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# 第57話:理不尽な復讐


# 第57話:理不尽な復讐


―—――――――


◇



ダインは静かにバルコニーの窓辺へ歩み寄り、重厚なカーテンを外から少しだけ繰り寄せた。


眼下に広がる雨上がりの街灯の下、漆黒の街並みの中で、徐々にその数を増していく無数の暗影が見えた。


十二時の時計の針が重なった瞬間、このラグジュアリーな『聖域』は一瞬にして崩壊し、全街を巻き込む絶望の狩り場へと変わる。


「……おつかれっす」


背後から、足音もなく不気味なほど軽い声がかけられた。


不意を突かれたダインは、前世――山田大輔だった頃の身にしみついた悲しき習慣で、つい反射的に言葉を返してしまう。


「あ、あぁ……お疲れ様です」


「へへっ、なんすかソレ」


くすくすと意地悪く喉を鳴らしたのは、壁に背を預けていたスネアだった。


「ダインの旦那らしくもないでやんす。うちのアル様と似てるってぇか、魂の双子って感じなんで『おぅ』とか、そういうそっけない返事が返ってくるかと思ってたでやんすよ」


「そうか?? 全然似てないだろ。あんな粗野な男と一緒にされちゃかなわねぇって。俺は優しいだけが取り柄だって、昔からよく他人に言われて来たんだぜ」


「あぁ、そういう所がそっくりなんすよ。……ま、アル様の方がツラは良い男には違いねぇでやんすがね」


ニヤニチャと軽薄な笑みを浮かべるスネア。


そこから、しばしの沈黙が落ちた。


二人は黙ったまま、ガラス越しに眼下の夜の街並みと、そこに蠢く刺客たちの影を見つめ続ける。数分間、静まり返った夜気だけが二人の間を通り抜けていった。


(……参ったな。そういえばスネアと二人きりで話したことなんて、これまでなかったな)


ダインが心の中で苦笑を漏らしていた、その時。


「……ダインの旦那」


「ん? なんだ?」


「旦那とリノちゃんには……あっしらメルカティを根城にしてる奴らと違って、この街のために戦う理由がどうしても解せねぇんでやんすよ」


そこまで口にした瞬間、スネアの全身から立ち上る「気配」が一変した。


軽薄な三下の皮がベリリと剥がれ落ち、刺すような、冷たい殺気がバルコニーの空気を凍りつかせる。


「あんたの気持ちが知りたい。……くだらねぇ正義感なのか、功名心なのか。或いは……何か他の狙いがあるのか」


感情の失せた黒い瞳。ダインは鉄仮面の奥で静かに息を呑んだ。


(品定めってわけか……)


ダインは眼下の闇に視線を戻し、低く呟いた。


「お前らだって……別にここを捨てて新天地で活動したって良いはずだろ。わざわざ飛び込まなくても良い死地に飛び込もうって物好きだ。同じことさ」


「……」


スネアの瞳から「でやんす」という道化の口調が完全に消え去った。


彼女の眼光は、極寒の刃のように冷たく、ガチのトーンへと切り替わる。


「……気に入らないのさ。言ってみれば、時代への復讐って感覚ね」


吐き捨てるような声音。


「あたしたちハーフリングってのは、元々は魔界から召喚されたゴブリンが、ドワーフやエルフと交わりまくって生まれてきた……言ってみればキメラよ。

この世界のどこに居たって異形の怪物。魔王降臨時代の負の遺産。存在自体が忌避される異物なのよ」


スネアの吐息に、苛烈な熱量が宿っていく。


「だから……それをもう一度やろうとしてる奴らが、たまらなく憎たらしくなっちゃったんだよ」


語気を強め、上がっていたボルテージが、最後の言葉を吐き切ると同時にすっと急速に冷却されていく。


冷めた静寂が戻った――その時。



――ズ、ズキリッ……!!


その時、胸の奥底から沸騰した油を流し込まれたかのような激痛が跳ね上がった。

龍毒だ。


決して治ったわけでも、清められたわけでもない。

体内を巡る呪われし毒が、肉を焼き、骨を溶かさんばかりに

内側から暴れ狂っていた。


誰の視線も届かないカーテンの陰で、ダインの巨躯が重々しくくの字に折れ曲がる。

(ッ……!! ぐ……っ!!)


喉を焼く声なき悲鳴。鉄仮面の奥で、歯が砕け散らんばかりに強く噛み締められた。血が滲むほど固く握りしめた拳を胸元へ押し当て、身悶えるような痛みの旋風を、ただ一人でじっと耐え忍ぶ。


