エピソード5:忘却を越える④
桂樹が華に告白をしてから、1ヶ月ほど経過したある日のこと。
送ったメールには何の反応もなかった華から、桂樹へ宛てて、封書で手紙が届いた。
この手紙を、あなたがどこで読んでいるのかは分かりません。
もしかしたら、あなたのところまで届かないかもしれません。
でも……本当に『縁』があるのだとすれば、きっと読んでもらえると信じています。
対面で冷静に話を進める自信がなかったので、手紙で伝えさせてください。
あの時、私を好きだと言ってくれてありがとう。
とても嬉しかったのは本当です。
でも、ごめんなさい。
私はあなたとお付き合いすることは出来ません。
それには、ちゃんとした理由があって……私とあなたは、父親が同じだということが分かりました。
母親は違う人です。ごめんなさい、これ以上詳しいことは言えないし、情報源を明かすことも出来ないけれど……事実です。
私とあなたには、血の繋がりがあります。
だから……もう、会うのはやめましょう。
一緒に居てくれた時間は、私の大切な宝物です。
ありがとう。幸せになってね。
「なん、だ……これは、こんな……ことが……」
手紙を何度読み返しても、至る結論が変わらない。
日本語は読める。ただ、その内容を理解することが出来なかった。
母親が違う姉弟? 父親が同じ?
彼女は一体、何を知っているというのだろうか。
父親に確かめてもはぐらかされたけれど……その父親の態度で、余計な確証を得るに至ってしまった。
足元がすくむと同時に――納得してしまう自分に、嫌気が差した。
全て、説明出来てしまうのだ。
名波華という女性が、名杙直系の自分とも違う、異質な能力を持っていることも。
自分が、彼女にとても近い感情を抱いてしまうことも。
何もかも……納得の行く『理屈』になってしまう。
そして、何よりも。
「どうして……俺は、どうしてあんなことを……!!」
桂樹自身が、華へ特別な感情を抱いてしまったこと……それにも『理屈』がつけられる。
もしも彼女が名字通り、分家の人間だったら、桂樹の優位性が保たれ、彼女が彼を好きになって終わりだっただろう。
しかし――現実は違った。華が本家筋の――桂樹と同じ素質を持った人間だったため、桂樹の優位性が崩壊する。その結果、縁結びは一方通行ではなく、双方向に等しく作用することになってしまった。
だから桂樹も好きになって『しまった』。
それだけのことだ。
こうして一度芽吹いてしまった感情は、そう簡単に枯れてくれない。
彼女の笑顔を思い出して。
一緒に過ごした日々を、時間を、その瞬間に焦がれて。
視界を切り替えた先に見える『関係縁』が、1本だけ、はっきりと紫色になっていることが分かる。
利用しようと思っていたのに。
彼女の気持ちだけ自分に向いてくれれば、それでいいと思っていたのに。
得られた結果は、真逆。
彼女の気持ちが自分に向いていないことが……彼女とは決して結ばれないことが、悔しくて、悲しくて、切なくて、どうしようもない。
そして――今までのように『関係縁』を切る勇気も、持つことが出来ない。
これを切ってしまえば忘れられる、楽になれるけれど。
忘却を超える感情が勝っている今……桂樹は、父親のように割り切ることが出来ない。
「俺は……どこまで愚かなんだ……」
部屋に一人で座り込み、手紙を握りしめる。
自業自得という結論と途方もない事実を受け入れる覚悟を抱けないまま、彼は涙目で天井を仰いだ。
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学生全員が、それぞれの言葉であの日の経験を語った後……櫻子は自分の前に置いてあったマイクを握ると、全体を見て口を開く。
「ありがとうございました。ではここから、小野寺先生にも少しお話をしていただこうと思います」
そう言って肇にマイクを手渡すと、彼は穏やかな表情でそれを受け取った後、一度、全体を見渡した。
そして……静かに息を吸って、改めて口を開く。
「学生の皆さん、貴重なお話をありがとうございます。ここからは少し、僕の話を聞いてください」
