[シンジュク] 2
「オーイ」
わたくし達を呼ぶ声がしました。というのはその声を知っていたからです。色めき合う電飾のような雑踏の中から、針のように響く声。そちらを向くと、ひときわ[都会]のオーラの塊のような姿が、ありました。
氷上シアンさん。まわりの個性的な人々さえエキストラに引き下げてしまうような存在感でした。世界を威圧するような、濃密な蒼さの髪。好奇心と攻撃性が溢れてとめどない、形のよい吊り目。異常なスタイルのよさに、爆裂的プロポーション。あらゆる「不自然さ」を「奇麗さ」にまで究めた[都会]においては、氷上さんの魅力は一層引き出されていました。
「やぁ、アマネたん。何しているのかな? 引き込もりじゃなかったの?」
「氷上さん。わたくしだって、出たいと思ったら出ますよ」
「とてもいいことね。引き込もりだって、素直な欲求には従わなくちゃね。『部屋に居なきゃならない』なんて、自分の心に閉じこめられてちゃ、話にならないし。きょうは友達と一緒かぁ。そろそろ引き込もりの『奥義』を使えるようになったかな?」
「『奥義』、ですか?」
「そう。『世界全部が私の部屋』。引き込もりを志すなら、まずはそこからでしょ?」
「なるほど……」
闇ルトさんにも以前、似たことを言われました。
活動的な氷上さんが引き込もりをするなら、そう考えるのでしょうね。部屋と同じくらいに、世界に対しても、自由度を強めることができたら。
たしかに理想的です。こちらに来て以来、「引きこもったまま動く」感覚が生まれ、それに慣れた気がします。今もそうです。心は穏やかで、自分のカラダは、ふわふわと煙になったかのようです。
昏くて綺麗な[都会]のなかに居て、気のおけない人たちと喋っているなんて。
向こうに居たなら、ついぞなかったことです。
わたくしもいつか、「奥義」を使えるでしょうか。それとも「奥義」とは、『世界全部が私の部屋』という形ではなく、もっと違うものでしょうか。わたくしは今、勉強中なのです。本当の引き込もりとは何なのか。それを見つけるために、部屋の外を観覧している気がします。
「まあ、いいわ。ところでね、あたしはきょうは、仕事道具を請け取りに来たの。三角ホーと言ってね、あたしの特注の製品で、特別な仕様に仕立ててくれるお店があるの。でもこんな話は、興味はないわよね。また《創舎》のどこかで会いましょ。二人とも。じゃーねー」
氷上さんは手を振り、路地に消えてしまいました。
「友達、ね……」
サキちゃんがつぶやきました。わたくしはふと考えましたが、それは氷上さんの言葉を繰り替え居ているのだと解りました。
ふむ。もしかすると、サキちゃんには、わたくしは友達ではないのかも……。
それも充分に考慮には入れておりますよ。どちらでもよいです。観光を愉しもうではありませんか。
そのとき、ちょうど頭上に看板が出ていて、「観光庭園」と書かれていました。看板に書かれた方角を見ると、すぐ近くのようでした。
観光スポットなら、御土産屋もあって、マグカップも売っているに違いありません。サキちゃんも異存はなく、わたくしたちは立ち寄ることにしました。
EGPと名を冠されたそこは、宮殿のようなところでした。
実際の宮殿を見たことがない日本人が造った人工庭園のような場所でした。ギリシャ的でもありゴシック風でもあり、つまり海外の良いセンスを一緒くたにしてブイヨンを煮出したような「ニホン的な」ものでした。ただそれは悪い意味ではなく、一言でいってすばらしいものでした。
庭園は淡い色の石畳がしかれ、中をくりぬいてランプとした石柱や、適度に蛇行した舗道、腰を下ろし休憩できる石のベンチなど、リラックスして廻れるよう考えられた造りになっていました。「どこに迷い込んでも大丈夫だ」という気にさせる安心感。それは子供時代の、どんどん外に出て行きたいと思わせる、あの魔法のような錯覚に満ちた世界を、ふたたびわたくしに開示していました。
このテーマパークを設計した人は、きっと無垢な善人なのでしょう。悪意ある設計者なら、ストレスに満ちた空気を演出することも可能だったはずです。――向こうの世界の様々な場所のように。
わたくしは先を行くサキちゃんについていき、上るほど幅が広くなる蛇行した階段を上り、上層部に向かいました。
広間の一つが雑貨売り場になっていました。
マグカップもたくさんありましたが、わたくしは初めに目に付いた一つを買いました。いまあるカップよりも小さめの大きさで、どんな照明にも映える落ち着いた白は、最初にわたくしの視線をとらえました。錆びた銅を深めたような深緑色と、つやを消した金銀が絡み、意表を衝くようにビリジアンが垂らされた模様をしていました。わたくしは一目で気に入りました。
店の方が来て、このマグカップの「ちょっとした特別な機能」を話してくれました。お茶に造詣が深く、笑顔に雑味がない方でした。
《特殊時空追斥能》。
このカップに注がれたお茶は、淹れた時の温度や味が保たれるそうです。一年でも、百年でも、大丈夫だろうとのこと。なるほど、マグカップが磁界のように「特殊な時空」をまとっているわけですか。店員さんは、違うと言いました。今までの世界にあった、「物質・時間・空間」を伴う時空間、そちらのほうが「特殊時空」なのです――。と言われましたが、わたくしはまだ、ぴんと来ないのでした。
買い物が済み、庭園内の屋外食堂に行って、ごはんをたべました。「本日のお勧め料理」という「蛙の姿焼きのソラマメあえ」を食べました。ミニサイズの太陽のような照明と、小さいベルのように鳴る虫の声が、きれいでした。[シンジュク]では自然の風味さえも都市的でありました。
*
食事後、散策がてら、ターミナルと反対方向へ足を伸ばしました。
[シンジュク]のやや下町と言えるのでしょうか。なだらかな勾配に富んだ大通りには、満杯の本棚のように、たくさんの店がひしめきあっていました。どこからともなく漂う世界各国の料理の香りが、スパイスのように観光気分を刺激します。通りにはガス灯の明かりが道しるべのように続いていました。
[シンジュク]はとても奇麗な街でした。《創舎》の鎮かな爽やかさとはちがう、「昏さを照らす光」と言うんでしょうか。擬人法で言うなら、人間という生き物の双極性を纏めたような美しさをもつ街でした。
わたくしはサキちゃんに言いました。
「[シンジュク]に来て良かったです。ありがとうございます」
「別にいい。あなたのためでもない。私も部屋にばかり居ても何にもならない」
サキちゃんは歩きながら、そう言います。可愛いです。クールな顔にメガネの記号。わたくしの脳は裏のツンデレさんを読み取ろうとしてしまいます。
「ところで――、《無い所》に興味はある?」
サキちゃんはそう言って、店のあいだの何気ない路地へと折れました。
足元から暗がりがせり上がるような路地でした。すこし進んだ奥に――巨きな建物の陰翳が見えてきました。
そこは簡易な柵で囲まれており、街の雰囲気を遮断しないまでも薄めている気配を感じました。
「ここは《□□□》の《本舎》なのよ」




