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エピソード5:忘却を越える②

 華と桂樹の接点は、サークル活動のみ。 

 そもそも学年が違うため、講義やゼミで一緒になることもない。校内で時折すれ違う時は、それぞれの友人と一緒に行動しているので、特に話しかけることもなかった。

 サークルで一緒に活動している中での彼女は、誰に対しても優しくて、明るくて……学年や性別問わず、多くの人から慕われていた、憧れの存在だった。

 一方の桂樹もまた、そつなく人間関係をこなしながら……異性か好意を告白される機会に何度となく遭遇していた。

 彼の父親が派手に遊び回る性質の持ち主のため、両親は女性関係には寛容だった。都合が悪くなったら『縁』を切ればいい――そう言われて育ってきたこともあり、何となく告白を受け入れて、相手に魅力がなくなったらその『関係縁』を切って疎遠になる……そんな人間関係を繰り返してきたように思う。

 そんな彼の手の内や心の内を、華は知る由もないのだが……一度、桂樹が告白されたことを男性の先輩からからかわれた時、その場に居合わせた彼女から、こう言われたことがあった。


「でも……桂ちゃんは本気じゃないんだから、女の子で遊ぶのは程々にしておきなさいよ。いつか、しっぺ返しをくらうかもしれないんだからね」


  華からの意外な物言いに、桂樹は軽く目を見開いた。そして、華自身もこんなことを言うつもりはなかったのだろう。珍しく驚いたように目を見開き、「あ、えっと……」と、慌てて言葉を取り繕おうとしたのだ。

 しかし、一度口から出た言葉は取り消せない。しかも、その言葉に確かな確信を感じてしまったら――尚のこと。

 どうして彼女は、自分に対してそんなことを言うのだろうか。

 まるで――桂樹の気持ちを見透かすかのように、はっきりと。


 その時の華の態度が気になった桂樹は、その後、彼女の出自について調べてみることにした。

 名波華、彼女は名杙の分家筋の人間らしい。こちらの事情に詳しい理由がよく分かった。

 現在は母親と二人暮らし。父親に関する記述が一切ないけれど、母親が水商売をしている時点でお察しである。

 『縁故』の名簿の中に、彼女の名前は記載されていなかった。とはいえ、どうしても血が薄まる分家筋の人間であれば、『縁故』として覚醒しなくてもおかしくはない。現に名波はあと一人、そんな少年がいるらしいという情報も追記されていた。まぁそんなこと、桂樹には一切関係ないけれど。


 名波華、彼女は完璧な人間だと思っていた。

 人に慕われ、人に優しくできる。わずか1年、サークルで一緒に活動をしているだけの桂樹にもそんな評価をさせるほど、彼女は人に対して完璧だった。現に桂樹に対してもあの言葉以降は普段と変わらず、頼りがいのある優しい先輩として歓迎会を取り仕切ってくれたのだから。

 けれど、あの時の言葉が――初めて他人から指摘されたあの言葉が、どうしても胸の中で引っかかる。


 自分は、彼女に――どう、思われていたんだろう。

 サークルに入ってからの1年間、彼女はずっと――自分のことを、恨み続けていたのだろうか。


 そんなモヤモヤした気持ちのまま、彼女と差し障りのない関係を続けていたある日。

 サークルメンバーと一緒に行った遊園地で、桂樹は彼女の『秘密』を知ることになる。


「桂ちゃんは……私を、名波華を『監視』するために、このサークルに入ったの?」

「監視……?」

 2人で話がしたい、華にそう言われて乗った観覧車の中で、華は桂樹を鋭い目で見据え、厳しい声音で問いかけた。

 随分と穏やかではない言葉に、桂樹は顔をしかめる。そして、心から自分を警戒している彼女の姿に……思わず、笑ってしまった。

 彼の口元に浮かんだ笑みに気付いた華が、更に顔をしかめて問いかけた。

「何がおかしいの?」

「いえ、すいません。どうして本家の俺が分家の華先輩を監視しなきゃいけないのかと……『縁故』でもないのに、随分傲慢なんですね」

 隠す必要がないと判断した桂樹が本音を返すと、華はそんな彼に目を見開いた後……彼と同様に、笑みを浮かべる。

「そう、桂ちゃんは私の『能力』のこと……何も知らないんだね。当然か、ご本家様だものね」

「華さんの、能力……?」

「百聞は一見にしかず、って言うわね。桂ちゃん、貴方も『縁故』なら……私の周囲にどんな『縁』があるのか、見えるんでしょう? ちょっと切り替えてみて」

「……?」

 ゴンドラは、間もなく頂上に達しようとしている。

 2人は外の景色を楽しむこともなく、お互いの行動を注視していた。

 分からない。

 彼女が何を考えているのか、分からない。

 しかし明らかに何か確信を得ている彼女の物言いに、桂樹は違和感を抱きつつも……『縁』が視える状態であっても見た目には何も変化がないため、いつも通りまばたきをして、『縁』を確認しようとしたのだが……。


