僕らの日常②
儚げな姫川先生の後ろ姿を見送った後、教室はざわざわと話し声に包まれていた。
先生は毎日こんな調子で大丈夫なのだろうか。
保健室の先生はメンタルケアを得意とする人だから姫川先生はいつも常連組だけど、ほぼ毎日メンタルに支障をきたす教師って、この先の学校生活やっていけるのかな。心配になっちゃうよ。
「キララちゃんの授業がまともに進んだことってあんましねーよな」
そう意地悪な笑みで僕の後ろの席から話を振ってきたのは、小学校から付き合いのあるもう一人の幼馴染で悪友の北斗流星だ。
流星とは中学時代には同じ陸上部で日々の厳しい練習を共にし、時には思春期の男子らしい悪ふざけをして教師に叱咤されるなどと過ごした仲だ。
「……流星。僕たちもそろそろ自分の進路とかちゃんと考えないとだね」
本人には申し訳ないけど、姫川先生のような大人には正直なりたくないもんね。
「はあ? 進路って、まだ高校に入学して二ヶ月しか経ってないんだぜ? それにその言葉はそのまま自分にブーメラン返ってくるだろ。お前いつも熱しやすいし冷めやすいし、しかも行き当たりばったりな性格なんだからさ」
「うっ」
「図星だろ?」
「まあね」
ぐうの音も出ない。さすがは付き合いの長い僕の悪友だ。
「俺は今んとこ、大学はスポーツ推薦で行けるとこに行くって決めてるぜ」
「行き当たりばったりってとこは僕とあんまし変わらないじゃんか。て言っても流星は陸上部でも期待の新人だから、部活の結果次第では推薦校も搾れるか」
「だな!」
「羨ましい限りだよ」
流星は中学時代陸上部に所属し、東北大会にも出場した経歴を持っている。中学の最後の大会は惜しくも4位で全国大会出場を逃したけど、この高校では次の大会でその雪辱を果たすつもりらしい。
負けず嫌いなところは有紀と同じだよなぁ。
「それを言ったら、お前だってもったいねえよな。フミも陸上続けたら、また一緒に全国目指せたのによ」
「なんか中学三年で部活終わってから一気に冷めちゃったんだよね。僕なりに精一杯やり切ったとも思うし」
「俺と一緒に東北出て、負けた後に二人でめっちゃ悔しがってたのによく言うぜ」
「あの時はその場の雰囲気も相まって、そういう感情が込み上げてきてただけだよ」
「よく言うわ。彼女も作らないでマジで部活一筋って感じだったのにな」
「恋愛沙汰はそもそも興味なかったし、その時は陸上のが大事だったからね」
中学では誰が誰と付き合ったなんて話しは日常的にありふれてはいたけど、当時は本当に心から陸上に熱を注いでいたし、そもそも友達以上の恋愛関係というのもよく理解できなかったからなあなあにしていたんだよね。
「お前告られてもよく振るから、一緒につるんでる俺とか他の男子の間で女子にカップリング? させられてたらしいぜ」
「不名誉が過ぎる!」
「俺もだわ」
僕と流星が他愛もない中学時代の会話で盛り上がっていると、有紀が空いてる隣の席に腰を掛け、身体を乗り出して会話に入ってきた。
「あんたたち自習しなくて大丈夫なの? そろそろ七月も近いし中間テスト始まるでしょ?」
有紀からふと懐かしい、陸上をしていた時に僕がよく使っていた制汗剤のシトラス系の香りがよぎる。その香りに、陸上に熱中していたあの頃の光景が頭をよぎった。
「僕は予習復習を家で少しずつ進めてるから大丈夫だよ。どっちかていうと二人の方が心配なんだけど」
「俺は捨てた」
「流星は昔から赤点ギリギリだけど、陸上の実績で内申点の評価相殺してきたもんね。有紀はどうなの?」
「あたしも捨てたわ」
「それでよく人の心配ができたね……」
誇らしげに小さな胸を張る彼女も、勉強においては流星に負けず劣らずの成績で、バレーボール部の実績だけでこの高校に入学したようなものだった。