その言葉に、全員が彼に注目する。肇は眼鏡の奥にある瞳を少し伏せた後……口元に笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「僕は、あの災害で弟を亡くしています。弟は丁度、今の皆さんと同じくらいの……中学生でした。僕はギリギリのところで助けてもらうことが出来ましたが、忘れ物を取りに戻った弟は津波にさらわれて……あの時離してしまった手を、体を張って引き止めなかったことを、今でも後悔することがあります」
戻らなくていい、放っておけばいい、そう叫んだけれど。
彼は笑顔で「大丈夫だから」と言って――二度と、帰ってこなかった。
そしてそこから、彼のさらなる地獄が始まる。
「僕は母親としばらくの間、避難所で過ごしましたが、一番困ったのは食事です。僕は重度の卵アレルギーで、市販されているパンは勿論、食事にとても気を遣う必要があります。ですが、当時の避難所では、生きることに最低限度の食事として、菓子パンが提供されることも多くて……僕は自分が食べられるものを探すだけで精一杯でした。アレルギーは甘えだと言われることもありますが、それは違います。僕たちにしてみれば、目の前に毒りんごが置いてあって、それを笑顔で食べろと言われているようなものです」
生きることに必死で、家を、家財を――弟を失った悲しみにくれることも許されない。
皆が生きることに必死で、他人の都合など気にしていられない。
そのくせに――異質なところは目ざとく指摘する。
どうして彼だけ食事が違うのか、贔屓ではないのか、と、直接言われたこともあった。その度に自分で説明をするが、納得してくれた人は多くない。
肇は最低限度の時間を避難所で過ごした後、母親と共に、内陸にある親戚筋の家に身を寄せた。
こうしなければ……何かの手違いで自分まで死んでしまうと、何度も思ったから。
「避難所には、色々な人が避難をしてきます。例えば……ペットと共に入ることが出来ず、傾いた家で過ごしていた人も決して多くありません。僕も猫を飼っていましたが、避難所に連れてくることも出来ずに……そのまま物別れになってしまいました。猫に対してアレルギー反応を示す人もいますので、しょうがないとは思っていますが……とても申し訳ないことをしたと思っています」
避難所は、多くの人が一時的に身を寄せる場所。
当然、優先されるべきは人間だ。ペット用の食事まで用意出来る余裕が生まれる頃には、ペットのニオイや汚れなど、違うことが問題になってしまう。
それらの苦情は全て飼い主に向かうため、居づらくなって出ていった人、車中泊という形で窮屈な日々を過ごした人も多い。
この災害さえ発生しなければ、共に生きることが出来たのに。
こればかりは……『どうしようもない』、そう言い聞かせて現実を耐え続けた人は、決して少なくない。
そんな時、誰かが声をかけてくれたら。
寄り添って、そばに居てくれたら。
その存在が家族であり、ペットだけだったのだとすれば……避難所から出ていくしかない。
他に誰も、理解してくれないのだから。
「もしも今後、同じような災害が発生して、皆さんが避難所で生活をすることがあれば……周囲を見て、困っている人がいないかどうか気付くことが出来る、そんな心の余裕を持てるようになっていただきたいです。勿論、すぐに他人を気遣うのは無理でしょう。ただ……その環境に慣れ始めた時、その場で我慢している人がいないかどうか、困っている人がいないかどうか、些細なことに気がつくことが出来る人になっていただきたいです。今後、災害のボランティアで現地入りする人もいるかもしれません。皆さんの気遣いで救われる人が必ずいます。どうか……心に誰かを気遣うことが出来る余裕を持った、そんな人でいてください」
肇はこう言って軽く会釈をすると、櫻子へマイクを戻し、手元にあるペットボトルのお茶を飲んだ。
彼からマイクを受け取った櫻子が「ありがとうございました」と告げて時間を確認した後、全体への質疑応答を呼びかける。
そこで数組の質疑応答をこなした後、再度時間を確認した。そして、この会の閉会を宣言する。
「改めて……本日は貴重なお話をありがとうございました。あの日のこと、それ以降のこと……色々なことを考えていただく機会になったと思います皆さん一人一人の心に何かが残ることを願って、閉会の挨拶とさせていただきます。本日はお集まり頂きまして、ありがとうございました」
そう言って彼女が頭を下げた後、室内に拍手の音が鳴り響いて……ユカもまた手を叩きながら、自分が知らなかった情報の洪水に押し流されないよう、無意識のうちに口元を引き締めていた。
