第56話:不可侵の聖域(アジール)
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すぐにアクセスできず修正にお時間をいただいてしまいましたが、無事に復旧し、本来お届けしたかった形へしっかり加筆・修正を完了させております。
なお、加筆に伴いエピソード全体のボリュームが非常に大きくなったため、急遽【第56話】と【第57話】の2話に分割してお届けする形へと変更いたしました。
一度投稿したエピソードを修正・再編する形となり大変恐縮ですが、何卒ご理解とご容赦をいただけますと幸いです。より濃密になった物語をお楽しみいただけますと幸いです
# 第56話:不可侵の聖域
ガタゴトと重厚な車輪の音を響かせていた馬車が、滑らかに速度を落とし、吸い付くように静止した。
「――皆様、到着いたしました。我がトマス商会が誇る絶対聖域……『ホテル・アジール』でございます」
ザンギエットが恭しく扉を開けると、濡れた夜の湿気とともに、重厚な石造りのカタリナ様式の建造物が圧倒的な威容を現した。
メルカティの喧騒から一本外れた敷地には、古代神殿を思わせる太い石柱がそびえ立ち、入口にはトマス商会の象徴――【秤と剣の紋章】が刻まれた魔導燈が、淡い琥珀色の光で夜の闇を切り裂いている。
馬車から一歩足を踏み出した瞬間、ダインの肌にチクチクとした針のような「視線」が突き刺さった。
雨上がりの暗がりのあちこち――街灯の途切れる影、向かいの建物の屋根の上、路地裏の深み。
そこには、ヴォルペの発令した破格の懸賞金プロモーションに狂おしく目を眩ませた、街中の暗殺者や荒くれ者どもの血走った眼光が、無数に蠢いていた。餓えたハイエナどもの殺気が、夜気を黒く濁らせている。
だが――殺気立った彼らは、ホテルの黒鉄の柵から一歩たりとも敷地内へ足を踏み入れようとはしなかった。ただ歯噛みをし、爪を立て、血走り狂った目でダインたちを凝視するのみ。
「……ハイエナ共が、群がってやがるな」
肩に担いだ大剣を泥のついた石畳へトンと下ろし、アルが血の固まった唇を歪めて唾を吐き捨てた。
ザンギエットは整えられた髭を静かに撫で、淡々と胸を張る。
「彼らも『掟』は理解しております。この『ホテル・アジール』の敷地内において、一切の戦闘・暴力・殺傷行為は禁じられている。これを破れば、トマス商会のみならず、商人連合全権の力をもって、
その者とその所属組織を即座に破滅・抹殺いたします。
……これこそが、数百年続く『血の盟約』の絶対不可侵の力でございます」
「へぇ……大した権威でやんすねぇ。なら、ずっとここに居れば安全って事でやんすか?」
スネアが不気味なほど冷ややかな小首の傾げ方で問うと、ザンギエットは悲哀を帯びた目で首を横に振った。
「いいえ。……先ほどお伝えした通り、私が商人連合の議会に言い訳を立て、皆様を『聖域の客』として保護できるのは、**【今夜の十二時(深夜零時)】**まで。
……それ以降は盟約の適用外となり、このホテル自体が牙を剥く狩り場と化すでしょう」
「十二時……あと数時間ってところか」
ダインの低く掠れた声が夜気に落ちる。
残り時間はわずか。外で待ち構える殺し屋たちの視線は、タイムリミットが刻一刻と近づくのを待つ、死神の計量器そのものだった。
◇
ホテルの最上階、重厚なオーク材の扉の奥に用意されていたのは、息を呑むほど絢爛豪華な特別客室だった。
ふかふかの羊毛絨毯。磨き抜かれた調度品。だが、そこへ足を踏み入れたダインたちの姿は、あまりにも異様で泥臭かった。
ドブ水と血で重く濡れた衣服から、ボタボタと汚水が高級絨毯へ染みを作っていく。だが、誰ひとりそれを気にする余裕などなかった。
衰弱していたミラとカインは、トマス商会お抱えの医師たちによって手厚くベッドへ横たえられ、命に別状はないと確認された。
傷口を清められ、暖かなシーツに包まれた二人の息遣いは
ようやく穏やかなものへと変わっていく。
ダインの腕の中で小さく身を縮めていたリノも、差し出された温かい濃厚なスープを貪るように胃へ流し込むと、極度の緊張と水嫌いによる疲労から
ダインの指を固く握りしめたまま泥のような眠りについた。
「ハッ……生きてる心地がしねぇな」
風呂場でこびりついた血と泥を洗い流してきたアルが、爛れた傷口に白い包帯をガチガチに巻きつけ、豪華なレザーソファへドカッと深く身体を沈めた。
激痛に顔を顰めつつも、ザンギエットから渡された極上の果実酒をあおり、喉を鳴らす。
一方――部屋の片隅に設置された重厚なデスクでは、異様な光景が広がっていた。
大量の魔導導線と青白い水晶モニターが接続された専用機材の前で、エレノアが血走った目で画面にしがみついていたのだ。
汗で金髪を額に張り付かせ、細い指先を打鍵機へ激しく叩きつける。その背中は、背負わされた重圧の重さに小さく震えていた。
(解読しなきゃ……私が、解読しなきゃ……ッ!)
胃がねじ切れるような焦燥感とプレッシャー。
自分が十二時までにこのデータを解き明かせなければ、
命を張って自分やスラムの人々を守ってくれたダインたちが、
この聖域を出た瞬間に無残な肉塊に変えられる。
その恐怖が、彼女の脳を苛烈に駆動させていた。
「……これ、ルチアーノの暗号化された実験ログ……!? ヴォルペの居城の地下配管図まで入っているわ……!これを使ってあの時逃げたのね…」
エレノアは荒い息を吐きながら、モニターに浮かび上がる膨大な数式と構造図を食い入るように睨みつけた。
「ダインさん、アルさん……! ルチアーノのデータから、ヴォルペファミリーの本拠地『ヴォルペ邸』の構造が少しずつ見えてきました! 正門は強固な魔導障壁と私設軍隊で固められていますが、地下の旧排水路から侵入できる隠しルートが存在します!」
「地下か。ドブ水はもう懲々だが、背に腹は代えられないか…」
ダインは腕を組み、重々しく頷いた。体内の龍毒が黒い斑点となって皮膚の奥で熱く疼くのを、力任せに抑え込む。
「さらに……『新作の自動戦闘人形ボルツ』や、ヴォルペがお抱えにしている
最新キメラたちの『適合拒絶を起こす弱点周波数』の情報も解析できそうです!
十二時までに、攻略データを通信魔導具へ同期させます……絶対に、間に合わせてみせますッ!」
爪が割れ、血が滲む勢いで構わずキーを叩き続けるエレノア。
その悲壮なまでの執念に、アルが果実酒のグラスを傾けながら、ニッと口元を凶悪に歪めた。
「頼もしいねぇ、お嬢ちゃん。……外のハイエナどもを血祭りにあげて、ヴォルペのジジイの首を刈りに行くには、最高の土産になりそうだ」




