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エピソード4:餞④

 聖人は二人分の食事が入った袋を机の上に置くと、その机を挟んで、蓮の正面に腰を下ろした。そして、中身を取り出しながら……蓮の様子を観察しつつ、口を開く。

「正直、ここにいなかったらどうしようかと思っていたけれど……政宗君が素直に帰ったから、蓮君はここでお腹をすかせているだろうなって思ってね。居てくれてよかったよ」

 一方、聖人の方を見ようともしない蓮は不機嫌な顔で露骨に視線をそらし、毒づくように吐き捨てた。

「……何をしに来たんですか?」

「政宗君から、蓮君が……正確には華蓮ちゃんだけど、いきなり『仙台支局』からいなくなったって聞いたからね。華さんらしきご遺体も見つかったって聞いて、流石に動揺しちゃったのかなって。とはいえ、いきなり飛び出して誰にも連絡もせずに引きこもるのは、みんな困っちゃうよ」

「そうですね……」

 『みんな』という言葉が、今の蓮にはとても煩わしい。

 自分のことなんて放っておいて、華のことだけを考えればいいのに。

 聖人の言葉を適当に受け流したいのに、彼の言葉の1つ1つが、心にチクチクと刺さっていく感覚がある。

 遠回しに、あの場から逃げたことを責められているのではないか――そんな気がした。


 どうして自分が、部外者の聖人から責められなければならないのか。

 

「しばらく1人になりたいんです……お心遣いは有り難いですが、帰ってもらえませんか? 佐藤支局長には、後で電話で謝罪を――」

「――自殺しそうな勢いで凹んでいる蓮君を、1人には出来ないかな」

 あえて言葉を選ばず、ピシャリと言い放った聖人は、ビクリと両肩を震わせた蓮へ向けて、淡々と言葉を続けた。

「蓮君に何があったのかは詳しく知らないけれど、もう高校生なんだから、考えなしに行動して周囲に迷惑をかけるのはどうかと思うよ。ましてや君は、社会で働いているんだ。いくら精神的に未熟とは言え……先月も同じような失敗をしたこと、もう忘れちゃったのかな?」

 いつもより棘を多く含む聖人の言葉が、心に刺さって――とても、とても煩わしい。

 蓮は視線をそらしたままため息をつき、苛立ちの交じる声で返答する。

「わざわざお説教ですか? そうですね、僕に学習能力がないのが悪いんです。反省しますから、今は放っておいてくださいよ……」

 刹那、聖人はいつもよりも声をワントーン下げて……蓮にこう尋ねた。

「蓮君は、人の話を聞く時には話している人の目を見なさいって――お父さんやお母さんに教わらなかったのかな?」

「っ――!!」


 次の瞬間、蓮は激高して顔を上げると、間髪入れずに机の上の弁当を右手で払いのけた。

 割れるようなものはなかったが弁当の中身が床に散乱して、倒れたペットボトルが離れた場所に転がっていく。

 蓮は両手を握りしめたまま……極限まで釣り上げた眦で、聖人をしっかりと見据えた(・・・・・・・・・)


「知ったような口をきくな!! 僕の父親も母親も、何もしてくれなかった!! 何もだ!! お前に想像出来ないだろう!?」


 思い出すだけで、胸が締め付けられる。

 自分の方を見てくれることのない両親と、その場にいないものとして扱う親族。

 1人で食べる食事の味気なさと、隣から聞こえる楽しそうな声。


 世界から取り残され続ける、そんな孤独を知らないくせに。


「大体、貴方が僕のことを言える立場ですか!? 大学まで出て医者になって、名杙にも認められて……人生の成功者じゃないですか。こんな惨めな僕を見て、哀れんでいるんでしょう!? 今日だってこんな施し……僕はそんなこと頼んでない!! 望んでない!! いつも勝手に先回りして決めないでくれ!!」


 冷たくなった残りものが可哀想で、自分と重なって見えた。

 そんな蓮の目を見て、笑顔をむけてくれた華も……今は、もう、どこにもいない。

 それに、華からも『弟』だと思われていなかった……その事実を知ってしまった今、何を拠り所にして生きていけばいいんだろう。


「こんな僕が生きていて何になるんだ……誰が僕を必要としてくれる!? こんな惨めな思いをして、自分がどうしたいのかも分からなくて、何も信じられない、こんな世界でどうして――!!」



