饗堂(しょくどう) 3
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複層構造の饗堂は夜でも夜明けのような薄明に保たれています。外郭を囲った窓からの採光にも工夫があるのでしょう。
窓の外に広がるのは果ての見えない星空。しかし、その後方から恒星の光が包み込んでいるような、暗さと明るさが織り成す光は、目くるめく柔和さでした。
以前みずなを食べた所より上層に位置するデザート階層で、大きめのサバランと氷水をもらって、窓のそばの席に行きました。
星の輝きは遠い鈴の音のように、その音は、白っぽい光となり、窓から射し込むのでした。フォークを「ぷしっ」とサバランに立て、切り分けて戴きます。うまい。口に含むと充分な弾力と質量。それでいて飲み込む時には、シロップと溶け合うかのよう、生地が消えてしまいます。喉を熱く流れ落ちながらも、澄み切った清涼感のある、このシロップは……洋酒だけではなく、ミリン、が入っていますね? とにかくおいしくて、たちどころに半周たべてしまいました。たっぷりのクリームとフルーツ、アクセントになっている餡子の粘りと濃さ。これは大当たりです。では、そろそろ、てっぺんに乗ったサクランボを……。
ひょいと、サクランボを取り上げ、口に含む人が居ました。
「よお。相席してもいいかな?」
夜空の輝く黒碧を背に、したたる黒衣をひるがえしたたずむ、宇宙のように深く青い長髪。
「あなたは……」
氷上、シアンさん、でした。
「他人行儀だなぁ。いつものようにシアンにゃんでいいよー?☆」
彼女はわたくしの向かいに座り、うどんの載ったお盆を置きました。ネギを散らしたうどん。淡く、しっかりと効いたダシの香が、鼻をくすぐります。
「了承いたしました、シアンにゃんさん」
「アマネたん、一緒に食べよー!」
氷上さんはくわえたワリバシをぱちりと割って、麺をすすります。つゆをゴクリとたっぷり飲み込むと、それが目的かのように胸の奥から息を吐き出しました。
「ふぃー、生き返るわー。って、生き返るとか! このあたしがね! 傑作!」
「そんなにお腹が減ってらしたんですか?」
「ん、あたしはどちらかといえばいつも飢えてるのよ。温かいスープは飢えた腹に染みるなあ。まるで透明な血液さー」
氷上さんは飲み物のように丼を空にしてしまいました。
「で、どう、ここの過ごし方に慣れた?」
氷上さんは身を乗り出します。テーブルに肘をつき、口の前に手を組み合わせ、いたずらっぽくこっちを観ています。彼女特有の不敵な、つまり仲間にこんな人が居れば、とても心強い吊り目。青く底光りしているのは、どんなしくみかわかりません……光の反射のために、髪の色が瞳に落ちているのでしょう。
「おかげさまで、その節はお世話に」
わたくしはぺこりとおじぎし、こころもち自分の身体も氷上さんに近寄るのを覚えます。そこで、食堂でお給仕している創生のメイドの方が、二人にお茶を注いでいってくれます。なんてよいタイミング。
「ふーん、たのしそうじゃん」
氷上さんはまどろむ猫のようにニコーっと笑い、くっくっと声を立てます。わあ、吊り目とのギャップがかわいい! これはわたくしもつられて笑ってしまいます。
あれ……?? 食堂で二人でお茶をしているなんて……。
わたくし、もしかしていま、…………。
普通の人間っぽい、です!
よかった、こんな経験ができるなんて……。
引き込もりをしていて、ほんと、よかった……。
「なんて言うか、アマネたんの空気が、すっかり《創舎》に居付いたように感じるね。安心したよ。さすが引き込もりちゃん。好きな場所に落ち着くのはお手のもののようね」
空気の色が観えるような物言いで、氷上さん。
「せっかくこっちに来たのに、退界処分になっちゃう子も居ることだし。そいつは勿体ないってものよねえ」
氷上さんは今度は陶器の大皿に乗ったパスタをフォークで巻き、もしゃり、と大きく一口。さっきメイドさんが通りかかった時に、金貨を渡し、頼んでいたのでした。
わたくしの前にはホットコーヒーが置かれています。花札のような模様が描かれた欧風のカップに、静かな黒い水面が湛えられています。氷上さんは頬張った笑顔で頷きます。おごってくれるようです。
「あの、退界処分というのは、取り消せる方法はありますか?」
「え、どーして? まさか、アマネたんが?」
「い、いえ。……ただ、何となく、興味が」
「うーん。『神未達』の人たちが処分を取り消された話は聞かないねー。『未達』は『未達』で、神じゃないんだし。間違ってニンゲンが神の夢を見ちゃったようなものだから」
はむ、と麺にかぶりつく氷上さん。
そうですか……。
やはり、処分は覆せない定め……。
ならば、サキちゃんはどのように覆すのでしょうか。
わたくしにできる、サキちゃんへの、最大の応援は……。
何ができるのでしょう。わたくしには……。
「なんか、気難しい顔してるわね。笑顔が当人比0.03%ほど足りない。あたしはキスしたくらいにはアマネたんを好きよ。だから0.01%も減れば解ってしまうのよ。悩み事があるのかしら?」
んく、とグラスをあおる氷上さん。漂う香りの、濃厚な芳醇さ。透明な液体は日本酒のようです。
「相談しろ、とは言わないわ。ニンゲンはそーゆー事を持ち掛けちゃうけどねー。神は悩みも独占したがるもの。悩み如きは、独りで愉しみ、解決してしまうためにある。あたしはアマネの姿勢を尊重しているわ。お好きなようになさい」
顔が赤くなる一方で、目が冷ややかに据わっていくギャップも、氷上さんの魅力の一つなのでしょう。
「悩んでます」
わたくしは言いました。
「でも、相談も、したいです。せっかく氷上さんが、ここに居るのですから」
一緒にもやもやを解決するイベントをしたい。二人で喜びたい。そう思います。
「正直ね。正直な子は好き。素直に生きるのが一番キモチイイのよねー。アマネたん判ってるー。ふふ、もっと好きになっちゃうよー」
氷上さんは突っ伏してわたくしを見上げます。ゴロゴロと猫が喉を鳴らす擬音が聞こえてきそうです。
「たいせつな知り合いが、《創舎》を去らなくてはならないんです。わたくしは何ができるでしょうか?」
「『やりたいことをやんな』。ニンゲンならそうアドバイスするだろう。あたしも、変わらない。あたしはニンゲン的な神でね……。能力の特質的なところもあるんだけど。そういえば、やりたいことは引き込もりだって、前に言ってたね」
「ええそうです。それが気がかりで。わたくしが引きこもっていたら、友達は去ってしまうんじゃないでしょうか?」
「その友達も馬鹿ではないんでしょ? あなたが手伝ってどうにかなる目算があれば、陰に陽にあなたの助けを求めていたはずよ。そうではないなら、手伝ったって、どうにもならないんでしょう。データを言っておけば、今まで退界処分が覆った例は0よ。あなたができることはないわね」
「やはりそうですか……」
思った通りのようです。これは覆すのは特別に難度の高い筋書き。
サキちゃんくらいの人でなければ覆せないのです。
「あたしは結末が分かっていることをわざわざする奴が嫌いでね。だってつまり、馬鹿ってことじゃない。あがいたって処分が変わらないのは、その子も知ってるでしょう。おとなしく去るのがいいわね」
「氷上さんは、去るのがわたくしでも、同じことを言うのですか?」




