セレスティア通り 2
「アマネ」
サキちゃんは顔を上げ、真剣な瞳で見ました。まるで彼女以上の存在――それこそ神でしょうか――が乗り移ったかのような顔。とてつもなく確信に満ちた顔。英雄とはこうした顔なのでしょう。わたくしは、憧れます。誰かにこういう顔をした機会はありません。そもそも、話をする相手も、今までは居ませんでしたし。
「一つ言っておく。あなたには才能がある。少なくとも、音楽の才能がある。こっちに居る間、もしも暇になることがあったら、他のことではなく、音楽をやるといい。新しい趣味を始める時は、この言葉を思い出して。いいわね」
サキちゃんはわたくしの肩をつかみ、訴えました。どこか切々としたその響き。
当然サキちゃんの言葉はわたくしは忘れないでしょう。誰かに褒められたのは久方ぶりでした。
いまも音楽は聴こえ続けています。それと出会う事で、それを求めていたと、初めて判る音楽。いえ、求めたなんて、おこがましい。この音楽には、わたくしは、ただまっすぐに、引き付けられました。音楽を成す全ての要素が調和して、調和のあまりに、ドラムはドラムに聞こえず、ギターはギターに聞こえず、歌声は歌声に聞こえませんでした。わたくしには、この音楽は、ただただ、しっとりと流れる一本の小川に似ていました。それが「音楽」自体の正体ではないでしょうか。音符や楽器という具体を剥ぎ取った下にある、むき出しの輝きや、うるおい。具体をまとう寸前の、自由や、力や、美しさといったもののカタチを、わたくしは観る――いわば、観じる――ことができました。
だからわたくしは、決めました、この、音楽をやろうと。サキちゃん言うところのメタルを。
やりましょう。演奏し、演舞をし、歌いましょう。この、音楽を。
「わかりました。決めました」
だから、言いました。
「わたくし、これやります。この音楽をやります」
わたくしは夢だったのでした。
街を楽しく散策して。
買い物をして。
学校の講義に潜って。
帰り道で「これしかない」ような音楽が聴こえてきて。
友達と一緒にそんな一日を過ごせること。
そういうわたくしの夢がすでに実現していることに気付きました。夢が実現している事ほど幸せなことがあるでしょうか。わたくしの記憶によれば無いのでした。
あり得なかった場所に、わたくしは居て、居なかったはずの人が居る。ない場所や、ないものが、今は在る。最高に刺激的な驚きです。
――人生単位の決断をするには、最高のタイミングだと言えました。わたくしの人生は、たかが引き込もり、今日ほど起伏に満ちた一日はありません。引き込もりながらですけれど、音楽を趣味にしましょう。
「あなたが、音楽を――」
サキちゃんが呟きました。
「はい」
わたくしはサキちゃんの手を両手でぎゅっと握りました。わたくしは高揚していました。「現在」が、訪れるそばから、「思い出」になっていくような、快い時間の流れ。こういう時間や空間の感覚が、ずうっと続けばいいのに、と。嬉しくて、愛しくて、涙がこぼれました。
わたくしの言動が予想外だったのか、サキちゃんは戸惑って、言いました。
「そ、そう……」
大きく息をつき、サキちゃんは、手を放しました。
「新人が世界に驚きと感動を覚え、自分の道を新しく進む決断をする。《□□□》の全体にとっていいことだわ。古株の出番はここまでね」
「古株だなんて。どうぞ謙遜しないで」
「あなたは『引き込もり』を自分の最強の長所に昇華した。だから、引き込もりをしていただけで、《創舎》に召ばれた。純粋に素晴らしい。うらやましいと思う」
サキちゃんは、とても優しく、優しく、言いました。サキちゃんはどちらかといえば、まわりには無関心ですし、批評は辛口なタイプです。サキちゃんがわたくしを、褒めるなんて、非常に驚きました。どこか違和感を覚えるほどに。
「うらやましいわ……憎らしいほどにね」
ぼそっと呟くサキちゃん。え? わたくしは訊き返します。
サキちゃんは答えず、わたくしに近寄りました。そして静かに密着しました。顔は見えません。九歳の身長ですから、カラダは浮いているかもしれません。わたくしの首根っこに腕が回り、ぎゅっと体重がかかりました。
「あなたは私にとって《創舎》で初めての友達だった。一般論として友達と遊ぶのは楽しいもの。私も楽しかったよ。そして、苦しかった。辛かった」
「え?」
「ごめんね。私はおかしいの。アタマがおかしいの。だけど並外れておかしくはない。ちょっとだけ、おかしいだけ。おかしいよね。本当。何もかも嫌になっちゃう。友達で居てくれてありがとう。お返しをあげるから、何も言わずに受けてほしい。そして私のことは忘れて」
サキちゃんが離れ、顔が見えた時には、
ぱんと衝撃が走り、わたくしが殴られた後でした。