「――甘えるのもいい加減にしないか!!」



 刹那、蓮の言葉を打ち消すように聖人が出した大声に、蓮は目を見開いて呼吸を止めた。

 そこにいた彼は、蓮が知っている普段の彼とは程遠く……感情を顕にして、蓮へ真っ直ぐに怒りを向けている。

「伊達、先生……」

「どうして君は『今の自分』を見ようとしない? 確かに君の境遇には同情するし、華さんとの絆が強かったこと、それが不本意な形で終わってしまったことも知っているよ。けれど……罪を犯して、その罪を償おうとしている君の姿を見て、周囲が、君の認識を良い方向に変え始めたところだったじゃないか!!」


挿絵(By みてみん)


 過去は変えられない。時間を戻すことは出来ない。

 だからこそ、未来に続く今の時間を、過去の贖罪と未来への貯金にあてていた。

 不条理を把握して、不満を滲み出しながらも不承不承受け入れて……目の前のことを頑張っている。

 そう思って、見守ってきたのに。

「君は……それにすら気付けなかったのかい? どうして君は変われずに、過去ばかり気にしているんだ?」

「そんなこと言われても……そう簡単に変われるなら苦労しないんですよ!!」

「君は変わろうとしていたじゃないか!! 現に今日も、いなくなった君を心配して探していた人が何人もいるんだぞ!! 何よりも、先月……自分の目の前で言ってくれたことは、全部嘘だったっていうのか!? 僕の家はここだと、そう言ってくれたじゃないか!!」

「え……?」

「あの時の言葉が嘘だったと言うなら……今すぐにこの場で撤回して欲しい。それを聞いたら、自分は帰るよ」

 聖人はそう言って、一度、長く息を吐いた。

 そして……蓮を真っ直ぐに見据えて、彼の言葉を待つ。


 聖人が何のことを引き合いに出しているのか、すぐに思い出せた。

 先月、名杙慶次と諍いになって、1週間謹慎していた時……蓮は自分の意思で、聖人へとこんな決意を口にしている。


 ――僕の『家』は、ここです。僕はもうしばらく、ここで『縁由』能力者の1人として生きていきます。これは僕が決めたことです。自分が納得出来ない……不甲斐ない生き方だけは、絶対にしたくありません!!


 あの時は、心からそう思った。

 だって、心の奥底に……『姉としての華』がいて、それを信じられたから。

 自分は名波華の弟として、苦境に負けず、しっかり生きていきたいと……不甲斐ない生き方をしたくないと、そう、思えたから。


 その支柱が根本からボッキリ折れた今、同じことを言えるだろうか。

 華との絆を信じられなくなった今の蓮に、断言するだけの強さが残っているだろうか。


「僕は……」


 迷いを振りほどきたくて、両腕を膝の上で強く握りしめた。

 聖人はその場から動かず、真剣な目で、蓮を静かに見据えている。


 決めなきゃいけない。

 自分の意思を、覚悟を決めて、ちゃんと伝えなければ。

 


 ―― 一体、何を?




「僕は……」




 分からない。

 何も分からない。

 何を信じればいいのか、どこに進めば良いのか、何も分からない。


 導いてくれる華は、いない。

 何かと自分を気遣ってくれるユカも、指示を出してくれる政宗や統治も、同年代として接してくれる心愛や里穂、仁義も……いつも穏やかな笑顔だった聖人も、自分の周囲には誰もいない。