暗闇の中、灼熱の激痛とともに、脳裏にどくどくと不快で粘着質な記憶が蘇ってきた。



――かつて、彼が「山田大輔」という冴えない男だった頃の記憶だ。


夏は灼熱の太陽に皮膚を焼かれ、冬は足指の感覚が失せる極寒の中、

ヘルメットをかぶり、泥と汗に塗れてこなしていた日雇いの建築作業。


安全配慮など皆無の劣悪な現場。

そこにやってくる大手元請けの責任者は、まるで下界の虫ケラを見るかのような冷酷な目で自分たちを見下ろしていた。

自分たちとは住む世界が違う、まさに「天上人」のような絶対的な階級の差。


現場には一定数、不器用で要領が悪く、元請けや周囲の偏屈な現場作業員から日頃から

ターゲットにされ、精神的にも、肉体的にもサンドバッグのように扱われていた若い作業員がいた。


――だが、大輔にとって、そいつはただの他人ではなかった。

100円の安いホットの缶コーヒーを自販機で買い、

泥だらけの軍手を外してプレハブの陰で分け合いながら、


「今日もキツかったっすね」

「あぁ、まるで天上人だったな、俺たちを人間だと思ってないよな、人の心とかないのかっ!て感じだったな…、大丈夫だったか?」

「ハハッ…まぁ、いつもの事っすよ、でも自分、いつか仕事もできるようになって、見返してやるっす!山田さん!明日も乗り切りましょう」と

愚痴を言い合って笑い合い、

共に厳しい冬の現場を乗り越えてきた、数少ない**「仲間」**だったのだ。


ある日、その作業員が足場から不自然に滑落し、足を骨折する大ケガを負った。

救急車を呼ぶ手配の最中、元請けの男は舌打ちを漏らし、ケガをして痛みに転がる作業員を見下ろして吐き捨てたのだ。


『ちっ……このクズ!。中途半端にケガなんかして面倒起こしやがってよぉ。どうせなら、そのまま死んでくれれば手間の省けたのによ!おいっ!いつまで大袈裟なリアクションしてやがる!!だまりやがれっ!』


ドカッ!!


「だまりやがれっ!だまりやがれっ!だまりやがれっ!」


ドカッ!


ドカッ!


ドカッ!


ケガをした作業員に蹴りをいれる天上人。


人の命とも思わない、あまりにも惨酷で不道徳な暴言と行動。


あの時、大輔は何をした?

……誰も、何も言えなかった。


「良いか?俺は風紀を乱してお前らの気を散らせている奴を代わりに教育してやってんだ。このことをチクりやがったら、わかってるよな?お前は、柵を乗り越えて、危険な行動を自分でして落ちた、これもその時についた打撲だ?いいな?」


「おいっ!そこのデブッ!急いであそこの開口部に柵をつけろ!こいつのジャンパーも引っかけておけよ!」


機嫌を損ねて明日からの仕事を切られるのを恐れた周りの大人たちと一緒に、

大輔もまた、帽子を深めにかぶり直し、

へこへこと卑屈な笑みを顔に貼り付けて頷いていたのだ。


さっきまで一緒に缶コーヒーを飲み、笑い合い、苦労を共にしてきた仲間がすぐ目と鼻の先で倒れているというのに。


「バカな奴だよ…とっとと尻尾巻いて逃げりゃよかったのに…仕事で見返すも何も無いんだよ…努力するだけ無駄だってわかるだろ…」


一緒に隠ぺい工作に加担させられていたベテランの作業員が言った言葉にカッとなり、瞬間的に怒りで胸が熱くなった。

山田は気が付けば言葉を自然に発していた。


『はは……本当っすね……』


誰も諫めず、誰も立ち上がらず、権力者の機嫌を取るためにヘラヘラと愛想笑いを浮かべる群衆。


そして、その愛想笑いの裏側で、大輔は汚い安堵の溜息をついていた。



(ああ……俺じゃなくて良かった……。俺がターゲットにならなくて良かった……)



保身のために、共に笑い合った仲間の尊厳が見下され、踏みにじられる姿から目を逸らし、自分が被害に遭わなかったことに心底胸をなでおろしていた、惨めで、弱く、泥のように不格好な男――それが「山田大輔」だった。


(ッ……!!)


鉄仮面の内側で、血の味が広がった。


思い出しても吐き気がする。

ヴォルペやマフィアどものような、他人の尊厳を踏みにじって肥え太る権力者どもへの殺意。

……だがそれ以上に、そんな理不尽に怯え、ヘラヘラと笑って目を逸らし、

自分が助かったことに安堵していた「あの頃の自分」に対する

激しい憤怒と吐き気が、全身の血液を狂おしく沸騰させた。


(二度と……二度と、あんな思いも、あんな選択もしねぇ……!!)


荒くなる呼吸を力任せに殺し、体内で暴れる毒熱と、過去の惨めな記憶を鉄仮面の裏側へと力任せに押し込め直す。


そうして――何事もなかったかのようにゆっくりと背筋を伸ばすと、ダインは鉄仮面の奥で漆黒の双眸を恐ろしく光らせた。


(踏みつぶされてたまるか……喰い尽くしてやるよ)

ダインは静かに顔を上げ、冷たい目をしたスネアを見据えた。


「……なぁ、スネア。俺も同じだよ」


「……?」


「自分と、自分に流れる血と……この権力構造の上でテメェだけは特別だってふんぞり返って、弱者の血を啜って胡坐をかいてる奴が許せねぇ。……理不尽な復讐、

やられたらやり返す。

かつての屈辱をやられてねぇけど倍返しする、そんだけだよ。」


重く、濁りのない静かな殺意。


スネアはダインの鉄仮面の奥にある「目」と「表情」を凝視し――やがて、何かを深く納得したように、ふっと口端を上げた。


「へぇ……良い目ツキするじゃん。ほらね、やっぱりそっくりでやんすよ。

旦那は案外、あたしのタイプかもね」


三下の顔に戻ったスネアは、ニヤリと可憐で意地悪な笑みを浮かべると、踵を返して部屋の中へと戻っていった。



―かつてヘラヘラと笑って日和っていた、情けない前世の自分への完全なる決別。


体内で疼く毒の痛みも、過去の汚名も、すべてを己の怒りの燃料へと変え、胸底で静かな炎を燃え上がらせる。


嵐の前の不気味な静けさが充満する『ホテル・アジール』で、死闘へのカウントダウンが静かに刻まれていた――。


※第56話・第57話をリアルタイムでお読みいただいた皆様へ


前話(第56話)の通信トラブルに伴い、エピソードを【第56話】と【第57話】に分割・大幅に加筆・再編しております。


もし「話の繋がりが気になる」という方がいらっしゃいましたら、ぜひ修正後の第56話から合わせて読み返していただけますと幸いです

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