エピソード4.5:近くて遠い場所
翌日、それぞれが席について始まった朝のミーティングで……政宗から全員に向けて、蓮(片倉華蓮)の無事が報告された。
一報を聞いた瑞希は「良かった……」と小さく呟いて息を吐き、ユカと統治もそれぞれに胸をなでおろす。
政宗は机上の卓上カレンダーに視線を向けた後、改めて全員を見つめて言葉を続けた。
「片倉さんは今日と明日の休みの予定を入れ替えることになったから……今日が休み、明日が出勤だ。そのつもりで動いてくれ。支倉さん、今日の全員の予定はどうなっていますか?」
「は、はいっ!!」
話をふられた瑞希が勢いで立ち上がり、手に持った手帳をパラパラとめくる。
「え、えっと……今日は、佐藤支局長が午前10時と午前11時30分、午後3時からそれぞれ外回り、午後5時から茂庭万吏さんとここで打ち合わせです。名杙さんは主に、『生前調書アプリケーション』のメンテナンス、午後4時30分からは、名杙心愛さんと森環君の研修に、山本さんと一緒に同行する予定です。山本さんはそれまで……あ、午前11時からの『福岡支局』とのオンラインミーティングなんですけど、これはどこで実施するんですか?」
瑞希が政宗に問いかけると、政宗は無言で統治を見つめる。全員の視線が統治に注がれる中、彼はユカが仕事で使っているノートパソコンを指差した。
「山本のパソコンにもカメラはついているから、無料通話ソフトを使って自分の席で会議に参加してもらう。後でインカムを出しておくから、取りに来て欲しい」
「分かった」
ユカが首肯して、瑞希に続きを促した。
「えっと、山本さんはネット会議と研修に同行で……あ、あと、私は、万ちゃ……茂庭さんに提出する会計監査用の資料と、福岡に請求する山本さんの渡航費をまとめておきますっ!! きょ、今日はそんな感じです!!」
「ありがとう支倉さん。あ、そうだ……俺からあと1つ。昨日、福岡に出した書類でミスがあったんだ。俺の確認不足だったから、俺は勿論気をつけるし……皆も改めて気をつけて欲しい。他に誰か、この場で言っておきたいことはある?」
そう尋ねた政宗が全体を見渡すと、ユカと統治はそれぞれ首を横に振っていて。瑞希はそれに輪をかけてプルプルと首を振っていた。
「じゃあ、今日も一日宜しくお願いします」
政宗のこの掛け声で、『仙台支局』の1日が始まる。
「――ケッカ、ちょっと」
始業して15分ほどが経過した頃。出力した書類をプリンターから取った政宗が、彼の斜め後ろにある自席でパソコンを操作していたユカに声を掛けた。
「ん?」
肩越しに振り返った彼女へ、政宗は衝立の向こうを指差す。
「福岡から来月のスケジュールが来てた。一緒に確認したいから向こうで話をしてもいいか?」
「了解」
政宗の言葉に、ユカはボールペンを挟んだメモ帳とマグカップを持って立ち上がる。そして、彼に続いて衝立を超えると、応接用のソファに腰を下ろした。
机を挟んでユカと向かい合うように腰を下ろした政宗は、A4サイズのコピー用紙を2枚、ユカの前に出す。そして自分用に準備していた同じ書類を手に取ると、順を追って声に出していった。
「ケッカにも個別にメールは入ると思うけど、日程は10月2日から10月6日まで。2日の午前中に移動して、6日の夕方に帰ってくるスケジュールだな」
「なるほど……あと一ヶ月もないわけやね」
それまでにまとめなければならない資料が行列を作り始めている。ユカが渋い顔で呟くのを政宗は横目で受け流した後、資料の続きを読み上げた。
ユカを手伝うことも出来るけれど……多分、瑠璃子に見抜かれてしまうから。
「2日の午後に打ち合わせと聞き取りがあって、3日の午前中に報告会、午後からは名雲幹部との面接だ。まぁ、麻里子様だとは思うが……仙台で超絶に頑張って働いてるって、しっかりアピールしてくれよ」
「何それ……」
