第49話:狂気の起動
# 第49話:狂気の起動
「な、なんだあの画面は!? どうなっている、マーガリント!!」
「おい! 画面が真っ暗で何も見えんぞ! 金を返せ、ヴォルペの豚どもが!」
ヴォルペファミリーが誇る最高級VIPサロンは、今や暴動寸前の泥沼と化していた。
足首が沈むほど深く重厚な赤絨毯。そこに鎮座する数百の魔晶石モニターは、先刻、巨漢の魔人が放った一枚の骨片によって悉く粉砕され、ただ死んだ魚の目のように不気味な黒いノイズを吐き出している。
温かい部屋で優雅に洋酒を傾け、「人間が獣に噛み殺される瞬間」を高物見で見物していた各国の貴族や権力者たち。
その肥え太った顔面が、醜悪な憤怒に歪んでいた。
クリスタルのグラスが床に激突して砕け散り、ヴィンテージの赤ワインが血のように絨毯を黒く染めていく。
「ひぃっ……! お、お静かに! 皆様、どうかお静かに……っ!」
司会者のマーガリント・ホウサンは、額から油のような冷や汗を吐き出しながら、必死に手を振っていた。だが、暴走する欲望の渦は収まらない。
「ふざけるな! 駆除バイトのドブネズミどもが喰い散らかされる『惨劇』を見に来たのだぞ!? なぜあの怪物がキメラを貪り喰っている!? なぜ映像が途絶えるのだ!!」
「返金だ! 賭け金を即刻戻せ! さもなくばお前たちの商会を叩き潰すぞ!!」
(くそっ……! くそくそくそっ! あの変装した怪物め、余計な真似を……っ!)
マーガリントは血走った目で深々と頭を下げながら、袖口に仕込んだ通信魔晶石を噛みちぎらんばかりの勢いで睨みつけた。血管が浮き出た首筋から、爪を立てるように声を絞り出す。
「おい、警備班!! 何をしている、予備のカメラを叩き込め! それと……地下の『アレ』を解き放て!!」
『し、しかしマーガリント様! 『アレ』はまだアーティファクトとの融合調整が完了していません! 制御の繋ぎ目が焼き切れる恐れが――』
「構わん、解き放てと言っているんだ!! あの侵入者どもを骨の髄まで噛み砕き、肉片に変えねば我が商会の威信は潰える!
繰り出せ……アーティファクト融合検体**『ボルツ』**を!!」
―—――――――――――
◇
ドボ……ドボ……と、水が引き切った地下水道の底部。
「……ハぁ……ッ、ハぁ……ッ……。ちくしょう、死の匂いが……肺にへばりついて取れねぇ……」
元Aランク傭兵アルは、ぬめりけのある湿ったレンガの壁に泥の塊のように背を預け、荒い吐息を吐き出していた。
先刻、たった一人で暗黒の底へ引きずり込まれ、
無数の異形どもを相手に【暗黒外装】を展開して暴れ回った代償――。
それは、肉体の芯を焼き尽くすほどの損耗だった。
視界の端に点滅する数値――MP:**0 / 120**。
「チョッ……マジでスッカラカンじゃねぇか……。大剣を支える骨まで、軋みやがる……」
手垢と鉄の味が染みついた剛剣を杖代わりに、なんとか上体を起こそうとする。
だが、膝の関節から生気が抜け落ち、生まれたての仔鹿のように無様に
ガクガクと震えた。
黒マントは獣の爪で縦横無尽に引き裂かれ、暗殺者風のマスクの隙間から
灼熱した吐息が白く漏れ出る。
(ダインたちと合流しねぇと……。あいつらなら、もうメインの実験場の手首まで掴みかかってるはずだ……)
アルが血の混じった唾を吐き捨て、壁を伝って重い一歩を踏み出した――その瞬間だった。
――ギィ……ガシャン……ズシン……。
暗闇の奥から、冷たい鉄と濡れた肉が擦れ合う、生理的な嫌悪を煽る歩行音が響いてきた。
単なる足音ではない。踏み出す一歩ごとに、地下水道の石畳が断末魔のような軋みを上げ、自重の異様さを物語る。
「……チッ、まだ死に損ないの残党がいやがったか……」
アルは乾いた唇を噛み切り、空になった臓腑を無視して無理やり大剣を構え直した。
黒濁した水滴が天井から滴り落ちる暗闇。その漆黒の帳を切り裂いて現れた影――。
それを見た瞬間、アルの喉の奥が凍りついた。