「――っ!?」


 世界には、何の変化もない。

 しかし、これまで当たり前に見えていた『縁』が―― 一切、視えない。


 桂樹は自分の切り替えが失敗したのかと思い、慌てて呼吸を整えて一度まばたきをした。そしてもう一度呼吸を整えてから、精神を集中させて、再び、視える世界を切り替える。


 しかし――世界には、何の変化もない。


 桂樹は一瞬、彼女が何か仕込んでいるのかと疑ったが……特にそんな素振りも気配もないし、勿論、桂樹自身にも特別な違和感はない。

 こんなことが初めてで理解できない現象に言葉を失う桂樹を、目の前にいる女性は――名波華は、全てを悟ったような眼差しで彼を見つめ、狼狽する彼をあざ笑うように口元に笑みを浮かべた。

「そっか……桂ちゃんにも有効なんだね」

「華さん、これは……何が……!?」

「んー、私にも詳しいことは分からないんだけど……私にはこういう能力があるんだって。私自身には特に何の影響もないんだけど、私の持っている『縁』を、名前を認識した第三者に対して隠すことが出来る。桂ちゃんの反応を見るに、それは正しかったってことか」

 淡々と語る華の話を聞きながら、桂樹ははっきりと己の背筋が冷えるような感覚を抱いていた。

 彼女の話が本当ならば、名杙直系という最大のアドバンテージさえ、彼女に対しては通じないということになるのだ。

 名杙の特性は、相手より上に立つこと。名前を認識させて、相手の反抗を許さない。しかしこれは、相手の『縁』が見えていれば、という当たり前の条件が必要になる。

 一瞬、西の名雲の特性が――名前を伝えた相手に対して『縁』の見え方を変化させられる――が浮かんだが、名雲の場合も、『縁』そのものを見えなくするわけではない。名雲の能力が『縁』にモザイクをかることだとすれば、今の彼女は手品で消しているような状態だ。最も、今の桂樹には……華がどんなタネや仕掛けを使ったのか、さっぱり分からないのだけど。

「そんな……分家にそんな能力を持った『縁故』がいたなんて話は……!!」

「聞いたことがない、よね。私はそもそも『縁故』として数えられていないだろうし……うん、桂ちゃんの反応で安心した。変に疑ってごめんね」

 華はそう言って、彼に苦笑いを浮かべる。

 2人を乗せて下降してきたゴンドラは、間もなく規定の1周を終えようとしていた。

「私のことは名杙も放っておきたいみたいだから、桂ちゃんも黙っててよね。ただ、世の中には君の知らないことも沢山あるってことだけ……覚えておくこと。私が伝えたいのはそれだけよ」

「っ……!!」

 桂樹が言い返そうとした次の瞬間、華が自分の口元に人差し指を添えて……首を横に降った。

「この観覧車を降りたら、この話はオシマイ。私は華さんに、桂ちゃんはいつもの桂ちゃんに戻る、いいわね?」

「そんな、勝手なことを――!!」

 桂樹が不満を伝えるよりも早く、ゴンドラの鍵が外から外される。


 華が外へ足を踏み出したことで、この密会はあっさりと終了した。

 この時は、後に彼女へ惹かれることになるなんて――桂樹自身、思いもしなかった。


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「それでは、時間になりましたので……本日はお忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございます」

 時計の針が13時30分をさしたところで、上座の右端に座っていた櫻子が立ち上がり、ワイヤレスマイクを持つと……全体を見渡して開会を告げる。

 そして、彼女の隣に座っていた男性に目線を向けると、立ち上がった彼を手で指して紹介した。

「今日は、仙台市の小中学校でスクールカウンセラーとして勤務していらっしゃる、小野寺肇先生にも入っていただきます。小野寺先生ご自身も沿岸部で被災された経験をお持ちですので、後ほどご自身の経験を含めたお話をしていただきます。あと、受付で軽くお話しましたが、今日は新聞社の取材も入りますので、可能な範囲内でご協力をお願いします。写真に写りたくない方は、今のうちに挙手をしていただけますか?」