僕と流星、有紀の三人はお互いに幼馴染ということもあって親同士の交流も多く、家族のイベントごとでもよく一緒に時間を過ごしてきた。
活発な二人に振り回されることがほとんどで苦労もあったけど、そのおかげもあり見た目で浮いていた僕も他に友達が増えたり、元々インドア派だった自分自身にコミュニケーション能力が身についたりと、それなりに楽しく充実した生活を送れてきたことには感謝している。
こういうことを口に出すと調子に乗るので、二人の前では言わないようにしてるけど。
「二人とも少しは勉強やっておかないと、補修で夏休みを過ごすことになるよ? うちの高校は総合学科で二年からは自分の好きに時間割を作成して講義を受けることが出来る反面、一年のうちに普通科の授業くらいはしっかり受けておかないと。レベルも中学よりも少し高いくらいだから、予習復習でなんとかなると思うよ?」
「え? 二年なんてほとんどスポーツ系の授業取る予定だから大丈夫でしょ」
「俺も有紀と同じだな。それに」
「「テストなんて毎回前日に一夜漬けすればいい(だろ)でしょ」」
「君らよく高校に進学できたね」
「「一夜漬けしたので」」
ドヤ顔を決める二人を見てると、将来これで大丈夫なのかと思ってしまう。行き当たりばったりでいる僕も人のことは言えないけど。
「そういえば文春は部活の方どうなの? なんだっけ、たしかメディア部? に入ったんだっけ?」
あまり勉強のことを考えたくないのか、有紀が露骨に話題を変えてきた。
後になって流星と二人での〇太くんのように僕へ教えを乞う姿が目に浮かぶ。
「部員は三年生が一人、二年生が二人、一年生が三人で少ないけど、取材とかで他のクラスや学年と関わる機会も多いし、けっこう楽しいよ」
「ふーん…………周りに女子とかって多いの?」
「それぞれ学年ごとに女子は一人ずついるから、割合としては多いかもね」
「ふーん」
有紀はそう聞くと前髪の先をくるくると触り。
「同じ一年の子は可愛いの?」
「可愛いってよりかはキレイ系って感じかな?」
僕は頭の中で、メディア部の同級生の女子を思い浮かべて質問に答えた。僕ら四組の隣に位置する三組の子だ。
同世代の子とは思えないほど落ち着いていて、家が花屋を経営していることもありよく部室に花を飾ってくれている。
今まで体育会系のハツラツとした人間に囲まれて生活していた僕にとっては、あまり関わり会いのなかったタイプの女子だ。
「俺も陸上の先輩たちから聞いたけど、メディア部は偏差値高いって噂なんだってな」
「ふーん」
あ、ちょっと有紀のご機嫌がナナメになってきているな。
僕はそこいらの漫画やアニメに登場するような鈍感系主人公ではないので、ぶっちゃけ有紀の好意には中学二年あたりから察しがついている。だから彼女のこういった態度にも納得がいく。
そして偏差値が高いと言われているのは、主に上二つの学年の変人度という話しだと思う。前の代から、うちの部は変人の巣窟とか言われてるみたいだし。そのことだろう。
「ま、まあ偏差値高いって言っても、みんな部活仲間って感じだし……それに僕も今は校内掲示板に載せる部活紹介の取材とかに集中しているから、そっちを楽しみたいなってなんて」
「何だよ、フミのその濁すような言い方は」
「いろいろあるんだよ……」
せめて幼馴染には自分の所属してる部活動が、変人の巣窟だという事実を隠蔽したい! だってなんか普通に恥ずかしいもん!
「…………にしても、文春ってホント一つのことに集中するの好きだよね」
「またどっかで飽きがくるんじゃねーか?」
「それは否定できないかも」
そっち系の話題は逸らせたかな?
