エピソード3:決意が未来に至るまで①
その後、統治と心愛、瑞希を見送ったユカと政宗は、19時を目処に雑務を片付けることにした。
書類のシュレッダー処理を終えたユカが、1階のコンビニへ軽食を買いに行っている間、政宗は返信しなければならないメールを片付けつつ……机上に置いたスマートフォンに何の情報も届かないことに、諦めに似た重い息を吐く。
まさか、全てに絶望した彼が、自分の道を自ら閉ざそうとしているのではないか――そんな最悪も想定しなければならないから、余計に気分は重たい。心配になる度に視界を切り替えて、蓮との『関係縁』が切れていないことを確認出来ること、そして、ユカが一緒に残ってくれたことが、不幸中の幸いかもしれない。
政宗がチラリと、主を待つユカの席の方を見つめた次の瞬間――沈黙を守っていたスマートフォンが、盛大に振動を繰り返した。
「っ!?」
政宗は咄嗟に身構え、相手を確認して……顔をしかめる。
「瑠璃子さん……?」
ディスプレイに表示されたのは、福岡支局に勤務している政宗の恩人の1人・徳永瑠璃子の名前だった。
彼女は10年前の研修時から政宗達の面倒を見てくれた『縁故』の先輩でもあり、先月は宮城に遊びに来てくれて、仙台支局のトラブル解決にも協力してくれた実力者でもある。
福岡支局の事務関連を一手に担っている瑠璃子からの電話に、政宗は首を傾げながら応対を開始する。
「――お疲れ様です、佐藤です」
「お疲れ様、徳永ですー。政宗君、8月はありがとうねー。お土産で買っていった牛タンラー油が美味しすぎて、早速お取り寄せしちゃったよー」
電話の向こうから聞こえてきたのは、変わらない明るい声。政宗は強張っていた肩の力を抜きつつ、右手でメモとペンを手繰り寄せる。
「気に入ってくれて良かったです。どうかしたんですか?」
「あ、そうやった。政宗君、まだ仙台支局におるー? 先月、私達がヘルプで仙台に働いた時の給与に関する書類が届いたんやけど、金額の計算が間違っとるみたいでねー」
「えっ……!? ちょ、ちょっと待ってくださいね、データを出しますから」
瑠璃子からの指摘を受けた政宗は、急いでノートパソコンから共有フォルダにアクセスし、該当のファイルを開いた。
瑠璃子と、彼女と一緒にやって来た川上一誠、橋本セレナに関する給与の内訳が記載された書類は、数値が変わっても計算がしやすいようにエクセルでテンプレートが作成されている。
その一番上、瑠璃子の欄に記載されていた関数に不備を見つけた政宗が、内心でため息をつきながら、電話の向こうの彼女へ謝罪した。
金銭に関するミスは信用に直結する。今回は初回だし、内部向けだったからまだマシだったかもしれないが……それでもミスはミスだ。
若いから、経験が浅いからしょうがない、そう言われることが嫌で、ミスがないように気をつけていたはずなのに。
「本当だ……申し訳ありません。すぐに訂正して、取り急ぎメールで送ります」
「あ、こっちは全然急いどらんけん大丈夫っちゃけど、今までこげなミスなかったんに、珍しかねーと思って」
瑠璃子の言葉に、政宗は「俺の確認ミスです」と返答しつつ、この書類を作成した華蓮に思いを馳せる。
これまで、華蓮が表立った書類でミスをすることはなかった。勿論、政宗や統治がチェックをしているけれど、最近はそれをしなくても完璧だったため、チェックの目が甘くなっていたことは否定出来ない。
政宗が改めて自分の対応の甘さを痛感していると、電話の向こうの瑠璃子が、少し意地悪な声音で言葉を続ける。
「ユカちゃんが作った書類やけん、チェックが甘くなったんじゃなかとー?」
「そんなことありませんから……あと、これを作ったのはケッカじゃないですよ」
「あらら、それは失礼しましたー。そういえば……政宗君、ユカちゃんが8月に1週間休んどるのは、どういうことなん?」
刹那、瑠璃子の声音がいつも以上に冷静になったことに気付いた政宗は、ギクリとした動揺を悟られないように、必死で平静を装った。
瑠璃子へは10月に予定されている西側の査問会用資料として、ユカの勤怠や実績に関するデータを渡している。そのため、ユカが何月に何日間休んだのかが一目瞭然だ。
彼女は仙台に来てから、6月に2週間、そして8月に1週間休んでいる。わずか半年足らずで、福岡時代に持て余していた有給を全て消費しそうな勢いで体調を崩しているのだ。
勿論それらには全て、正当な理由があるのだが――政宗が彼女に負担を強いた『結果』であることも、否定し難い事実。
暗に自分の管理責任を問われていることに気付いた政宗は、唇を噛み締めて、必死に言葉を紡ぐ。