「――名波君、お疲れ様でした」
解散後、蓮が手元の資料を片付けていると……彼の前に立った肇が、穏やかな表情で蓮に紙袋を手渡した。中にはクッキーと焼き菓子の詰め合わせが入っている。
何事かと首をかしげる蓮に、肇は里穂たちと談笑している櫻子に視線を向けた。
「これは今日のお礼です。今、透名さんと分担して配っていて……これが名波君の分。このクッキーは僕のオススメなので、是非、食べてみてくださいね」
「ありがとうございます……」
立ち上がった蓮は彼から紙袋を受け取ると、中身を確認して違和感を覚えた。
しかし、明確な理由にまで思考が至らなかったため、とりあえず紙袋を荷物の脇に置いて、肇を見つめる。
彼は自分とどこか似ている、朧気に……そう思っているから。
「あの、小野寺先生は……弟さんを亡くされたんですよね」
蓮の言葉に、肇は静かに首肯した。
「はい。名波君とは立場が少し違うかもしれませんが……大切な人を亡くしたことは同じです。名波君はお姉さんのバッシングとも戦って……悲しむことを許されず、大変でしたね」
「いえ、僕は……」
肇の言葉に蓮は視線をそらし、一度、言葉を切った。
スクールカウンセラーという仕事をしているからだろうか、彼は相手の話を引き出そうとするのが上手い。だからこそ、ついつい余計なことまで口を滑らせそうになるけれど。
でも――同じような立場だから、話を聞いて、答えをくれるかもしれない。
この胸に残る躊躇いを吹っ切る、そんな力をくれるかもしれない。
「小野寺先生の弟さんは……その、見つかったんですか?」
「はい。あの災害から1年が経過した頃に、防潮堤工事のために整地していたところで発見されました。家からとても離れていて……改めて、災害の恐ろしさを感じましたね」
「そうですか……」
「名波華さんはまだ、見つかっていなかったのではないかと思います。今日、名波君が勇気を出して話したことで、彼女の功績が再評価されることを祈っています」
この言葉に、蓮は目を伏せて息を吐いた。
人前で話すことは緊張したし、最終的に一人だけ泣いてしまった。
もっとスマートに出来ると思っていたのに、実際は理想と程遠くて……こんなことで良かったのか、少し後悔が残っていることも事実。
「勇気を……出せたのでしょうか。結局、みっともないところを見せてしまったような気がします」
「いいえ、僕はそう思いません。4年越しに名波君が話をしてくれたことは、華さんにとって間違いなくプラスになるでしょう。名波君がそう決意させるほど、名波華さんが素晴らしい人物だったことは、ここにいる誰もが理解したと思います」
「小野寺先生……」
自分と同じような立場だからなのか、職業柄なのか、蓮の言葉を肯定して頷いてくれる肇が、今の蓮にはとても頼もしい味方に思えた。
そんな蓮の視線に気付いた肇は笑顔で頷いてくれる。まるで、蓮の気持ちを見透かしているかのように。
「これからも……家族のことを大切に思って生きていきたいですね」
「……はい。ありがとうございます」
肇の言葉に蓮は一度だけ頷くと……視線を少しだけ、先に向ける。
そして……静かに、決意を固めた。
その後、肇が倫子の方へ向かった背中を見送りつつ、蓮は自分の荷物を持って、静かに歩き出した。
途中、櫻子に軽く挨拶をして帰宅を告げた彼は、自分を送り届けてくれる伊達聖人のところへ向かうために、淡々と足を動かして――
「――名波君、ちょっといいかな」
聖人へ至る直前、蓮を呼び止めた政宗は……彼を見下ろした後、無言で、彼を室外へと誘った。
霧原は『因果応報』という言葉が大好きです。
人の心をコントロールしようと思ったら、自分の心も消さないと無理なんだよ、桂樹さん。
また、文中で出てきた避難所のアレルギー対応に関するエピソードは、全て霧原の創作です。
実際の災害時の避難所に、こんな心の狭い人はいないと思いたいですが……今回はわかりやすさを重視するために、人間の悪意を抽出しました。今はアレルギー除去食の非常食も多いので、自治体もストックしてるでしょうし。(していると思いたい)
普段から食べ物に気をつけている人たちが災害に巻き込まれると、体が助かっても次の試練に襲われると思っています。もしも今後、こういったことで困っている人がいれば、一緒に解決方法を考えられるような、そんな自分になりたいですね。