僕は今の三人の関係が一番だと思ってるから、なるべくこういった恋愛事はこの中では起こしたくない。青春を謳歌するうえで『恋愛』要素は無いにしても、友人たちとの関係性は大事にしたいからね。
「ん、チャイム鳴ったな。昼飯にすっか。俺は購買に行くけどお前らはどうする?」
そうこう話しをしていたらもう昼休みになっていたのか。結局ただ雑談しただけで午前の授業はおわっちゃったな。姫川先生元気になってるといいけど。
「僕は弁当持ってきてるからいいかな」
「あたしも」
「おー。じゃあ俺は購買行ってくるわ」
「「おっけー」」
流星が教室を出ていくところを見計らったように有紀は口を開く。
「ね、文春。今度の土曜日さ、時間あるとき一緒に買い物付き合ってくれない?」
「いいけど、何買うの?」
「んーとね、服を買いに行きたいんだけどさ。あたしってスポーティーなものばっかじゃん? だから高校に入ったのを機に新しいジャンルに踏み込みたいなって」
「女性向けの服なら女子の友達と行った方よくない?」
おそらくデートの誘いではあると思うんだけど、別に服なら素直に女子同士で買いに行った方がいいと思うんだよな。
それでも幼馴染として、二人で一緒に出掛けるくらいなら今までも何度かあったから別に構わないんだけどさ。
「だって、あんたの私服って女の子っぽいから」
「僕は男子ぞ?」
「あたしが服買う参考にしたいからさ、他にどんなの着てるかお店で見ながら聞かせてよ~」
「それフツー男子に聞く?! てかそんなん知らないよ!」
「えー?」
え、僕の服って女子っぽいのか? 服なんて基本母親か姉が勝手に買ってくるから、ずっとそれを男物だと思って着ていたけど。
でも思い返すと確かに、女性用のファッション雑誌に載っていた公園デート特集のモデルに、僕の着ている服と酷似したものがあったけど!
最近のファッションってそういう性別の壁にも囚われないものなんだなと、割り切って見て見ぬ振りしてたけど!
「あたしが言うのもだけど、文春って肌白くて目パッチリしてまつ毛長いし髪の毛サラサラだし華奢な体格だし、女から見ても女の子っぽいから、私服着てるときはマジでただの美少女だよ? 左目の涙ボクロで色気も増してるし。もう全方位から見ても女子にしか見えないから、あんたが男子トイレ行く時は引き止めて女子トイレに連れ戻そうとしようとしたことが数回あった。かわいすぎ」
早口で話しながらも後半は息が荒くなっていく彼女に対して、僕は思わず苦笑交じりに会話を続ける。
「それ言われて素直に喜べないんだけど」
「性格はクソガキだけど見た目は良い流星と並んだら、美少年×イケメンのカップリングとかってバレー部でも話題になってるよ?」
「性格はクソガキって……てか、そのネタ提供してるの有紀じゃないよね?」
「たしか漫研部ではすでに薄い本が発行されてるって聞いたわ」
「そのネタ提供してるの有紀じゃないよね!? 発行って学内に出回ってるわけではないよね!? ていうかその本持ってないよね!?」
「知らないわよ」
なんてこった。この学校でも僕は強制カップリングをされた上に、創作の中とはいえ流星と…………おえ。
「まー、服を一緒に見に行くのはいいけどさ。女子目線のアドバイスとか出来ないから、あんまし期待はしないでよね? あと漫研には情報提供するなよ?」
「やった!」
二人で一緒に出掛けるなんて珍しくもないのに、有紀は意気揚々とサンドイッチを口いっぱいに頬張っていた。
女子の考えることってよく分からない――わけでもない気がするけど、恋愛感情に疎い僕にとっては共感が難しいものだ。
「じゃあ明日のお昼過ぎに駅中のステグラのとこにに集合ね!」
「はいよ」
僕ら学生の待ち合わせは、いつもステグラ前と同じところに決まっている。
