間だ。
こんなに注目を集めたのは、いつ以来だろうか。
恐らく、あの災害における華の一件が全国的に報道されてから、自分の周囲が騒がしかった時以来だ。
あの時は周囲の目が怖くて、気遣いの声を信じられなくて、全てから耳をふさぎ、視線をそらして……向こうが飽きるのを待っていたけれど。
少なくとも、ここにいる人は違う。そう『信じたい』から。
「僕は……姉さんについて、話をしていいんでしょうか」
「勿論だよ。むしろ、華さんの話を聞かせてほしいんだ」
視線を部屋の後方に向けると、椅子に座っている聖人が、一度だけ頷いたのが分かった。
勇気を出そう。
ちゃんと、伝えるために。
本当のことを、知ってもらうために。
「初めまして、名波蓮です。僕は高校1年生で……あの時は、荒浜周辺で被災しました。もしかしたらご存知の方が、いらっしゃるかも、しれないんですけど……僕の、僕、の……」
この言葉を皆の前で口に出すことで、事実として認めることになってしまうけれど。
今はそれでいいと思える。
だって……。
「僕の親戚に、名波華という女性がいて、一時的に騒がれたことがあります。僕は、華さんを……姉のように慕っていました。だから、その……彼女との話をする時は、昔のように『姉さん』と呼びたいと思います」
華の名前を出した瞬間、周囲が少しざわついた空気を感じた。でも、今はそれでいい。
本当は違う、けれど、血縁関係のなさが、絆の強さを否定することは出来ない。
血は水よりも濃いとはいうし、そのとおりだと思うこともつい最近あったばかりだけど……更に強いものがあると思いたいから。
自分は『姉としての名波華』を慕っていた、この思いまで否定して、過去の自分を消したくなかった。
「姉さんと僕は、同じ敷地内に住んでいたので……本当に、色々な思い出があります。あの災害で僕が生き残ることが出来たのも、姉さんが、小学校まで連れて行ってくれたことです」
あの時繋いだ手のぬくもりは、今でもちゃんと覚えている。
思い出すと泣いてしまうから……今まで、意識してフタをしていた。
「僕と姉さんは、小学校に避難していました。そこで、姉さんと顔見知りの消防団の人に頼まれて……姉さんは、公民館に避難していた人を誘導しに、出ていったんです」
蓮がこう告げた瞬間、出入り口付近にいた駆が思わず目を見開いた。
これまで報じられていたのは、『華が率先して、公民館に人を集めた結果、その場所が津波に襲われて、誰も助からなかった』という内容だったから。
「当時の、報道では……姉さんがまるで、その場に人を集めたように言われました。でも、実際は違うんです。証明は出来ません、恐らく、姉さんと一緒に出ていった消防団の男性も、助かっていないと思います。でも、僕は……僕が尊敬している姉さんは、最期まで、誰かのために生きました。きっと後悔はしていないと思います。けど……残された僕は1人、ずっと……沈んでいました」
彼女の死を悼む間もなく、世間は容赦なく『名波華』の偶像を作り上げていく。
それは、蓮が誰よりも知っている彼女とは乖離していて……受け入れられなかった。
蓮の話を聞いていたユカは、次々と明かされていくエピソードに……ふと、4月に『縁』を切った男性の言葉を思い出していた。
それは、ユカが宮城に来たばかりの頃。心愛と華蓮を連れて、半ば強引に実地研修を実施した時のことだ。
早坂雄吉。
華が最期まで留まっていたであろう、先の災害で流された公民館の跡地で、同じく災害で命を落とした老人の名前だ。
ユカはそこで、『遺痕』認定された彼の縁切りを実施した。
そこに4年間留まっていた彼は……縁を切ろうと自分を奮い立たせていた心愛に向けて、こんなことを言っていたのだ。
――しかし、この場所を面白がって見学にくる連中も多い。儂は……そんな下賎な奴らから、この場所を守らなければならない。それが、儂に残された役割だと思っておる。
この言葉は、自分たちの悲劇を興味本位で見に来る生者を憎み、恨めしく思っていたから発したものだと思っていた。
けれど、もしも……華の名誉を守ろうとして、最期まで人のために生き抜いた彼女をこれ以上汚したくないという意思を持って、あの場に留まっていたのだとすれば。
――彼との間に華との『関係縁』が結ばれていたのだとすれば、4年間もあの場所に留まっていられた理由も、何となく分かる。
名杙直系の『関係縁』は、死してなお年単位で、しっかりした意思と当時の記憶を持った『遺痕』を存在させるほど……強力なのだということだ。
そして。
――あのお嬢さんに伝えてくれ。君は悪くない、信じてここに留まった儂の責任だった、とな。
この言葉を蓮に伝えたい、そう強く思う。
あの時の彼女は片倉華蓮として生きることに精一杯だった。このときも少し離れた場所にいたので、もしかしたら、彼のこの言葉は蓮までしっかり届いていないかもしれない。
だからこそ……彼の最期の言葉を聞いたユカが、蓮へしっかり伝えたい。
華の行動を称賛している人がいることを、彼女の最期を知っている人は、彼女が人のために生きたことを誰よりも理解していると。
「僕は今でも、どうして姉さんがあんな報じられ方をしたのか分かりません。家族を亡くされた御遺族の方が、そう言ったのかもしれません。あの当時は姉さんのことを話しても、絶対に誰も信じてくれないと思って……口を閉ざしました。そしたら、4年も経過していて……このままじゃいけないって、感じたんです」
4年間という時間は、人を成長させ、町を復興させる。
目に見えて変わっていく景色を見ながら、自分だけがあの日に取り残されたような感覚は、ずっと、心のどこかに残っていた。
異なる事実が報道され、記録として残り続けることを、ただ黙って見ていることしか出来なかったけれど。
でも――もう、見ているだけの自分ではいたくない。
大好きな人の汚名は、生きている自分が必ず雪いでみせる。
「どうか……どうか、ここにいる皆さんは、姉さんのことを覚えていてください。名波華という女性が、本当はあの日、1人で多くの人を助けようと一生懸命だったことを……」
目尻に、涙が滲む。
でも今は、それを拭っている暇はない。
蓮は強い眼差しで全体を見つめると……口元を緩め、笑みを浮かべる。
華がそうしていたように、彼女の笑顔を思い出して。
そして……胸の中に浮かんだ正直な気持ちを、飾らずに、自分の言葉で伝えた。
「どうか……忘れないでください」
蓮が穏やかな笑顔でそう言った次の瞬間、彼の頬を一筋の涙が伝って……資料の上に落ちていった。
書きながら「かえるの子はかえる」なんだなぁと思いました。
桂樹と華が恋仲だった、というエピソードは、第1幕で何となく書いて、今回遂にその理由付けをしなければならなくなったんですけど……華が桂樹を好きになるキッカケが、どうしても思い浮かばなくて。
「じゃあ、桂樹が華を利用するために自分の能力を使ったことにしよう」という、ゲスな結論に至りました。彼にあるのは野心のみです。
ちなみにこれを絶対にやらないいのが政宗です。そういう意味でも対照的な2人だなーと思いつつ……親のやってることをナチュラルにやってしまう桂樹もまた、名杙中枢の人間なんだなと実感しておりました。
だからこそ、後半の蓮のエピソードがまぁ清い清い。対照的な弟達ですね。




