饗堂(しょくどう) 4
「……」
虚を疲れたように、氷上さんは、しばらくきょとんとしました。
ガバッ。ギュ。
立ち上がった氷上さんが、わたくしに抱きつきます。わたくしの頬に密着する、氷上さんのほっぺた。やわらかいです……気持ちいい……。何なんですか、この天衣無縫な小動物キャラ。かわいすぎるんですが。
「やーねーもう。アマネたんは特別。アマネたんが退界処分になったら、処分を決めた委員を殺しちゃうよー☆」
「……委員さんを殺しても、処分は変わらないのでしょう?」
「そしたら二人目の委員を殺すよ。処分が変わるまで殺す。処分は変えさせられるもん。あたしだったら」
真顔で。
結末が分かっていることをわざわざしない当然さで。
氷上さんは言いました。
「それより今は、あなたに何ができるかでしょ?」
氷上さんは静かに椅子に戻ります。
「そういえば、能力は使いこなせるようになったのかしら?」
今度はわたくしが、きょとんとする番です。
能力? それなんですか? すっかり忘れてました。観光したり、お茶を飲んだりで、充実していたのです。じぶんの能力が目覚めることなんて、どうでもよくなってたものですから。ただ……。
「わたくしの能力で、友達を留まらせられるなら、ぜひ目覚めてみたいですけれど……」
「何ともいえないわね。やってみないと……って、まだ自分の能力を知らないの? おぼこいわね! いえ悪い意味じゃないわよ。アマネたんらしいわ。説明は、二つできるわ」
氷上さんは指を立てて説明します。
「一つは、今も目覚めてないってことは、友達との件ではあなたの能力は関わらない。もう一つは、友達が去るぎりぎりで目覚めて劇的に友達を救う。ただ、それはベタすぎて、まあないでしょうね」
氷上さんは頷き、納得しています。
「あのね、目覚め方って大事よ。自分の特性が最大に発揮できる領野を起こしてやるのが大切。こうして役立ちたいとか、世界一になりたいとか、不純なことを思っちゃいけないの。不純な神には、ズレた領野が開いてしまうわ。歪な能力が目覚めてしまうからね。『悪を倒して回る正義のヒロインになりたい』みたいのはダメよ。そう願ったら『倒されるための悪』が生まれてしまうわけ。悪が居なければ作ってでも正義の力を発揮しようとしちゃう。何もなかったところにわざわざ穴を掘って埋めるみたいな、バカ、超バカ、バカの中の大バカ。能力は、天性よ。オリエンテーションでは【魂】とか言われるのかしら。持って生まれた資質や特質がモノを言うの。自分の一番の資質は何か? 自分は『何』でなら、あらゆるものと亘り合えるのか? 奥底の声を聴くのが大切よ――」
氷上さんは「奥底」に沈むように、目をつむります。
「あたしが言いたいのはね。本当にやりたいこととか、味わいたいもの、それは案外、自分の短所と直結していることがあるのよ。ニンゲンって、見てくれが綺麗なものは持ち上げるけど、醜悪なものは遠ざけて蓋をしちゃうでしょ。綺麗なものを辿れば天国に行けると考える。それは間違いじゃないけど、偏っているのよね。実際は醜悪なものも天国に通じているのよ。上に行くだけが天国への通路じゃない。下に潜っても行けるのよ。だからあたしは短所を邪険にするなって言いたいの。ああ、話をすると、お腹がすいたわね」
氷上さんはメイドさんを呼び、「あたしにもサバランを一つ」と頼みました。サバランが運ばれると、氷上さんはフルーツを一気に食べてしまいます。リングドーナツ状の生地が残ります。たっぷりのクリームが、ドーナツの穴の部分を埋めています。
氷上さんは、つまようじを折り、その半分をクリームの上に置きました。
短針だけがある時計のような様子です。
「天国ってさ、この輪っかみたいなものなのよ。ニンゲンはこのつまようじね。輪っかへの道が一方向しかないと思っている。でも、実際はこう」
と言って、氷上さんは、つまようじを取り除いてしまいます。
「このクリームの部分が、全部輪っかに接しているでしょう。つまり上にも下にも行けるわよね? いえ、ナナメ方向でもいいのよ? 神への道は、長所だけではないわ。短所からでも行けるのよ。どちらとも言えない半端な資質からも、行けるでしょうしね。だから、能力が出てないからといって、急いで決めることはない。よく自分を見極めて、方向を決めるのね」
「ありがとうございます」