「ケッカはちょっと、体調を崩しまして、それで――」
「――また?」
明らかに棘のある言葉に、政宗は何も言えず……電話を握ってうつむいてしまった。
電話の向こうにいる瑠璃子は、いつもの口調に少しだけ警鐘をのせて、彼に未来を通告する。
「ユカちゃんが仙台に行ってから、短期間で休みすぎとるような気がするとよ。ここ数年の福岡では健康優良児やったけん、余計に目立ってしまっとる。こげなことが続けば……彼女の仙台での勤務に待ったがかかる可能性があるって、覚えとった方がよかよ」
瑠璃子の言葉に、足元がすぅっと冷たくなったような……そんな、危機感を抱いた。
ユカが、仙台からいなくなってしまうかもしれない。
3人の願いを、約束を、ようやく現実にして……スタートラインに立って歩き始めたばかりなのに。
「……分かってます。すいません」
先生に怒られた生徒のように、シュンと沈んでしまった政宗に……電話の向こうの瑠璃子はいつも通りの口調に戻って言葉を続けた。
「ほらほら、現状で落ち込んでどげんするとねー。私や一誠も、政宗君がユカちゃんに無茶な働き方をさせるとは思っとらんと。ただ、数字がちょっと悪目立ちするけんねー。仙台もギリギリの人員で大変だと思うんやけど、それで体を壊したら元も子もないし。政宗君もユカちゃんも統治君も、みんな元気で頑張ってほしいけんね」
「瑠璃子さん……」
「ただ、ユカちゃんがイエローカード状態だってことは、頭の片隅に置いとってね。上層部の決定ともなると……私や一誠では、どげんすることも出来んけんが」
「分かりました。本当にありがとうございます」
「よかよ。じゃあ、書類の訂正、お待ちしてますー」
こうして瑠璃子との通話は終了した。政宗は画面に出した書類の不備を訂正すると、念のために別名で保存した後、それをメールに添付して瑠璃子へ送る。そして、渋い顔で長く息を吐いた。
「たっだいまー」
丁度そのタイミングで戻ってきたユカが、コンビニの袋を自分の机の上に置き、政宗を見つめて……首を傾げる。
「政宗……何かあったと?」
「へ?」
「あたしが出ていった時より、疲れた顔しとる。ケッカちゃんはそういうのを見逃さん子やけんね」
ユカはそう言いながら、袋の中に手を入れて……上部にストローをさして飲むタイプのシュガーレスコーヒーを取り出すと、彼に近づき、彼の財布と共にパソコンの横へ置いた。
「ほら、これでも飲んで切り替えんね」
「ケッカ……ありがとな」
政宗はそれらを受け取りつつ……座ったままユカを見つめ、あいている手で頬をかく。
「ちょっと、福岡に出す書類でミスがあってさ。俺のチェックが甘かったせいで、瑠璃子さんに迷惑をかけちまって……」
「そうやったとね。ごめん、あたしが書類仕事出来んけんが……もっと頑張らんといかんね」
そう言って力なく笑う彼女に対して、「そんなことない」とは言えないまま。
ストローを刺して口をつけた政宗が次の言葉を探していると……自分用のカフェオレにストローを刺したユカが、それを一口すすって、口を離した。
そしてそれを、政宗に向けて差し出す。
「これ、飲んでみらん? 甘くて落ち着くかもしれんよ」
「へっ!?」
彼女の申し出を理解した瞬間に、ストローから口が離れて変な声が出た。ユカはそんな彼の反応に笑いながら、地味に傷つく一言を投下する。
「なんねその反応。中学生じゃあるまいし」
「中学生……何だよそれ」
決まりの悪くなった政宗が視線をそらして呟くと、ユカは楽しそうに笑いながら言葉を続ける。
「だってあたしが政宗のアイスを舐めた時と似たような反応なんやもん」
「え……!?」
ユカの言葉を聞いた政宗は、思わず目を見開いた。
確かに――10年前の合宿で、そんなことがあったけれど。
でも、今、目の前にいるユカは……その時のことを、覚えていないはずだ。
あの笑顔も、あの行動も……何も、知らないはずなのに。
それを知っているユカは、彼女ではないはずなのに。
「ケッカ……そのこと、覚えてるのか?」
「え? 覚えて……あれ……?」
政宗の言葉に我に返ったユカは、改めて先程の言葉に続く思い出を引き出そうとしたが……頭の中にモヤがかかったような感覚になって、鮮明に思い出すことが出来なかった。
10年前の出来事なので、はっきり覚えていないのはしょうがないと思う。けれど、それにしては……モヤのかかり方が不自然で、意図的で――『おかしい』。
そして、分かっているのにその先に至れない、そんな自分が、腹立たしくなる。
――気持ち悪い。思考が、心がモヤモヤして、苛立ちが募る。
最近の自分は肝心な時に、どうして……。