「4日と5日は休み。6日の午前中は『未定』になってるけど……恐らく一誠さんと縁切りに駆り出されて、『縁故』としての実力もチェックされて終わりだろうな。来月までには『縁故』としての活動も出来るよう、今月中に伊達先生に診てもらうとして……飛行機に関しては来週の金曜日までに福岡から予約番号が届くはずだから、届いたら支倉さんに伝えてくれ」
「分かった。泊まるホテルとかってどげんなっとると?」
「飛行機と一緒に連絡が来るはずだ。博多か薬院あたりだと思うぞ」
「食事代は経費になると?」
「瑠璃子さんに言えば大丈夫だと思うから、レシート捨てるなよ」
政宗の指示を断片的にメモへ書き留めながら、ユカは改めてスケジュールを確認して……資料作成に報告会、面接などなど、自分が苦手なことばかりじゃないかとため息をつく。
しかし、これを乗り越えなければ仙台で引き続き働くことが出来ないのだとすれば……。
「……ちゃんと戻ってくるために、頑張らんといかんね」
ユカの決意に、政宗は少し驚いた表情で手を止めた後……握った右手をユカの方へ突き出して、笑顔と共に言葉を続ける。
「みんなで待ってるからな。協力出来ることがあったら教えてくれ」
「りょーかい。困ったら泣きつくけん優しく教えてね、佐藤支局長」
ユカも右手を軽く握ると、彼の手に軽くぶつけて決意を伝えた。
打ち合わせを終えたユカは、情報を整理しながら……立ち上がって席へ戻ろうとする政宗のワイシャツを、すれ違いざま、無造作に引っ張った。
「うぉっ!?」
突然動きを止められた政宗が、何事かと思って彼女を見下ろすと……ユカが自分を真剣な眼差しで見つめているから、思わず居住まいを正す。
「け、ケッカ? まだ何かあるのか?」
「あの……1つ、頼みたいことがあるっちゃけど」
「頼みたいこと? 俺に?」
政宗の問いかけに、ユカは無言で首を縦に動かす。
彼はその場でしばし思案した後……思いつく可能性を片っ端から言ってみた。
「ワードアートの挿入方法か? エクセルの関数の設定方法か? グラフ化するような数値はないはずだし、いや、それともパワーポイント……」
「違うよ!! あの、政宗が休みの日に、申し訳ないっちゃけど……」
こう言って言いよどむユカから『頼みたいこと』を聞いた政宗は、「そんなことか」と破顔して肩をすくめた。
どこか表情が深刻だったから、体の具合が悪いのかと思ったけれど……そういうことではなく、彼女が自分で決めたことに対しての協力依頼だったから。
「俺もケッカに声をかけようかと思ってたんだよ。確かにあそこは、近いようで地味に遠いな」
「あたしも自分なりに調べてみたっちゃけど、地下鉄も通っとらんみたいやし、1人じゃちょっと不安で……」
「だろうな。俺も正直、すんなりバスで行ける自信はないぞ」
政宗はユカに同意すると、きまりが悪そうに視線を泳がせる彼女の頭にそっと手を乗せて、頼み事への答えを告げる。
「それくらいお安いご用だ。協力させてくれ」
――同日、時刻は12時を少し過ぎた頃。
『仙台支局』がある駅前の複合ビル内には、会社のオフィス以外にも商業施設や貸し会議室、病院、市の出先機関などが入っている。
その一角、5階にある会議室の扉が開き、中からゾロゾロと多くの人が出てきた。性別や年令に共通点はなく、男性はスーツ姿、女性はアンサンブルをトップスにして、膝丈のスカートをはいている人が多い。
それぞれ首から所属などを記載した名札をぶら下げており、の手には『宮城県教育委員会』と書かれた茶封筒があった。
そんな人波に紛れ、背の高い男性が歩いてくる。彼は多くの人が立ち止まっているエレベーターホールを一瞥すると、非常階段で2階まで下りてから仙台駅方面へ抜けようと結論づけた。そして一歩踏み出そうとした、次の瞬間。
「――最上先生!!」
