第59話:グランド・カルテルの議場
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# 第59話:グランド・カルテルの議場
深夜十一番刻。
自由貿易都市メルカティの中心にそびえる、漆黒の大理石で建造された大議事堂。
『大商号盟約連盟』の旗印が掲げられたその重々しい大ホールには、深夜にもかかわらず無数の灯火が灯り、熱気を孕んだざわめきが渦巻いていた。
「おい……噂は本当なのか? あのモーレッツの秘密競売場が、跡形もなく破壊されたというのは……」
「地下水道の違法施設だけではないぞ。今や街中の暗殺者や荒くれどもが、莫大な懸賞金を目当てに動き出している」
「信じられん。あのヴォルペ様に牙を剥く愚か者が現れるとはな……一体何者なんだ?」
「名前も身元も分からん、どこからか紛れ込んだ正体不明の暴徒どもらしいが……」
「――しっ! 静かにしろ、始まるぞ!」
議場を埋め尽くす大商人や評議員たちが固唾をのむ中、中央の丸形演壇へ一人の男が足を踏み入れた。ヴォルペ商会の重鎮であり、老獪な弁舌で知られる高幹部だ。
男は痛烈な悲憤を全身に漂わせ、両手を大きく広げて議場を見回した。
「――静粛に! 諸君、どうか耳を傾けていただきたい!」
男の鋭く張り上げた声が、大理石の天井に反響する。
「今夜……我らが誇り高き『大商号盟約連盟』の歴史に、決して拭い去れぬ汚濁と血の痕が刻まれた! 地下水道への不法侵入と破壊、さらにはモーレッツ商会が手塩にかけて準備した競売場の凄惨な略奪……! 惨烈極まる暴虐の嵐が、このメルカティを襲ったのだ!」
議場に動揺の波紋が広がるのを見届け、男は一層強く卓を叩いた。
「被害を被ったのは、我がヴォルペ商会やモーレッツ商会だけではない! この街が数百年の歳月をかけて築き上げてきた『秩序』と『平和』そのものが、暴力に踏みにじられたのだ! 奴らは名も知れぬ反逆者! どこから紛れ込んだかも分からぬ野蛮な狂犬どもだ! 誇りも矜持もなく、ただ破壊を撒き散らす獣どもを……諸君、このまま野放しにしてよいはずがあろうか!?」
「「「そうだ!」「許しがたい!」「裁きを!」」」
議員たちの恐怖と怒りが煽られ、賛同の怒号が湧き起こる。男は深く頷き、一転して声音を不気味なほど低く落とした。
「……だが、諸君。真に恐るべきは、外から現れた狂犬どもではない」
男の冷たい眼光が、議場の一角――トマス代表の座す一画へと真っ直ぐに向けられた。
「真の恐怖とは……我が大商号盟約連盟『グランド・カルテル』の血の盟約を交わした同胞の中に、この血に飢えた反逆者を『ホテル・アジール』へ招き入れ、
温かいベッドと庇護を与えている【裏切り者】が存在するということだ」
ざわっ……と、今までにない凍てつく戦慄が議場を駆け抜ける。
「我がヴォルペ商会は私怨で言っているのではない。
カルテルの存続を危ぶんでいるのだ!
正体不明の暴徒を匿い、圧倒的な暴力から守る行為…
…これこそが、我らグランド・カルテルに対する明白な背信であり、裏切りでなくて何と言おうかッ!」
男はトマス代表を一直線に指差し、大音量で言い放った。
「カルテルの秩序を破壊した暴徒と、それを匿う裏切り者に、断固とした鉄槌を! いまこそ我らの団結と、厳正なる裁きを示そうではないか!!」
◇
「――言葉が過ぎるぞ、ヴォルペ商会」
重々しく、だが議場の隅々にまで透き通るような静かな声が響いた。
静寂が戻った議場の中央、トマス商会代表――老獪なる大商人トマスが、仕立てのいい上衣の乱れを整えながら静かに立ち上がった。その佇まいには、数々の修羅場をくぐり抜けてきた者だけが纏う、揺るぎない威圧感があった。
「我がトマス商会が預かる『ホテル・アジール』は、数百年前の大商号盟約連盟創設より続く『血の盟約』を象徴する絶対聖域。
黒印のコインを携えて訪れた者を拒まぬことは、我らすべての商人が誓った絶対不可侵の掟である」
トマスは冷徹な眼光で議場を見回し、低く言い放つ。
「相手が何者であろうと、正当な手形を持つ者を客として保護するのは『裏切り』ではない。
カルテルの根幹たる『掟の順守』だ。
……ヴォルペよ、目先の怒りと恐怖に任せて聖域の掟を破ってみろ。
明日から誰が我ら『大商号盟約連盟』の結んだ約束や手形を信用する?
ホテルを戦場に変えようとすることこそ、カルテルの尊厳を自らドブに捨てる愚行ではないか」
ぐっ……と、ヴォルペ側の議員たちが言葉を詰まらせる。トマスは間髪を容れず、畳みかけるように声を研ぎ澄ませた。
「それに……そもそもだ。名も知れぬ彼らがなぜそれほどまでに暴れ回っているのか、胸に手を当てて考えられたか?」
トマスの視線が、演壇の男を氷のように射抜く。
「金に困った冒険者どもを方々から集め、人知れず使い潰していた不穏な動き。
地下水道で密やかに行われていた違法な人体実験。
さらには、暗殺者ギルド『黒の回廊』からの紹介状……。
それらすべてに、ヴォルペ商会の強いコネクションと主導があったことは、
もはや隠しようもない事実」
議場に動揺のひそひそ話が再び渦巻く。
「自ら撒いた毒の種で手を焼き、尻に火がついたからとて、他人に責任を擦り付けるのは筋違いというもの。……自らの不始末は、自らの手で拭うのが商人としての筋というものであろう?」
完膚なきまでの論理と事実の提示。ヴォルペ側の男は顔を真っ赤に沸騰させ、卓を激しく叩いた。
「へ、屁理屈をっ……!! だが、現に奴らは今この瞬間もホテルに匿われているではないか! このまま零時を過ぎて逃がすつもりかッ!?」
――ゴォオオオオン……。
その時、メルカティの夜空を揺るがす、重々しい零時(深夜十二時)の鐘の音が議事堂へ届いた。
一つ、二つと響く鐘の音の中、トマスは懐から静かに銀の懐中時計を取り出し、パチンと蓋を閉じた。
「……お話し中失礼。十二時でございます」
トマスは胸に静かに手を当て、冷ややかな笑みをうっすらと浮かべた。
「『血の盟約』によるホテルの保護期日は、たった今満了いたしました。
『ホテル・アジール』は変わらず絶対聖域であり続けますが……
一歩敷地から足を踏み出した後の彼らの運命について、
当商会は一切関知いたしません。
――これにて、当方の弁明とさせていただきます」
言葉を切り、トマスは優雅に一礼して座席へと戻った。
満了した絶対聖域のタイムリミット。
舞台は再び、夜の闇と殺気が蠢く『ホテル・アジール』へと移される――。




