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【From the future】青を遡って

 時計の針が午前10時を回った。

 

 春先の雨が静かに降っている。

 しとしとと雨粒が小窓を打つ音を聞きながら、ふと思い出すのは初々しかった青い日々。


 瞳を閉じ、耳を澄ませ、窓に当たる雨粒の振動を感じ取り、過去の情景に思いを馳せて感傷に浸る。


 そういえば、私が杜の宮高等学校に転入した時も今日みたいな雨模様だった。

 あの頃は本当に若かったわね。


「――せんせ! ――先生ってば!」


 静寂を打ち破る声。

 耳を打つ凛とした声は10畳ほどあるLDKの部屋に響き渡り、私を夢現(ゆめうつつ)から現実へと引き戻す。

 

 机の上に伏せていた上半身は、まるで鉛でも乗せてるみたいに重く感じた。私はその重い体を起こして、ゆっくりと瞳を開く。

 視線の先に見えるのは、カジュアルなグレーのスーツに身を包んだ女性。彼女は腰に両手を当てて、不服そうな顔でこちらを見据えて立っていた。


「先生、しっかりしてくださいよ。今日は『新作の打ち合わせをする』って約束じゃないですか?」


「……ごめんなさい。私としたことが忘れていたわ。やっちまったわね」


「先生はいつもやっちまってますよ」


「そんなことないわよ」


「現在進行形で新作の執筆が遅れてるじゃないですか」


「…………漫画のアシスタントと兼任してるからしょうがないじゃない」


「アシスタントって言っても『月刊誌』ですよね? 大分スケジュールにも余裕ありますよね?」


「なぜそのことを?!」


「編集の情報網舐めないでくださいよ。SNS見れば一発ですから。昨日、居酒屋で脱稿後の打ち上げしてたんでしょ?」


「くっ! 身内に敵がいたなんて!」


「いや、SNSにその様子アップしたの先生じゃないですか」


 恐るべきSNSの罠ね。やはり原稿に追われる作家は、投稿を自粛した方が難を逃れやすいということかしら? それとも鍵垢にするべきか。


 対担当編集に向けて今後のSNS運用を模索する私をよそに、彼女は呆れた様子でため息をこぼす。


「どうせ、またくだらんこと考えてるんでしょうけど……まずは新作の()()について、予定どおりに打ち合わせしましょうよ?」


「そうね。SNSの運用についてはいくらでもやりようがあるものね」


「そうですね。最終的には先生をホテルに缶詰めすればいいだけの話しなんで」


「パラシュート買っておこうかしら」


「そのッ! アクティブさをッ! 執筆にッ! 活かせッ!」


 床を鳴らし地団駄を踏む彼女は、いつもこの瞬間だけ子供っぽく見える。

 防音で良かったわね。ここ。毎度のこと言動がうるさいから助かったわ。

 

 そんなバリキャリ地団駄ステップを踏む彼女は、いつもは凛とした常に余裕のある態度で後輩の編集たちや作家をリードをし、時には上司へも物怖じすることなく意見を言うなど、その仕事に対する真摯な姿勢には尊敬の念を覚えることもある。

 

 普段はこんな姿を他の編集や作家にも絶対に見せないらしいが、私と会話している時はこういった一面も見せてくれるので、ある意味で信頼されているといったところなのかもしれない。


「わかったわよ。もう変なこと言わないから、さっさと打ち合わせ始めちゃいましょう」


「ったく! それならいいですけど……」


 そう言って彼女が使っていない椅子を引きずり、私の隣へと並べ腰掛けようとした時だった。


「先生、こんにちは! 玄関の鍵かかってなかったんですけど、不用心ですよ!」


「あら? 山崎ちゃんどうしたの?」


「こんにちは、山崎ちゃん。ごめんね、それ私のせいだ。合鍵使って開けた時に閉めるの忘れてた」


 リビングの扉を開けて入ってきた女の子は、私の同人サークルでアシスタントをしている大学1年生の山崎ちゃんだった。

 

 山崎ちゃんはよく私のアシスタントとしてこの家を出入りするので、担当編集の彼女とも面識がある。というか私のいないところで、二人は一緒にランチへ行ったりする仲でもあるらしい。

 そこの交友関係は別に何とも思わないが、仕事モードの時にはほぼ私に敬語を使うのに対して、山崎ちゃんにはくだけた話し方をしているのは解せないところである。

 

