《本舎》
サキちゃんはどこか軽くステップを踏むように歩き、柵の格子を片手で触れました。
今までとは雰囲気が違います。どこか謎めいた、魔術師のような空気を発するサキちゃんでした。
「この《本舎》は《□□□》の中心核。神々が会い、集い、研鑽を積む総本山。だから《創舎》は《本舎》の機構の一環というわけ。ここでは昼夜を問わず講義が開かれ、研究が実施され、催しが行われる。創生たちの活気がオーケストレーションを鳴らす。ここはこの世界そのものと触れる場所。中に立ち入るにさえ素質が必要。世界は冷厳に神々を選抜する。人間止まりでは入れもしない。そう……私は真の神……。私は、最高……」
サキちゃんは決意を込めた固い声で言いました。
「中に行きましょうか、アマネ。《□□□》に来た神なら、《本舎》を一度は観ておくのも当然。私が案内を買って出るわ」
わたくしはサキちゃんに手を引かれ、傍の通用門から構内に入りました。
サキちゃんは昂然とあごを上げ、胸を張り、睥睨するように歩いて行きました。
気のせいか門の中からは空気が違っていました。断層をくぐったかのようです。濃密な空気に押し返される感じがします。異国に入ったような心持ちがしました。喧騒がひそやかに近付いて来ています。せめぎあう音と光の気配……。集った創生の皆さんの活気の予感……。湿っぽい階段を降りきると、道は構内へと一直線でした。両側には古い洋館のような建物がひしめきました。研究棟、それとも教室?
窓はあかあかと光り、夜でも活気に溢れていました。暖色の明かりをスクリーンに、活発に動く人影がありました。テーブルや椅子を運び出して野外セミナーをしている一団がありました。暗いベンチで読書に耽っているメガネの女性がいました。わたくしはこうした雰囲気は初めてです。小さい頃に行った近所お祭りよりもつつましく、それでいて、ふつふつと沸き立つエネルギーがあるのです。
建物もただの古い洋館ではないのです。音もなく開閉する透明な膜状のドア。金属寄りのざらりとした質感をもつ、煉瓦を模したブロック。壁面には、炎とも電灯ともつかないゆらゆらとした薄青色の照明。果ては、洋館と高層ビルとをうまいこと合体させた「洋館塔」とでも言えるものがあります。威容を誇りながら、全体から発するなめらかさと、「どんな人も受け入れます」というような明るさを湛えていました。わたくしは、その建築のすばらしさに、威圧され立ち尽くすでもなく、自分の小ささを感じて泣くでもなく、ただただ嬉しくて笑ってしまいました。「置いて行くわよ」とサキちゃんに言われ、慌てて追いかけましたが。
「そんなに珍しいかしら。私は何も思わないけど」
「すばらしいですよー。サキちゃんは長いからですよー。当たり前になっているのですね」
「そうでもない。ここは、久しぶりにきた」
……サキちゃんは舌打ちして、呟きました。
通りを進むと円形のロータリーがありました。中心には銅像が載るような台座がありますが、像はありませんでした。台座に立って写真を撮っている人がいました。
ロータリーからは八本の道が構内に伸びていました。サキちゃんが言うには、それぞれの道の先には、また同じ構造のロータリーがあるそうです。それは生体内の細胞の連結を思わせました。
「あまり進むと道が分からなくなるからね。まあ、ぱっと見た感じ、こんな場所。ここからは見えないけど、あっちの門を出た所には教授連が働く『最強神々棟』がある。今は行かないわ。普通の創生じゃ入れもしない所よ」
難解な響きの場所でした。教授ですか……。すごい人々なのでしょうね。
「あ、そうだ。《□□□》の中がどんな感じか、講義に潜ってみようか?」
「講義ですか! 見てみたいですね。でも、できるんですか?」
「《□□□》は極限的に放埓な場所だし、大丈夫でしょ」
泉さんは近くの建物に入っていきます。見上げるばかりの立方体の建物。巨人族の一戸建てのような建物でした。入り口の木製のドアからして通常の一戸建てに迫る大きさがあり、しかも泉さんが軽く押すと簡単に開きました。わたくしは《本舎》の門をくぐってから驚きがやむことがありません。子供の頃に近所で催された博覧会に行った時を思い出しました。こちらに来てからの全てが、さながらパビリオン巡りでした。でも今は子供ではありません。齢をとった現在も没頭できるパビリオン。それをあまりに幸せだと思いました。
中は天井が高く、ワンフロアが二~三階ぶんの高さがありました。、
「そうね。この教室が講義中のはず。潜ってみましょう」
サキちゃんは、白壁の中の黒い扉を開けます。二重扉になっていました。どういった講義なのか。予感で息が浅くなります。二枚目の扉を開けるサキちゃん。目に染みる光。
じゅうたんがしかれ、明るく、「現代的」な教室。
普通の階段教室でした。
わたくしは大学という場所に行ったことはありませんが、教室の映像を見たことはありました。
前に教授らしき風貌の方がいらして、学生さん達が思い思いの席に座り、無遠慮に並ぶ蛍光灯がまばゆく照らしている教室。それは向こうの大学にそっくりです。いままで見てきた「この世界」的ではない景色を、唐突にみせてくる。こうして意表をつく仕掛けもあるのですね。いつでも飽きさせない、この世界の、豊穣さ。なんという余裕、懐の深さ、つまりは大きさなのでしょう。一個の細胞が一生かけて動くよりも広くを、一人の人間が居るだけで埋めるように、この世界の「豊かさの大きさ」は、桁違いです。
いまは音韻論の講義が行われていました。サキちゃんとわたくしは、いちばん後ろの列に、こそこそと座りました。いいですね、やわらかなスリル。選択していない授業に潜ってみるのは、夢の一つでした。それが叶いました。
「このように詩は、音声の帯域と、リズムと、外観による総合出力であるので、詠唱なしには真の効果を発揮しえないわけです。音声を使えない状況下なら、生理学上は、詠唱と同じ部位の脳の活動が見られなければならず、諸君も30日ほどのトレーニング・プログラムを積む必要があります。まず音を文字やグラフといった変換媒体として受け取る技術を学び、ひいては重量のある固体として――」
先生はホワイトボードを見ながら、呟くように喋っています。はえ~すっごいですねー。よくわかりませんけど何か学問してる気がしますね!
サキちゃんが小声で言います。
「《□□□》の教官は、一人一人、独自の学問を確立しているの。既存の定式や用語を使うことはあるけど、それらを独創的に組み合わせ、自分の学問体系を構築するのよ。そのセンスに秀でた創生なら、将来、教官になれるわ。教官レベルであれば独自の学問体系を持っているといっていいわね。音韻論の教官は十一人いるけど、基礎的な概念は共有しながらも、十一の音韻論が存在しているのよ」
話を聴いている創生さんは、最前列の一人か二人のようです。この先生の音韻論は、人気がないのでしょうか。でも、先生がひとりで楽しんでいる感じはいいですね!
「教官は学問の内容を教えるわけではない。『自分の学問を構築する仕方』を教えるの。つまり、ひとりで一生学問に取り組める方法を教えるの。それは言語で教えられるものではない。だから教官は学問に取り組む自分の態度をまず見せる。波長が合った創生は熱心に講義を聴く」
「聴いている方は一人か二人で、多くはないようですが」
「そうかしら。わたしは一人でも聴く人がいるだけで上出来だと思うわ。だって、自分が考えていることになんて、大抵、他人は興味ないものでしょ」
サキちゃんはさらりと即答しました。そして、興味なげに机に伏して、寝てしまいました。