 いないんじゃない、いなくなったんだよ。

 意地悪な誰かが、頭の中で囁いた。


 分からない。

 何も分からない。

 一人になったこんな時は、どうすればいいんだろう。

 今までの自分だったら、目をそらしてやり過ごしてきた。もしくは口を閉ざし、目と耳を塞いで……自分ではない誰かの決定を待っていたけれど。

 分からない自分を認めたくなくて、今まで強がって逃げてきたけれど。

 これは、自分で決めなければ。

 聖人と――名杙と決別するのか、これからも彼らに従っていくのか。


「僕は……」


 1人で決めて、いいのだろうか。

 華と別れたあの時も、桂樹と出会ってあの計画を持ちかけられたあの時も、自分1人で決めたことは結局良い結果に結びつかず、後悔の種になってしまっている。

 自信がない。

 今の感情だけで結論を出してしまうこと、未来に『また』後悔するかもしれない、それが何よりも怖い。

 けれどこんなこと、誰にも言えずに……泣きそうになる自分を何度も殺してきた。



「僕、は……っ……!!」



 口の中はすっかり乾いているのに、目元だけが妙に湿っていて、視界が滲む。

 それが……目に浮かんだ涙だということを、迷いが露呈してしまっていることを、認めたくなかった。



 心が次の言葉を探していた、次の瞬間――華の言葉が、脳裏をよぎる。



 ――大切な言葉はあまり飾らずに、勇気を出して、はっきり言ったほうがいいよ。間違って伝わると……お互い、悲しくなっちゃうからね。


 ――蓮はもともと口数が少ないし、色々我慢しちゃうから……言いたいことが言えなくなる前に、はっきり言えるようになれるといいわね。


 思い出したのは、あの時の言葉。

 困っている時、どうしようもない時に思い出していた、そんな言葉だ。

 あの時は、自分から勇気を出して手を差し出して、声を出すことが出来た。

 それはきっと、隣に華がいてくれたから。だからあんなに、強くなることが出来た。


 今はもう、彼女はいないけれど。

 でも、こうしてすぐに思い出すことが出来るほど……蓮の中には、『名波華』との強い絆がある。

 華が自分のことを『弟』だと周囲に伝えていなかったことは、とてもショックだったけれど。

 でも、それが……華との思い出を、彼女とのかけがえのない時間を、全て否定する根拠にはならない。


 だって、あの笑顔を、今でもすぐに思い出すことが出来るから。

 彼女のことが、大好きだから。



 ――なりたい自分になれるわよ。だって、蓮は……私の弟なんだから。



 その言葉を、もう一度だけ、信じさせてください。

 なりたい自分に――貴女の『弟』に、なりたいから。

 誰よりも近くから、もう一度だけ、自分から手を伸ばす勇気をください。

 今度こそ、掴んでみせるから。

 もう二度と、後悔したくないから。


 蓮は静かに涙を流しながら、聖人を見つめて……懇願した。 



「助けて、ください……僕は……どうすればいいんでしょうか……」


挿絵(By みてみん)


 その言葉に、聖人は静かに頷くと、白衣のポケットからハンカチを取り出して……そっと、机の上に置いた。

「洗濯してあるから、大丈夫だよ」

「すいません……」

「蓮君はとても大人びているから、これまでにも1人で考えて、決めてきたんだと思う。でも……それって、誰にも話を聞いてもらえなかったからじゃないのかなって、ずっと引っかかってたんだ」

「……」

 こうやって自分のことをプロファイリングして、見透かしたように言う彼に、自分の何が分かると毒づきたくなるけれど。

 でも……結果としてそれが正解なのだから、今は黙って受け入れることしか出来ない。

「蓮君は話をしても無駄だと思えるだけの環境で生きてきて、全て1人で決めてきて……色んなものを背負いすぎて、助けを求められなくなっているように見えてね。だからわざと意地悪な言葉を使ったことは謝るけれど……蓮君、その煽り耐性の低さは、本当に何とかした方がいいと思うよ」

「……善処します」

 結局説教じゃないか、と、目を伏せる蓮に、聖人は目を細めて足を崩した。

「実は自分も、過去に少し似たようなことがあってね。蓮君が思っているようなエリートではないんだ。でもそこで、ある人からの助言を信じて行動したことが……今の自分に繋がっていると思っているんだよ」

「信じられませんね……」

「おやおや、自分のこの目が嘘をついているように見えるのかな? 伊達先生、悲しい。しくし――」

「――そういうことばっかりやってるから、信じられないって言われるんですよ」

 いつもの調子で、にべもなく言い返されてしまい……聖人は苦笑いで肩をすくめた。

 そして、同じ表情で自分を見ている蓮と視線を交錯させた後……とある方を指差す。

「さて、蓮君……食べ物を粗末にした落とし前は、どうつけるつもりなのかな?」

「あ……」

 指摘されて気付いた。先程払い除けた唐揚げ弁当が、見るも無残な状態で床の上に転がっていることに。

 しかし、汁気のあるおかずは特に入っていなかったこともあり、片付けはあまり手間取らずに済みそうだ。

 蓮はハンカチを机上に置いて、弁当容器が落ちているところに近づいた。そして、近くに落ちていた割り箸の封を切って中身を取り出し、半分に割る。

 その割り箸を使って、床の上に落ちていた唐揚げや付け合せのパスタ、キャベツの千切り、白米を出来る限りすくい上げると、グチャッとしてしまった弁当を2つ、机の上に置く。

 見た目は悪くないし、食べ物を粗末にしたのは自分だ。この落とし前はしっかりつけないと……華にも怒られるような、そんな気がする。

 そこで……蓮は、一度も華に怒られたことがないことに気付いた。

 彼女はいつも穏やかに笑って、自分が迷った時は「こうすればいいんじゃない?」という答えをくれたし、蓮も彼女に嫌われたくなくて、幻滅されたくなくて良い子であろうと頑張っていたから。