駅の中央改札を抜けて進んだ先に位置するところには、大きな壁一面にステンドグラスが張り巡らされた箇所があり、そこでは毎日のように友達やカップルなどといった人たちが立ち並んで相手を待つ姿がよく見えるんだ。
「ん。そういえば明日は土曜日だったね。有紀は午前中に部活行ってからくる感じ?」
「うん! 家に戻って着替えてから来たいし」
「そのままのが楽じゃない?」
僕がそう言うと彼女はわざとらしく頬をふくらまし。
「文春はホント女心ってもんが分かってないよね!」
「だって、いつも流星と三人で遊びに行くときとかは部活の格好のままだったでしょ?」
「それはそれなの!」
ちょっと拗ねたような態度でそっぽを向く有紀の頬は少し赤く染まっていて、彼女が何を言いたいか察しがついた僕にも、伝染したように顔が熱くなる感覚を感じた。
僕はその場の雰囲気に耐え切れなくなりそうだったので会話の話題を変えるように言葉を選ぶ。
「あー、まあそうかな? えーと、あっ、それはそうとさっきの僕と流星の創作物の件なんだけど」
「『星駆ける春』のこと?」
「――それは薄い本のタイトルか?!」
星駆ける春って、流星×文春から取ったってこと? 無駄に凝ったタイトルしやがって。今度漫研に取材行ったら没収してやろう。
「言っておくけど、あたしは別に創作に関与していないからね。作品は好きだけど」
「持ってるのかよ! さっき知らんとか言ってたろ!」
「たしかメディア部の先輩がネタを漫研に持ち込んで、直々に完全監修して描いたって……漫研の知り合いの子から聞いたけど」
「スルーかよ」
というか『メディア部の先輩』という言葉に、心当たりのある人物が一人しかいない。
あのゲスい先輩、入部当初の自己紹介の話しからネタ提供していたのか! 自分の欲のために身内売るとか外道もいいところだよ!
「お前らなに面白そうなこと話しているんだ?」
「流星と僕にとってはなにも面白くはないと思うよ」
購買でパンを買ってきた流星が戻ってきた。
「なんだそりゃ。そういや購買に新しいパンが入ってたからさ、それ買ってきたんだけど食べるか?」
「いや、僕は遠慮しとくよ」
「あたしもいいかな」
「なんだよー。ちょっと量多いから、後でマネージャーにでもあげるか」
自分がそういうネタにされている事実を知った後で食欲が沸くはずもなく、残りは家に持ち帰って夜に食べることとしよう。
有紀もサンドイッチを食べ終えたようで『ジュース買って来る!』と小走りで教室を出た。
「お前らさっき何話してたんだ?」
「ん、有紀が服を買いに行くから明日一緒に行くって話ししてたんだ。流星も暇だったら一緒にどう?」
一応、いつも一緒に遊びへ出掛けていた流星のことも誘ってみた。
「……いや、俺はいいわ」
流星は神妙な面持ちでそう答えた。
「何か用事でもあったの?」
「いや……ちょっとな」
「無理には聞かないけど、困ったこととかあったら相談乗るよ」
「……ああ。どっちかていうと有紀の方だと思うけどな」
「? そうなんだ」
二人で有紀関連の話しをしていると、時々会話に間を置くことがあるけど、何か思い詰めるようなことでもあるのだろうか。本人が無理に話したがらない以上、僕もそれ以上は詮索しない。親しき中にも礼儀ありってことだ。
「お前は狙ってやっているのか、それとも天然かましてんのか、分からんとこあるよな。攻めきれないアイツにも問題はあると思うけど」
「何の話し?」
「ひとりごとー」
「ほーん」
その後、有紀が戻ってきて三人で雑談をしていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、午後の授業が始まる。
窓の外で、雨はまだ止まない様子だった。




