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エピソード5:忘却を越える①

 彼女と……名波華と初めて出会ったのは、彼が――桂樹が、大学に入学した時のこと。

 華は、桂樹が所属を決めたサークルの先輩だった。

「いらっしゃい、興味を持ってくれて嬉しいな。私は名波華、福祉心理学科の3年生。ここでは部長の次に偉い人ってことになってるから、どうぞ宜しくね」

 桂樹が所属したサークルは、仙台市内やその近隣にある児童福祉施設を訪問し、入所者の子どもとコミュニケーションをとったり、クリスマスなどのイベントでは出し物を企画したり、サークルの卒業生で立ち上げた子どもに関するNPO法人の活動を手伝ったりするという、学外で活動することが主なサークルだった。

 元々、大学でそこまで真剣にやりたいことがあったわけではない。本家からの通達で、中途覚醒した子どもを探すため、1つの学校に所属する教師ではなく、複数の学校で生徒の悩みを受け止めるスクールカウンセラーとしても働けるようになっておけと言われて、福祉系に強い仙台市内の私立大学を選んだのだ。

 桂樹が高校生の頃にこの話を聞いた時は、頷くしかなかったけれど……内心で、強い憤りを感じたものだ。

 いずれは名杙の中心で動くはずの自分に、どうして、二足のわらじをはかせようとするのか。

 名杙統治は――自分より後に生まれたが、『長子の長男だから』という理由で次期当主候補筆頭に名を連ねている彼には、こんなことをさせないくせに。


 しかし、高校生の彼に決定権などない。また、彼の両親も「今は素直に従っておけ」というだけで……あの家から抜け出すことなど出来ないまま、大学に入学したのだ。

 このサークルを選んだのも、学外に知り合いを作る機会が多そうだったから。また、桂樹自身が子供と接することにあまり自信がなかったため、将来のことも考慮して選んだのがここだった。


 そう、理由はそれだけ。要するに将来への踏み台のためだったのに。

 このサークルへの参加が、後に自分の運命を狂わせることになるなんて……思いも、しなかった。


-------------------------------------------------------------------------


 9月第3週の土曜日、秋の彼岸の入りとされているこの日の13時過ぎのこと。

 富谷市にある透名内科・小児科医院の敷地内にあるコミュニティスペースで、主催の透名櫻子は最後のチェックに追われていた。

 艶のある黒髪はハーフアップにまとめ、白い半袖ブラウスに、ダークグレーのスカンツ、足元はベージュのストッキングと白いナースシューズという出で立ち。

 20畳ほどある広い空間に、長机が3つ。1つは櫻子が今作業をしている入り口の近くにあり、

参加者の受付として使う予定だ。もう2つは部屋の奥に一直線で置いてあり、ワイヤレスマイクが3本用意されている。机と一緒に設置されている椅子は8脚。名札が置いてあることから、その席に座っていい人物は決まっていることが分かる。

 その席に座る彼らの話を聞くために、残りのスペースには椅子が30脚ほど並べられていた。

 全体の集合は13時30分としているので、まずは参加予定者が全員、無事にたどり着けるようにと願う。

「これで全員分、ですよね……」

 バインダーに資料をセットした櫻子が、別のバインダーにある名簿の人数と椅子の数を照らし合わせて見ると……廊下の向こうから、複数の足音が聞こえてくる。どうやら先陣が到着したらしい。

「こんにちはっすー!!」

 扉の開閉と同時に顔を出したのは、私服姿の里穂だった。今日は五分袖のTシャツに、デニム素材のバギーパンツ、足元はスニーカー用のくるぶし丈ソックスに、来客用のスリッパを着用している。

 その後ろから仁義とユカが続く。仁義は白いTシャツの上からグレーの長袖パーカーを羽織り、カーキ色のチノパンにスリッパという出で立ち。ユカはいつものキャスケットに髪の毛をまとめ、半袖Tシャツの上からデニム素材のサロペット、足元は皆と同じスリッパという立ち姿だ。