わたくしは素直にお礼を述べました。《創舎》に来て間もないわたくしは、指南をもらえるのは、ほんとうに頼りになるのです。氷上さんの話は、ご自分が経験された事のように、静かな説得力がありました。
「と言うのも、あたし自身、能力が芽生える時にトチった経験があってね~。何つ~か、侮っていたのよね。《創舎》に来たあたしはすげぇんだ、もう何もしなくていいんだ、みたいな。本当は、最初に能力を掴む時、いちばん本気にならなきゃいけなかった。慢心していたのよ。能力を得た後で周りを見ると、あたしより凄いやつらばっかだったわけ。すげぇ神ってのはオーラが違うのよ。理屈じゃないのよね。たとえば闇……いや、何でもない。そいつらに比べたら、あたしの能力なんて、ハンパすぎちゃってさ。毒にも薬にもならないのが恥ずかしくって。やつらが少年ジャンプの人気を支える三大シリアス漫画だとしたら、あたしは十週打ち切りの一発ギャグ漫画? 『北斗の拳』なら拳王とモヒカン? あっ『北斗の拳』なんか知らないかもな~。あたしの時代のリバイバル放映も十二回目くらいだったしね。まぁともかく、そんな感じだったのよ。あたしはとてもとても、後悔した」
うんうんと、シリアスに頷く氷上さんは、どこかコミカルです。
「だからあたし、選び直したのよ」
「能力を、選び直せるのですか?」
「いえ、それはできないの。返品不可。だから、しょーもない最初の能力を発展させるカタチで、本来の能力に擦り合わせた」
氷上さんは両手の人差し指で図を描きました。右手で直線を引き、左手でその直線を迂回させる図。六角形の半分を示す図形でした。
「最初にヘンなのを掴んでしまうと、慣性がついちゃって、本来の方向に戻るのがなかなか大変でね。だから最初に本来の能力をガッと掴んでしまうのが大事なの。あたしの場合、迂回しながらも、何とかリカバーしたけどね。だけど、回り道をしたせいで、ヘンな能力の出方をするようになってね。名付けて【迂遠式二曲屈折発動儀】――――あっと、コレはあたしが名付けたわけじゃないわよ。知り合いの厨二な奴が嬉々として言うもんだから、無下にもできなくてね」
氷上さんは口にした厨二的名称の恥ずかしさのせいか、不機嫌めかしてグラスを傾けます。そういえば厨二と聞いてわたくしの頭をよぎるものがありました。この《創舎》に来てから……。何でしたっけ……。まあ、いいか。
「無下にしない……。そう、能力の話だったね。短所だって、無下にはしないことだ。短所の扱い方によっては、すっげぇ神になれる。短所から意外な打開の方法、切り口が、見えてくることがあるんだ。あたしが言えるのは、そのくらいだな」
お酒のせいなのか、喋りが熱をおびる氷上さん。いや、お酒のせいでしょうか? 口調のせいで酔いが増すことも、あるかもしれません。
すると、いきなり、でした。
「えっ……――!?」
氷上さんがばたりと後ろに倒れました。
椅子ごと倒れ、頭から落ちました。グラスが割れる音。やわらかい肉の奥、硬い骨が、床に衝突する音がしました。
氷上さん大丈夫ですか? どうして? お酒のせい?
わたくしは駆け寄りました。氷上さんは横倒しの椅子に嵌り、痛そうに頭を押さえています。
雲がかかるようにわたくしたちを覆う巨きな人影。
目は動物のように黒目だけがあります。生々しい飢えた光をたぎらせています。古城のようにごつごつした頭骨や肩の骨格。異様に隆起して発達した筋肉。カラダからほとばしる獣性と野生。まとっているのは、レスリングスーツの形状をした、皮革の下着一枚。尖った鋲が配列された、長いブーツを履いていました。
「アホパイネン……!」
「あいつ、アホパイネンだぞ……!!」
「本当なの? 初めて見たわ。【創舎一の暴れん坊】の異名をとる、あの――?」
饗堂のひとびとがざわつきます。
「うるさいゴミどもだな。オレ様をその名で呼ぶんじゃねえ。どこ見てんだオラァ。そっちはシカトこいてんじゃねーぞオイ。オレ様が出張ってんだ。オレ様を見ろや。だが目は合わせんなよ。目が合うと殴る仕様なんでなぁ。目が合うとアウトだぜ。ぶっくくくぅぅ」
と、彼はさながら花道より舞台へ進み出た歌舞伎役者。一睨みで観衆を黙らせます。
「っ……。いったいわねぇ。何すんのよ……」
頭を押さえながら氷上さんが体を起こし……。
急変します。
目は見開かれ、顔色は真っ白に。
あきらかに脅えていました。