「やだな……あたし、なしてこげな……」
独り言で苛立ちを吐き出しても、何も変わらない。
乾いた笑いを続けるユカに、政宗はそっと、ユカが手に持っているカフェオレを指差した。
「一口飲んで、深呼吸してみたらどうだ? 落ち着くと思うぞ」
「……うん」
政宗を元気づけるつもりだったのに、いつの間にか立場が逆転している。
結局いつだってこのパターンだ。そう、あの時も結局――彼に押し切られたんだから。
――辛い時はちゃんと言ってくれないと、もっと心配するよ。
そんな彼の声が、聞こえた気がする。
ため息と一緒に飲み込んだ甘いカフェオレは、喉に少し甘ったるい後味を残していった。
同時刻、政宗との電話を終えた瑠璃子は、改めて、プリントアウトした書類へと視線を落とした。
今日の彼女はデニム素材の半袖ワンピースに、グレーのレギンス、足元は黒いスニーカーを着用している。
『福岡支局』の事務所内に、今は彼女が一人きり。この連絡を終えたら帰ろうと思っていたところだったので、持っていた書類に蛍光ペンで『差し替え連絡済み・廃棄』と記載しておき、クリアファイルに挟んで、とりあえず引き出しへ片付けておく。
その後、キャビネットの施錠を確認するために、鍵を持って立ち上がった瑠璃子は……慣れた手付きで1つ1つ確認しながら、今回のミスについて思いを巡らせた。
仙台から届いたもので、ここまで初歩的なミスが続いているものは珍しい……否、これまでなかったのだ。
それは単に、これまでの書類作成を政宗と統治の2人で担っていたこともあるけれど、5月から事務補助に入っている『片倉華蓮』という職員が、些細なミスも許さずにしっかりと仕事をしていたからだと思う。人間なので失敗があることは重々承知しているが、こんなミスの仕方は『おかしい』。
今は、こんなミスを犯して、それを見逃してしまうほど――片倉華蓮自身に、仙台で何か、問題が起きている可能性が高い。
先月来仙した瑠璃子は直感でそう結論付けると、とりあえず、今後の方針を脳内でまとめた。
今回のミスに関しては、自分のところで止めておけば大きな問題にはならないだろう。ただでさえユカの欠勤が目立つ状態で、仙台のアルバイトが極めて初歩的なミスをしていることまで知れたら……統括している彼らの評価が落ちてしまうから。
せめてそれくらい、防波堤としての役割は果たしたい。
3人の出会いと別れを、頑張っている様を近くで見てきたから――尚更だ。
「……私もフォローしたいっちゃけど……そう簡単に行ける距離じゃないけんねぇ……」
瑠璃子がそう呟いて、壁の端にあるキャビネットの施錠を確認した瞬間――入り口の扉が開いた音が耳に届く。予想外のことに、思わず全身がピクリと反応してしまった。
何事かと思って振り返ってみると、そこには帰宅したはずの一誠と……あと一人。
その人物が誰なのかを確認した瞬間――瑠璃子の背中を、嫌な汗が滴り落ちたような感覚があった。
自分の嫌な予感を否定してほしくて一誠を見やるが、彼の苦い表情から、そんな甘い展開にはならないであろうことを察する。
瑠璃子が理由を問いかけるより早く、パンツスーツ姿で腕組みをしている『彼女』に代わって、既に疲れた表情の一誠が苦々しく口を開いた。
「……瑠璃子、今から来月の打ち合わせだ。中洲行くぞ」
牛タンラー油、美味しいよ!! 色んなメディアで紹介されているのでご存知の方も多いかと思いますが、ご飯のお供にオススメでございます。
そして過去のユカが政宗のアイスを舐めちゃった事件はコチラです。(https://ncode.syosetu.com/n2252eb/9/)
この件に関しては、今のケッカ(幼女)は混濁もあって覚えていませんが、第3幕のユカ(大人)は覚えているというねじれ現象が発生しておりました。
おや、ねじれが……解消されている? そんな足音を感じてください。
そんな文中のイラストは、まず、第3幕に関する動画を作ってもらった時に描いてもらったものです。リアル幼女時代のユカの笑顔と、気恥ずかしい表情100%政宗(過去の栄光)はプライスレス!!
過去のシーンなので、モノクロな2人で雰囲気も最強です。おがちゃぴんさん、ありがとうございますー!!
からのカラーイラスト、第3幕ユカの背中を描いてくださったのは、僕の同星こと八紡さんです。ここはどうしてもユカのバックショットにしたかったので、去年の霧原誕生日に頂いたイラストを贅沢に使わせていただきました。
表情が見えない、背中で雰囲気を醸し出しているのが麗しい……!! 本当にありがとうございますー!!




