第60話:残される者の誓約
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# 第60話:残される者の誓約
ラウンジの重々しい真鍮扉を後にし、最上階の特別客室へ戻ったダインとアル。
オーク材の扉を開けると、部屋の空気は出かける前とは一変していた。
「――お帰りなさい、ダインさん、アルさん!」
重厚なデスクの前で、モニターの青白い光を浴びていたエレノアが、疲憊しながらも明るい声を上げて振り向いた。汗に濡れた金髪を拭い、興奮を隠しきれない様子で端末のメモリカードを掲げる。
「暗号ログの解析、完了しました! ヴォルペ館の隠し構造、それからルチアーノがかつて逃走に使った地下の秘密配管ルートの全容が判明しましたわ!」
ベッドの上では、温かいスープを飲んで体力を回復させたリノが、すでに目を覚ましていた。ダインが部屋に入ってきたのを目で追うと、安堵したように小さな吐息を漏らし、静かに身を起こす。
エレノアは身を乗り出し、画面を指差ししながら熱弁を振るった。
「ヴォルペ館の正門は強固な魔導障壁と私設軍隊で固められています。ですが、この地下配管ルートを使えば、街の追手を完全に迂回し、ヴォルペ館の地下へ直接侵入できます! 私も一緒に行ってナビゲートしますわ!」
「なるほどねぇ。ドブネズミの真似事かい……まあ、正面突破よりはマシか」
アルが包帯を巻き直した首を鳴らし、ニヤリと笑う。だが――。
「……エレノア様。お言葉ですが、それは『最悪の悪手』でございます」
部屋の隅、椅子へ腰掛けていたザンギエットが、静かに、だが重々しく首を横に振った。
エレノアが呆気にとられたように目を丸くする。
「えっ……? なぜですか、ザンギエットさん? 地下なら街中の暗殺者たちの目を盗んで移動できるはずです!」
「……地下排水路の管理権限は、ヴォルペ商会の配下にあります」
ザンギエットは静かな歩調でデスクへ歩み寄り、冷徹な声音で告げた。
「あの閉塞された地下水路に皆様が踏み込んだ瞬間、ヴォルペが水門を開けたらどうなりますか? 数十トンの濁流を一気に『放流』されたなら……どれほど凄絶な猛者であろうと、暗闇の水底で一網打尽にされ、窒息死するしかございません」
「ッ……!!」
エレノアの顔から一瞬で血の気が引いた。
言われてみれば当然の盲点。閉ざされた水路での戦いは、相手に環境の主導権を握られている以上、ただの自死に等しい。
「追手を撒くどころか、自ら蓋のあるドブへ飛び込むようなもの。地下ルートは危険すぎます。……そして、エレノア様。貴女様をこの死地へお連れすることも叶いません」
「な……なんですって……!?」
思いもよらぬ言葉に、エレノアが声を裏返らせた。ザンギエットは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、重々しくデスクへ置いた。
「当トマス商会代表より、特別通達でございます。エレノア様……貴女様には今この瞬間より、当商会との『特別専属保護誓約』を結んでいただきます」
「専属……保護誓約……?」
「左様でございます。貴女様の持つ卓越した古代技術の解析能力と知識を鑑み、当商会の『特殊な客人(専属技術顧問)』としてお迎えいたします。……これにより、たとえダイン様方の戦いが最悪の結末――敗北に終わろうとも、当商会の全権を賭けて貴女様の身の安全と立場は永久に保障されます。……ただし今後は、当商会との主従に近き関係を受け入れていただくことが条件となりますが」
「そんな……! 冗談じゃないわ!!」
エレノアが激昂し、眉をひそめて卓を叩いた。
「私だけ安全な場所に逃げて、皆さんに命を懸けさせるなんて……! 私だって戦います! ヴォルペの悪事を暴き、スラムのみんなを救うために――」
「――いいじゃねぇか、先生」
エレノアの言葉を遮るように、アルの穏やかで低い声が落ちた。
エレノアがハッと振り返ると、アルは壁に背を預けたまま、どこか照れくさそうに口端を緩めていた。
「な、何言ってるのよ、アルさん……! 私だけ足抜きするみたいじゃない……!」
「へっ……足抜きもクソもあるかよ。別にこれまでと何も変わらねぇさ」
アルは大剣の柄に手をつき、まっすぐにエレノアの目を見つめた。
「俺たちが失敗したって、先生が生きてりゃこの街の闇はいつか暴かれる。……それにさ、先生はこれからもこのメルカティに必要な人間なんだよ。俺たちみたいな破れかぶれのドブネズミとは違うんだ」
「アルさん……」
「ここで通信機材にしがみついて、俺たちに『右だ左だ』って指示出してくれる方が、よっぽど助かるねぇ。頼んだぜ、先生」
不器用だが、温かいアルの言葉。
エレノアは溢れそうになる涙を必死に手袋の背で拭うと、固く口唇を噛み締め、深く深く頷いた。
「……分かりました。絶対に……絶対に生きて戻ってきてください、二人とも……!」
ザンギエットが満足そうに一礼し、話を引き戻した。
「……では、移動手段の話に戻りましょう。北の高台にあるヴォルペ館へ向けて、当商会が誇る地下厩舎より、ダイン様の巨躯と重甲に耐えうる魔獣血統の『二騎の暴れ馬』をご用意いたしました」
「路地裏の疾走戦か。へっ……そいつは血が滾るねぇ」
アルが大剣を担ぎ直し、凶悪な笑みを深める。
ダインはベッド脇へ歩み寄ると、不安そうに自分を見上げていたリノの頭へ、大きな手をそっと置いた。
「いけるか、リノ」
「……ん。ダインの背中なら、どこまででも」
リノはダインの指を小さな手でギュッと握り返し、強い光を宿した瞳でうなずいた。
運命の深夜零時まで、残り時間はあとわずか。
二騎の疾風となり、夜の路地を駆け抜ける死闘の幕が、上がろうとしていた――。
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