 里穂は真っ先に櫻子を見つけると、パタパタと足音を立てて近づいていく。

「櫻子さん、こんにちはっすー!!」

「里穂ちゃん、仁義君にユカちゃんも……今日はありがとうございます。よろしくお願いしますね」

 そう言って軽く頭を下げる櫻子に、仁義とユカもそれぞれ会釈をする。

 語り手として呼ばれた里穂と仁義のみならず、ユカもこの場に居合わせているのは……ユカ本人の意思だった。


 彼女自身が、最近特に、4年前のことについての見識不足を痛感していて。

 少しでも知ることが出来ればと思い、今回の会に参加してもいいかと櫻子に問い合わせていたのだ。

 櫻子からはすぐに「だいかんげいです。おまちしてます。」というショートメールが届いたため、ユカは政宗に「ここまで連れてきてくれないか?」と打診していた。


「あの……1つ、頼みたいことがあるっちゃけど」

「頼みたいこと? 俺に?」

 ユカと政宗が、『仙台支局』内で仕事の打ち合わせを終えた時のこと。

 政宗の問いかけに、ユカは無言で首を縦に動かす。

 彼はその場でしばし思案した後……思いつく可能性を片っ端から言ってみた。

「ワードアートの挿入方法か? エクセルの関数の設定方法か? グラフ化するような数値はないはずだし、いや、それともパワーポイント……」

「違うよ!! あの、政宗が休みの日に、申し訳ないっちゃけど……その、櫻子さんが主催するワークショップ、あるやん? 3週目の土曜日に開催されるやつ……」

「ああ、あるな。それがどうかしたのか?」

「実は、あたしも参加したくて……櫻子さんに聞いて、参加していいって許可はもらったんよ。でも、その……行き方が、よう分からんで……」

 どこかたどたどしく言葉を紡ぐユカから、政宗は彼女が何を言いたいのかを何となく察していた。

 櫻子がワークショップを開催するのは、仙台の北にある富谷(とみや)という町。

「俺もケッカに声をかけようかと思ってたんだよ。確かにあそこは、近いようで地味に遠いな」

 政宗の言葉に、ユカは「そうなんよ」と肩をすくめた。

 近年は仙台のベッドタウンとして発展しており、人工の増加や商店も充実した住みやすい町として人気なのだが……富谷にはJRの駅が存在しない。地下鉄も延伸していないので、自家用車がなければバスで移動することになる。

 ユカも土曜日に仕事が休みの政宗を駆り出すのは気が引けて、自分なりに調べてみたのだが……土地勘のない場所でのバス移動が、思っていたよりもずっと難しそうだったのだ。

 統治は心愛達の引率としての役割があるし、櫻子は当日の主催なので頼ることも出来ない。そのため……ユカにしては断腸の思いで、政宗にすがることにしたのだった。

「あたしも自分なりに調べてみたっちゃけど、地下鉄も通っとらんみたいやし、1人じゃちょっと不安で……」

「だろうな。俺も正直、すんなりバスで行ける自信はないぞ」

 政宗はユカに同意すると、きまりが悪そうに視線を泳がせる彼女の頭にそっと手を乗せて、頼み事への答えを告げる。

「それくらいお安いご用だ。協力させてくれ」


 というわけで……結局、里穂と仁義も引き連れて、『仙台支局』総出でここまでやって来たのである。

 櫻子はユカに資料が挟まっているボールペン付きのバインダーを手渡すと、この場に居ない彼を探してキョロキョロと顔を動かした。

「佐藤さんはご一緒ではなかったのですか?」

「あ、政宗は奥の駐車場に車を駐めてます。あたし達は入り口で先に降ろしてもらったんです」

「そうだったんですね。それでは……空いている椅子に座って、開始までお待ちください」

 櫻子はユカへ向けてそう言った後、里穂と仁義にもそれぞれ資料付きのバインダーを手渡して、部屋の奥にある長津区へを手で指し示した。

「里穂ちゃんと仁義君は、ネームプレートがある場所にお願いします」

「分かったっす!!」

 元気に返事をした里穂が、颯爽と自分の名前がある場所へ向かう。そんな彼女に続いて仁義も移動を開始したため、ユカも手近な椅子に腰を下ろし、櫻子から受け取った資料をパラパラとめくった。

 パソコンを使って作られた資料には、今回、代表で話をする学生の名前と、その順番が記載されている。

 里穂や仁義、倫子、蓮以外にも2名ほど、ユカの知らない名前が記載されており……時間は質疑応答も含めて一人15分、半分終わったところで10分の休憩が入る構成になっている。

 櫻子はパソコンが苦手だ。一体この資料は誰が作ったんだろう、そういえばこのフォントの使い方は職場でも良く見るなぁと思いつつ、他の学生を出迎える櫻子の背中を見つめていると……開いた扉の奥から、よく通る少年の声が聞こえてきた。


「こんにちは!! 妹さん(・・・)もいらっしゃってたんですね!!」

 夏服姿の勝利から唐突に声をかけられ、ユカは慌てて自分の設定を思い出す。

 『縁故』として仕事をしていない時のユカは、政宗の親戚という設定だ。あまりにも使う機会がないので、当人たちもすっかり忘れているけれど。

「こ、こんにちは。お久しぶりです」

 勝利の勢いにおされつつ、ユカが自分のキャラ設定を必死に思い出そうとしていると……そんなユカの様子は特に気にすることもなく、彼が「そうだ!!」と声をあげた。

「妹さんにも生徒会の新メンバーを紹介しますね!! 前田君と千葉さんです!!」

 そして唐突に新人紹介が始まる。名前を呼ばれた2人は丁度受付を終えたばかりで何事かと尋ねたそうな表情で、それぞれに勝利を見つめていた。そして、そんな勝利に心愛がジト目を向けている。