 そういって櫻子が部屋の後ろ、入口付近に視線を向けると、ワイシャツとスラックス姿、その手にデジカメを持っている千葉駆が、『新聞』と書かれている腕の腕章を見せながら軽く頭を下げた。

 櫻子は肇に着席を促すと、誰も手をあげていないことを確認した後……改めて、この会の趣旨を語る。

「今日は、4年前のあの日に関することを……沿岸部で過ごした方の体験談を語っていただきます。あの日から4年以上が経過した今、メディアでの報道も減っていく中で……私達が当時を知ることの重要性を、より強く感じるようになりました」

 こう言い終わった後、櫻子はチラリと、肇の隣に座っている倫子を見た。そして彼女がコクリと頷いたことを確認した後、改めて前を見やり、言葉を続ける。

「手探りで始めている会合ですので、気配りが行き届かないところもあるかと思いますが、今日を有意義な時間にしていただければと思います。では早速、秀麗中学校3年生、阿部倫子さん、宜しくお願いします」

 こう言った櫻子は、視線を倫子へと向けた。倫子は手元に用意されたマイクをそっと握りしめると、チラリと原稿を一瞥する。そして、櫻子が着席するのを待ってから、前を見据え、静かに口を開いた。

「秀麗中学校3年、阿部倫子といいます。今回、あの災害について語る、ということで……私の父に関することを、この場をお借りて、皆さんにお話させてください」

 生徒会長という立場柄、人前で話しをすることに慣れを感じる。淀みなく話を続ける倫子の声を聞きながら……ユカは、彼女の経歴を、改めて思い出していた。


 阿部倫子(あべみちこ)

 彼女と出会ったのは、今年の5月。

 彼女や心愛の通う秀麗中学校で幽霊騒ぎが勃発し、それを解決して欲しいという依頼が舞い込んだからだ。

 ユカが華蓮と共に学校を訪れてみると……そこは、『痕』や『遺痕』が、とても集まりやすい環境になっていて。

 その中心にいて、彼らを引き寄せていたのが、倫子だったのだ。


 彼女が持つ特殊な素質――『縁由』によって、『痕』や『遺痕』が集まりやすくなってしまって。

 今は統治が定期的に学校を訪問して経過観察をしていること、倫子にも『絶縁体』――『痕』や『遺痕』を近づけさせないようにするお守り――を持たせて、『痕』そのものを近づけさせないようにしていること等もあり、学校や彼女周辺で目立ったトラブルはない。

 そんな倫子は、4年前の災害で、教師だった父親を亡くしている。


「私の父は、学校の先生をしていました。勤務していたのは沿岸部の小学校で……あの日は津波警報が発令された後、避難所を開設するために、朝早くから出ていったんです。私はその日……父を、しっかり見送ることが出来ませんでした。過去に似たようなことがあったので、今回も大丈夫だろうと、そう思っていたんだと思います」


 いつもであれば、しっかり見送ることが出来たはずなのに。

 あの日に限っては、ちゃんと見送ることが出来ないまま……曖昧に別れてしまった。


「私もまさか、学校が津波で壊滅するなんて……思っていなくて。自宅は海岸線からの距離もあって、無事だったんですけど……父は、学校の体育館で、地域の住民の方々と一緒に、遺体で発見されました。多くの遺体が重なっていて、引取まで時間がかったんですけど……顔を判別出来る状態まで綺麗にしてもらうことが出来ました」


 海の強大な力に翻弄された人間の体は、多くの瓦礫によって打ちのめされ、海水を吸ったこともあり……場合によっては修復が不可能なほどのダメージを受けたものもあったそうだ。