背後から呼び止められ、条件反射で足を止めた。そのまま振り向いてみると、顔見知りの男性が小走りで近づいてくる。
「小野寺先生、体の具合はもう大丈夫なんですか?」
「おかげさまで……その節は大変ご迷惑をおかけしました」
『小野寺先生』と呼ばれた人物は、向き直った彼に向けて苦笑いを浮かべた。
彼よりも一回りほど小柄な、20代後半の男性。中性的な顔立ちで、顔にはノンフレームの眼鏡。グレーのスーツに身を包み、その手には茶封筒と黒のビジネスバッグを持っている。
名札に記載された名前は、『小野寺肇』。
2人はそのまま並んで歩き出し、非常階段を使って下まで降りることにした。
「小野寺先生、あの時は結局風邪だったんですか?」
「そのようです。季節の変わり目と、夏休み明けでちょっと立て込んでいたこともあって……お恥ずかしい限りですよ。最上先生もお忙しいのに申し訳ない……」
「いえ、俺も丁度その日は休みだったので。気にしないでください。特に気になる生徒もいませんでしたから」
彼はそう言って前を向くと、足元を踏み外さないように気をつけながら階下へ向かう。
そして、2階まで降りてきたところで扉を開き、商業エリアをすり抜けて自動ドアをくぐった。
彼がそのまま仙台駅へ続くペデストリアンデッキへ向かおうとしたところ、彼――肇はは立ち止まり、反対方向を指し示す。
「僕は車を向こうに停めているので、ここで失礼します」
「そうでしたか。お気をつけて」
形式的な挨拶を済ませ、彼が足早に仙台駅方面へ向かおうとした次の瞬間――
「あ、そうだ最上先生、よければこれ、どうぞ」
肇から呼び止められた彼に差し出されたのは、手のひらサイズで個包装にされたベビーカステラだった。
唐突な申し出だが、断る理由もないのでそれを受け取ると……肇は同じものをカバンから取り出して、どこか気恥ずかしそうに笑う。
「最近、こういう甘いものを食べないと落ち着かなくて……あ、これが先日の埋め合わせってわけじゃないですよ!?」
「分かってますよ。ありがとうございます。では、お気をつけて」
彼もまた肩をすくめて会釈すると、今度こそ踵を返して駅の方へ向かった。
この場所には、あまり長居をしたくなかったから。
「……ふぅ」
早足でペデストリアンデッキを通り、仙台駅の駅舎内に入った彼は、改めて息をついて……歩く速度を少しだけ緩めた。
研修があるから、仕方なく先程の場所に行ったけれど……こんな平日の日中に近づきたい場所ではない。
あのビル内では、顔見知りが働いているのだから。
もしかした……自分が統括していたかもしれない、そんな場所だから。
黒いスーツのポケットから、交通系ICカードの入った財布を取り出しつつ。先程の肇の行動を思い返して、思わず立ち止まる。まさか、こんなものを受け取るとは思っていなかったから。
「……甘いものを持ち歩くような人だったんだな」
肇と彼は、仙台市内の小・中学校を巡回しているスクールカウンセラーという繋がりがあった。丁度先週、肇が体調を崩してしまい……非番だった彼が肇の担当する学校を臨時で訪問し、繋ぎの役割を果たしていたのだ。
加えて先程までは、県内で同様の仕事をしている人間を集めた研修会が開催されていた。立場上、出なければならないとはいえ……会場名を見た時は、苦虫を噛み潰したような顔になってしまったことは否定出来ない。
同じビル内にある『東日本良縁協会仙台支局』と、今年の春に盛大なトラブルを起こしてしまい……彼はもう、二度と、関わることが許されないのだから。
「……行くか」
独り言ちって歩みを再開し、次の目的地を目指す
午後からは自分が担当している小学校へと顔を出して、放課後が終わるまで仕事をしなければならない。昼食は降りた駅の近くにあるコンビニで調達して、職員室の一角で食べさせてもらおう。
彼――最上桂樹は、切れ長の瞳で前を見据えると、人波に紛れて自動改札を通過した。




