僕らの日常①
僕が杜の宮高等学校へ入学し早くも二ヶ月が経ち、季節は梅雨へと切り替わっていた。
席は窓側。しとしとと雨の音が耳を打つ。
湿気を帯びた空気はいつもより重く、今日は一日中、雨模様となるだろう。
憂鬱な気分を少しでも晴らそうと、窓の外に目を向ける。
校舎の周辺は緑が生い茂り、爽やかな新芽の香りが漂ってきた。湿気のせいもあってか、少しうっとおしく感じる髪を耳元に搔き上げる。
教師の眠たくなるような一定トーンで話される授業を受ける中、夢と現の狭間をさまよっていると、ふと視線を感じ一つ空いた隣の席の人物へと目を配る。
視線の先にいる女子は、幼稚園からの幼馴染である天野有紀だ。
有紀とは幼稚園から高校まで同じという、まさに腐れ縁の関係だ。
そんな彼女は中学校で三年間所属していた女子バレーボール部では部長を務め、東北大会優勝の実績もあって、高校でも「期待の新人」としてバレーボール部に入部している。いわば生粋のスポーツ女子だ。
有紀は明るい茶髪を後ろで小さくまとめたポニーテールを揺らし、口パクで「ボーっとするなよ」と勝ち気な表情で笑みを浮かべる。
僕は「はいはい」と軽く手を挙げて応える。すると、有紀は満足したのか授業に意識を戻した。
こんな他愛もないやり取りも中学時代から変わらないな。僕は頬杖をついて、浸り気味に目を細める。
有紀とは幼稚園からの付き合いであり、かれこれ10年近く一緒にいるが、その性格や仕草などはほとんど変わらない。
昔から有紀は気が強くて、よく年上のガキ大将気取りと『公園の陣地や遊具の取り合い』などで喧嘩をすることが多く、僕ともう一人の悪友の助け舟で事なきを得ていたっけ。
負けず嫌いな彼女は、毎回半べそかきながら「あたし一人でも大丈夫だったのに!」とか威勢を張っていたけど。最後には「二人とも……助けてくれてありがと」なんて照れ隠しを披露するまでがテンドンだったな。
有紀の性格は成長しても変わらず、中学二年の中盤にバレー部の部長になった時は、彼女とそりの合わない一部の部員から反感を買っていた。けど、持ち前の根性で実力とリーダーシップを徐々に発揮し、三年になる頃には部内の誰もが彼女を慕うようになっていた。
そんな有紀の姿は男子から見ても頼れる存在であり、今でも尊敬すべきところだ。
「……蒼君。私の話し聞いてましたか?」
ちょっとボンヤリとしすぎたかな。最近部活が忙しいのと低気圧のせいもあって気怠さが抜けないんだよな。
板書を止めて僕へジッと視線を送るのは、現文の教師でありこのクラスの担任を務める姫川綺羅羅先生だ。
いつも猫背で生気を感じない雰囲気を漂わせ、腰まで垂らした長髪はそのままに、前髪は目にかかるまで伸ばしてある。校則に準じて生徒を指導する教師としては、そのビジュアルは全体的にギリアウトなのでは? と思う。
ついでに文字通りのキラキラネームに対して、名が体を表していないんだよな。
「す、すみません。ちょっと眠くてウトウトしてました……」
「――ごめんね。先生の授業が退屈なのがいけないんだよね? 先生って昔から誰かと話していてもよく『トーンが同じで話し聞いてると眠くなってくる』って言われるの。あれ? よく見たら蒼君以外の人たちもみんな眠そうにしてる。そっか、みんな私の授業なんてつまらないよね? 教科書の音読だと思うよね? 実際否定もできないし、私も教師になってからの授業なんて教科書をなぞってするだけで、なんの面白味もない活字のベルトコンベアみたいな授業しかできてないよね? 私って教師失格だよね? なんで教師やってるんだろう。なんで社会人になってしまったんだろう。私みたいな社会不適合者の一角が未来ある子供たちのお手本になれるわけないのにね? 鬱だ」
『カチッ』
「ちょ、先生?」
やばい。姫川先生の鬱スイッチが入ってしまった。だって今、頭上から『カチッ』て音がしたもの。なぜか物理的に僕の脳内に響いたもの。
この先生はちょっとでもネガティブな要素が発生すると、すぐに早口で自虐発言に走ってしまうんだよな。めんどくせえ。
こうなるともう授業どころじゃなくなってしまう。一部の勉強ガチ勢から、僕に対しての口撃が始まってしまう。
「おい、蒼! お前キララちゃんなんとかしろって! また学年主任が『令和のティーチャーハラスメントについて』とかご高説始めに来るぞ!」
「このご時世にあんな炎上しそうな話しを長々と聞きたくないよ!」
「あんな話し聞くくらいなら、全校集会で校長が学生の頃の文化祭で教師陣丸め込んで一部VIP層の客の大人に近所の農業高校と協力して醸造したぶどうジュース密売して得た資金で別の農業高校の教師と生徒を買収して地酒の醸造プロジェクト立ち上げた話聞いてる方がマシだよ!」
「責任取って今ここでスカート穿いてみない? 私の予備あるから」
ほらね? というか、一人だけ不純な欲望をぶつけてきたやつがいるな?