全身の毛髪が倒れ立ち、死線で研ぎ澄まされてきた野性の直感が、
脳の裏側でけたたましい警報を鳴らす。
「……なんだ、あいつは……!?」
そこにいたのは、もはや『人間』という枠組みを捨て去った怪物だった。
右半身から右腕にかけて、滑らかな漆黒の鋼
――人造アーティファクトが肉を押し割り、骨と融合するように癒着している。
その境目からは、青黒い魔力のラインが太い血管のように脈打ち、
グチュリ、グチュリと不気味な脈動音を奏でていた。
そして何より異様なのは、その顔面だ。
右目はくり抜かれ、そこに埋め込まれているのは妖しく、冷酷に赤く発光する単眼の魔晶鏡――**【アーティファクト】**。
感情のいっさいを刃物で削ぎ落とされた半機械の男
――殺戮の自動人形として改変された実験体『ボルツ』が、
首の関節をギチギチと軋ませながら、アルをその赤い照準に収めた。
『――目標識別。侵入者・単体。……排除シーケンスへ移行――』
人間の声帯をすり潰したような、冷ややかな低温の機械声が、石造りの地下洞に反響した。
◇
「……冗談だろオイ」
アルの額を、一筋の冷や汗が滑り落ちる。
相手の全身から放たれているのは、今まで叩き切ってきた
キメラや野良の魔物とは次元の違う
――**『ただ殺すためだけに研ぎ澄まされた殺人兵器』**の圧迫感だった。
(間合いを取って裁くか……? いや、今の俺の足じゃ、死神の足音からは逃げ切れねぇ……!)
アルが踏み込みを浅くし、後ろへ跳んで間合いを保とうとした――その瞬間。
**『――吸引グラビティ、起動――』**
ボルツの右胸の黒鋼が開き、微小なブラックホールのごとき黒い力場が放射された。
「ぐッ!??!?」
空間そのものがぐにゃりと歪む。強烈な重力波がアルの全身の肉と骨を鷲掴みにした。
離れようとしていたアルの身体が、まるで巨大な見えない手で首根っこを掴まれ、引きずり出されるように――**強引にボルツの目と鼻の先へ引き寄せられた**のだ!
「逃がさねぇってか……なら、その喉笛ごと喰らいやがれ!!」
吸い寄せられる絶望的な慣性を、アルは牙に変えた。全身の肉と筋繊維を千切れんばかりに絞り出し、剛剣を必殺の軌道で閃かせる。
狙うは黒鋼の隙間、生身の首筋。MPがなくとも、元Aランク傭兵として修羅場を潜り抜けてきた剣技は、寸分違わず敵の命脈を捉える――!
ハギィンッ!!!!!!!!
甲高い金属音が破裂し、アルの手首と腕骨に、脳が麻痺するほどの凄惨な衝撃が跳ね返ってきた。
「ぐあああッ!??!?」
斬撃が届いたまさにその瞬間、ボルツの右目の単眼が血のように真っ赤に発光した。
**【物理反射】**――アルが己の命を削って叩き込んだ渾身の剣撃の衝撃が、
そのまま100%の破壊力となってアル自身の両腕と肉体へ逆流したのだ。
両腕の皮膚がはじけ飛び、鮮血が噴き出す。剛剣が手から弾き飛ばされそうになり、激痛で膝の折れたアルは無様に崩れ落ちかけた。
「な……んだと……!? 攻撃が……そのまま跳ね返って……!?」
間合いを取ろうとすれば【吸引力場】で強引に間合いを潰される。
近接戦で斬りつければ【物理反射】で己の肉体が打ち砕かれる。
そして――逃げ場を失ったゼロ距離の目の前で、ボルツの右腕が金属の悲鳴を上げて変形を開始した。
ガコンッ! ギギギギギ……ッ!
黒鋼の外甲がスライドし、露わになったのは大人間の太ももほどもある巨大な一本の鉄杭。
先端が高熱で赤黒く爛れ、圧縮された火薬と魔力がシュウウウウと殺意の蒸気を吐き出していた。
**一撃必殺――【パイルバンカー】。**
「……嘘だろ……」
MPゼロ。手首は砕け、剛剣は弾かれ、体力を使い果たし、ゼロ距離で重力の檻に縛り付けられた身。
火花を散らしながら撃ち出しのチャージを完了させるボルツの冷酷な赤目と、アルの瞳が至近距離でぶつかり合った。
『――消滅――』
**ドスッ……ズドアンッ!!!!!!!**
爆音とともに火薬と蒸気が爆ぜ、肉と骨を叩き潰す絶望の杭が、容赦なく解き放たれた――!