 彼女の父親も、棺の小窓から見えた顔は生前に見慣れたものだったけれど、右半身は生前の状態まで戻すことが出来なかったと聞いている。

 それでも……遺体を荼毘に付すことが出来ただけ、まだ良かったのかもしれない。周囲には行方不明の家族を探し続ける人が、今でもいるのだから。


 そう思わないと、心が保たなかった。


 どうして、どうして――自分の父親が、こんなことに。

 この疑問の答えだけは、どれだけ勉強しても……一生、分からないのだから。

 だからこそ、非日常を生きることだけを考えて、ただがむしゃらに動き続けた。


「自宅が被災しなかったので、避難所で過ごすことはありませんでした。ただ、祖父母の家が被災して、一時的に私達の家で暮らすことになったり、水やガスの復旧に時間がかかったこともあって……給水車が来る時間帯になると、2リットルのペットボトルを4本、紙袋に入れて、祖父と一緒に毎日給水場所へ行きました。水を運ぶことがこんなに大変だなんて思わなくて……祖父と一緒に、片道10分もかからない道を、毎日汗をかきながら往復したことを覚えていますし、今でも常に水はストックしています」


 給水所で会う人は、倫子の父親のことも知っているので……彼らなりに励ましてくれたり、一緒に泣いてくれたこともあった。

 けれど、水道が復旧して、瓦礫の山が片付けられて、不通だった道が開通して――周囲が『日常』に戻っていくと、それぞれが『日常』に戻っていく中で、取り残されたような感覚だけが残ってしまう。


「そのうち、水も、道路も……もとに戻って、学校も再開されて、祖父母も災害公営住宅に入って……全てが元に戻ろうとする中で、私は一人、取り残されたような感覚で過ごしていたように感じます。でも、私が悲しんでも父は戻ってこないし、私のために頑張ってくれる母や、周囲に気を遣わせてしまうだけなので……我慢していました」


 空気を読んで、大人が望む『阿部倫子』であり続ける。

 だからこそ――1人になった時に、どうしようもない寂しさに襲われることもあった。


「部屋で一人になると、どうしても、あの時のことを思い返してしまいます。まさか……あんな別れ方をするなんて、思っていませんでした。津波警報なんて大げさだ、大人は大変だなって、安直な考えで……今となっては、もっとちゃんと言いたいことを言っておけば良かった、なんて、後悔することばかりで。沢山泣きましたし、それを事実として受け入れられなくて……人に迷惑をかけたこともあります。ただ……」


 倫子はこう言って、一度、息をついた。

 そして、生徒会メンバーが座っている方をチラリと見つめた後、改めて前を向いて――決意を語る。


「私は、一人ではないことに改めて気がつくことが出来ました。そこに至るまでにも少し時間がかかったんですけど、父の……お父さんのことを思って、人前で泣くことがあって、そこから少し、吹っ切れた気がします」


 ――料理、美味しかった。本当にありがとう。


 あの時、統治から伝えてもらった言葉は、本当に自分の父親が発したものなのかは分からない。

 けれど、倫子は……その言葉の出処を信じて、前を向こうと決めた。

 このまま自分が俯いていると、父親までも、心配して……ずっと、下を向いているのではないかと思ってしまったから。

 自分の父親に、これ以上心配をかけられない――かけたくない。


「私の父は、教師として職務を全うして……最期まで人のために生きたことを改めて感じています。私は、そんな父を尊敬していますし、出来ることなら……私が大人になる姿を見守って欲しかった、と、今でも思います。だからこそ、お父さんに報告をする時に恥ずかしくない自分でありたいので、これからも……前を向いて、生きていきたいです」


 『痕』と呼ばれる存在が視えるようになって……今は見えないようにしているけれども、時折、そのような気配を感じることもある。

 だからこそ、もしかして、まだどこかに父親が――という考えは、意識して持たないようにしていた。

 そんな『可能性』にすがっていると、前に進めないから。


「今、こんなことを言われても、実感が持てないと思うんですけど……大切な人とのお別れは、本当に突然なんです。どうか皆さんも、ご自身の周囲にいる人と、色々な話をしてください。そんな時間を……そんな日々を、大切にしてください」


 倫子がそう言って軽く頭を下げると、勝利と櫻子がほぼ同時に、彼女の言葉を肯定するように拍手をする。

 顔をあげた倫子は、穏やかな瞳で前を見据え――亡き父に助けてもらえた、そんな、どこか清々しい気分で、マイクを机の上に置いた。

 このエピソードと一緒に、是非、このボイスドラマも聞いてみてください。(https://mqube.net/play/20171031950512)


 これは、ボイスドラマで倫子役をお願いしている碧山さんが創ってくださったものです。倫子の心情がギュッと凝縮されていて……彼女らしい考え方に、当時、とても感銘を受けました。

 このボイスドラマを元に今回の話を書いたようなものですので、倫子のキャラを広げていただけて、本当に有り難いですね。

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