第52話:濁流の生還と、狂気の競売
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# 第52話:濁流の生還と、狂気の競売
ゴォオオオオオオオオオッ――――!!
破砕した排水隔壁から噴き出す黒い濁流は、瞬く間に室内を呑み込んでいった。
足元を打っていた冷水は胸元まで跳ね上がり、崩落する天井から降り注ぐ土砂と混ざり合って、視界を漆黒に染め上げていく。
「ゲホッ……! 息が……水が重い……ッ!」
スネアがミラを背負い直そうとするが、激しい水圧に脚をとられ、体勢を崩しかける。カインを担ぐアルもまた、首元まで迫る濁流の渦に呑み込まれまいと大剣を壁に突き立てて耐えていた。
「だ、ダイン様ぁっ……! お水が……お水が来ますぅ……っ!」
極度の水嫌いであるコボルト族のリノは、耳と尻尾を恐怖でペタンと伏せ、濡れそぼりながらダインのマントへ必死にしがみついていた。
窒息の恐怖と、押し寄せる膨大な水の重量。冷たいドブ水が鼻や口に侵入し、全員の意識が遠のきかけたその時――。
**「――全員、俺に掴まれッ!!」**
濁流の咆哮を叩き割るような、ダインの重厚な怒号が轟いた。
身長二メートル半、九十キロを超える巨躯。未だ傷の癒えきらぬ肉体でありながら、その背中は絶望の底で圧倒的な壁となって立ちはだかる。
「アル! スネア! カインとミラを絶対離すな! エレノアも、リノもだ……死んでも俺から振りほどかれるなよ!!」
ダインは太い腕を伸ばすと、真っ先に胸元へ飛びついてきたリノを受け止め、カインを担ぐアル、ミラを抱えるスネア、そして魔晶石を抱きかかえるエレノアの身体を、己の強靭な両腕と太い体躯で強引に一つへと引き寄せ、丸ごと抱え込んだ。
**「ぐ、あっ……! 息を止めろぉッ!!」**
次の瞬間、天井まで完全に満ちた濁流が、部屋全体を破裂させる勢いで激流と化した。
**ズバババババーンッ!!**
逃げ場を失った数千トンの水圧が凝縮され、排水管の狭い暗渠へと一気に雪崩れ込む。
視界は完全な闇。呼吸は叶わず、鼓膜を打ち破るような水鳴りが響く。
だが、どれほど凄まじい水流が吹き荒れようとも、ダインの鉄の如き抱擁は微動だにしなかった。人間水雷となった彼らは、押し出される濁流の弾丸と化し、複雑な地下水路を狂ったような速度で射出されていく――!
◇
一方その頃――地上へと繋がる最初の地下水道入口。
「な、なんだ……!? なんなんだよ、一体ひぃっ!?」
ヘリ(水路の縁)に縮こまり、ガタガタと膝を震わせていたのは、先にアルやスネアをこの地下へ導いた**金貸しの男**だった。
奥の闇から地鳴りのような重低音が響いてきたかと思えば、突然、足元の水路から勢いよく大量の濁流が噴き出してきたのだ。
「ひいいっ! 破裂したのか!? ルチアーノの奴、下で一体なにをやらかし――」
金貸しが頭を抱えて悲鳴を上げた、その時だった。
**ザパァアンッ――――!!**
激しい水柱とともに、ドブ水に濡れた不気味な鉄仮面が、水中から突如として姿を現した。
「ぶはぁっ……!! ゲホッ、ゴホッ……!」
水面を割って荒い息を吐き出したのは、ダインだった。
「ひ、ひぃぃぁあああッ!?ば、バケモノ!!鉄兜のヒュドラが上がってきた!!」
金貸しが腰を抜かして尻餅をつく。
ダインは濁水で濡れた鉄仮面を力任せに拭うと、激流に流されまいと、石造りのヘリにバキバキと指先を食い込ませて身体を固定した。
そしてそのまま、圧倒的な背筋力で腕を引き上げる――!
「アル! スネア! 生きてるかッ!?」
「ゲホッ……! なんとか……ミラとカインも無事だ……!」
「死ぬかと思ったでやんす……っ!」
「うぅ……冷たかったですぅ……ダイン様ぁ……っ」
ダインが力任せに手繰り寄せた腕の中から、カインを庇い続けたアル、
ミラを抱え直すスネア、魔晶石を抱えたまま気を失っているエレノア、
そしてダインの首筋に顔をうずめてブルブルと震えるリノが、
次々と乾いたヘリの上へと引き揚げられていった。
濁流の底から這い上がってきた、血と泥とドブ水に塗れた命知らずの群れ。
その惨状と、鉄仮面の奥から溢れ出る死神のような殺気を間近で浴び、金貸しの男は顎をガタガタと鳴らしながら叫んだ。
「お、お前ら……嘘だろ…!?生きてやがったのか……!!? な、何がどうなってやがるんだ……!?」
「いよぉ、また会ったな、おっさん、ギルド証は返して貰うぜ」
アルは血色が土気色になりながらも口の端をニヤリと吊り上げ不敵に笑う。
「……ハッ、死に損なっただけさ、まさかテメェみてぇなクズの顔を見てホッとしちまう日が来るとはな」
ダインはドブ水を吐き捨てると、冷たい瞳で地上へと続く階段を見上げ、重々しく鉄拳を握りしめたのだった。
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◇
地下水道の暗澹たる濁流とは対照的に、地上に位置するVIPオークション会場は、絢爛豪華な金箔の装飾と眩い魔導ランプの光に包まれていた。
だが、そこに満ちていた空気は、お世辞にも優雅とは言えない重苦しい殺気と不満に塗れていた。
「どういうことだ、マーガリント!!」
ふかふかの絨毯が敷き詰められたステージに向かい、最前列に座る貴族の男がワイングラスを床に叩きつけた。ガシャン、と甲高い破砕音が響き渡る。
「ヒィイッ!!本日2回目のグラス投擲!!お見事にございまスッーン!!」
混乱の中必死に客を宥めようと褒める所を探し、見当違いな事を述べるマーガリント。
「あの『黒鋼の剛腕』ボルツを投入したと誇らしげに語っていたではないか! それがなぜ、下水道からの映像が途切れ、ノラ犬どもの処刑完了の報すら届かんのだ!?」
「そうだ! 俺は新作のボルツがノラ犬どもを切り刻む方に金貨百枚を賭けていたんだぞ! 責任を取れッ!」
客席を埋め尽くす腐敗貴族や裏社会の幹部たちは、賭けに負けた苛立ちと不信感を隠そうともせず、ステージ中央に立つ男へ怒号とブーイングを浴びせかけていた。
スポットライトを浴びる司会者マーガリントの額からは、滝のような冷や汗がダラダラと流れ落ちていた。
(くそっ……! ルチアーノの野郎、下水道の研究所を水没させただと!? ボルツまで信号が途絶えたというのか……!?)