「島田先輩……何の前触れもなく突然すぎませんか?」

「え? そう? ダメ?」

「ちょっと説明が足りないと思いますけど……」

 心愛はにべもなく言い放った後、困惑する1年生へ苦笑いを浮かべた後、どうすればいいか途方に暮れるユカを手で指し示す。

「えっと……彼女は、山本結果さん。お兄様……名杙先生の友人の、佐藤支局……佐藤政宗さんの、えっと……」

 言葉に詰まる心愛へ、勝利が毅然と助け舟を出した。

「名杙さん、妹さんだよ。妹さん」

「島田先輩うるさいです。だから、ケッカは妹じゃなくて……」

 どうやら心愛の中でも設定がこんがらがっているらしい。無理もないと立ち上がったユカは、結局自分で名乗ることにした。

「初めまして、山本結果です。今は政宗……さんの縁があって、宮城に住んでます。12歳です。皆さんは、心愛……さんと同じ、生徒会のメンバーなんですか?」

 普段敬称を略しているところに無理やり足したため、多少のぎこちなさが残るのはしょうがない。ユカの問いかけに、髪の短い少女が「はい」と頷いた。

「千葉湊といいます。1年生です。夏休み明けから正式に生徒会に入りました」

「1年生……」

 本人の口から聞いても、にわかに信じがたい。身長は勝利を抜いて160センチ以上はゆうにあり、手足がとても長い。ショートヘアーと少し切れ長の瞳、それでいて姿勢もよくてハキハキして快活な表情が似合う彼女は、体育会系の部活にいそうなタイプに見えた。

 ユカが自分より二回りほど大きな湊を見つめると、心愛が情報を補足する。

「千葉さんは元々、バレー部に所属していたのよ。色々あって今は生徒会にいるけど、運動神経抜群なんだから」

「名杙先輩、恥ずかしいですよ……えっと、山本さんですね。宜しくお願いします」

「宜しくお願いします」

 ユカと湊が共に頭を下げる中、受付を終えた倫子と環が合流する。そして、それぞれにユカへ会釈をした後、倫子が代表で現状を尋ねた。

「山本さん、何かあったんですか?」

「あ、生徒会の新人さんを紹介してもらっていたところで……えっと、千葉さんには今、挨拶できたんですけど……」

 ユカの言葉に倫子が彼女の視線の先を追うと……背の高い湊の影に隠れるようにして、あと一人、見るからに気弱そうな男子生徒が、オズオズと様子を伺っていたのだ。

 次の瞬間、環が無言で彼の肩を叩く。そして、「行け」と顎でしゃくった。

 先輩の命令には逆らえない(らしい)……ようやく湊の影から出てきた彼が、ピンでとめた前髪の隙間からユカを見やり、頑張って口を開く。

「は、はじめ、まして……前田利家、です……!!」

 こう言って頭を下げる姿は、一生懸命を通り越えてどこか痛々しくも見える。ユカは慌てて「頭をあげてください」と声をかけた後、実に対照的な1年生が入ったものだと内心で驚いていた。かの戦国武将と名前が同じだが、印象は全く異なる。

 一体生徒会に何があったのか、今度、統治に詳しく聞いてみよう。

「前田君やね……ですね。山本です。宜しくお願いします」

 先程『12歳』と名乗ってしまった手前、彼らの前では年下でいなければならない。更に増えた設定に、ユカが内心で更に頭を抱えた、次の瞬間。


「――そんなところで立ち止まっていると、邪魔になるぞ」


 受付を終えた統治が合流して、生徒会メンバーを諌めるように声をかけた。今日の彼はグレーのポロシャツの上からグレーのカーディガンを羽織り、下は黒いジーンズとスリッパを着用している。そして、彼の後ろに政宗の姿を見つけた勝利は、一人だけ目の色を変えて大きく頭を下げた。

 その様子を見て何事かと驚く1年生に、環が端的に事情を説明する。

「あの人が……『政宗さん』っすね」

 その言葉で全てを察した2人が、それぞれ「あぁ」と頷いて、事の成り行きを見守った。

 襟付きの半袖シャツに紺色のジーンズ、足元はスリッパというラフな格好の政宗に、目を輝かせた勝利が率先して話しかける。

「政宗さん、いらっしゃってたんですね!!」

「こんにちは島田君。学生さんたちは前の方に座ってほしいって、透名さんが言ってたよ」

「分かりました!!」

 そう言って一人颯爽と移動を始める勝利に、倫子は苦笑いを浮かべ、心愛はため息をついて脱力した。

「島田先輩、一人でさっさと行かないでくださいよ……!! ったく、なんで1年生を置いていくのかしら……」

 こうして、生徒会メンバーがゾロゾロと前の方へ移動する背中を見送りつつ……統治はその場から動かず、ユカの隣に腰を下ろした。ちなみにユカは椅子の列の右端に座っていたため、彼女の隣にある椅子は、統治が座った1つだけ。政宗が何か言おうと口をモゴモゴさせた様子をあえて無視しながら、足を組んで手元の資料をめくっている。