「キララちゃん! 元気出して! 私たちちゃんと授業聞いてるよ!」
「そうだよ! 窓際で黄昏てたバカだけが聞いてなかっただけで、それ以外のみんなはちゃんと聞いてたよ!」
「先生の授業の続きが聞きたいな! ねえみんな?」
「「「うんうん」」」
「君らに人の心ってものはないのかね?」
僕をバカ呼ばわりするこいつら外道共は標的を僕のみに絞り、まるで合唱コンクールを数日前に控える時みたいにクラス全体の一体感を演出していた。
人は共通の敵を作ると意識がまとまりやすくなるなぁ。ちくしょうどもが!
「先生! 文春は放課後に補修を受けさせるとして授業を続けましょう!」
有紀は声高らかに僕を指さして姫川先生にそう告げると、周囲から「そうしよう!」と続けて声が上がった。
「畜生しかいないのかこのクラスは!?」
あのバレーバカ、僕のことを易々と差し出しやがったな!? それにさっきから無駄に一致団結したクラスの動きがすごくムカつく。
今度の校内新聞であいつらの中から何人かスキャンダル掴んで学校中にぶん流してやろうか。
僕が所属している部活動が校内活動の一環である、新聞部と放送部を組み合わせたメディア部というものだ。通常は学内のスキャンダル担当は二年のゲスい先輩がすることなんだけど……今日の仕返しに今度担当を変えてもらえないか打診してみよう。
黒板に向かって卑屈な人生譚小学校上学年編の遠足エピソードまで話し始めていた姫川先生は、一転して生徒たちの前に向き直る。
「…………みんな私の話し聞いててくれた?」
「「「うんうん」」」
「退屈なんかじゃない?」
「「「うんうん」」」
「蒼君だけが上の空だっただけなのね?」
「「「うんうん」」」
お前らいい加減にしろ。僕だって泣くんだぞ?
「じゃあ――教科書20ページの何行目からの話しか分かる?」
「「「…………」」」
「…………」
――姫川綺羅羅、白目を剝く。
一瞬賑わいを見せていた教室が瞬間冷凍でもされたのかというほど、秒で静寂に包まれた。
朝市の競りに出されるマグロでもここまで死んだ目はしないだろうというほど、みんな宇宙空間の無を体現したような真っ黒な瞳へと切り替わっていた。ベンタブラァァァック!
「お前らよく僕のこと言えたな? 今後は盗聴と盗撮に怯えて暮らせよな」
僕の憎悪が籠った言葉だけが、雨音が窓にしたたる静かな教室へとこだました。
ふと窓の外に目を向けると、雨の勢いは先ほどと変わって勢いを増していて、より一層クラスの悲壮感を体現しているように感じる。
「…………鬱ですねー」
あ、先生目の下クマすご。前髪に隠れていて分かんなかった。
長い前髪の奥から瞳をのぞかせる姫川先生のその姿に、僕は『大人になるってなんか大変だな』とザックリだけど得も言われぬ不安に駆られた。
「…………蒼君。私ね、最近なんだか頭が痛くて夜も寝つけないの。だから保健室に行って生と死について向き合ってきます」
「あ、はい。死なないでくださいね?」
それ以外の言葉が見つからなかった。てか生徒とは向き合わないんかい。と思ったけど、この状況と先生のメンタルパラメーター的に今日は無理そうだな。
ちょっと罪悪感を感じる。とりあえず謝っておこう。
「あの、次からは気を付けます。ごめんなさい」
「いいの。きっと低気圧のせいだから。私が憂鬱な気持ちになったのも、みんなが私の授業を聞いてくれないのも低気圧のせいなの。……母胎から人生をやり直したい」
「早く保健室行っちゃいましょう! ね!?」
姫川先生は重い足取りで教室を後にした。
「……よく教師になれたな」
これが普段の僕たちの日常。何も変わらない、変わることもないと思っていた日常のほんの一部だ。




