第62話:幸福の時、零時の鐘
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# 第62話:幸福の時、零時の鐘
**ドガラガシャァアンッッ!!**
高層階からの落撃。
石畳が炸裂し、クレーターのごとく爆砕したホテルの前庭に、二体の巨躯が叩きつけられた。
爆煙と石粉が舞い散る猛烈なショックの中、ドルドの意識が一瞬、白く弾けた。
(……あ……シル、ヴィア……)
―白濁する視界の奥に過るのは、ほんの数年前の記憶。
暗殺者ギルドの泥塗れの底で、刺々しく微笑んでいた少女。生意気で、冷酷で、だがどこか寂しげだった相棒の横顔。
―失敗すれば即処刑の初任務。
深手を負って動けない自分を、悪態をつきながら安全な路地裏まで引きずっていった華奢な肩。
縫合の痛みに悶える自分を「無様ね」と嘲笑いながら、その指先はわずかに震えていた。
―報酬をピンハネされ、冷え切った地下室で分け合ったカビ臭いひとかけらの硬いパン。「あんた体がでかいんだから、多めに食べなさいよ」と、半分以上を押し付けてきた強がりな声。
―四方を敵に囲まれて夜明けまで背中を預け合った。返り血で互いの顔も見えない中、「死んだら殺すわよ」と毒づきながら背中を叩いてきた、あの細い手の感触。
(……死ねるか……よ……っ! あいつを……置いて……ッ!)
ドクン、と心臓が激動した。
激痛に耐えて目を剥いたドルドは、己の首筋へ喰らいついたまま動かない化け物――ダインの顎に猛烈な拳を叩き込み、力任せにその巨躯を引き剥がした。
「ハァ……ハァ……ッ!」
血反吐を吐きながら立ち上がるドルド。だが、その周囲には、12時の刻限前だというのに無数の足音が群がり寄っていた。
ホテルから落下した大轟音を聞きつけ、路地裏からゾロゾロと湧き出してきた暗殺者や荒くれどもだ。
「おいおい、ドルドさんよぉ! 満身創痍じゃねぇかよ!」
「ヒャッハー! あの化け物どもが潰し合って落ちてきたんだ! とどめは俺たちが貰うぜぇ!!」
勝機と懸賞金に狂喜し、群がるハイエナども。
「油断するなぁああ!!構え―
だが、ドルドが号令をかけるよりも早く――**【それ】**は動いた。
「――ガ、あ?」
黒い蒸気を吐き出す獣――ダインが、地を蹴った。
先頭で下卑た笑みを浮かべていた男の頭部を巨腕で掴み上げると、そのまま槍のように石畳へと深く突きたてる。
ズゴォンッ! と石を穿ち、頭部から地面に埋め込まれた男の手足が、虫のように痙攣して止まった。
「な……ッ!?」
何が起きたのか理解できない荒くれ者たち。
次の瞬間、ホテルの明かりに照らされた薄闇の中を、黒い影が飛び交った。
「ヒィッ――!?」
「グアアーーッ! か、噛みつかれ――」
「ギャッ――!!」
噛みちぎられ、引き裂かれ、踏み潰されていく。
声すら満足に上がらない。闇の中で肉が爆ぜる音だけが、淡々と響き渡る。
(だめだ……奴らは戦力なんぞじゃねぇ……)
ドルドの背筋に冷や汗が伝わる。
集まった連中は、もはや敵ですらない。ただ暴走する獣に貪られ、喰い殺されるためだけの『肉塊』でしかなかった。
「ウォオオオオオオオッ!!」
ドルドはスキル【ウォークライ】を腹から咆哮した。
死に体と化した暗殺者どもを威圧で強引に引き締め、自らもダインへ向けて突撃を開始する。
「撃てッ! 殺せぇえええッ!!」
狂乱した暗殺者たちが携えた、連射式ボウガンの雨がダインへ降り注ぐ。
矢の雨の直後、烈風のごとき刃の旋風が襲い、最後の一撃としてドルドの重拳が叩き込まれた。
――だが。
**キンッ! キィンッ!!**
高質化したダインの漆黒の外骨格と皮膚は、矢の雨をすべて弾き返した。
突き刺さったわずかな矢すら意にも介さず、ダインは矢をむしり取ると、そのまま狂乱の膂力で投げ放った。
