返答
「――やれやれ」
そうでしたか。
サキちゃんが引き込もりだったとは。
わたくしは、知っていましたよ。
トマトゼリーの色に塗られた扉。昏明灯が設置された部屋。闇ルトさんが何かとサキちゃんを案じ、「これからもよろしくな」とわたくしに語ったこと。サキちゃんが《本舎》に入る前、自己暗示のように気合を入れた理由。それぞれの要素の意味を考えれば、サキちゃんが《創舎》の少数派であることは気付きます。本人にとっては好ましくない少数派であると。
サキちゃんが定着を目指した能力は、他の神々さんと比べても、強力無比なのでしょう。なにしろ能力に二つ名がつきますし、さらにそれが、伝統的な強者の象徴である『魔王』を冠しています。[シンジュク]を破壊するような、力の一端も見ました。
強大無比がゆえに、代価も青天井。サキちゃんほどの器も歪ませる対価を要求するのでしょう。通例、ゲームや漫画では、魔王は孤高であるもの。能力自体が定着を拒み、器を破壊しようとしてもおかしくありません。現状、サキちゃんは能力を定着させられず、むしろ専制を受けている。『魔王』の副作用が、引き込もり化を起こしているのです。
サキちゃんによれば、《創舎》とは、神に成るのが当たり前の場所。
当たり前のものに成れない現実を、ひとり、部屋で直視し続けたのです。
――サキちゃん。今まで、ずっと、我慢していたのでしょうね。苦しかったでしょうね……。
そして、ありがとうございます。何かと世話を焼いていただいたことを。
地味で正確なブレンドの、特製の緑茶ラテ。やわらかく冷たく芯がある、透き通るようなうまみの冷米。ここで初めて口にした味は鮮烈でした。[都市]を案内してもらい、《本舎》にも案内してもらいました。講義にも潜りました。神でなかったサキちゃんが《本舎》に行くのは、引き込もりが学校に行くのと同じく、億劫だったはず。それをおして案内してくれたのです。自分はもう去るから……。ただ隣に居ただけの、わたくしのために、案内してくれたのです。
引き込もりの時に、リラックスできるか、悩みに取り憑かれるか。それはちょっとの匙加減なのでしょう。脳やココロやカラダ――個性の、ちょっとした違い。生まれ持った器質を序列付けるなんていう横暴はできません。サキちゃんは引き込もりを愉しむのではなく、苦しむ器質で生まれた。そういうことなのです。
わたくしのまわりには、引き込もりの愉しさを分かり合える人は、誰もいませんでした。ましてサキちゃんのように、引き込もりが愉しくなかった人であれば、なおさら居なかったでしょう。隣にサキちゃんが居たわたくしと違って。
「きっと助けます」
水が流れるように自然と呟きました。
わたくしは、サキちゃんを助けたい。苦しみをぬぐってあげたい。苦しみの代わりに、安らぎを味わってほしい。わたくしがここに来てから、ずうっと、味わっている空気を。当人が苦しむのが好きで、それが快感であるなら、お節介は致しません。しかし苦しむのを拒否したいなら。苦しみを御しきれてないなら、わたくしは手伝ってあげたい。
向こうの世界でのわたくしは、部屋の中の一個の金属球のように、ひたすらに「動かない」ことが生活でした。
その反動でしょうか。
こちらでのわたくしは、なにもかも興味があるのです。
いろいろなものごとを、観たくて、触りたくて、しようがないのです。
この世界では、わたくしは逆さなのです。引き込もり特有の得も言えぬリラックスをもちながら、行動できるのです。
だから初めて思うのです。動くことがこんなに気持ちいいなんて、と。
動くことのことの歓びを、味わっているのです。
あなたを助けます。
助けるために動きます。
勝手にやらせてもらいましょう。
サキちゃんの月並みな悲劇のことは、分かっていましたよ。悲劇は本人にとってだけ深刻なものです。だから滑稽でなく、悲劇が突き刺さるなら、それは他人ではなくもう本人と言えるのです。
わたくしが動くのは当然のことです。サキちゃんはわたくしのはじめての友達ですから。
《創舎》で、わたくしが愉しい空気を吸っている時は、たいていはサキちゃんが居ました。以後も愉しい空気が続くならばサキちゃんが居るはずだと、自然に思われるのです。
この先、わたくしは、引き込もりの物語を描いていけそうなのです。わたくしの目指すもっとも美しい空間――そこにはサキちゃんがいる資格があるのです。また、そこにサキちゃんが居る幸せ。それがどれほど重大か、あなたはわからないかもしれません。
《創舎》の空気は万全です。鎮かで解放的で爽快な空気。この万全な空気のなかには、さらにサキちゃんという個別の人が居るのです。この矛盾的二重存在の乗算の幸福は、まったくどうかしています。
サキちゃんには月並みな悲劇を食べ尽くしてほしいのです。美味しくない葉っぱを食べて、羽根を広げる、サイケデリックに美しい、立派なスズメガのように。のっぺりした悲劇なんか、時空の彼方に消し去ってしまうような、多層的な物語の中心を演じてほしいです。だいじょうぶ。できますよ。サキちゃんは初めて会った時から超越的にかっこよくて、わたくしにとってはヒロインでしたから。
《本舎》の街路灯を背負って立ち去ったサキちゃんは、絵になっていて、すでに「物語」に祝われているようにも感じられたのですよ?