 と言っても、ハツラツとした元気のある山崎ちゃんには担当編集の彼女と似たところを感じさせるし、お互いに波長も合うのだろうとも見て取れるが。


「お仕事中でしたか!? ごめんなさい! 手書きで書いた背景の原稿を持ってきただけなんで、私すぐに帰りますね!」


「大丈夫だよ。まだ何も始まってないし。新作の打ち合わせするだけだから。これ終わったら一緒にランチでも行く?」


「原稿ありがとうね。そうよ。せっかくだから一緒にランチでも行きましょう。打ち合わせなんてすぐ終わるわよ」


「それフラグ?」


「フラグは折ってなんぼよ」


「先生がフラグ折ったとこ見たことないですよね……」


「年下の女子大生にまでこの認識持たれてることに危機感持ってほしい」


「誇りにすら思ってるわ!」


「はぁ。山崎ちゃん、ここ座っていいから……皆の分のコーヒー淹れるね」


「私はバニラシロップアーモンドキャラメルホイップキャラメル&モカソースストロベリークリームフラペチーノでいいわよ」


「そんなもんこの家にねえだろ! それと糖尿になるから日常でも控えろ! 執筆しろ!」


 地団駄ステップでキッチンへと向かう彼女を尻目に、「あはは。作家さんも編集さんも大変ですよね」と苦笑まじりに山崎ちゃんは椅子へと腰掛ける。


 長い付き合いになるけど、彼女の怒りっぽいところは変わらない。文句を言いながらも、こういった気配りを率先してするところも。


「それで。先生は新作で何を書くつもりなんですか?」


 キッチンのカウンター越しにコーヒーを淹れながら、彼女が問いかける。

 深煎りの豆から抽出された、香ばしくもどこか甘味を感じさせるコーヒーの香りが部屋の空気に浸透していく。


「……そうね。実は前々から書こうと思っていたものがあるのよ」


「それなら珍しく話が早く済みそうですね。どんなのですか?」


「ふふっ。聞いたら驚くわよ?」


「そういうのいいんでちゃっちゃと話してください」


「私も気になります!」


 ドリップマシンに手をかけながらこちらを流し目で見る彼女と違って、山崎ちゃんは前のめりになる姿勢で瞳を輝かせて耳を傾ける。

 この子のこういう姿勢に心をぐっと掴まれるのは、私が歳をとったいう証拠なのかしら。嬉しくも少し寂しい気持ちになるわね。


 でもそれは、私にも、私たちにも……同じようにそういう言動をとっていたという過去があるからなのかもしれない。


 私はひと呼吸おいて大きく口を開いた。


「執筆する新作の小説、それは――私()()が高校生活で謳歌した『青春』を題材とした作品よ!」


「あ、あ~。そういえば昔そんな小説書きたいって言ってましたね。え? てことは?」


「出来る限りノンフィクションで行きたいわね!」


「ノンフィクションってことは先生たちがリアルに体験したことを書くんですよね!? すごい! 私、絶対買いますよ!」


「ありがとう。でもそのためには関係者にアポを取ったりしないといけないのよね……」


「なるほど。アポですか……」


 私と山崎ちゃんが互いに見つめる先には、トレイにマグカップを載せて運ぶスーツ姿の女性が映る。彼女は静かに私たちへとそれぞれマグカップを渡すと、持って来た椅子に腰掛け大きくため息をついた。


「……まあ。そういうアポ取りも私の仕事ですからね。それで先生が()()()()書いてくれるんだったら喜んでやりますよ」


「やったわね、山崎ちゃん。これで心置きなく執筆に行けるわよ」


「さすがです! デキる大人の女性は憧れますね!」


「……あんたたち、おだてりゃ何でもやると思ってない?」


 眉間を抑える彼女をよそに、私と山崎ちゃんは上機嫌でコーヒーを喉に流し込む。少し酸味のあるフルーティーな風味が鼻を抜けて、嗅覚から味覚へと流れ、品のある甘味を訴えかける味わいだ。


「で、アポ取りに行くのはいいんですけど。どんな内容で執筆するのか、今ここで話してくださいね。じゃないとアポ取り行く方面とか判断つかないので」


「それもそうね。といっても、あなたには馴染みのある話しだから。おおよそ検討はつくんじゃないかしら?」


「念のためですよ。念のため」


「え! それって私今ここでネタバレを聞いちゃうってことですよね? いても大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。山崎ちゃんは信用出来る子ってわかってるし。小説のネタバレにしたって、会話ベースと文字ベースでは受け取り方も変わるだろうから、聞いていても問題ないわ」


「よ、よかったぁ~。私、今日ここに来てラッキーですよ! 新作のお話しが聞けるってのもありますけど、何よりお二人の学生時代のお話しが聞けるなんて!」


「う~ん。まあ、ちょっと恥ずかしい感じするけどね。先生がどこまで話す気なのかにもよるけど……」


「全部よ!」


「全部って……結構時間かかりそうですね。珍しく早く終わると思ったらこれかぁ」


「まとめるにしても、半日はかかりそうよね?」


「半日で済みますかね」

 

「私は今日一日暇だったので全然大丈夫ですよ! 楽しみです!」


「ふふっ。それじゃあ……まずは私がとある高校に転入したところから始めようかしら」


 私が過去を語り始めるのを合図に、三人が椅子を並べて座る空間に静寂が訪れる。そして二人は静かに耳を澄まして次の言葉を待つ。

 雨音が静けさを彩るように響き、肺を満たす心地よいコーヒーの豊潤な香りが部屋中に充満する。


 私は再び、過去の情景をなぞるように思いを馳せて、静かに、ゆっくりと言葉を紡いでいく。


「……これは私たちがまだ高校一年生の頃の話し。本当の青春が始まる前の時から――」

 

 青い群れが織りなした私たちの青春。あの日々を遡って。

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