 もしも、華が自分を叱るとしたら……どんな言葉をかけてくれるだろう。

 すぐに想像することは出来ないけれど、きっと、目の前にいる彼のように真剣に向き合ってくれる、そう思いたい。


 蓮はチラリと聖人の方を見やり、オズオズと問いかけた。

「その……僕がダメにしてしまったので、伊達先生の分を買ってきます。何がいいですか?」

 その言葉の答えとして、聖人は蓮の側にある弁当を1つ、自分の方へ引き寄せた。そして、いつも通りの笑みを向ける。

「消費期限内だから大丈夫だよ。あ……でも、後から床はしっかり雑巾がけしておいてね」

「……分かりました」

 首肯した蓮はため息をつくと、少し離れた場所に転がってしまった2本のペットボトルを拾い上げ、1本を聖人の前に置いた。

 そして、もう一本を弁当の左脇に置いた後……軽く目を閉じて、両手を合わせる。

「……いただきます」

「いただきます」

 こうして久しぶりに、2人で夕食を食べた。


 食後、蓮が汚れた床を雑巾がけしていると……どこからともなくプリンを取り出していた聖人が、「そういえば」と、蓮の背中に話しかける。

「蓮君、新聞は読んでいないかな」

「新聞、ですか……?」

 聖人の問いかけに手を止めた蓮は、体を起こして彼を見つめ……首を横に振った。

「いいえ、特には。新聞がどうかしたんですか?」

「千葉駆君、知ってるよね。彼が石巻の新聞社で働いていることも知っているかと思うけど……その新聞社が発行している新聞の連載記事で、『4年前の真実』っていうものがあるんだ」

「『4年前の真実』……」

 意味深なタイトルに、蓮は手を止めて聖人を見やる。

 4年前の『真実』、その言葉が示すもの、それは……。

「災害当時は混乱していて分からなかったこと、不明瞭なまま伝わってしまっていることを改めて取材して検証しているんだけど……それを見ていて思いついたんだよ。蓮君が華さんについて話をすれば、きっと、紙面で取り上げてもらえるってね」

 刹那、蓮が露骨に顔をしかめた。そして、どこか吐き捨てるように独りごちる。

「どうせまた、紙面で面白おかしく取り上げられるんですよね」

 蓮の言葉に、聖人はゆっくりと首を横に振った。

「4年前は全国的に注目されていたから、どうしても一部を切り取った内容が独り歩きしてしまっていたけれど……今回は、宮城で実際に被災した人が、紙面作成の陣頭指揮をとっているんだ。あの現状を……あの日のことを、当事者として知っている人のはずだよ」

「……」

「実は今回、櫻子ちゃんが開催するワークショップの話も新聞社に伝えて、当日は取材が入る予定になっているんだ。そこで蓮君が華さんについて話をすれば、華さんに関して間違って伝わってしまっている情報を訂正するキッカケになるかもしれないと思ってね……この件は蓮君自身の口で、話をして欲しかったんだ」

「そういうことだったんですね……」

 聖人の言葉に、蓮は一度息をついて……再び視線をそらすと、綺麗に拭き上げた床を見つめる。

 そして、洗面所で雑巾を洗うために立ち上がり、聖人の後ろを通り抜けて……廊下へ続く扉の前に立つと、誰も居ない廊下を見つめた。


「伊達先生……」

「何かな?」

「僕の話、聞いてもらえるでしょうか」


 1人で抱えてきた真実を話そうと思ったことなど、今までなかった。

 だって、誰も――話を聞いてくれないと、そう思っていたから。

 蓮の言葉に、聖人は躊躇いなく首肯する。


「勿論。それぞれの話をしっかり聞く場所だからね」

「嘘だって……でたらめだって、思われないでしょうか」


 生前の華の功績について話をしようとしても、誰も聞いてくれなくて。

 大学での評判ですら報道されず、絶望したこともある。

 続けざまに問いかける蓮の不安を、聖人はいつもどおり笑い飛ばした。

「そんなことを言うような人は、最初から呼んでないよ」

 この言葉に、蓮はピクリと肩を震わせると……背を向けたまま、少し震える声で問いかける。


「僕は……『姉さん』について、話をしていいんでしょうか」


 『名波華』という女性と過ごした日々を、誰かに伝えて良いのだろうか。

 姉弟ではないけれど、そこには確かに絆が存在したと、訴えていいだろうか。


 この問いかけに、聖人は力強く頷いた。


「勿論だよ。蓮君から見た華さんの話を聞かせてほしいんだ」


 この言葉に、蓮は「分かりました」と返答してから、扉の向こうへ消えていく。

 その背中を見送った聖人は、白衣のポケットからスマートフォンを取り出して……櫻子へ送る予定だった蓮の不参加に関するメールを、静かに削除したのだった。

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