**ズススッ!!**
投げナイフ以上の速度で放たれた矢が、暗殺者たちの頭部や喉を次々と貫き、石壁に縫い付けられる。
「た、退却だ! 化け物だ!! こんな奴に勝てるわけねぇーーッ!!」
「ば、バカ者どもが! 手負いの獣に背を向けるなッ!!」
ドルドの警告も空しく、惨劇に恐慌をきたした連中が一斉に逃げ出そうとする。
だが、背を向けた者から順に、投げ放たれた矢と岩片によって後頭部を穿たれ、物言わぬ肉塊へと変わっていった。
◇
逃げ場はない。
生き残ったのは、血の海の中に立つドルドただ一人。
「……この……化け物めぇええええッ!!」
ドルドは覚悟を決めた。
猛然と飛びかかり、ダインの巨躯に拳を何度も叩き込み、蹴り上げ、もつれ合いながら地面へ叩きつけてマウントポジションを奪い取る。
「ハァ……ハァ……ッ!」
勝った。マウントを取ったのは俺だ。
下を見下ろすと、あの恐怖の化け物――ダインが、両手で顔を覆い、子供のように泣き崩れていた。
「ヒッ……ゆ、ゆるひて……ゆるしてください……」
情けなく、滑稽に命乞いを叫ぶ化け物。
その無残な姿を見下ろすうち、ドルドの胸の中に狂おしいほどの『全能感』と『快感』が湧き上がってきた。
(そうだ……! こんな化け物が、俺に、許しを請うている……! 俺は……勝ったんだ……ッ!)
「許すか……!! バカッ!!」
ドルドは歓喜に震えながら、とどめの一撃を大きく振りかぶった。
力任せに、ダインの顔面へ拳を突き刺す。
狂おしいほどの全能感の最中、ふっと背後から微かな香りが漂った。
血生臭い臭いなど微塵もしない、かつてどこかで嗅いだことのあるような、甘い匂い。
「よくやったわね、ドルド」
振り返れば、傷ひとつないシルヴィアがそこに立っていた。
生意気で、冷酷で、決して弱みを見せなかった女が――まるで聖母のように優しく微笑んでいる。
「ふふ……泥みたいな人生だったけど、悪くなかったわ。ありがとう」
包み込むように抱きしめられる。
その肌の温もりを感じた瞬間、指先から感覚がスッと抜け落ち、冷え切っていた身体がじんわりと幸福で満たされていく。
(……おい、シルヴィア。お前、傷はどうした……?
それに、俺をこんな風に……呼ぶはずが……)
なぜこんなにも身体が軽いのか。なぜ手足の痛みが何ひとつないのか。
あまりに都合が良すぎる。
まるで、出来の良すぎる夢――
泥と血に塗れたクソみたいな人生の終わりに、神様がくれたのがこのぬくもりなら、悪かねぇ。
ドルドは疑うのをやめ、その華奢な肩へと力なく額を預けた。
――**ドンッ!!**
◇
……静寂。
現実のホテルア・ジールの中庭の石畳の上。
マウントポジションを取られ、石畳を背にして横たわっているのは、ドルドだった。
ダインが大きく振り上げた巨拳が、そのままドルドの顔面を打ち砕いた音――**ドンッ!!**
重機がコンクリートを叩き潰すような、鈍く重い打撃音が夜の街に響く。
ドルドには、もう抵抗する手足すら存在しなかった。
死闘の果てに、皮肉にも鉄血の解体屋ドルド。
その両腕と両脚はダインによって引きちぎられ、
大量の血を失っていたのだ。
臨死の激痛とショックから脳を守るため、彼が見ていたのは――最愛の相棒に抱かれ、勝利を掴み取る『幸福な夢』。
ダインは冷徹に、溜めて、振り下ろす。
**ドンッ!!**
二度目の打撃。
幸福な夢の中で、ドルドは笑みを浮かべたまま、静かに息絶えた。
**ドンッ!!**
三度目の打撃で、もはや動かなくなった肉塊。
――**ゴォオオオオン……!**
その瞬間。
メルカティの夜空を揺らし、ついに深夜零時を告げる重々しい鐘の音が鳴り響いた。
聖域の崩壊。そして、本物の地獄の幕が開いた――。
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