「あれ、統治は一緒にいかんでよかと?」

 てっきり心愛達と一緒にいるのだと思っていたユカは目を丸くして問いかけた。その質問に統治は「ああ」と頷いた後、全員が座ったことを後ろから確認して、その理由を告げる。

「俺が前に座っていると、他の学生の邪魔になるかもしれないからな。山本こそ、もっと前に行かなくていいのか?」

「あ、うん。大丈夫。マイクがあるけん、話は聞こえるやろうし……」

 ユカの言葉に統が「そうか」と頷いたところで、政宗が統治の隣へ腰を下ろした。そして、前方に座る勝利達を見やり、目を細める。

「生徒会、いつの間にあんな大所帯になってたんだ? ちゃんと1年生を入れて凄いじゃないか、名杙先生」

 この問いかけに、統治は迷いなく返答した。

「俺は何もしていない。彼女たちが頑張った結果だ」


 その後、政宗が電話のため離席し、ユカが統治と雑談をしながら時間の経過を待っていると……彼が不意に、資料を持って立ち上がった。

「統治、どげんかしたと?」

「脱字を発見した。櫻子さんに伝えてくる」

 そう言って、受付にいる彼女の方へスタスタと歩いていく背中を見つめながら……ユカは改めて、あの2人が付き合っているという事実を噛み締めていた。

 統治が身内以外の人間を呼ぶ場合は、基本的に、名字呼びなのだ。

 下の名前で呼ぶのは、心愛や里穂などの親族や、仁義のように身内に親しい存在に対してのみ。ユカはもとより、あの政宗でさえも、彼はずっと名字で呼び続けている。

 櫻子に対しても、つい先日までは「透名さん」と呼んでいたのだが……付き合うようになってから、下の名前とさん付けになった。櫻子もまた、「名杙さん」から「統治さん」になっている。統治からの指摘に「ありがとうございます」と真っ直ぐに返している姿は、自分とは同世代と思えないほど堂々としていて、かっこよく見えてしまう。

 先程、心愛も『先輩』と呼ばれていた。今まで彼女が一番下だと思っていたけれど、学校でも新たな役割を与えられて、一生懸命頑張っているのだということが容易に想像出来る。


 変わっていく。

 足音ははっきり聞こえないけれど、少しずつ――確実に。


 ――いつか自分も、彼から『ケッカ』と呼ばれなくなるのだろうか。


 ユカがぼんやりそんなことを考えていると、統治がコチラへ戻ってきて……椅子に腰を下ろし、自分を見ているユカを見返した。

「山本、どうかしたのか?」

「あ、ううん、何でも……そういえば統治、いつの間にか、櫻子さんのことを下の名前で呼ぶようになったやね」

「ああ」

 それがどうした、と、言わんばかりの彼に、ユカは口元に笑みを浮かべて声を潜める。

「前に政宗が愚痴っとったよ? 統治がいっちょん下の名前で呼んでくれんって」

「特にその必要性を感じないからだ」

 統治はそう言った後……ふと、ユカを見つめ、真顔で尋ねる。

「俺が彼女を下の名前で呼ぶのは、世間的に見るとおかしなことなのだろうか」

「へっ!? い、いや、いっちょんそげなことなかよ!! むしろ仲睦まじくていいことだと思いますけんたい!!」

 自分でも語尾が面白おかしくなってしまったと思うけれど、言いたいことは何とか伝えられたと思う。ユカの言葉を聞いた統治は、少し面食らったような表情になった後、どこか安心したように息をつく。

「……そうか」

 その一言に彼の安堵が含まれていることを誰よりも知っているユカは、統治なりに色々なことを模索しながら彼女との関係を進めようとしている気配を感じて、心の中でそっとエールを送る。


 次の瞬間――今日の語り手として名を連ねていた蓮が、静かにユカの隣を通り抜けて……前方に用意された自分の席へと歩いていった。

 今回、本編に初登場した生徒会の新人2名は、外伝で加入しました。(https://ncode.syosetu.com/n9925dq/52/)

 心愛や環が先輩になっちゃいましたね。彼らは外伝での出番が多くなるかと思いますので、出てきたら思い出してあげてくださいませ!!

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