内心で吐き気をもよおすほどの焦燥に狂いそうになりながらも、マーガリントは手を揉み合わせ、声を張り上げた。
「ご、ご安心を……! ご安心くださいませ、VIPの皆様方!!」
マーガリントは大袈裟な身振り手振りで客席を煽る。
「皆様のご不満、ごもっともでございます! しかーし!!
まんまと騙されましたね……! ボルツの投入も監視の途絶も、
すべては今宵の『真のメインディッシュ』を引き立てるための演出に過ぎません!!」
マーガリントがパチンと指を鳴らすと、黒布を被せられた台座がステージ中央へと運ばれてきた。マーガリントは勢いよくその黒布を剥ぎ取る。
「――お見せいたしましょう! これこそが我がヴォルペファミリーの至宝……冒険者、いや餌共の体内から抽出し、
純度を限界まで高めたスキル強化ポーション……
『スターダスト』でございます!!」
スポットライトの下に現れたのは、紫色の粒子が怪しく明滅する一瓶の薬品だった。
「これさえあれば、行き詰まったスキルの能力や威力を劇的に引き上げることが可能! まさに神の領域への階段でございます! ……もっとも」
マーガリントは下品に目を細め、声を低く潜めた。
「極上の多幸感と溢れ出る昂揚感……少々の錯乱という『極上の毒』が脳を痺れさせますがねぇ……ふふ、本物の刺激をお求めの皆様には、まさにうってつけの至高の麻薬でございましょう! 開始価格は――金貨一千貨から!!」
◇
ステージ上でマーガリントが舌を回し、必死に客席の興味を惹きつけようと躍起になっているその頃――。
VIP会場の裏手にある暗いモニター室では、数人の幹部スタッフたちが顔を蒼白にし、血の気の引いた手で魔導通信機にしがみついていた。
「おい、どうなった!? モーレッツ商会の支配人に連絡はついたのか!?」
汗だくの研究員風の男が叫ぶ。だが、通信機を握るスタッフは絶望に顔を歪めて首を横に振った。
「だ、ダメです……! モーレッツ商会の支配人……先刻、自宅で『原因不明の暴走』を起こして倒れたと……!!」
「なに!? 先刻倒れただと……!?」
モニター室に凍りつくような衝撃が走った。
絶対防御の盾である物理反射のアーティファクトと最強の鉾である
重力魔法とパイルバンカーを装備させ、殺戮兵器と化したボルツの敗北、
下水道研究所の全水没、そして傘下のモーレッツ商会の崩壊――。
「先手を……完全に先手を打たれたのか……!? どこの組織の仕業だ……!? 帝国か、エルヴンヘイムか、シャドラザール!?鉱山都市国家ヴォルガン連邦…!?それとも他の大商会なのか……!?」
スタッフたちの歯の根がガタガタと震え出す。
これは単なる「侵入者が暴れて終わり」ではない。
ヴォルペファミリーという巨大な闇の網の目が、外側と内側の両方から一気に塞がれ、潰されようとしているのだ。
「も……もうダメだ……。マーガリントの奴はステージでピーチクパーチク誤魔化しちゃいるが、時間の問題だぞ……!」
「ど、どうする!? このことがヴォルペ様に知られたら……報告した俺たちも、マーガリントも、全員生きて首がつながるはずがない……!!」
ヴォルペという男の冷酷さを熟知しているからこそ、誰もが報告を躊躇していた。しくじりの報告=死を意味するからだ。
――だが。
「……いや。ヴォルペ様にご報告するしかない……!!」
古参の幹部スタッフが、絞り出すような声で言った。その顔は恐怖で激しく歪んでいたが、瞳には悲壮な決意が宿っていた。
「このまま隠し通せるわけがないだろう! このままじゃヴォルペ商会……いや、傘下グループ全体どころか、このメルカティの裏の支配構造そのものが破綻する!!
それはすなわち、メルカティの経済の死!!メルカティの崩壊を意味する!!」
「し、しかし……!!」
「俺たちの命なんかより、グループの崩壊の方が惨劇だ!
自分たちの手に負える段階はとうに過ぎている……!
どんな処罰でも受ける……ヴォルペ様へ直接、緊急通信を繋げッ!!」
「っ……!! 了解……!!」
恐怖に震える指先で、禁断の通信魔導具のスイッチが入れられる。
ステージ上でのマーガリントの命がけの演説の裏で、ヴォルペファミリーという闇の巨塔が崩れ落ちていく足音が、確実に、そして冷酷に響き始めていた――。




